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芽生えの月、第3の土の日。
大和さんは一旦『夏の舞』を舞わないと決めたようだ。春、秋、冬はまだ舞えるから、その3曲をその日の気分で交代で舞うことにしたと言っていた。それでも満足は出来ないようだけど。
あの闇の日から、大和さんに大きな変化は見られない。八つ当たりの訓練もしていないし、表面上は穏やかだ。昨日は帰ってきてから、領城から見えない塔の裏でウォールクライミングをしていたけど。ちょうど浴室の窓だったらしく、コンコンとしようとして聞こえない可能性に気が付いて、なんだかガッカリして帰ってきた。
今日は曇りぎみかな?いつもより少しだけ室内が暗い気がする。ライトを付けなくても物は見えるけど、そのままで活動するには光量が足りない感じ。着替えをして、キッチンに降りる。暖炉に火を入れてキッチンで薬湯を煎じる。
「ただいま、咲楽」
「おかえりなさい、大和さん」
「上に行く?」
「はい。薬湯を持っていって良いですか?」
「ちょっと寒いからね。飲みながら見てて」
「膝掛けはたくさん用意してますよ?」
「ソファーでも置こうかな?って考えているんだよね」
「ソファーですか?」
階段を登りながら聞いた。
「俺がトレーニングをしている間、咲楽がそこに座って見ていられるでしょ?」
「一緒にトレーニングをするんじゃないんですね?」
「一緒にして、咲楽がバテたら、そこで休んでもらおうと思って」
「さっきと言ってる事が違いますよ」
部屋に入って、椅子とサイドテーブルを魔空間から出して、鑑賞の準備をする。サイドテーブルは糸巻きを大きくしたような形で、気に入って購入してしまった。大和さんは瞑想をしていた。
大和さんを取り巻く赤いモヤの色は朱色っぽい。今日は『秋の舞』かな?
少しずつ薬湯を飲みながら、大和さんの剣舞を待つ。大和さんが立ち上がった。そのまま『秋の舞』を舞い始める。穏やかな林を吹き抜ける風。舞う黄葉。静かにでも確実に進む季節を感じさせる風景。
「紅葉が見えなくなっていくのは寂しいですけど、こちらのアウトゥの景色も良いですよね」
「ターフェイアに居る内に、お出掛けもたくさんしようね」
「湖沼地帯って行ってみたいです」
「水系魔物とか居なけりゃ良いけどね」
「情報収集しておきます」
「アイビー嬢から?」
「それ以外に誰に聞くんですか?」
「騎士団の連中」
「そちらは大和さんにお任せします」
階段を降りながら話をする。2階に着くと、大和さんはシャワーに、私は朝食の準備をする。スープとパンを温めて、ハムエッグを作る。
「騎士団対抗武技魔闘技会の時、アイビー嬢も連れていくんでしょ?」
「はい。連れてくるようにローズさん達に言われてしまいましたし」
朝食を食べたら大和さんが食器を洗ってくれている間に、着替える。着替えている途中に大和さんがクローゼットに入ってきた。
「着替えた?」
「はい」
「残念。下に降りて待ってて。すぐに行くから」
「はい。暖炉を消しておきますね」
暖炉の火の始末をしてから、1階に降りる。すぐに大和さんが降りてきた。
「行こうか」
「はい」
門番さんに挨拶をして、城門を出る。2人で手を繋いで歩き出す。
騎士団本部までは一直線だ。いくら私でも迷わない。実際に不安なのは塔から出て、どっちに向かうのかと、騎士団本部に入ってからだ。施術室に向かう通路にはいくつかの部屋があるから。
ドアプレートの施術室の文字を確かめて、室内に入る。
「おはようございます、サクラさん」
「おはようございます、アイビーさん」
「掃除をして、練習で浄化を机にかけてみました」
「ありがとうございます。発動が早くなりましたね」
アイビーさんは覚えが早い。治癒術も出来てきているし、ある程度は任せても良いようになってきた。ただ、騎士団本部に居ると実践が圧倒的に足りない。騎士団対抗武技魔闘技会とフルールの御使者には一緒に行くから、所長に手紙を送って施術に携われないか聞いてある。もちろんトゥリアンダ様にもお聞きした。「父に言っておこうか?」と言ってくれたから、そこはお願いしてしまった。
今日はジョエル先生は4の鐘付近に来ると言っていた。ジョエル先生はハーブティーの監修をお願いしている。おやつついでに来ていただけるようだ。
「サクラさん、実はね、領都の施術院で何ヵ月か働いてみないかって話が出てるの。1年後に私1人になっちゃうから、経験不足を補う為って言われちゃって」
「それもひとつの手だと思いますよ。アイビーさんの場合、圧倒的に実践が足りません。自信を付けるためにも行ってみても良いと思います」
「掛け持ちは無理かなぁ。お昼までは施術院でお昼からはこっちとか」
「大変ですけどね。やる気があるなら話し合ってみたら良いと思います。その施術院にってどこからの話なんですか?」
「施術院の院長先生から。昨日家に来て、領主様の要請だって言ってた」
「その話って本当に領主様の要請なんでしょうか?本当だとしても、私やジョエル先生に何の話もないっておかしいです」
「そういわれれば?」
「今すぐ返事をって訳じゃないんですよね?領主様かジョエル先生に聞いてみてからの方が良いです」
トゥリアンダ様に手紙を書いて、事務方の領城への連絡係の人に渡してもらうように手配する。アイビーさんから聞いた話を詳しく書いておいた。
騎士団の訓練は1vs多人数の対処法のようだ。これは今年の騎士団対抗武技魔闘技会の為でもあるけど、領内の警備を担う以上、盗賊や破落戸との遭遇もあるわけで、その訓練にもなる。この訓練の後は打撲や骨折者が増える。訓練用とはいえ剣や棒などで打ち合ったりするからだ。騎士団対抗武技魔闘技会に出場するメンバーはチェーンメイルを、セント様はボディアーマーを着けている。ちなみに大和さんはチェーンメイル常時着用中だ。しかも手足に重りも付けている。大和さんは襲撃側らしい。それが伝えられた瞬間、出場メンバーの顔に諦観の2文字がはっきりと書かれた。
「アイビーさん、冷却の用意をしておきましょう。私達の手が回らない人達の患部を冷やして、炎症を取るためです」
「はい。氷を貰ってきます」
私の多属性は、アイビーさんは知っているけど、氷魔法や樹魔法等の複合魔法が使える事は言っていない。木の桶を抱えて厨房に飛び出していった。まだ時間はあると思いますよ、なんて言葉は聞こえていないに違いない。
「貰ってきました!!」
木桶の中にはハート型や星形の氷があった。
「誰が作ったの?これ」
思わず呟いたら、アイビーさんから元気なお返事があった。
「氷魔法を使える人が、面白がって作ってました。女の子だから可愛い方が良いよねって」
「クーリングの為だから、可愛さは要らないのに」
「でもでも、水の中に浮かんでたら、可愛いですよね?」
「そうですね」
たぶんアイビーさんも面白がったんだろうなぁ。ハート型はクッキーの型を通して「愛情を伝える形」として広がっている。他にも文字の形もクッキー型としてジェイド商会が売り出していた。
水属性はアイビーさんも使えるから、水を入れてもらって、その中に冷湿布用の布を何枚か浸しておく。風属性のプティトルナドを極小規模で発生させて、木桶の中の水温を下げておいた。
「ちょっと面白いです」
縦型洗濯機みたいですからねぇ。洗濯箱は稼働中は見えないし、珍しいんだと思う。
第一部の訓練が終わったらしい。施術室に騎士様達がやって来た。この訓練が終わると、施術室がミーティングルームになるんだよね。治療を受けながらアドバイスを聞いたり、反省点を話し合うから。
「チェーンメイルを着けている人は脱いでくださいね。セント様はお怪我は?」
「腕の打撲だけ。アイビーちゃん、治してくれる?」
「はい。気を付けてくださいね」
いつものやり取りが始まった。アイビーさんとセント様はめでたく付き合うようになって、毎回このやり取りが繰り返されている。騎士様達も生暖かく見守っている。
大和さんが注意点をあげていって、それを聞いている騎士様達を治療する。クーリングは各自でやってくれる。そこはいちいち言わなくて良いから楽で良い。最初に怒鳴り付けちゃったから、それ以来自主的にやってくれるようになった。
「方向や順番を確認する為に、ハンドサインか何かを作っておいた方が良いと思うんだが」
「今回の騎士団対抗武技魔闘技会の為だけじゃないからなぁ」
「場が混乱してくると、指示の声も聞こえ辛いよなぁ」
「また覚える事が増えるのか」
「がんばれー」
全く応援する気の無い声援が、出場メンバーに送られる。
「ヤマトだけ捕まらないんだよな」
「どうにかして捕まえたいんだが」
「有効なのはシロヤマ嬢を人質にする事か?」
「おい。止めておけ。狼が牙を剥くぞ」
「そういう話は本人の居ない所でやってくれ」
大和さんが言って、笑い声が起きた。
第2回戦の為に、騎士様達が出ていった。私達は施術室内を掃除する。だって訓練後そのまま入ってくるから、土埃とかが凄いんだもん。
「掃除終わりました」
「水を捨ててきますね」
アイビーさんが木桶を抱えて走っていった。若いなぁ。年は5歳しか違わないんだけど、どうしてもそう感じてしまう。
「サクラさん、トキワ様ってチェーンメイルの他に、重りも付けているんですよね?あの手と足の黒いのって重りなんですよね?」
帰ってきたアイビーさんに聞かれた。
「あぁ。グローブとシンガード?そう教えてもらいました」
「重りってどの位?」
「それぞれ1kgだって聞きました。合計で4kgですね」
「ずっと付けてるんですか?」
「さすがに寝るときには外してますよ」
「サクラさん達って一緒に暮らしてますもんね」
「アイビーさんは?何か進展はありましたか?」
「無いですよぉ」
「でも、お迎えに行って貰ってるんですよね?」
「まぁ、はい」
「ご家族に交際宣言をしたりとかは?」
「無いですよ。あ、でも、この前父ちゃんと何か話していたかも」
「交際のお許しでしょうかね?」
「サクラさん、からかわないでください」
3の鐘の前に第2回戦が終わって、騎士様達が施術室にやってくる。骨折者は居ないけど、打撲が多い。
「ヤマト、頼む。少しは手加減してくれ」
「盗賊や破落戸が手加減してくれるのか?」
「してはくれないが……」
「手加減しないで取り締まりで今日は楽だったと思うのと、手加減して今日は大変だったと思うのと、どっちが良い?」
「手加減して今日は楽だったと思う方」
「違いない」
「余裕だな」
大和さんが呆れたように言う。
打撲の治療を終えて、みんなで食堂に移動する。
「咲楽、誰が一番打撲が多かった?」
「打撲ですか?即答できません。昼食を終えたら纏めてみます」
「悪い」
「いいえ。何かあるんですか?」
「指導方法の見直し」
「あぁ、なるほど」
昼食のテーブルにはいつも大和さんと私、アイビーさんとセント様が一緒になる。
「ボディアーマーって重いよな」
「あれを着けないと矢が当たったら、即敗北判定だぞ。それを防ぐ為のボディアーマーとシールドだ。本当はタンクが欲しいんだがな。今からじゃ間に合わないし。バーナードの回避能力と状況分析にかかってるんだ」
「やっぱり、ヤマトが指揮官をした方が良いんじゃないか?」
「前にも言っただろう?それじゃ意味が無いんだ」
「分かってるんだがな。言いたくもなる」
項垂れるセント様と宥める大和さんと共に食堂を後にする。
施術室に着いたら、早速今日の騎士様達の怪我の部位と症状の統計を纏める。これは外に出さないから、実名で書き出していく。
「何をしているんですか?休憩時間なのに」
「大和さんに頼まれたんです。騎士様達の怪我の部位と症状の統計を纏めています」
「面倒な事をしているんですね」
アイビーさんにしみじみと言われてしまった。
「こういった事も大切なんですよ」
「纏める、とか、書き出す、とか苦手なんです」
「分かりますけどね」
外で身体を動かすのが好きって言っていたし、たぶん机に長く向かうのが苦手なんじゃないかな?
お昼からはシトリー様がお茶に来たり、レリオさんが休憩に来たりした。レリオさんは相変わらず帰宅しているのかが怪しい。
「レリオさん、ちゃんと眠ってます?」
「横になっても眠れなくて。ここなら眠れるんですけど」
「当たり前です。私が闇属性を使ってますもの」
「そうだったんですか?」
「最初に了解を取りましたよ?忘れちゃいました?」
「そんな事もあったような?」
「はい。休養室に行ってください。ソムヌスを掛けますから」
レリオさんを休養室に追いやって、ソムヌスを掛ける。
「お疲れ様です」
「本当に何とかしないと、本気でマズいです」
ため息が出てくる。昼夜逆転しちゃってるんじゃ無いだろうか?