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「そうなんですか。布から紙を作るって初めて知りました」
「ターフェイアでは昔から作っているんですのよ。作っている家が減っていっているのが悩みですわね」
「ここでも後継者問題ですか」
「こればかりはねぇ、領で保護はしていますけど私共には何も出来なくて。領主命令でさせるわけにもいきませんものね」
ほぅ、とサーシャ様はため息を吐かれた。
ターフェイア領は繊維業が盛んな地域だ。だから布で紙を作るという発想が出来たのだと思う。
私は布で紙を作るなんて知らない。だから言われた通りにしか出来ない。アイビーさんは地元だから知っていたようだ。ただしフルールの御使者の時にしか触ったことは無いと言っていた。その様子を見て、サーシャ様はさらにため息を吐かれていた。
お喋りをしながら古布を細かくしていく。手で細かく出来なくなったら、水車を動力に使った臼と杵で綺麗な水を加えながら撞く事で、さらに細かく最終的にドロドロの状態にするそうだ。紙漉きの紙料の状態になるんだね。
「サーシャ様、セント様って貴族様ですよね?」
「えぇ、そうですわよ。どうかいたしまして?」
「騎士様って貴族様もいらっしゃいますよね?」
「えぇ。貴族出身者は一定数おりますわね」
「私の知っている貴族様出身の騎士様は3男様以下が多かったんですけど、やはりお家での役割が無いということでしょうか?」
「そうですわね。自ら事業を起こされたり、何らかの研究職に就かれる場合もございますけれど。令嬢でしたら政略結婚という道もございますけれど、令息となりますとねぇ。基本的に長男が領主を継ぎ、次男はその補佐、3男以下は特に秀でていなければ、婿に入ったり養子に出されたりですわね」
「コラダーム国は指名制って聞きましたけど」
「そうですわよ。ですから夫はお父様から指名されて現領主になりましたの。夫が指名されなければ、私になっておりましたから、胸を撫で下ろしましたわ。私には無理ですもの」
「そうだったんですね。ターフェイアで貴族様だと知っているのが団長様とセント様なんですけど、お2人は?」
「アンゲルス・ルブライト様はルブライト家の4男様でいらっしゃいました。ルブライト家はターフェイア領の1地域を任せていた普代の男爵家ですのよ。バーナード・セント様は他領のセント子爵家の方ですわね」
「そうなんですね」
「セント様に関心がおありなの?アイビーさん」
「ふぇっ!!わ、私は別に……」
そんなにワタワタしたらバレバレだと思う。
「うふふ。シロヤマさんはトキワ様の婚約者でしたわよね?トキワ家というのは聞いたことがなかったのですけど?」
「私達は他国の出身です。そこでは平民にも家名があるんです。シロヤマ家というのも聞いたことがございませんでしょう?」
「あぁ。そうでしたのね。そうすると駆け落ちをして来たという噂が真実なのかしら?」
「そこは秘密です。ただ、私達は帰るべき地はもうありません。帰りたくても帰れないんです。コラダーム国が私達を受け入れてくださって感謝しています」
「お国が滅亡でもなさったの?」
「まだありますよ。でも帰れないんです」
何かを察したのか、サーシャ様もアイビーさんもそれ以上聞いてくる事はなかった。
5の鐘になって、騎士団の人達も引き上げるようだ。私達も帰ることになった。
「咲楽、ちょっとバーナードと話をして良い?」
「はい。あ、アイビーさんはどうされます?セント様に送迎していただいてるんですよね?」
「サクラさんってどこに住んでいるんですか?」
「あそこです」
領城から見える塔を指差す。
「はい?」
「任期が1年という特例の赴任でしょう?領主様がそれなら離れに住めば良いと許可を下さいまして、住まわせていただいています」
「サクラさん、塔の中ってどうなっているんですか?」
「ご案内しましょうか?」
「是非!!」
セント様とアイビーさんを連れて、塔に帰る。鍵を開けて、塔に招き入れた。
「塔の中って広いんですね」
「元々離れとして建てられたって話だったけど」
アイビーさんとセント様が塔内を見渡しながら言う。ラウンジのソファーに座っていただいて、大和さんが着替えに行っている間に紅茶と野菜クッキーをお出しする。
「絵入りのクッキー?」
サクッと齧ったアイビーさんが断面を見て声を上げた。
「セント様、このクッキー、絵を描いてあるんじゃ無いみたいですよ?」
「本当だ。どうなっているんだろう?」
「それはまず、絵の部分を作って回りをプレーンの生地で巻いているんです」
「サクラさん、詳しいですね」
「作ったのは私ですから」
「シロヤマ嬢が?あぁ、ヤマトが料理が上手いと自慢していたな」
「そういえば今日のお昼の準備も手際が良かったです」
「ありがとうございます」
大和さんが着替えて降りてきた。
「お待たせ、バーナード。アイビー嬢はどうします?ここに居ていただいても構いませんが」
「騎士団のお話ですよね?そこに居て良いんですか?」
「アイビーさん、上に行きませんか?」
アイビーさんをリビングに誘う。たぶん騎士団対抗武技魔闘技会についての話だろうし、私達は居ても意味がない。
「2階がキッチン?」
「はい。キッチンとリビングダイニングとお風呂とか、全部ここに集まっています」
「この上は?」
「寝室です。その上が客室ですね」
「思ったより広いですね」
「そうですね。毎日の階段の昇り降りで体力も付いてきましたし」
「サクラさん、領城で言っていた国に帰れないって、どう言うことですか?」
やっぱり聞かれちゃうよね。アイビーさんになら言っても良い気はするけど、どうしよう。
「帰る手段が無いんです」
「陸路なら馬車があるけど、海を渡るのが難しいって事?」
「そういう事にしておきます。大和さんと相談してから話をさせてもらいますね」
「吟遊詩人の天使様と黒き狼様の話は、黒き狼様が閉じ込められていた天使様を見つけて、天使様と想いを通わせて、そこから救いだしたって唄われていますけど」
「そんな風に唄われているんですね」
「サクラさん、自分の事なのに」
「1度聞かせていただきましたけど、自分の事って思えないんですもん。美化され過ぎてて、自分そっくりな誰かの話を聞いているみたいでした」
「そういうものですか?」
「そういうものです」
アイビーさんと話をしていると、大和さんとセント様が上がってきた。
「話は終わったけど、どうする?」
「終わりましたか。どうするとは?」
「ちょっと遅くなっちゃったから、バーナードがどこかに食べに行こうかって言ってる」
「私は良いですけど、アイビーさんはどうされます?」
「一緒に行っても良いですか?」
「もちろんです」
セント様とアイビーさんと一緒にお出掛けする。鍵をかけてドアが見えなくなる仕様には、セント様もアイビーさんも驚いていた。
セント様とアイビーさんに大衆的なお店に案内してもらう。この時間でも賑わっているお値段もお手頃なお店らしい。
「何にします?」
「ここのおすすめは何ですか?」
「ムトン肉のソテーとか煮込みですかね」
「このムトン肉の煮込みって、美味しそうです」
私とアイビーさんははムトン肉の煮込み、大和さんとセント様は骨付き肉のソテーとパスタを頼んでいた。
「ムトン肉のお料理ってスパイスが効いていますよね。でも、美味しいです」
「咲楽、こっちのソテーも食べてみる?」
「はい」
大和さんが切り分けて差し出してくれたお肉をそのまま食べる。こっちはスパイスが煮込みより効いている。しっかりした歯応えだ。
「歯応えはありますけど、硬いって訳じゃなくて、食べ応えがあるという感じですね」
「スパイスが効いているという事は、スパイスが商店街で豊富に売ってるってことかな?」
「ジンジャとかも有るでしょうか?」
「さぁね。聞いてみれば?」
「そうします」
「サクラさん達って、本当に仲が良いですよね」
アイビーさんに言われてしまった。セント様も頷いている。何かあったっけ?
「さっき、ヤマトがシロヤマ嬢にソテーを食べさせたでしょう?シロヤマ嬢も自然に受けていて、仲が良いな、と」
「咲楽は素直だから」
あーんをしちゃってたって事ですよね。今更ながらに気が付いて、俯いてしまった。
「今、気が付いたんですか?」
「はい」
小さな声で頷いたら、大和さんに頭を撫でられた。
「サクラさん、顔が真っ赤だ。可愛い」
アイビーさんにはからかわれるし、あぁ、もぅ、恥ずかしい。
セント様とアイビーさん達と別れて、塔に帰る。
「大和さん、さっきのあーんってわざとですよね?」
「バーナードの一押しになれば良いなと思って。咲楽がああも素直に口を開けてくれると思わなかった」
「恥ずかしかったです」
ラウンジの後片付けをしながら、話をする。
「さっきセント様と大和さんが話をしている時に、アイビーさんにサクラさんのお国はどこですか?って聞かれました。遠い国で帰れないって答えたら、追及されちゃって」
「気になるだろうね。話す?」
「異世界転移って信じてもらえない気がします」
「そこはほら、ラノベから拝借して、東の海を渡った遠い国って言っておけば?」
「船が難破して、気が付いたらこの国だったってですか?」
「そうそう」
「でも、それだと整合性が……」
「ならさ、咲楽は人攫いにあって、俺が助け出したとか?」
「吟遊詩人の唄の通りになっちゃいますけど、良いんですか?」
「気が付いたら神殿だった、だと、苦しいしね」
2階に上がって、リビングで話し合う。
「結局は信じてもらえなくても、本当の事を話すしかないのか」
「そうですよね」
「ちょっと風呂で考えてくる」
「はい」
大和さんがお風呂に行っている間に明日のスープを作る。作りながら考える。アイビーさんとはまだ知り合って日が浅い。本当の事を話すのを躊躇う理由はそこにある。やたらと周りに吹聴する事はないと思うけど、アイビーさんの為人を私が掴みきれていない。施療院のみんなや、ダフネさんは知り合って時間も経っていたし、こういう風に悩むことはなかった。
「咲楽、風呂に行っておいで」
「はい」
大和さんは考えを話す事なく、私にお風呂を勧めてきた。大和さんもまだ思い付いていないよね。
アイビーさんに話すとすれば、本当の事、異世界転移をしたということを話すか、異世界からという事を話さず、東の海を渡った遠い国から来たと嘘を話すかになる。帰れないというのは本当だから、バレないとは思うけど、私の心理的負担が……。まぁ、そこは良いとして、どうしたら良いんだろう。考えても結論は出ない。
「おかえり、悩んでるね」
「大和さんも悩ませてしまってごめんなさい」
「いずれは俺にも同じ事で悩む未来がありそうな気がするけどね。咲楽1人で悩むより、相談された方が嬉しい」
寝室に上がって、ベッドの上で話をする。
「結局は全て本当の事を話すか、嘘を混ぜるか、なんだよな」
「そうなんですよね」
「領主様に相談してみるか?」
「領主様に?」
「サファ侯爵様から事情を聞いていると言っていたし、どうすれば良いか伺ってみるのも手だと思う」
「そうですね。お手を煩わせて申し訳ないですけど」
「そうしようか」
2人でベッドに転がる。
「大和さん、布から紙が出来るって知っていますか?」
「コットンペーパーでしょ?」
「知っていたんですね」
「紙って製紙技術が確立するまではいろんな物から作られていたんだよ。今はパルプが主流だね。パピルスとか羊皮紙とかは有名だけど、麻とか竹の繊維からも出来るし、布を用いた紙も作られていたんだよ。今のように木材パルプが主流になったのは19世紀になってから。それまではヨーロッパで紙の材料として主流だったのは木綿布だよ」
「19世紀に何かありましたっけ?」
「あったでしょ?活版印刷とか」
「あ、産業革命」
「そう。それで印刷技術の発展によって、紙の原料が布から木材に移ったんだよ」
「そうだったんですね。和紙はコウゾとかミツマタが原料って知ってるんですけど、洋紙の歴史は詳しくなくて」
「フランスで作っている所があってね。そこで教えてもらった」
「へぇ」
「ここでも作っているんだね」
「昔からターフェイア領で作られていて、でも後継者が居なくて、衰退しているそうです」
「どこも同じか」
「ですね。布から作った紙がフルールの御使者で撒かれるんですって」
「ターフェイアでは造花って事か」
「生花は王都だけってサーシャ様が言っていました。後は花卉の産地でしょうか」
「だろうね」
「楽しみになってきました」
「今年は見る方の立場だから、気楽だね」
「はい」
「俺達の出身地の事だけど、施療院のみんなも交えて話しても良いかもしれないね」
「明日、ローズさん達に手紙を書いてみようかな」
「相談は大切だね」
「そうですね。アイビーさんには少し待ってもらいます」
「それしかないね」
「はい」
「全ては明日かな?寝てしまおうか」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽」