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次の日、真っ暗な室内に戸惑う。えっと、ここ、どこ……?あぁ、ターフェイアの塔の中だ。昨日からここが住居だ。枕灯を付けると、少しして大和さんが顔を出した。
「咲楽、おはよう」
「おはようございます、大和さん」
「鎧戸を開けるよ」
大和さんが鎧戸を開けると室内が陽の光が差し込んで、一気に室内が明るくなる……事は無かった。氷の月だしね。真っ暗闇よりはマシになったけど。
「霧が凄いね」
窓から外を見ると、街が霧に沈んでいた。
「近くに水源があるのかな?」
「そうですよね。水源が無いとここまで霧は出ませんよね」
「さて、もう少し往復するかな」
「往復?どこをですか?」
「階段をね。かなりの負荷がかかって良い運動になる」
「じゃあ、その間に朝食の用意をしちゃいます。シャワーも浴びるんですよね?」
「うん」
室内は少し暖かい。着替えだけ済ませて、キッチンに向かう。
昨日はスープを作らずに寝ちゃったから、今日は紅茶とコーヒーかな?
暖炉を付けてから、キッチンで調理器具を取り出して温野菜サラダとベーコンエッグを作る。パンを異空間から取り出して、余熱だけしたオーブンに入れておく。
「シャワーに行ってくるね」
「はい」
満足できるトレーニングが出来たのか、大和さんがシャワーに行った。
オーブンからパンを取り出して、横に切れ目を入れたら、ベーコンエッグを挟む。
お湯を沸かして、薬湯を煎じる。大和さんが出てくるまでに、飲み終えられれば良いけど。
残念ながらふうふうしている時に大和さんがシャワーから戻ってきた。
「今日の薬湯?」
「はい。朝の内の方が飲み忘れないかな?って思って」
「食欲は少しずつ戻ってきているみたいだね」
「そうですね」
「そういえば体質改善って言っているけど、何の体質を改善するの?」
「私の場合は、貧血ぎみな事と、手足の冷えですね。冷え性って訳じゃないんですけど、クルスさん的に気になったようで」
「触ったの?」
「診察の範囲内です。平均より体温低めだそうですよ」
「緊張していたのもあるんじゃない?」
「そうですね。それも伝えました。だから薬湯には心身のリラックス効果のあるものも入っているそうです。ホンの微量だって言っていましたけど」
「向精神薬……」
「怖い事を言わないでください」
なんとか薬湯を飲みきって、朝食プレートを並べる。
「ハンバーガー?」
「横切りサンドです。コーヒーは淹れますか?」
「淹れる。けど、時間が掛かるかな?」
「紅茶ならすぐに淹れられますけど」
「お願いして良い?」
「はい。ミルクとストレート、どちらにしますか?」
「ストレートで」
紅茶を淹れて朝食を食べる。
朝食後に室内の掃除をしていると、ゴンゴンゴンと音がした。何の音だろう?
「来客だね。一緒に降りる?」
「はい」
ラウンジに降りて、外を確かめた大和さんが閂を開ける。そこにはセオドア君が所在なさげに立っていた。少し距離を開けて男の人が見える。
「あの、2の鐘になったら、ミエルピナエの森に行くから、用意をしておいてって母様が」
「伝言、ありがとうございます。承りました」
大和さんがそう言って、男の人に合図を送る。セオドア君はホッとしたように帰っていった。
「聞いての通り、2の鐘だって」
「分かりました」
「あれが次男坊か」
大和さんが呟いて、一緒に2階に上がった。
2の鐘前に準備をして、塔を出る。大和さんが鍵をかけると扉が消えた。
「え?」
「どうかした?」
「扉が消えました」
「普通にあるけど?」
「大和さんが鍵をかけたら、扉が消えたんです」
「え?いやいや、ここにあるよ?あ、この鍵、持ってみて」
「あ、見えました」
「凄いね。鍵を持っていないと扉が見えなくなるんだ」
「光属性でしょうか?」
「闇という可能性も否定できないよね」
2人で話していたら、サーシャ様の笑い声がした。
「そこは秘密ですわよ」
「おはようございます、サーシャ様」
「今日はよろしくお願いいたします」
サーシャ様の横にはセオドア君……。様の方がいいかな?セオドア様。その後ろに数名の男女。男性は騎士の格好をして、帯剣している。ちなみに大和さんは魔空間に剣を常時3振り入れているらしい。弓と槍も入っていますよね?
