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「サクラちゃん、待っていたわ」
「ルビーさん、いらしていたんですね」
「今日は何も頼まれてないの?」
「はい。あ、でも、5の鐘過ぎにエリアリール様に呼ばれてます」
「あら、御使者様の御用事?」
「ですね。ファティマさんもいらっしゃいますし」
「ステラフェストも神事があったのね」
「ステラフェストは秘儀らしくって」
「そうだったのね。ステラフェストは参拝者参加だから、内緒で行うのかしらね」
「さぁ、どうでしょう?何も聞いていないんですよね」
「聞いてないの?」
「聞いてないです。ファティマさんが前任者から聞いたって話を、聞かせてもらっただけです」
私達が話している間にライルさんは昼食に行った。
「今年は騎士団は何をするの?」
「子ども達相手のヒポエステスだそうです」
「ヒポエステス?」
「はちまき取りですね」
「もしかして闘技場でやっていた?あれを子ども達相手に?」
「はい。逃げるのが大和さんとチコさん達だそうですよ」
「トキワ様のハンデは?」
「重りは着けるでしょうね」
話している間に、子ども達が増えてきた。迷子じゃないけど室内遊園地みたいな状態になってきている。特にすべり台が人気のようだ。
「迷子預かりというか、遊び場ね」
「遊具って無いんでしょうか?」
「遊具ってすべり台とか?」
「シーソーとか、ブランコとか、鉄棒とか……。ルビーさん?」
「その中で木工屋でも作れる物は?」
「室内でって言うならすべり台、木馬、ジャングルジムも木製でいけるかな?後は金属との組み合わせですね。土台を金属にして、子どもが触れる部分を木にするとか」
「木馬って木で馬の形を作るのよね?乗って遊ぶだけ?」
「土台を半円状にしたらゆらゆら揺れますよ。まぁ、でも乗るだけですね。馬の脚に車輪を付けたら引っ張れますけど」
「そうよね。サクラちゃん、何か欲しい家具は?」
「欲しい家具ですか?キューブボックスとか、棚ですかねぇ」
「棚、ねぇ。庶民の家には良いわよね」
「仕分け用の棚板が移動できるタイプだと、便利なんですけどね」
「棚板が移動できるタイプねぇ。提案してみようかしら」
「後は座面が布の折り畳める椅子とか」
「折り畳めるっていうのは、持っていく時に場所を取らないようにって事よね?」
「後は軽いかな?って思って」
「鍛冶師連と協力したり、色々出来そうね」
「私は言いっぱなしだから、職人さんには申し訳ないんですけど」
「アイデアを貰えるだけでも良いのよ。そっち方面が苦手って職人も多いんだから。ところでジャングルジムって?」
「えっと、金属製が多いんですけど、棒を組み合わせて登ったり出来るようにした遊具です」
「ちょっとよく分かんないんだけど」
「こんな感じですね」
説明できなくて絵を描いてみた。
4の鐘が鳴る頃に、オークションが始まったらしい。それと同時位に男の人が2人、救護室に入ってきた。1人に肩を貸している状態だ。
「どうかなさいましたか?」
ルビーさんが声をかけて2人の視線が外れる。思わず息を吐いた。魔石を取り出して握りしめる。
「シロヤマさん、魔石を使っておきなさい」
「ライルさん?」
「顔がこわばってる。緊張しているんでしょ?」
「大丈夫です」
「使っておきなさい。まだこれからもあるんだから」
「はい」
「ここに天使様が居ると聞いたが」
肩を貸していた男性が聞いた。
「何かご用でしょうか?」
「会ってみたくてな。せっかくステラフェストに来たんだからって、一目だけでもと思っていたら、見事にすっ転んじまった」
「でも、天使様じゃなくても、王都の施術師さんはずいぶん見た目がいい人ばかりだね」
「お姉さんは美人さんだし、お兄さんは格好いいし、あっちのお嬢……あれ?」
「騒がないでやってくださいね。あの子は騒がれるのが苦手ですので」
ルビーさんがにっこり笑うと、それを見て口を押さえたままコクコクと頷く男性2人。患者さんを脅さないでください。
処置を終えると何度も礼をして、男性2人は帰っていった。
5の鐘前にファティマさんが来た。
「天使様、行こうか」
「もう少しお待ちください」
まだ5の鐘になっていないから、所長もローズさんも来ていない。オークションは終わったけど、迷子預かりは託児所みたいになっていて、目を離せられない。神官様は居るけれど、子どもに慣れていないらしくて、ただ座って見ているだけだ。カール君達やユーゴ君達がうまく遊ばせてくれているけど、任せっきりには出来ないよね。
5の鐘を少し過ぎて、所長とローズさんが到着した。
「おぉ。迷子預かりはずいぶん盛況じゃの」
「えっ?全員迷子じゃないわよね?」
「半分託児所、半分屋内遊園地みたいになってます」
「まぁ、好評の様じゃし、良しとするか」
所長とローズさんが苦笑いしていた。
「ファティマ様、シロヤマ様お越しください」
「はい。すみません。行ってきます」
「頑張ってきなさい」
所長と施療院のみんなの笑顔に見送られて、迎えに来てくれた神官様の後を付いていく。いくつもの角を曲がって、1つの部屋に入る。そこで髪を整えられて、夜空のようなローブを来た。さらにいくつもの角を曲がるといきなり開けた所に出た。屋根が無い。夜空にはまだ早いけど、いくつかの星の瞬きが見える。
「いらっしゃい。ファティマ様、シロヤマ様。ようこそ」
「こりゃ、たまげたね。こんな所が神殿内にあったなんて知らなかったよ」
「ここの事は秘密ですわよ。内緒にしておいてくださいませね」
エリアリール様ににっこり笑って釘を刺された。
なんだろう。この空間。空気が澄んでいる感じがする。塵1つ無く清められた空間。祖母の家の近くにあった教会の礼拝室に空気が似ている。
「まずは説明をいたしますわね。ここは神々の集うオーラティオホルティーと申します。ここに入れるのはステラフェストの夜、教主と教導師、それに御使者様のみです。真像は前に主神リーリア様。左右に闇神様と光神様。四隅に風神様、地神様、火神様、水神様ですわね。お祈りの順番は主神リーリア様、闇神様、光神様、風神様、地神様、火神様、水神様、もう一度主神リーリア様です。あぁ、もうすぐ7神様が御出になりますわ」
「おいでに?」
「跪いて、頭をお下げなさい」
ピリッとしたエリアリール様の声が飛んで、神官様が一斉に膝を付く。私たちもそれに習った。
周囲が明るくなった。歓迎されていると解る暖かな光。緊張の中にもリラックスしているような、不思議な状態になる。
頬を柔らかな風が通りすぎた。
「跪拝を始めましょう」
エリアリール様のお言葉に、神官様達が続く。スティーリア様に促されて、ファティマさんと私も続いた。
7神様へのお祈りが終わると、エリアリール様を先頭にあの空間を出た。
「ファティマ様、シロヤマ様、こちらへ」
エリアリール様とスティーリア様に付いて行く。やがて、1つの部屋に入った。ここ、エリアリール様のお部屋だ。
「もう脱いで良いですわよ」
「このローブかい?あ、いや、ローブですか?」
「ホホホ。ファティマ様、いつものお言葉遣いでよろしくてよ。ファティマ様のお言葉は結構好きなの。私も真似をしたいくらい」
チラッとスティーリア様を見て、エリアリール様が微笑まれる。
「それで、あそこはオーラティオホルティーと言ったっけ?一体なんなんだい?」
ローブを脱ぎながら、ファティマさんが尋ねた。
「そのままの場所ですわ。神々の集う庭園。各神殿に規模の違いはあれど必ずありますの。秘密にしておいてくださいね?」
「言うなって言うなら、墓まで持っていくさ」
「エリアリール様、7神様が御出になった時、暖かい風が頬を通りすぎた気がしたんですけど」
「シロヤマ様は感じましたの?トキワ様もそうですが、主神リーリア様がどうやら興味をお持ちになられたようですわね」
「興味を?大和さんと違って、私は何もしていませんけど」
「施術師としてのシロヤマ様の事は、私も聞き及んでおりますわよ?」
「それは仕事ですし」
「ひたむきに仕事に打ち込む姿は、何よりも美しいと思いますわ」
駄目だ。エリアリール様に勝てる気がしない。スティーリア様はただただニコニコしてるし、ファティマさんも微笑ましいものを見るような目をしてる。味方が居ない。
エリアリール様とスティーリア様と一緒に夕食を頂いた。不思議と食欲が戻っている感じがした。
「エリアリール様、そろそろお時間でございます」
「あら、もうそんな時間?外に行きましょうか」
「えっ?まさかもう6の鐘かい?」
あそこにそんなに長い間居たの?
エリアリール様とスティーリア様に付いて参集所を通り抜け、参拝者が集まる庭に出る。
「サクラちゃん、どこに行っていたの?」
「ローズさん。ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんてかかってないわよ。それで?どこに行っていたの?」
「内緒です」
「えぇ~。こっそり教えて?」
「エリアリール様が秘密って仰ったんです」
「ローズ、諦めなさい。サクラちゃんが言わないって決めたら絶対に言わないわ」
「気になるじゃない」
エリアリール様がジンウとユエトの成り立ちについて話されている。去年はそれに続けて闇属性が悪い属性だと言うのは間違いだとお話されていた。今年は何を話されるんだろう?
「昨年の大雪はまだ記憶に新しいと思います。悼ましい事に多くの命が失われました。私はその事実に心を痛めておりました。しかし、ある事実を知り心が温かくなりました。自分達も寒さに震えながらスラム街の人達の為、南門外の人々の為に多くの支援物資が寄せられたのです。神殿に持ってきていただいた方、直接届けられた方、形は違いますが、見ず知らずの人に手を差し伸べる人々の温かさに、希望を見ました。昨年の大雪で亡くなった方だけではありません。ホアの暑さで亡くなった方もいらっしゃいます。それでも手を差し伸べ、手を取り合い支えあっている。人々の心のその温かさを改めて思い知りました。本当にありがとうございました。ステラフェストの夜のこの場を借りて皆様にお礼を申し上げます」
エリアリール様が深々と頭を下げられた。同時にスティーリア様以下神官様方、神殿騎士の皆様も頭を下げる。
拍手が沸き起こった。
エリアリール様が舞台を降りた。人々が動き始める。
「天使様、お疲れ様」
「ジャスミンさん」
「5の鐘前に来ていたのよ。救護室にも行ってみたんだけど、なんだか忙しそうだったから、話しかけられなかったの。これからどうするの?」
「救護室を片付けて、大和さんを待ちます」
「そう。私は今からカイル様と帰るのよ。またトラットリアに来てちょうだいね」
「はい。また是非」
「サクラちゃん。あら、どなた?」
「ルビーさん。ご紹介します。ジャスミンさんです。トラットリア・アペティートのオーナーさんです。ジャスミンさん、こちらはルビーさん。施療院の先輩です」
「貴女がアインスタイ副団長様の婚約者の方ですね。おめでとうございます」
「サクラさん?」
「つい言っちゃいました。ごめんなさい」
「おめでたい事ですもの。本当は言い触らしたいけれど、正式に発表されるまでは黙っておきますよ。今度、お店にお伺いして良いですか?」
「えぇ。もちろん。是非いらしてください」
ジャスミンさんと別れて、救護室に歩き出す。
「夕食の後の休憩中に、アインスタイ副団長様と一緒に歩いているのをお見かけしたわ。美人さんよね。お似合いだわ」
「そうなんです。それに優しくて回りに目を向けられる人です」
「5年だっけ?」
「そう聞いてます」
「ゆっくりお話ししたいわね」
「はい」
救護室の後片付けを終えたら、施療院の皆は帰っていった。私だけ参集所の椅子に座る。
今日はありがとうございました。神秘的な体験ができました。最初は嫌々だったフルールの御使者ですが、やって良かったと思えました。ありがとうございました。
「咲楽ちゃん」
「大和さん」
「街壁の上、行く?」
「行きます」
大和さんと手を繋いで歩く。
「ヒポエステスはどうでした?」
「子ども相手は疲れるね。ある程度手を抜かなきゃいけないけど、すぐにバレるんだよ。そこの加減が難しかった」
「手を抜くと怒る子も居ますしね」
「そうなんだよ。それからチコとのバク宙を何回かさせられた」
「あのチコさんの手に足をかけて、飛び上がるやつですか?」
「そうそう。咲楽ちゃんはずっと救護室?」
「御使者だけで、不思議な体験をしてきました」
「どんな?」
「ごめんなさい、言えません」
「秘儀かな?」
「それに当たると思います」
街壁の上に登る。ラーム ドゥ ラ リュンヌの光が見えた。淡く優しい光だ。
「庭のラーム ドゥ ラ リュンヌも光っているでしょうか?」
「帰ったら見ようね」
街壁を降りて、家に帰る。星が綺麗だ。月が2つあるのにはっきりと星が見える。でも暗い訳じゃない。むしろ月光は明るいと思う。
大和さんとこんな夜に歩くのは、たぶん1年ぶり。昼間は歩いた事があるし、アウトゥの終わりともなれば5の鐘過ぎでも十分暗い。でもこんな夜中とも言える時間に出歩くのはそうそう無い。
家に着くと、まず、大和さんがお風呂に行った。「寝ちゃってもいいからね」って言ってくれたけど、頑張って起きていた。
「咲楽ちゃん、行っておいで」
「はい」
明日は大和さんも休みだ。どこかに行く約束はしていない。ユーゴ君の剣舞の指導とか、カークさんの笛の指導とかかな?私もリュラの練習をしなきゃ。『春の舞』の演奏はカークさんとの二重奏だ。
ユーゴ君の『春の舞』はようやく通して見られるようになった、らしい。拙くはあるけど、ずいぶん上達したと思う。だけど、すべての基準が『大和さん』だ。大和さんの『春の舞』は、優雅で優しくて泣きたくなるほど綺麗だ。その点、私には目標とすべき先生は居ない。大和さんが聞いてアドバイスをくれるだけだから、気楽だと思う。もちろん自分の中のフラーを、精一杯表現しようとはしている。まだまだだけど。
寝室に上がると、大和さんが待っていてくれた。
「おかえり」
「戻りました」
「今日はお疲れ様」
「大和さんもお疲れ様でした」
「それで、ステラフェストの秘儀ってどんなのだったの?」
「えっと……」
「具体的には話さなくていいよ。感じた事、思った事を教えて?」
「不思議な空間に連れていかれました。神社の聖域に入ったような、教会の礼拝室に入ったような、そんな気持ちになりました」
「穢れが一切感じないような、清らかな空間かな?」
「あぁ、そんな感じです。それで、エリアリール様が7神様が御出になったって仰られて、周囲が明るくなったと思ったら、温かい心地いい風が頬を撫でたような気がして7神様に順にお祈りをしました。習った作法とは少し違う拝礼の仕方でした。その後、エリアリール様のお部屋で食事を頂いて……。そうだ。何となくなんですけど、いつもより食べられた気がします」
「良かったね」
「はい。その位です。言えるのは」
「咲楽ちゃん達は、たぶん聖域に案内されたんだね。時間が経つのが早くなかった?」
「そうですね。5の鐘過ぎに入って、1時間位しか居なかったと思ったのに、出てきて食事をしたらもう6の鐘でした」
「貴重な体験をしたね。気付いていないかもだけど、多分疲れているよ。ゆっくり眠ろう」
そう言われたら、眠気が襲ってきた。
「おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽ちゃん」