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空の月、第4の木の日。
あの孤児院を我が物として孤児院運営費を懐に入れていたのは、王都でも悪名高い商家のフォーダイト家だったらしい。捕縛されたのはフォーダイト家の裏の組織とやらで、即日騎士団による尋問が開始された。
フォーダイト家は最初は小さな商店だった。時流に乗りその規模を拡大させていった。フォーダイトが大きくなる度に囁かれる黒い噂。強引な買収。破落戸を使った暴力行為。自作自演の陥れ。押し付けによる貸し剥がし。人身売買もそのひとつだ。ただ、今までは噂があるというだけで、証拠がなかった。フォーダイト家の店主自身も何度も事情を聴かれていたけど、その度に末端の人物の死亡によって幕が降ろされてきたらしい。トカゲのしっぽ切りって事だよね。
フォーダイトの本拠地は他領にあって、現在そちらでも捜査が行われている。というのも、孤児院の保護監督者、ジョルジュ・トレィヴァー氏が見つかっていない。フォーダイトの者達もジョルジュ・トレィヴァー氏に関しては、知らないと口を揃えているらしい。
尋問には「素直になるお薬」も使ったらしい。「素直になるお薬」はいわゆる自白剤の類いではないようで、製法を知っているのは魔術師筆頭様と薬師組織のトップのみらしい。魔術師筆頭様が関わっている時点で、なんとなく黒魔術的な物を思い浮かべてしまった。
あれから子ども達は健全な環境で過ごしている。東の孤児院とも交流していて、あの南の街壁の間で一緒に遊んでいる姿が見られるそうだ。
今日はお昼から、私とマックス先生と王宮魔術師の方とで、東南の孤児院を慰問する予定。何故東南か。東の孤児院も改築の最中だからだ。南の孤児院は緊急性が高かったから、魔法も使ってあっという間に建て替えたけど、東の孤児院はそこまでじゃない。今は東の孤児院の子達は街壁の間の宿舎を仮の生活空間としている。南の子達は新しく建て直してもらった孤児院で生活している。
朝、目覚めて、着替えたらダイニングに降りる。庭で水やりをしていると、大和さん達が帰ってきた。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、天使様」
「おかえりなさい、大和さん。おはようございます、カークさん、ユーゴ君」
「ゲオルグから伝言。今日来るときには覚悟しておくようにだってさ」
「覚悟ってなんですか?」
「トキワ様、伝言は正確に伝えてください。南の街壁の間の宿舎に来るなら、子ども達の変化に驚くな、でしょう?」
「似たような意味だ」
「全然違います。勝手に改変しないでください」
「意味は同じだろう?変化に驚かないように覚悟を決めるんだから」
「それはそうでしょうが、それでも伝えられた言葉を伝えないと、サクラ様が驚かれるではありませんか」
「ねぇ、シャワー、浴びてきて良い?」
「どうぞ。いってらっしゃい」
大人2人の不毛な言い合いをまるっと無視して、ユーゴ君はシャワーに行った。
私も2人の不毛な言い合いはまるっと無視して、庭の様子を見ていた。
「咲楽ちゃんが俺を無視するのは、おまえの所為だぞ。カーク」
「何を仰います、トキワ様。私の所為にしないでください」
「……楽しそうですね」
思わずジト目で呟く。とたんにカークさんは深々と頭を下げて、大和さんはそそくさと瞑想を始めた。
「サクラ様、ゲオルグがお待ちしていますと言っておりました」
「ゲオルグさんも来てくれるんですね」
「たぶんゲオルグだけではありませんよ」
「え?誰ですか?」
「門外の女性達とかですね」
「ずっと食事の用意をしてくれているんですか?」
「そうらしいですね。彼女達も仕事が出来て嬉しそうだと、ゲオルグが言っていました」
「ゲオルグさんって、本当に人のお世話が好きなんですね」
「彼は、そうですね。素性を追求する気はありませんが」
「門外の方達って減っていたりしないんですか?」
「ゲオルグによると、減ったり増えたりだそうです」
「これからコルドに向かうのに」
「サクラ様……」
「間に合った?あれ?どうしたの?」
いきなり明るい声が割り込んだ。ユーゴ君だ。
「ユーゴ君」
「天使様、何か暗いよ」
「ちょっと考えちゃって」
大和さんが舞台に上がる。舞われる『冬の舞』は相変わらず厳しい。あの大雪を思い出させる。あの大雪で失われた命は少なくなかった。私はまだ完全に割り切れてはいない。あの時よりはずいぶんと楽にはなったけれど、たぶんこれからもコルドが来る度に思い出すと思う。
大和さんが舞台を降りた。そのまま私の方に歩いてくる。ふわりと抱き締められた。
「咲楽ちゃんが辛いなら、『冬の舞』は止めようか?」
「続けてください。乗り越えてみせますから」
「咲楽ちゃんに辛い思いをして欲しくないんだよ」
「大丈夫ですから。大和さんの『冬の舞』は厳しいけど、好きですよ」
「どんなところが?」
「厳しいんですよ?でも優しくて心が浄化される感じもします」
「心が浄化される?」
「上手く言えないんですけど」
「大丈夫だよ。なんとなく伝わった……と、思う」
「良いんです。私の感想ですもん」
「咲楽ちゃんの感性だもんね」
大和さんが私を促して、家に入る。
大和さんがシャワーに行っている間に朝食の準備をする。そろそろスープを作っても良いかなぁ。日中は暑いときもあるけど、朝晩は過ごしやすいし。
「ユーゴ君、また背が伸びた?」
「たぶん?最近夜に膝とか痛いんだよね。すぐに治るけど」
「成長痛かな?私は無かったけど」
「成長痛って?」
「成長期、ユーゴ君位の年齢だね。この時期には骨が伸びるの。それに伴って筋肉が伸びる。筋肉が伸びる時に骨と筋肉を繋いでいる所も伸びるんだけど、その時にまだ成長しきってない骨の端も引っ張られて、痛みが出る時があるの」
「それが成長痛ですか?」
「厳密には成長痛って病名は無いけどね」
「病気じゃないの?」
「違うよ」
「へぇ」
大和さんがシャワーから戻ってきて、朝食を始める。
「前から気になってたんだがな、カークとユーゴはいつまで帰ってきた時に『おはようございます』を言うつもりなんだ?」
「あ、それ、私も聞きたかったです。カークさんとユーゴ君があいさつをしてくれるから、私も返していましたけど」
「あ、いや。私達はトキワ様とサクラ様と一緒に暮らしている訳ではありませんし」
「家族って訳でもないし」
「一緒に暮らしていなくても、家族じゃなくても、ここは帰る場所だろう?咲楽ちゃんとも知らない仲じゃない。なら、『ただいま」で良いんじゃないか?」
「しかし、ですね……」
「他人行儀だって言っているんだ。親しくするつもりがないと言うなら、今のままで良いけどな」
「僕は他人だよ?」
「ユーゴはいずれ、母親と暮らすつもりなんだろう?そのための基盤作りの時期だ。一応、俺達は有名人の類らしいから、俺達と仲が良いという事を利用すれば母親が戻りやすくなる。利用できる事は利用しておけ。利用されてやる。あまりにも行きすぎた行為は容赦無く叱るけどな」
「あ、ありがとうございます」
「カークは妙に遠慮するよな。一緒に暮らしていないから、なんだ?一緒に食事をしているだろう?俺の感覚ではそういうのは身内って言うんだが」
「従者にというお話は、断っておられますのに」
「それとこれとは話が別だ。従者というのは主従関係の言わば契約だ。身内とは違う。親しくしていて信頼関係が出来ていても、あくまでも仕事上の関係だろう?」
「そ……れは……そうですが」
「諦めろ、カーク」
「それは従者を諦めろという意味ではないのですよね?」
「そこは諦めが悪いのな」
「トキワ様も諦めてください」
「諦めが悪いって事は諦めてるよ」
大和さんが笑う。
「それは光栄です」
「咲楽ちゃん、これで良い?」
「カークさんとユーゴ君が納得しているなら」
「天使様、僕達が納得していなかったら、あいさつは今まで通りで良かったの?」
「無理に挨拶を変えてもらっても、嬉しくないです。これで大和さんが命令だとか言っていたら、ちょっと嫌いになっていました」
「それは危なかった。咲楽ちゃんに嫌われたら、間違いなく泣ける」
「この中で一番強いのはサクラ様ですね」
「そうだよね」
「違いない」
「私は強くないですよ?」
「立場的にって事だよ」
「大和さんの方が強いですよ?」
「俺は咲楽ちゃんに嫌われたくない。だから高圧的に出られない。ね?咲楽ちゃんが一番強いでしょ?」
なんだか釈然としない。
朝食が終わるとユーゴ君は学門所に行く。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
お弁当を手渡してユーゴ君を見送る。ダイニングに戻ると大和さんは着替えに行っていて、カークさんが食器を洗ってくれていた。
「サクラ様、今日はお昼から南でしたか」
「はい。マックス先生と王宮魔術師さんと一緒です。王宮魔術師さんがどなたなのかは分かっていないんですけどね」
「大丈夫ですか?お昼頃にクエイムをかけにいきましょうか?」
「所長も居ますし、カークさんの魔石もあります。大丈夫ですよ」
「それなら良いのですが。ご無理はなさいませんように」
「ありがとうございます」
「咲楽ちゃん、着替えておいで」
「あれ?もうそんな時間ですか?」
着替えに自室に上がる。長袖のシャツにパンツ。髪を纏めて階下に降りる。
「お待たせしました」
「用意は良い?行こうか」
3人で家を出る。カークさんは冒険者ギルドに、大和さんと私は王宮方面に向かう。
「それでは、失礼いたします」
「あぁ、気を付けてな」
「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」
カークさんを見送って、大和さんと歩き出す。
「咲楽ちゃん、今年の誕生日は本当に何もしなくて良かったの?」
「何回目ですか?お気持ちだけで十分だって言ったじゃないですか」
「何かしたかったのに、要らないって言うから、ちょっと落ち込んだ」
「十分持っていますもん。これ以上は要りません」
「髪飾りとか、咲楽ちゃんに似合う服とか、贈ろうと思っていたのに」
「服は十分ありますし、髪飾りもあります」
「無欲だね」
「大和さんの誕生日は何をしましょうか?」
「俺は何も……あ、そうだ。咲楽ちゃん、星見の祭にご一緒しませんかって、ジャスミン嬢が言ってたらしいよ」
「誰が……副団長さんですか?」
「昨日、副団長が来て、伝言していった」
「去年みたいなことがなければ、ご一緒出来ます」
「どうだろうね。そういえば、今年は何か出さないの?」
「一応進めてはいるんですけどね」
「へぇ。どんなの?」
「内緒です」
「教えてくれないの?」
「ん~。施療院のみんなにも内緒なんですよね」
「想像がつかなくて悔しい」
「そこまで難しくはないんですよ?」
「分からないんだよ。教えて?」
「今夜、部屋に来てください」
「うわ。意味深なお誘い」
「意味深じゃ無いです!!」
実は密かに作っている物がある。さっき大和さんに聞かれたけど、星見の祭に向けて作っている物だ。ちょっと細かいんだけど、地属性でビーズを作っている。作りたいのは色んなビーズを使ったのれん風の壁飾り。設計図は起こしたんだけど、色を合わせるのが難しい。まずは方眼図から作ったから、ちょっと疲れた。
「分かってるよ。今夜ね。あぁ、分かれ道だね」
王宮への分かれ道にはローズさんとライルさんが待っていてくれた。
「じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」
「そっちこそ。じゃあね」
大和さんは王宮に、私は施療院に歩き出した。
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん」
「今日は孤児院だったっけ?」
「お昼からですね。慰問って何をしたら良いんでしょう?」
「何でも良いのよ。サクラちゃんだったらお料理、お裁縫……。あら?室内ばかりね」
「そうなんですよね」
「室内で遊べる何かは無いの?」
「あや取りとか、折紙?うーん」
「裁縫も教えるのは早いからねぇ」
「そうなんですよね」
「歌とか歌ったら?」
「あちらの歌になっちゃいますけど」
「あ、そっか」
「教えようか?」
「ライルさん、今から覚えるのは無理ですよ。歌詞だけじゃなくて、メロディーもですよね?」
「時間が無いのよね。読み聞かせでもすれば?」
「時間があれば、ですよね」
施療院に着いて、着替えに行く。
「サクラちゃん、護身用の武器って、あれからどうなったの?」
「まだですね。ムラードさんがどう言ってくるのか分からなくて」
「トキワ様はどうしたの?」
「聞いていないですけど、頼みそうです。弓って聞いて、喜んでいましたし」
「あぁ、やりたいって、闘技場でやっていたわね」
「そうなんですよね」
「トキワ様って武器は剣だけだったかしら?」
「いいえ。この世界にあるのかな?銃を使っていたと思います」
「銃?」
「剣より遥かに殺傷能力の高い武器です」
「そう。サクラちゃんは嫌いなの?その武器」
「馴染みがないんです。持つことすら禁止されていましたし、犯罪に使われたりっていうのはありましたけど、実物を見たこともないですし」
更衣室を出て、診察室に向かう。待合室を通る前に深呼吸。大丈夫。怖くない。
「シロヤマさん、おはよう」
「おはようございます、マックス先生」
「はい。これ」
「絵本ですか?」
「ルビーちゃんのお披露目会で、絵本を読んでいたでしょ?今日の孤児院でも読んでもらおうと思って」
「分かりました。一緒に行く魔術師さんってどなたですか?」
「シロヤマさんは知らないかもね。光属性を持った女性だよ」
「アリスさん?」
「残念。外れ。来たら紹介するよ」
どんな人なんだろう?
フォーダイトとは、自動車の塗装に用いられていたエナメル塗料が層を成し、固まってできた人工鉱石です。アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトの自動車廃工場跡から産出されました。要するに車の塗料が層になって固まったものですね。興味のある方は調べてみてください。