「トキワ様は帯剣はしませんの?」
「正式にここの騎士団に赴任したという訳ではございません。そういった者が帯剣しているとなると、少々都合が悪くないかと。魔空間には入っていますが、領城内では正式に赴任の辞令が出されるまでは、控えようと思っております」
「あらあら、ではここで襲われたらどうなさるおつもり?」
「迎え撃ちますよ?」
大和さんがそう言うが早いか、男性が大和さんに斬りかかった。女性は私の方に走ってくる。私は身を守る為に風の防壁を発動した。風には鎌鼬と竜巻をイメージしてある。私には無害だけど、回りはそうもいかないようだ。
「お見事ですわ」
気が付いたら、大和さんが男性をすべて倒していた。女性は私を遠巻きにしている。
「咲楽、もう大丈夫だよ。解除して」
その言葉に風の防壁を解除した。女性は細かい切傷を負っている。とっさに治癒しようとして、思いとどまった。
「失礼いたしましたわ。お強いですのね。それにシロヤマ様のあの風の防壁。素晴らしいですわね」
「咲楽、怪我を治してやってくれる?」
「はい」
女性達に治癒術をかける。男性の方は失神しているだけらしい。
「サーシャ様、ご満足いただけましたか?」
「えぇ、えぇ。ごめんなさいね。この人達を悪く思わないであげて?」
「彼等はターフェイアの騎士ですか」
「そうよ。どうかしら?」
「正直に申し上げて、練度が足りていません。この先1ヶ月でどこまで高められるかが鍵ですね」
「厳しいですわね」
「無手の私に一太刀も届けられないのです。厳しくはありませんでしょう?」
「シロヤマ様、先程の風の防壁は何ですの?」
私を襲ってきた女性に話しかけられた。なんだかキラキラした目で見られている。
「風属性の防壁です」
「触れると切り裂かれましたけど?」
「中に入られると私は攻撃手段が無いので、防壁内に入れない事を優先しました」
「風属性ですよね?後で教えてください」
「あ、ズルい。私も何か教えてください!!」
えぇぇ……。
ミエルピナエの森は、歩いて1時間位の場所にあった。鬱蒼としているように見えて、結構明るい。
ヴヴヴ……と音が聞こえて、ミエルピナエが3匹飛んできた。
「女王蜂にサーシャが来たと伝えてくださる?」
サーシャ様がそう声をかけると、1匹が飛んでいった。やがて真っ赤なミエルピナエが飛んできた。
「サーシャ、久シブリ~」
「えぇ。久しぶりね。今日は彼等を紹介しようと思ったの」
「ニンゲン?」
「新しくターフェイアに来たトキワ様とシロヤマ様。覚えておいて」
「フゥン」
「はじめまして。王都より参りました、ヤマト・トキワと申します。彼女はサクラ・シロヤマ。王都の東の草原の女王様より訪ねてみよと仰せつかりました。よろしくお願いいたします」
「固イワ。普通ニ話シテ」
「では、次回からという事で。今回はご容赦ください」
「仕方ナイワネ」
プリプリという効果音が付きそうな雰囲気を出しながら、手?を腰に当てて女王様は許してくださった。
「はじめまして。サクラ・シロヤマです。口調はご容赦ください」
女王様はジィっと私を見た。
「貴女ネ?アノ子ガ言ッテタノ」
「あの子?」
「東ノ草原ノ次期女王候補ノ子。修行ノ為ニ近クノ同族ニ挨拶ニ回ルノヨ。気ニ入ッタニンゲンガ2人居テ、1人ハ黒イ髪と黄緑ノ目ノ女性、1人ハオーカーノ髪と茶ノ目ノ男性。ソノ2人ト話ヲシタイカラ、女王蜂ヲ目指スッテ言ッテタノヨ」
「お元気でしたか?」
「元気ダッタワ。今頃ハドコニ居ルノカシラネ?」
「お元気なら良かったです」
ここのミエルピナエの女王様は、女王様というよりは王女様だ。気位は高いけど、そこまでの威厳のある話し方をしない。
女王様にハチミツを頂いて、今日はお暇をすることにした。
「シロヤマ様、王都の東の草原の女王様のハチミツってどんな感じですの?」
「花の香りが複雑です。こちらの女王様のハチミツは色が薄いですね。でも、赤みがかってる?」
「東の草原の女王様のハチミツは持っていませんの?」
「異空間に入ってますけど、お召し上がりになられますか?」
「えぇ。是非!!」
「異空間?」
セオドア様に聞かれた。
「はい。私は光属性と闇属性を持っていますので」
「スゴいね」
「でも使いこなせていません。私は攻撃魔法が苦手なので」
「さっきの風は?」
「あれは風の防壁内に入れないように考えました」
「僕も攻撃魔法は苦手なの」
「セオドアは気が弱くて。攻撃魔法はサッパリですの」
「セオドア様は何がお好きですか?」
「勉強は好きだよ。でも家の中ばかりで居てはいけないって言われるんだ。剣も使えるようになれって」
「どなたにですか?」
「兄上。長期休暇で帰ってくると言われるんだ」
「陽の光を浴びることは成長期には必要ですけど、剣ですか。そちらは私は管轄外ですね」
ちらっと大和さんを見る。大和さんは騎士さんと何か話をしている。
「トキワ様が担当?」
「私達に敬称など要りませんよ?」
「何て呼んだら良いの?」
「サクラでもシロヤマでもお好きな方を」
「未婚の女性には家名に嬢をつけて呼ぶのですよ、セオドア」
「シロヤマ嬢?」
「そうですわね」
「奥様も敬称はご勘弁ください」
「うふふ。考えておくわね」
「はい」
「剣はどうしよう」
「大和さんなら最初は体力作りからって言いそうです」
「体力作り?」
「歩いたり走ったりですね」
「それだけでよろしいの?」
「歩くと言うのは結構重要なんです。歩くことによって気分転換になったり、血流が良くなったり、骨が強くなったりします。筋肉も付きますしね」
他にも便秘の改善なんかもあるけど、この場では言わないでおく。
「どの位歩けば良いの?」
「目安は1日8000歩ですが、これは1日でですから、たぶん皆様到達していると思います。それにプラスしてとなると……」
「管轄外?」
「はい。申し訳ありません」
「領城の中を一周とかでも良いのかしら?」
「構いませんよ。ただし無理は禁物です。続けることが大切ですから」
ミエルピナエの森を抜けて、尚も歩く。
「次はどこに行くんですか?」
「牧場ですわね。ムトンとシェーヴルが居ますのよ。騎士団の馬も預かっていますわ」
「楽しみです」
「シロヤマ様、犬は大丈夫ですの?」
「大好きです」
「牧場にいますわよ」
グランシィじゃないんだよね?普通の犬を見るのははじめてだなぁ。でも牧場に居る犬って牧羊犬?
牧場に近付くにつれて、ワンワンというよりはアメリカ式のバウバウという鳴き声が聞こえてきた。間違いなく大型犬だ。犬って小型犬はキャンキャンって鳴き声で、大型化するにつれて鳴き声が低くなるんだよね。
セオドア様は怯えているみたいで、サーシャ様の後ろにくっついている。
犬の姿が見えてきた。その前にムトンが存在感たっぷりに見えてはいるんだけど。カラフルなのが。
犬は大型犬というか、超大型犬だ。地球で言うとチベタンマスチフとかセントバーナードって感じかな?普通にしていて顔が私の顔より高い位置にある。地球より大型化してるよね。
そして地球と同じように押し倒された。ベロンベロンと舐められる。3頭寄ってきてるんだけど、何故、私だけなんだろう?
「奥様、大丈夫ですか!?」
「えぇ、私達は無事なんだけど、彼女が……」
「?女性?どこに居るんですか?」
「ここですぅ」
なんとか大和さんに助け出してもらった。異空間に入れている濡れタオルで顔と髪を拭く。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
「昔から、犬には好かれるんですよね」
「そうみたいだね。コイツらが初対面の人にこんなに尻尾を振るなんてなぁ」
「今は大人しいですわね」
「その大きい兄さんを怖がってる感じですなぁ」
「怖くないの?」
セオドア様に聞かれた。
「怖いって思うのは、口が大きいからですか?」
「うん」
「あの子たちは穏やかな目をしてますから、優しい子達ですよ。身体が大きいから、迫力はありますけどね」
「それが怖いんだよ」
「うーん。こればかりはなんとも出来ませんからね。過去に噛みつかれたとか、怖い思いをした、と言うのなら、少しずつ距離を詰めていけば慣れていきますけど、本能的に怖いのは克服しにくいですから」
「サクラさんは怖いのはないの?」
「ありますよ。言葉にしたくない位、怖くて苦手なのが」
「そんなになの?」
「遭遇したら固まります」
「逃げないの?」
「動けなくなるんです」
「大変だね」
「こればかりはどうにもなりません。遭遇しないのを祈るばかりです」
ムトンを牧場の人が連れてきてくれた。来てくれたのは濃い緑色の毛の子。本当に軽トラサイズだ。それより大きいかもしれない。触らせてもらったけど、ふわふわで癒される。そして鳴き声が牧歌的だ。
私がムトンで癒されている間に、大和さんはエタンセルに乗ってシェーヴルやムトンの柵内への追い込みをしていた。ものすごく楽しそうに。牧場の人がボソッと「追い込みの要員としてでも、ウチに欲しい」と言って、サーシャ様が慌てていた。護衛の騎士さんもポカンとしていたけど。
3の鐘になって、牧場に併設されているレストランで昼食を頂いた。山羊乳や羊乳なんて初めてだったけど、山羊乳はアッサリ目、羊乳は濃い味だった。山羊乳って臭いとかって聞いた事があったんだけど、匂いはそこまで感じなかった。大和さんがここの山羊は草しか食べてないからじゃないかな?って言っていた。それと新鮮だから。羊乳は牛乳に生クリームを加えた感じ。羊のチーズは美味しかった。山羊のチーズはクセが……。うん。私には合わないかな?
羊のチーズを買って、調理法を聞いたら、パスタにかけると美味しいと言われた。今日の夕食はパスタだね。