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空の月、第2の火の日。今日は雨が降っている。それは良いんだけど、階下がずいぶん賑やかだ。起きて着替えていると、ノックの音と、大和さんの声がした。
「咲楽ちゃん、起きてる?」
「はい。どうしたんですか?」
ドアが開いて、大和さんが顔を覗かせた。
「交通事故」
「はい?」
「神殿側に150m位行った所で、馬車が横転した。怪我人が居るんだけど、ちょっと診てやってくれる?」
「はい。リビングですか?」
「うん。怪我人がオーガ族の男性。一緒に付き添っているのがオーガ族の女性。えっと、負傷部位が頭部というか、その……」
珍しい。大和さんが言い淀んでる。
「診れば良いんですよね?行きます」
急いでリビングへ降りる。リビングには大きい人影。
「おはようございます」
恐る恐る声をかけると、女性がこっちを見た。天井に頭が着きそうなんですけど。
「こりゃあ、たまげた。ずいぶん可愛らしい娘さんやなぁ」
「はじめまして、サクラ・シロヤマと申します」
「朝早くから、お邪魔しちゃって悪いねぇ。オーガ族のアケノって言うんだわ。こっちは弟のゲンザ。でかい図体だが、怖かぁねぇよ」
「お怪我をされたと伺ったのですが」
ゲンザさんは膝を抱えて座り込んで、一言も話さない。大丈夫?
「あぁ、これやわ」
ズイッと差し出されたのは、たぶん角。ゲンザさんの左の角が無いもの。
「ポッキリいっちゃって、まぁ、情けないったら」
「えっと、くっつけたら良いのでしょうか?」
「頼めます?」
角をよく見ると、骨のような感じだった。ゲンザさんの左側に回って、話しかける。
「大丈夫ですか?これから治癒術を使います。痛かったら闇属性も使えますが」
「痛い」
地を這うような重低音。直後にゴンッと凄い音がした。
「オーガ族ともあろう者が情けない。メソメソするんやない。角は折れても痛無い!!」
メソメソ?あ、泣いていたのね。そっと折れた角を折断面に当てて、まず、内部を修復する。ついで表層部。神経は通ってなさそうだから大丈夫かな?集中してスキャンしてみる。うん。たぶん大丈夫。
「痛みはありませんか?」
「あらへん。大丈夫や」
「他にお怪我はありませんか?」
「大丈夫や。オーガ族は丈夫が取り柄やさかい」
アケノさんがゲンザさんの背中をバシバシ叩きながら言う。
「左の小指が……、姉ちゃん止めてぇな」
「左の小指?」
うわぁ、爪が剥がれかけてる。これは痛いよね。
「治しましょうか?」
黙って左手を出された。手の平なんか私の倍はありそう。犬や猫みたいな形状の爪が指の表面を覆ってる。いったん爪を切った方が良いんだけど、まずはそのまま成長促進をかける。指の先端まで爪が伸びたら、爪を切るんだけど……。
「私等はこれで切るんやわ。分厚いでなぁ」
それ、小型のノコギリですよね?ゴリゴリとアケノさんがゲンザさんの爪を切って、ようやくゲンザさんが顔を上げた。涙でグチョグチョになってる。思わずタオルを差し出した。
「私の事、怖くねぇか?」
「はい」
オーガ族は友好種族だと聞いてるし、精一杯身を縮めているところを見ると全然怖くない。背は高いんだろうなぁ。座った状態で私の胸辺りに顔があるし。アケノさんはたぶん3m位あると思う。
「初対面で私を怖ねぇって人、初めてやわ。病めへんし。ちっこいのに大したもんやなあ」
「最初の哥さんも怖がってなかったなぁ。友好種族ったって大きいから怖がられるんさなぁ」
「ちっこい姐さん、おおきんなぁ」
「おおきん?」
「ありがとうって事だと思うよ」
大和さんが口を挟んだ。
「そうなんですか?」
「哥さん、居たのけぇ?」
「ビックリしたわ。そうそう。お礼お礼」
アケノさんが何やら巾着袋の中をゴソゴソとしだした。オーガ族は魔空間が無いのかな?
「こんなのしか無んやけど」
差し出されたのは綺麗な1.5cm位の、楕円形や四角の石。宝石じゃないですよね?
「どうしましょう?」
「頂いたら?」
「なぁんも遠慮せんといて。お礼は大事やで」
「じゃあ、これを」
気になった黒っぽい石を選んだ。
「哥さんも。ほれ。遠慮せんといてぇな」
「では、私はこれを」
大和さんが選んだのは緑色の石。
「互いを大切に想ってんやなぁ」
アケノさんに言われてしまった。
オーガ族の2人が帰っていくと、なんだか気が抜けてしまった。馬車は大して壊れて無かったらしいし、馬も無事だったと言っていた。
「朝食、作らなきゃ」
「今から?今日はパンだけにしない?」
「お昼は?」
「今日はバザールの巡回だから。咲楽ちゃんのだけ用意しちゃいなさい」
「はい」
朝食を食べている時に、大和さんが緑色の石を見ながら言った。
「これ、宝石じゃないよね?」
「研磨してみますか?」
「咲楽ちゃんのからやってみて?怖いから」
「怖いからって、私も怖いんですけど」
片手で握って、地属性を発動する。表面が綺麗になりますように。そぉっと手を開くと、キラキラとしたラメっぽい輝きを秘めた黒い石があった。
「どうだった?」
黙って手を差し出す。
「ブラックオパール?」
「ですよね?大和さんのはどうですか?」
「緑だとエメラルドかペリドットか………どっちだ?」
「エメラルドみたいですね」
「とりあえず、ダフネに相談かな?」
「そうですね。相談してみましょう」
朝食後、大和さんが食器を洗ってくれている間に着替える。ついでに厚めの布を魔空間にいれた。
「お待たせしました」
「着替えてくるね」
大和さんが着替えに行っている間に布を取り出して、巾着を作る。魔空間に入れておいたら大丈夫だと思うけど、やっぱり心配だし。巾着袋を2つ作り終わった位に、大和さんが降りてきた。
「何を作ってたの?」
「さっきの石を入れる巾着袋です。大和さんのもありますよ」
「ありがとう」
「さっきのオーガ族の方の言葉って、聞き覚えがある気がするんですけど」
家を出ながら聞いてみた。
「東海地方の言葉だと思うよ。名古屋辺りかな?」
「関西っぽくありませんでした?」
「中間地かな?岐阜、三重、奈良、滋賀?」
「和歌山は?」
「ありうるね」
「ところで大和さん、どうやって事故に気が付いたんですか?この辺ですよね?」
「今日は雨だったから、カークもユーゴも来なくて地下でトレーニングをしてたんだけど、地下でのトレーニングを終えて上がってくる途中で振動を感じて、地震かと思ったんだけど、一度きりだったし、なんだか話し声も聞こえたから外に出てみたら、馬車が横転してた」
「それで助けたんですか?ご近所の方は?」
「目の前の家の人だけ出てきた。単独だったし、そこまで大きな音でもなかったから、気が付かなかったんじゃないかな?」
「大和さんは気が付いたんですよね?」
「覚醒してたし、立っていたからね」
「そんなものですか?」
「そんなものです」
「ドヤ顔してますね」
「この頃、咲楽ちゃんにイジられる回数が増えてきている気がする」
「そういう大和さんも好きです」
「ストレートに言うようにもなってきて、嬉しい」
「恥ずかしいんですよ」
「そんな咲楽ちゃんも可愛い」
雨の日は人通りも少ない。施療院までの通い慣れた道でもいろんな新発見がある。今日は道端の花を見つけた。黄色いサンダーソニアみたいな花。道端の雑草も薬の材料になる場合があるって、この間クルスさんに教わった。たしかこの花は乾燥させて他の薬草と混ぜて、肉体疲労時の栄養補給用の薬湯に使うと聞いた。エナジードリンクみたいだねって、大和さんと話していたっけ。
「咲楽ちゃんは花とか見つけるのが上手だね」
「気になりませんか?」
「男はあまり気にならないと思うよ」
「気になる男性もいますよね?」
「例えば?」
「ペピータ様とか」
「ペピータ様ね。確かに」
王宮への分かれ道に着いてしまった。
「あんまり構えなかった。まぁ良いか。夜に構おう。いってらっしゃい」
「大和さんもいってらっしゃい。気を付けてくださいね」
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん」
「雨ねぇ」
「そうですね。結構降っていますね」
「こんな日は暇なのよね」
「そうですよね。何かする事はないでしょうか?」
「所長に預けるレシピは書き終わったの?」
「はい。書き終わりました」
「そういえば、何か作ってたじゃない。あれは何だったの?」
「交換用の壁飾りです。レース編みですね」
「お披露目しないの?」
「額がまだなんです」
「マルクス様に頼めないものね」
「ルビーさん、今結婚休暇中ですもんね」
「羨ましいわ」
「ローズさんはまだですか?」
「ユリウス様のご都合次第なのよね」
「ヴェルーリャ様ってどんなお仕事をしてらっしゃるんですか?」
「各地の名産品や特産品の管理やその宣伝というか、売り込みのお手伝いね」
「プロデューサーですか」
「プロデューサー?」
「総責任者というか、企画進行を導く人とかでしょうか」
「そうね。そういう感じかしら」
「大変なお仕事ですね」
気が付いていなかったけど、ライルさんが後から付いてきていた。と、いうか、遠くに施療院が見えてるし。
「おはようございます、ライルさん」
