310
なんだか羨ましそうに2人に見られながら、診察室に向かう。待合室に患者さんは少ない。でも初雪だし、お昼から多くなるかも。
「天使様。忙しいのにごめん」
「ルプス君、いらっしゃい。どうしたんですか?って切ったの?」
もうすぐ3の鐘って時に来院したルプス君の左手には、結構な大きさの切傷。5,5cm位かな?ちゃんと止血してきたらしいけど、じわじわと血が滲んできている。
「どうしたの?」
「チビ共を遊ばせてたんだ。今日は雪が降ってるから、室内で遊んでたんだけど、パウロが転びかけて、慌てて庇ったら、遊具の角が刺さった」
「どんな遊具?」
「滑り台だよ。鍛冶師連から寄付された。デジレさんが直してもらいに持ってった。ついでに抗議してくるって」
「パウロ君ってのんびりしているわよね?」
確かパウロ君は狸人族だったはず。
「のんびりっていうか、のろまなんだよ。でも最近、狸人族のおっちゃんがパウロに会いに来てる。北の湖の管理人だって言ってた」
「あの人かな。1度お世話になったの」
「風属性も教えてもらってるんだ。そうだ。カミルが風属性と地属性を持ってた」
「そうなの?ルプス君は?」
「俺は闇だけ」
「もしかして、小ちゃい子とか、ルプス君が寝かせると早く寝たりしない?」
「あぁ、そういう事が多いかも」
「それ、無意識に闇属性を使っているのかもしれない。闇属性って精神に作用するから、穏やかにさせたり眠りにつかせたりって出来るし」
「そうなの?」
「そうなの。魔力操作は?」
「なんとか出来てる。デジレさんが教えてくれた」
「それなら、冒険者ギルドに闇属性を教えてくれる人もいるよ」
「お金は?」
「冒険者活動に必要だから、無料だったはず。詳しい人に聞いておくね」
「また、孤児院に来てよ。最近グラシアがヴォルクさんに行っちゃってる事が多いから、タビーが不安そうだ」
「絶対に行くね」
約束して、ルプス君は帰っていった。
地属性はウルージュの一件以来、有用性が見直されて、様々な属性魔法が出てきている。地属性だからってこっそり使っていた人達が、有用だと知って魔術省に届け出ているらしい。闇属性も少しずつ増えている。王宮魔術師様が検証して、事象が発現した物が情報誌の特別版として出される『新規属性魔法速報』、通称『魔術特報』で発表されるんだけど、このところ毎週のように発行されている。魔術特報は通常月に1回出れば良い方だったらしい。魔術特報は通常販売されるんだけど簡易版、使い方の注意点と禁止事項を書いた物が買えない人に配られる。というか、バザールで情報紙と共に置いてあったりする。
3の鐘になって、休憩室に行く。雪はまだ降っている。
「まだ止まんのぅ」
「去年のような事にならないといいけど」
「今年は雪が遅かったわよね?遅い時ってフラーが早いって言うじゃない」
「で、魔物被害が多いのよね」
「シロヤマさん、雪遊具は欲しいらしいよ。診察に来たお母さん方が言っていた」
「その件じゃと思うが、王宮の幼年課から氷魔法が使える者は、来週の闇の日に闘技場に集まって欲しいと通達があったのぅ」
「シロヤマさん、行く?」
「大和さんが休みなので行きます」
「送迎かしら?」
「それもあるんですけど」
「あるんだ……」
「あるんですけど、整地にって呼ばれているらしいです。騎士団の地属性持ちの方々と一緒に。カークさんも一緒です」
「そんなに大勢要るの?」
「整地した後、テラッサスで遊具の大まかな形を作るんですって。それを氷魔法で凍らせるらしいです。後はトゥールでスケートリンクも作るって言ってました」
「氷の上を滑るんでしょ?危なくない?」
「小さい子は箱そりです」
「あぁ、なるほど」
「どうしたのよ?ルビー」
「今月入ってから、木工組合に箱そりの注文が入ったのよ。子ども3人位用から、大人も使えるのまで、数種類ね。王宮からだったから、何に使うのかと思ってたけど、これだったのね」
お昼からの診察が始まった。予想通り小さい子の擦過傷が多い。その中で4の鐘前に年配の女性に付き添われた10代の女の子が来院した。
「シロヤマさん、"天使様案件"だよ」
「分かりました。アリスさんに連絡は?」
「所長が今してる」
"天使様案件"は主に性的被害を受けた女性患者さんの事を指す。私の誘拐事件を通して、そういった可能性がある人を保護する為に各部署が協力しあって出来た。薬師さんやお産婆さん、騎士団が相談を受けたり、そういった現場を発見した場合、その女性を保護し、施療院に連れてくる。他人の魔力の残滓探査は私も習ってるんだけど、まだ完璧とは言えないので、アリスさんに協力してもらっている。
女の子が入ってきた。
「こんにちは」
「あの、私、その……」
「大丈夫。貴女を害する人はここには居ないから。貴女を守る人しか居ませんよ。大丈夫ですよ」
スッと一枚の紙が年配女性から差し出された。この女の子の詳細が書いてある。発見されたのは昨夜の7の鐘半頃。発見者は酒場の御主人と、お店の女性の2人。発見した時に、女の子は着衣が乱れていて気を失っていたとのこと。お店の女性に叱咤された酒場の御主人が年配女性の家に運んだ。この年配女性はお産婆さんで旦那さんが薬師の方だ。女の子は2の鐘過ぎに目覚めたんだけどほぼ錯乱状態で、なんとか聞き出せたのが男の人に乱暴されたという事実。急いで馬車でここまで連れてきたらしい。お名前は不明。
「貴女のお名前を伺って良いですか?」
「みんなに知られちゃう?」
「知られませんよ。私達は患者さんの事は絶対に漏らしません」
「大丈夫だよ。この人は天使様だ。あんたの事を守ってくださる」
「モルガさん……」
「患者さんの個人情報は、絶対に漏らしてはいけないって言ったのは天使様だろ?なら、その言葉に責任を持ちな」
「ナリヤ……」
「ナリヤさん?」
コクンと頷いた。
「今から貴女が妊娠していないか診ますが、どうしますか?怖いなら眠っていてもらえますけど」
「触るの?」
「魔力の反応を見るだけ。怖くないですよ」
「寝てて良い?」
「闇属性を使いますね。力を抜いて、大丈夫」
ナリヤさんにソムヌスを使う。大丈夫。怖くない。安心して良いよ。
そっとアリスさんが入ってきた。
「眠ったの?」
「はい」
アリスさんが魔力の残滓探査を行った。
「今のところ妊娠の可能性は無し。この子を発見した場所は?モルガおばさん」
「あぁ。誰か連れてきているんだろ?旦那に案内させるよ」
「後はよろしくね」
「はい」
眠っているナリヤさんの手を握る。どうかナリヤさんの心の傷が癒えますように。ナリヤさんの心に平穏が訪れますように。ナリヤさんに笑顔が戻りますように。
「天使様」
「目が覚めましたか?」
「天使様」
「はい」
「天使様」
泣きながら「天使様」としか言わないナリヤさんを抱き締める。大丈夫。安心して良いよ。大丈夫。
本当に辛い時、恐怖に支配された時、泣けない人がいる。安心した時に涙が零れるのだ。泣いてないからといって、傷付いていない訳じゃない。
一頻り泣いたナリヤさんはモルガさんに連れられて帰っていった。モルガさんは顔が広い。きっとナリヤさんのお身内もすぐに見つかる。
5の鐘になった。帰る前に所長に呼ばれた。
「さっきの女性じゃが、ご家族が見つかったようじゃ。スラム街に近い西地区の娘さんじゃった」
「そうですか」
「ああいうのは、やりきれんのぉ」
「はい」
施療院を出ると、大和さんが待っていてくれた。
「遅かったね」
「お待たせしました」
「今日はバザールで買って帰ろうね」
「はい」
たぶん大和さんは何か知っている。知っていて黙っていてくれる。私の負担になるだろうからって心遣いだと思う。バザールで夕食を買って家に帰った。
夕食を食べながら大和さんが言った。
「そうだ。咲楽ちゃん、これを買ってきた」
「何ですか?魔術特報?」
「俺達にも関係ありそうだったからね」
「私達にですか?」
「地属性と水属性の属性魔法だって」
「水属性は珍しいですね」
「咲楽ちゃんは知っているかも。ラノベによく出てきていた」
「何でしょう?食べ終わったら見ます」
ラノベに出てきた地属性と水属性?何だろう?
