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霜の月、第5の闇の日。今日は大和さんは休みだけど、王宮と神殿に用事があるみたいで、2の鐘には王宮に行くって昨日聞いた。神殿にはお昼から行くらしい。忙しそうだなぁ。超他人事のように言っているけど、神殿には私も行くことになっている。
昨日から雪が降っていて少し積もっている。
着替えてダイニングに降りる。ダイニングには大和さんと、カークさんがいた。ユーゴ君は居ない。
「おはようございます」
「おはよう、咲楽ちゃん」
「おはようございます、サクラ様」
「ユーゴ君はどうしたんですか?」
「昨日から、同級生の家に泊まりに行っています」
「お泊まりですか。楽しそうですね」
「昨日、楽しそうに出掛けていきましたよ」
「俺は誰かの家に泊まりに行ったことは無いなぁ」
「大和さんの家は、誰かが泊まりに来る方じゃなかったんですか?」
「同級生は来たことは無いけどね。親類とか仕事関係とか、そんな連中が泊まってた」
「お仕事関係ですか?」
「親父のね」
ん?お父さんは他に仕事をしていたって事?
「カークは?どうだったんだ?」
「姉の友人が泊まりに来ると、部屋に引っ込んでいましたね。私は主に友人の家に泊まりに行く方でした」
大和さんとカークさんの話が盛り上がってきたから、そっとテーブルを離れて、朝食の用意をする。
「サクラ様、お手伝いしますよ」
「大和さんのお相手をしていてください」
今日は時間があるから野菜とチーズのオムレツを作る。
「お見事ですね」
「咲楽ちゃんのチーズオムレツ、久しぶりだな」
「あぁ、最近プレーンな物ばかりでしたからね」
「私が作るとどうしてもこんなに綺麗にならないのですよ」
「小さめのフライパンを使って、温度を加減しながら、手早く、ですね」
「それが上手く出来ないんですよ」
「こればかりは何度もやってみるしかないです」
「そうですよね」
朝食の用意が出来たから、食べながら話をする。
「咲楽ちゃん、神殿には自力で来てね」
「うっ……。分かりました」
「焦らなくていいよ」
「分かってはいるんですよ。分かってはいるんですけどね」
「私がお迎えに上がってもいいんですが、頑張ってください」
「はい。頑張ります」
「そんなにションボリしなくても」
「3の鐘までには復活します」
「良い娘だね」
私の頭を撫でて、大和さんは着替えに行った。
「子ども扱いされた気がします」
ポツリと呟くと、カークさんに一生懸命フォローされた。
「トキワ様は本当は、サクラ様が心配なのですよ。サクラ様が起きていらっしゃるまで、迷ってらっしゃいましたから。それでもサクラ様の為になるからと、決断されたのです」
「カークさん、落ち着いてください。分かりましたから」
「失礼しました」
「心配してくださったのも、大和さんが私の事を考えていてくれたのも、分かりましたよ。ありがとうございます」
「サクラ様は分かっていらっしゃるのですね」
「と、いうより、大和さんとカークさんの性格を考えれば、分かると思います」
「性格ですか?」
「大和さんは私の損になる事はしないと思いますし、カークさんは私を気にかけてくれていますよね?」
「そうですね」
「咲楽ちゃん、行ってくる」
「今日は私服ですか?」
「勤務外だからね」
「いってらっしゃい」
「お昼に神殿でね」
私の額にキスを落として、大和さんとカークさんは王宮に行った。お見送りをしたら、家の掃除をする。その前にケークサレとドライフルーツのパウンドケーキを焼いておこう。
ケークサレはお食事ケーキとでも言えば良いのか、チーズや野菜などを加えてつくる、甘くないパウンドケーキだ。今はコルドだから、ジャガイモやニンジンを使う。緑色の野菜はなかったかな?あ、カリッコリー見っけ。これも入れちゃおう。
ケークサレとパウンドケーキの仕込みが終わったら、後はオーブンにお任せ。寝室と客間を回って、シーツを全部剥がしたら洗濯箱へ入れる。その後はお掃除。まずは地属性で汚れを浮かせて、水属性とフロアモップで拭きつつ、風属性と水属性を併用して、手の届かない所を綺麗にする。それが終わったら、洗濯箱からシーツを取り出して、ベッドメイキング。ベッドの汚れを地属性で集めたら、光属性で浄化。その後シーツを掛ける。