「おはよう。今気がついたの?」
「はい。すみません」
「ジェイド嬢と夢中で話をしていたしね。何を話していたの?」
「今日は雨だから、患者さんが少ないかも、とかルビーさんは今ごろ何しているのかな?とかです」
「雨だからね。患者は少ないだろうね」
「あ、そうだ。ライルさん、ローズさん、今朝から家の近所で馬車の横転事故があったんですけど、そういうのって届けなくて良いんですか?」
「トキワ殿も知っているんだよね?」
「大和さんが事故に気付いて、ご近所の方と駆け付けたそうです」
「それならトキワ殿が届けているかもね」
「横転事故って乗っていた人はどんな人だったの?」
「オーガ族の方です。ご姉弟だって言っていました」
「オーガ族で姉弟?アケノさんとゲンザさん?」
「はい」
「アケノさんってのんびりした話し方だったでしょ?」
「はい」
「お怪我はなかったの?」
「ゲンザさんの角が」
「折れちゃったの?」
「はい。くっつけましたけど」
「そう。良かったわ。オーガ族ってね、角をとても大切にしているのよ。決闘して角を折られると最大の屈辱らしいわよ」
「そうなんですか?」
「大丈夫だったのかい?そのゲンザさんは」
「ずっと泣いてました。くっつけたら顔を上げてくれましたけど」
「アケノさんは?」
「お怪我はなかったようです」
「良かったわ」
施療院に着いて、着替える。
「ローズさん、アケノさんにお礼を頂いたんですけど」
「宝石でしょ?」
「はい。それでどうしようかと思って。ダフネさんに相談しようかって、大和さんと言っていたんです」
「構わないわよ。今日来る?」
「決めてなかったんですけど」
「帰りに決めたらいいわ」
「そうします」
着替えて診察室に行く。待合室を通る時には今でも緊張する。今日は待合室に数人居ただけだった。
診察が始まっても患者さんはあまり来ない。常連の方は来院されるけれど、それだけだ。あまりに暇だから、所長に頼まれていたいくつかの書類を仕上げて、持っていった。
「おぉ、すまんの、シロヤマさん」
「いいえ。これって湖が汚されて水生の生物が死んでしまったとか、作物の味がおかしくなって、健康被害が出たとかありますけど、公害に関することですか?」
「公害?」
「産業の発達による、騒音、煤煙、排水などの発生によって、近隣の住民に精神的、肉体的、物質的に与えるいろいろな被害と自然環境の破壊の事です。水生の生物が死んでしまったというのは、水質汚染でしょうし、作物の味がおかしくなって、健康被害が出たとかは土壌汚染でしょう。今現在起きていることですか?」
「これは魔人国、グリムアール国の話じゃよ。かの国とは友好条約を結んでおってな。王族同士が仲が良いんじゃ。ここ数年、こういった事例が増えてきたらしくてな」
「急激に発展してきた国だったりしますか?」
「そうじゃな。先代国王が技術者でもあってな、次々と画期的な方法で工業を発展させたお人じゃ。そうじゃな。言われてみれば、その辺りからじゃな。こういった事例報告は」
「もしかして、空が見えにくかったり、いつも煙が上がっているとか……」
「よく分かったのぉ。グリムアール国の中心部はいつも薄暗い印象じゃの」
「大気汚染ですか。この先呼吸器疾患の患者さんが増えてくるかもしれません。何らかの対策が必要になります」
「元の世界でもあったことなのかの?」
「はい。環境破壊により災害が生じたり、健康被害が出たりというのはありました。今でも完全に解決はしていません。ある程度は改善されていますけど」
「恐ろしいことじゃ。その事は公表しても良いかの?」
「私の名前を出すんですか?」
「いいや。シロヤマさんの名は出しはせんよ。陛下にこうではないかと推測の形で話すだけじゃ」
「それによって、所長が何か不利益を被ることはないですか?」
「さぁて、どうじゃろう?恐らくは大丈夫と思うがの」
「心配になるような事を言わないでください」
公害は完全に無くなってはいない。各企業の環境に配慮した企業努力は続いているけれど、完全に無くそうと思ったら、現時点では第一次産業以外の全ての生産活動を止めるしかない。第一次産業も機械を使うと化石燃料を使うことになるから、機械を使えない。
これは暴論だろう。今の生活を捨てて一切機械に頼らない生活など不可能に近い。でも究極的な事を言うならば、そういう事になる。そうならないために各企業は環境に配慮した企業努力を続けている。そして人類はその生活を享受している。
異世界に来て、公害とは無縁になるかと思っていた。魔法があるから何でも魔法で解決できるのだと。でもそうではないようだ。
魔人国のグリムアール国の話は他人事じゃないと思う。人は「便利な生活」を知ってしまうと、元の不便な生活には戻りたくないという心理が生まれる。だからこそその「便利な生活」を守るために、様々な技術を産み出してきた。それが悪いとは言わない。私だってその生活を享受していたのだから。
オーガ族の言葉遣いとイントネーションは、祖母の物を参照にしました。三重県の言葉です。
東京出身の友人に言わせると「大阪弁の語尾と、名古屋弁を足して、京都辺りのノンビリさで話した感じ」だそうです。