真剣に悩んだ顔をしていたらしい。食後に小部屋でソファーに座って、一緒に『魔術特報』を読んだ。
「地属性と水属性に回復効果と解毒効果?あぁ確かによく出てきていましたね」
「でもね、注意点をよく見て」
「どちらも光属性には劣るから、早めに施術師に見せる事?まぁ、そうですけどね。これってどうやって発見したんでしょうか?」
「地属性は騎士が発見した。偶然ね。ナイフで手を切って、慌てて押さえながら『治れ~って治んないよな……。治った?嘘だろ?』だったらしい」
「お知り合いですか?」
「俺の弁当強奪組の1人。検証現場を見せてもらったけど、王宮魔術師はmadなのかな?自分の身体で検証してた」
「えっ!?」
「自分の腕を切っていくんだよ。少しずつ深く切っていって、笑ってるんだよ。見ている方が痛かった」
「それは……」
「犯罪行為には走らなさそうだけど、最初は『誰か腕を切ってくれる?』だったからね。周りの見物人がドン引きしてた」
「でしょうね」
「まともな人が多いんだけどね」
「もしかして、解毒効果って……」
「否定出来ないのがなんとも言えないね」
「人体実験……」
「真相は闇の中だね」
笑ってる場合じゃありませんけどね。
「えぇっと、地属性の新しい魔法が、マレヴ、ソーリュスト、レフェクティオ?」
「水属性がラーム、ゲッターロゥ、トキスィカシオンだね」
「トキスィカシオンってテトロドトキシンっぽいです」
「トキしか合ってない気がする」
「シも合ってますよ」
「分解するね」
「良いんです」
私の頭を引き寄せて大和さんが笑う。
「大和さん、来週の闇の日ってカークさんも一緒ですよね?」
「そうだね」
「ユーゴ君の『春の舞』はどうするんですか?」
「朝の内にカークと合わせるかな。咲楽ちゃんもよろしくね」
「はい」
私の頭をわしゃわしゃして、大和さんはお風呂に行った。もぅ!!わしゃわしゃにするのは止めてっていつも言っているのに。でもわしゃわしゃしている大和さんの楽しそうな顔が好きで止められない私もどうかと思う。
明日のスープはミルクスープにしよう。明日は大和さんはお休み。雪が降っても降らなくても、積もっていても積もっていなくても、地下に籠りそうな感じがする。もしくは女王様の所にお出掛けかも。弓の練習も最近出来ていないって言っていたし。
スープが出来たら、小部屋で施療院のマークについて考える。所長は待合室の壁に飾りたいみたいだけど、パッチワークとかしか思い付かない。後はニードルフェルト?でも、あれはニードルが無い。頼もうにもどう言えば良いか分かんないし。
「咲楽ちゃん、風呂に行っておいで」
「はい。あ、大和さん。頭をわしゃわしゃするの、止めてくださいって言いましたよね?」
「言ったねぇ。ついついやっちゃうんだよね」
「ついついって……」
「お詫びに今日は、髪を乾かしてあげましょう」
「髪の毛に触りたいんですか?」
「人を髪フェチみたいに言わないように。はい。風呂に行っておいで」
「分かりました」
髪フェチ……。そんな事は思ってないけどね。
今日はいろんな事があったなぁ。でも言えない事ばかりだ。
私の仕事は個人情報に直結している。だから仕事の愚痴はよく考えないといけない。個人情報さえ出さなければ良いけど。日本なら人口が多かったから『○○の症状で来た患者さん』は個人情報にはあたらない。でもここではそれでも特定される危険性がある。だから私は大和さんにも言わない。大和さんから情報が漏れる可能性は考えていない。ただ、大和さんに言ってしまうのに慣れると、他の人にもポロっと言っちゃいそうで怖い。
髪を乾かさずに水気だけ取って、寝室に上がる。
「おかえり」
「戻りました」
大和さんの足の間に座らせれて、髪を乾かしてもらう。
「久しぶりに乾かすね」
「私も乾かしたいです」
「ん?」
「私も大和さんのを久しぶりに乾かしたいです」
「可愛いおねだりだね」
「だって最近乾かしていないのは、私も同じですもん」
「そうだね。またしてもらわないとね」
髪を乾かしてくれる大和さんの手は、優しい。こういう時、幸せだなぁ、愛されてるなぁって思う。
「咲楽ちゃん、終わったよ」
「ありがとうございます」
「何か考えてた?」
「幸せだなって思ってました」
「俺も咲楽ちゃんの髪を乾かしながら、幸せだなって思ってたよ」
「お揃いですね」
「そうだね。お揃いだね」
後ろからぎゅっと抱き締められた。
「何だろう?こっちに来て幸せって思えるのが不思議」
「そうですよね」
「咲楽ちゃんがいるからだね」
「私も大和さんがいてくれるから、幸せです」
抱き締められたまま、2人でコロンと転がった。
「このまま寝ちゃおうか」
「ふふ。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽ちゃん」