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星の月、第5の闇の日。
結局、ドログリエは先週の木の日まで居て、飼い主のグリムアール国の人が連れて帰っていった。転移の魔道具を作っていたら、それが誤作動して、何故かペットのドログリエだけが消えたんだとか。ドログリエがペット?グリムアール国からの転移じゃなくて、ここ、コラダーム国内での事。グリムアール国からだと不法侵入になっちゃうもんね。友好国とはいえ、さすがに国境を超える際に手続きをしなかったら、犯罪になってしまう。騒ぎが起こってしまったから罰金刑が課せられることになったけど、グリムアール国の人は素直に払って帰ったらしい。転移の魔道具って便利そうだけど、ちゃんと座標を入力したり、条件が厳しいだけでなく、かなり大きいらしい。
大和さんは魔人族の人と話したらしく、褐色肌の黒髪碧眼だったと言っていた。「エチオピア人っぽいかな?イケメンと美女のカップルだったよ」って言っていたけど、エチオピア人を見たことがありません。
今日は大和さんもお休みだ。昨日から雪が降っていて積もっている。窓から覗いたら、大和さんとカークさんとユーゴ君が庭で何かしていた。またスノーマンさんでも作っているのかな?着替えてダイニングに降りた。暖炉の火を入れて、炎を眺める。
「咲楽ちゃん、起きてたんだ?おはよう」
「おはようございます、サクラ様」
「おはよう、天使様」
「おはようございます、大和さん、カークさん、ユーゴ君」
「天使様、庭を見てみて」
「何か作っていましたね。汗はかいてませんか?」
「行ってきま~す」
「あ、待てっ。ユーゴ、先に行くな」
「私だけ置いていかないで下さい」
私の声音に何かを感じ取ったのか、3人共シャワーに行った。別に怒ってないんだけど。ちょっと注意しようと思っただけなんだけど。
仕方がないから朝食の支度をする。スープを温めて、パンは暖炉の上段へ。後は卵とウィンナーかな?
朝食が出来上がった頃、3人がシャワーから出てきた。ユーゴ君が妙に大人しい。もしかして、大和さんの傷痕の所為かな?
チラッと大和さんを見ると微かに頷かれた。いきなりだとショックだと思う。
「ユーゴ君、どうかしたの?」
「天使様は知ってたの?あんなっ……」
「知ってたよ。黙っててごめんね」
「天使様、どうにか出来ないの?」
「方法は今考えているの。ごめんね」
「俺は別に気にしていないけど?」
「見ちゃったこっちが気になるんです」
「あぁ、そういう……。まぁ、見せないようにしていたから、分かるけど」
「形成外科なんですよね。必要なのはコラーゲン?」
「咲楽ちゃん。おーい。戻ってー。咲楽ちゃん」
「あ、ごめんなさい」
「考えてくれているのは分かったから。朝食にしよう」
「はい。あれ?地下は良かったんですか?」
「朝食後だね」
「分かりました」
朝食の時も、ユーゴ君は口数が少なかった。私はずっと施術師を続けてきていて外傷に慣れちゃったのもあって、「痛そう」と思わなくなってきた。どちらかと言うと、「どうしたら治せるか」を考えるようになってきている。所長にも相談している。
朝食後大和さんがカークさんと庭に出ていった。また何かを作るんだろうか?
「天使様はトキワさんの傷痕を見て、どう思った?」
食器を洗っていると、ユーゴ君に聞かれた。
「最初に見た時は、痛そうとしか思えなかった。少し考えたら痛みはないだろうというのは分かったんだろうけど、冷静じゃなかったんだろうね」
「治せる?」
「今は無理かな?でも諦めない」
「僕は役に立たないね」
「ユーゴ君は今は経験を蓄積する時期だから。役に立たないんじゃなくて、将来の為に今、いろんな事を知っていっているんだよ」
「やっぱり本とか読んだ方がいいのかな?」
「本は情報を取り入れやすいけど、本だけでは分からない事もたくさんあるからね」
「難しいね」
「私は自分が勉強しかしてこなかった自覚があるからね。あまり分かんないんだけどね」
「トキワさんは色々知っているよね」
「大和さんは実践も書物での情報の取り入れも、常にやっているしね」
「咲楽ちゃん」
大和さんが裏口から顔を出して、私を手招きした。私と入れ違いにカークさんが家に入って、ユーゴ君も出てくる。
「トキワさん、また作ったの?」
スノーマンさんが4体居た。これってもしかして私達かな?
「大和さん、これって私達ですか?」
「そう。雪像みたいにしようかと思ったんだけどね」
「中に入りましょうか」
私は防寒着を持っていないから、大和さんが自分の上着をかけてくれている。たぶん火属性を使っているんだろう。大和さんはそこまで寒そうじゃない。ユーゴ君はずいぶんと寒そうだ。
「大和さん、ヒーター、使ってます?」
「使ってない」
「素で寒くないんですか」
「こうでないとコルドに奉納舞は出来ないよ」
「なるほど。でも、ユーゴ君が寒そうなので中に入りましょう?」
「あー、そうだね。入ろうか。中に入ったら地下に行こうか」
「『春の舞』ですか?」
「そう。ユーゴ、中に入るぞ」
「うん。トキワさん、ヒーターって何?」
「ん?教えて貰ってないのか?」
家に入りながら、ユーゴ君が聞いていた。
「ヒーターっていうのは、俺達が勝手に言っているだけ。ヒートを極弱く出して、全身に纏わせるんだ」
「ん~。極弱く?あ、手と足が暖かい」
「全身は無理か?」
「無理。それって魔力操作だよね?出来るの?」
「出来るが」
「やっぱり凄い」
地下に降りながら、ユーゴ君が興奮していた。
「ユーゴにこれから教えるのは声出しだ。俺の口上を聞いたよな?あれをユーゴのパターンでやってもらう」
「え?」
「これだな」
大和さんが魔空間から紙を1枚取り出す。
『只今より、常磐流ユーゴ、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』
「これを言うの?」
「周囲に響くように。決して叫ばず腹に力を込め、朗々と詠うように神々に己の素性を述べよ。それが口上の要だ。まずは発声法からだな」
「発声法?」
「肺だけでなく腹でも呼吸を意識する。腹式呼吸と胸式呼吸を同時に行い、横隔膜の動きを意識する」
「ちょっと待って。フクシキ?キョーシキ?オーカク?って何?」
「まずは腹式呼吸だな。横になると分かりやすい」
「寝転んで息をするの?」
「腹が上下するのが分かるか?」
「うん」
「それが腹式呼吸。では立って普通に呼吸してみろ。胸が動くのが分かるか?」
「うん」
「それが胸式呼吸。横隔膜は腹部と胸部の間にある膜だ。胸式呼吸を行うと横隔膜が動く。それを意識しながら呼吸をする」
「キョーシキとフクシキを同時に意識してって結構大変だね」
「その状態で臍の下辺りに力を入れて読み上げてみろ」
「ただいまより……」
「声が小さいな。まぁいい。続けて」
「只今より、常磐流ユーゴ……神々に舞を……奉る。……どうぞ御照覧……あれ」
「それを途切れないように言うんだ。口上は神々に己を告げると共に自分にこれから神々に捧げる舞を舞うという意識を持つ為の物だ」
「言うだけなのに、難しいね」
ユーゴ君が息を切らしながら言う。
「サクラ様、今は私達はいりませんから、合奏でもしませんか?」
「そうですね。何を合わせます?」
「スコアを買ってまいりました。何か弾きたいものはありますか?」
「あ、レキュイレム。これって頂いていいですか?っていうか、買わせてください」
「差し上げますよ?」
「駄目です。買います」
「1枚小銀貨5枚ですが」
「はい」
カークさんと取引(笑)をしていると後ろで笑い声が聞こえた。
「闇取引?」
「違います。ちゃんとした売買です」
「そろそろ上がるよ」
「はい。大和さん私とカークさんが降りてきた意味って無いですよね?」
「まぁね。でも1人で待たせるのも、って思ったからね」
リビングに上がってしばらくすると、家の前で馬車が停まった音がした。あの時と同じだ。心臓がドクドクと嫌な音を立てる。
「咲楽ちゃん、大丈夫だよ」
大和さんがひょいっと私を横抱きに抱えあげた。
「天使様、迎えに来たよ」
「ファティマさん?」
「なんだい?聞かされていなかったのかい?さぁ、乗った乗った」
「どこに行くんですか?」
大和さんに抱えられたまま、馬車に乗り込む。カークさんとユーゴ君も乗り込んできた。本当にどこに行くの?
「何も聞いてないんだね。家の近所のえぇっと、何て言ったかね?」
「ピサンリですよ」
「あぁ、そうそう。ピサンリだ。そこでリュラを弾いて欲しいんだよ」
「え?いきなりですか?」
「そんなに人数は居ないよ」
「居ないよ、じゃないですって」
「一緒に逃げてきた人達に連絡を取ったんだよ。バージニーリルアを天使様に見せたくてね。弾いちゃもらえないかい?」
「ファティマさん、ズルいです。断れないじゃないですか」
「衣装も用意してあるよ。天使様に似合うと思うんだよね」
「そこまで用意されちゃってるって事は、断らせないって事じゃないですか」
「いいじゃないか」
「大和さんも知っていたんですか?」
「当然。カークもユーゴも知っていたよ」
「みんな知っていたんですね?私だけ知らなかったとか……」
ピサンリに着いたらしい。いつの間にか大和さんが持ってきていた私の防寒着を着て、馬車から降りる。
「ファティマちゃん!!ムラードちゃん!!」
「おばさん、ちゃんは止めてよ。よく来てくれたね」
「こんな楽しそうな事に声がかかったら、どんな用事より優先するよ」
ファティマさんに連れられて1つの部屋に入る。そこにあったのは1体のトルソーに着せられた可愛らしい衣装。白のブラウスに大きなリボン型の帽子と赤いスカート、そして黒いエプロン。あれ?知っている気がする。
「さぁさぁ、着とくれ」
「はい」
着方なんて聞かなくても分かる。黒いエプロンの裾には色鮮やかな刺繍がしてあった。
「うん。似合うね。髪を纏めようか」
ファティマさんがざっくりと三つ編みにしてくれた。
「さっきのおばさんだけどね、もう指が動かないって言うんだよ。年も年だしね。だからって訳じゃないけどさ、何かをしたかったんだ。巻き込んじまって悪いね」
「いいえ。事前に心の準備はしたかったですけどね」
「違いないね」
大和さん達も着替えていた。男性の衣装は帽子、ジャケット、ズボン共に黒で、ベストが赤。
「みんなも似合うねぇ」
「ファティマさんは着替えないんですか?」
「着替えなきゃだよねぇ」
ファティマさんも着替えて会場に移動する。そこには30人位の人が集まっていた。私と大和さんが連れていかれたのは舞台の袖幕の裏側。椅子とリュラの為の台が用意してあった。
「大和さんは私の付き添いですか?」
「そう。付き添い」
「隠れて弾くんだったら、この衣装っていらなかったんじゃ?」
「咲楽ちゃんに着せたかったんでしょ?これってフランスのアルザス地方の民族衣装に似てる」
「どこかで見た事があると思ったんですよ」
ザワザワと声が聞こえる。そっと覗くと舞台上に10人の男女が上がっていた。その中にファティマさんとムラードさんもいる。
「本日はお集まりいただきまして、ありがとうございます。懐かしい顔を見て、想い出の確認をして、楽しく歌って踊って、またの再会を願いましょう」
ファティマさんからの合図でバージニーリルアを弾く。風属性を使って会場の隅々まで音を届かせた。拡声魔法は風属性の魔法の1つだけど、そこにマイクとスピーカーをイメージしてみた。
大和さんがトラヴェルソを取り出して、私に合わせ始めた。一気にお祭り感が増す。舞台上のみんなも楽しそうに踊っている。
笑顔が溢れていた。この人達が逃げ出さなければならないほどの、圧政があったと聞いたけど、今はその雰囲気は微塵も感じられない。
「ところで誰が弾いてたんだい?」
曲が終わって、歓談している時に、そんな声が聞こえた。
「俺が付いてるよ。出られる?」
「頑張ってみます」
大和さんと一緒に袖幕から出て、礼をした。
視線を感じる。怖い。顔をあげられない。そっと背中に手が添えられた。
「大丈夫だよ。好意的な視線だ。咲楽ちゃんを傷付ける視線は無いよ」
大和さんの声が聞こえた。顔をあげると拍手が私達を包み込んだ。
「良かったよ」
「久しぶりに楽しかった」
「まさか天使様と黒き狼様とはなぁ」
「えっ?天使様と黒き狼様?」
「生きている内に2人を見る事が出来るなんて、ありがたいねぇ」
「婆ちゃん、泣かないでよ」
好意的な声が聞こえる。もう一度礼をして、袖幕に引っ込んだ。
「サクラ様、大丈夫でしたか?」
「はい」
「カーク、『爽籟』、行けるか?」
「はい」
「咲楽ちゃん、拡声魔法よろしく」
大和さんとカークさんが2人でトラヴェルソを吹き出した。
「いいなぁ。僕も何か習おうかな」
ユーゴ君がポツリと言った。
「楽器?」
「そう。なんだかこういうのを見ていると、僕も参加したくなる」
「良いんじゃない?何か心当たりはあるの?」
「ないんだよね」
「ローズさんに聞いてみる?」
「いつ?」
「今日。お昼から予定は無かったよね?」
「うん」
大和さんとカークさんのトラヴェルソが終わった。再びの拍手が聞こえた。