ベッドメイキングが終わったら、オーブンを見る。美味しそうに焼けている。ケークサレは型から外して小型のケーキクーラーに乗せて異空間へ。ドライフルーツのパウンドケーキは粗熱を取るために、ケーキクーラーに乗せたら放置。
さてと、まだ時間はあるかな?リュラの練習をしておこう。エリアリール様に「弾いて」って言われそうな気がする。エリアリール様の情報収集力って凄いんだよね。知られていないと思っても、いつの間にか知られていたりする。たぶん私がリュラを弾く事も知られている気がするんだよね。
リュラでエチュードを何回か弾く。エチュードの後は、速弾きの練習をして、バージニーリルアの練習。
「天使様ぁ!!カトリーヌでーす。出てきてぇ!!」
結界具の反応と共に、大声で私を呼ぶカトリーヌさんの声が聞こえた。それを窘めるウィフレットさんとアウローラさんの声も聞こえる。
「はい?」
「あ、居た。天使様。こんにちは。お客様よ」
「お客様?あ、マリーさん」
「あのね、マリーさんはお母様のお知り合いだったのですって。偶然こっちで再会してビックリしてたわ」
カトリーヌさんが説明してくれる。とりあえず寒いから、家の中に入ってもらった。
「カトリーヌさん、ちょうど良かった。パウンドケーキ、焼きたてですよ」
「わぁい。天使様のパウンドケーキ、美味しいんだよね」
ケーキを切り分けて、紅茶と一緒にお出しする。ウィフレットさんは甘いものが苦手だと言っていたから、ケークサレを切ってお出しした。
「野菜のケーキ?」
「野菜とチーズのケーキです。これなら甘くないから、ウィフレットさんも食べられるかな?と思って」
「ありがとう。いただきますよ」
「あのね、マリーちゃんは私の友人の妹さんなの。1年以上前に行方不明になって、探していたのよ。見つかって良かったわ。マリーちゃんのお子さんも一緒だっていうから、しばらく一緒に暮らすのよ。手続きもしてきたの。話をしていたら、サクラさんのお話が出てね。驚いたわ」
「アウローラさんのお知り合いだったんですか。私も驚きました」
「サクラさんは氷の月にお引っ越しでしょ?その前にって引っ張ってきたのよ」
「そうだったんですか。マリーさんのお子さんは今は何をしているんですか?」
「うふふ。孤児院の子達にお勉強を教えているの。デジレさんはリリアちゃんの友人でね。その伝手を辿ったのよ。何も心配しないでゆっくりして、って言ったのに、『ただで置いてもらう訳にはいきません』って言われちゃってね。しっかりしているわ。カトリーヌったらいまだに家でのほほんとしているっていうのに」
「私だってお義姉さまにお裁縫を習っているわよ。何もしていないって事はないのよ?」
「そうでしたね。せめて繕い物くらい出来るようになりましょうね」
アウローラさんとカトリーヌさんの母娘の言い合いが仲の良さを感じさせる。良いなぁ。こういう関係の母娘って。
「天使様は出来る?繕い物」
「お裁縫って事なら、出来ますよ。今はパッチワークを作っています」
「見せて?」
「まだ出来てないんですよ」
「えぇぇ?何か無いのぉ?」
「テーブルランナー位でしょうか」
テーブルランナーを持ってきて披露する。
「この青のって、これもテーブルランナー?」
「それはホア用のテーブルランナーです」
「ホア用って他のもあるの?」
「一応各季節毎に」
「スゴい」
「テーブルランナーは直線縫いですから、簡単ですよ」
「でも、何故、4種類も作ったの?」
「時間があったので」
「今年じゃないわよね?」
「去年ですね」
「去年にも何かあったの?」
「西の森の事って覚えてますか?」
「あぁ。え?天使様も何かあったの?」
「魔力切れを起こしちゃって、強制的に休まされました」
会話に付いていけていないマリーさんに、アウローラさんが説明する。西の森の1件は、冒険者やコボルト族に犠牲者が出た事で、有名になってしまった。トレープールがあれだけ群れていた事も珍しいらしくって、あれから魔物研究者が長期的に調査しているらしい。そろそろ結果が出るんじゃないかと、カークさんが言っていたけど。
「もうすぐ引っ越しでしょ?この家、どうするの?」
「カークさんに管理を頼みます。住んでもらっても良いって言ったんですけど、それは断られました」
「カークって、あの男か。トキワ殿の後にくっついている冒険者ギルドの調査員」
「はい。ご存じなんですか?」
「調査員としても冒険者としても、優秀らしいな。何か依頼をすると、きっちりと仕上げてくれると友人に聞いた。自分達は調査員だからと依頼も余った雑用依頼を積極的に引き受けていると聞いたな」
「ご本人達も言っていました。冒険者が引き受けなかった仕事を引き受けていると」
「そういえば、あの子もよく見ますね。『天使様の弟』君。お身内なの?」
「違うんですよ。カークさんが身元保証人になっているんです」
「おい。あの子はほら」
「あら、でも良い子ですよ。挨拶もしっかりしてくれますし」
「そうよね。ホアの日の草むしりの依頼も、丁寧にやってくれていたじゃない」
「天使様は、あの子が憎かったり怖かったりしないのか?」
「はい。ユーゴ君って言うんですけど、私が捕まっている時に食事を持ってきてくれたり、気を使ってくれたんです。ユーゴ君のお母さんにはまだ対面する気にはなりませんけど、ユーゴ君は一生懸命だし、手伝いもしてくれるんです。彼には罪はないんです。お母さんを止めてたって聞きましたし」
「そうか」
「心配してくださって、ありがとうございます」
「天使様が良いならいいんだ」
「私達がターフェイア領に行ってからが心配なんですよね。ユーゴ君は王都に残るって言うし」
「あら、私達も力になりますよ。マリーちゃんのお子さんと年も近そうですし。息子がかっちりしすぎて可愛げがないから、ああいう子が新鮮なのよ」
「私は反対だ。犯罪者の息子だぞ」
「あなた。それは偏見ですわよ」
少し話をして、カトリーヌさん達は帰っていった。
ユーゴ君に対するウィフレットさんのような偏見は無くならない。身近な人は、ユーゴ君の人柄を知っているから、偏見を持つことなく接してくれている。それはすごく幸運なことだと思う。ユーゴ君を直接知らなくても、「天使様と黒き狼様があの子と親しくしているから」と偏見を薄れさせた人もいる。でもこの先も「犯罪者の息子」というレッテルはどこまでもユーゴ君に付いて回る。
私が悩んでも事態が好転する訳じゃないし、今まで通りユーゴ君に接し続けることは、私達の中での共通の意志だ。
1つため息を吐いて、昼食の用意をする。自分1人だから軽いものでいいんだけど、何にしよう?
オニオングラタンスープ、野菜たっぷりバージョンにしよう。こっちに来てからは久しぶりに作る。カリッコリーとかニンジン、玉ねぎ、ジャガイモ、後は何にしよう?パンとチーズとそれから?
ウィンナーを斜めに切って、野菜達は繊切りにする。ウィンナーと野菜を炒めて水を入れてしばらく煮込んだら、塩コショウで味付け。野菜が柔らかくなったら器に注いでパンを浮かべて、チーズをたっぷり振りかけたらオーブンにイン。チーズが溶けて焦げ目がついたら完成。熱々だから私はすぐに食べられない。猫舌なんだよね。
パッチワークを少しだけやってから、お昼ごはんを食べる。アチチ。まだ熱いなぁ。寒いから温かい食べ物が嬉しい。温かいというより、これは熱いんだけど。
あ、そうだ。お夕食は何にしようかな?薄切り肉があるから、チーズのミルフィーユカツレツにしようかな?でも、私が今、チーズを食べちゃってるからなぁ。
ここは無難にスープ系?シチューとか。でもシチューって冬の登場頻度が高いんだよね。煮込みハンバーグはどうだろう?そうしようかな?
急いでオニオングラタンスープを食べて、ハンバーグのタネを作る。表面を焼き付けている間に煮込み用のソースを作っておく。私はよくトマトソースを使うから、バザールのおばちゃんに大瓶のトマトソースをお勧めされたんだよね。異空間があるから保存はなんとかなるし、今まで買ったトマトソースの瓶があるから、そこに小分けにして、脱気して食料庫に入れてある。
ソースを作って焼けたハンバーグを投入していく。少し煮込んでいる間に3の鐘が鳴った。いけない。神殿に行かないと。
急いで支度をして、キッチンを確かめて、戸締まりを確かめて、神殿に出発する。えーっと、こっちだよね?
分かれ道の度にこっちだよね?って確かめながら神殿へ急ぐ。何人かとすれ違ったんだけど、何故か全員微笑ましげに見ていくんだよね。挨拶したら普通に返してくれるんだけど、うんうんと頷いて見送られたんだよね。