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空の月に入った。こちらに来てもうすぐ1年経つ。私の誕生日ももうすぐだ。次の誕生日で23歳になる。
この1年で大和さんと出会って、恋人になって、プロポーズされて、きゃあきゃあきゃああぁぁあ!!
えぇっと、そうじゃなくて、西の森の話とか、フルールの御使者の一番馬車に選ばれちゃったり、誘拐された事とかあるじゃない。どうして大和さんの事ばかり最初に思い出したの?大和さんの事は好きだけど。大好きだけど。もっと言うと、あ、愛しちゃってると……思う……けど……。
「てんしさま、どうしたの?」
「あ、ごめんね」
「良いけどさ。大丈夫?」
今日は空の月、第1の闇の日。ユーゴ君達に頼まれて孤児院に来ています。あっちにはライルさんもいるし、ローズさんも所長もいる。何をしているのかというと、所長とライルさんは薬師さんと身体の調子の悪い孤児院職員さんを診ているし、ローズさんは魔法を教えている。私はまだ学齢に達していない子を見ている。ユーゴ君も側に居てくれている。
ユーゴ君の冒険者パーティーや同級生の有志が、以前からこの孤児院に顔を出していて、身体の具合が悪くても薬師さんにお願いしないし、少しの外傷なら放っておく子とか、そういった事を見て、気になっていたらしい。王宮や神殿や近隣の援助があるとは言え、そんな事に資金を使えないと言われたらしい。子ども達の怪我は治してやりたいけど、治療費の問題があって施療院に行けないとも。
今は絵本の読み聞かせ中。ここにもあるのね。『天使様のお話』と『黒き狼様のお話』。
アインスタイ領で買ってきたカルタみたいな絵札と字札のセットは、無事に3つとも孤児院に寄付された。王都には東西南北に1つずつ孤児院があって、一番裕福なのは北の孤児院。理由は貴族街に近いから。一番貧しいのは南の孤児院。ここはスラムの中に建っているから、木造で所々に石が使われるという、印象がチグハグで正に寝るだけの場所だ。生活する場所じゃないとオスカーさんが言っていた。王宮に掛け合って予算を出してもらって、それからなら動けるけど、そうじゃないと動けない職人さんもいるから、今は手が出せないと悔しそうにオスカーさんは言っていた。それでも寄付なんかで少しずつ改善はしてきているんだって。
本日お邪魔しているのは東の孤児院。南の孤児院よりはマシだけど、裕福ランキングで言ったら3番目。雨漏りとかもしているし、すきま風も酷い。
ここに来ての私達の最初の仕事は屋内の掃除だった。所長の水属性とローズさんの風属性の合わせ技で手の届く所を掃除してもらっている間に、私とライルさんは普段掃除できない所なんかを掃除した。魔法って便利だね。ついでにちょいちょいと目立つ雨漏りなんかを直したら、ライルさんに呆れた目で見られた。だって気になったんだもん。
ここに浴槽はない。シャワーはあるけど、「洗濯箱が無いから、毎日は使わせてやれないんですよ」と職員さんに言われた。服も大きめのを着せて、長く保つようにしていると聞かされて、ローズさんが絶句していた。
「シロヤマさん、ちょっと良いかの?」
「はい、所長。何か?」
所長に呼ばれて急遽作られた救護室に入ると、寝台に寝かされた神官様がいた。
「どうなさったんですか?」
「いやぁ、買い出しに出掛けたら、喧嘩に巻き込まれてしまいました。私は腕っぷしはからっきしですから、綺麗に殴られてしまって、喧嘩をしていた者同士がビックリして協力してここに運んでくれました」
「もしかして、頭を打ったりしましたか?」
「殴られた時に、吹っ飛んだ先にあった塀にぶつけましたが、あぁ、少しコブが出来ていますね。でも放っておいたら治りますって」
「こう言って治療をさせてくれないんじゃよ」
スキャンをかけると、確かにコブだけだ。脳に出血などは見られない。
「所長、頭蓋内に異常はなさそうです」
「マックスも連れてくるべきじゃったの。脳内の事は、マックスとシロヤマさん程詳しく診れんからのぅ」
「マックス様は、今日はどうしても外せない用事があると言っていましたからね」
所長とライルさんが話しているのを聞きながら、神官様にお話しする。
「神官様、頭の怪我を軽く見ないでください。時間が経って倒れてそのまま、と言うこともあるんです」
頭の打撲は、発生確率は低いとは言え、慢性硬膜下血腫と言って3週間~6ヶ月間くらいかけて、頭の中に少しずつ血液が溜まる事がある。その経過中、頭痛、吐き気、脱力感、ふらつき、認知症などの症状が徐々に現れる。特に高齢者に多いけれど、若くても慢性硬膜下血腫は起こる。酷くなると、手術適用になる場合もある。
「その時は天のご意志ですよ」
「貴方はそれで良いかもしれません。でも残された子達はどうするんですか?お願いです。子ども達の事と同じように、ご自分も大切にしてください」
「そう、ですね」
お互いに黙ってしまっていたら、様子を見に来た子ども達に、ものすごく心配された。
子ども達が集まる通称「遊びの部屋」に行くと、今度はローズさんが読み聞かせをしていた。小さい絵本では絵が見えにくい子もいるみたいで、みんな、ローズさんを取り囲んでいる。紙芝居とか、無いのかな?
「ユーゴ君、大きな絵を見せながら、お話を聞かせるって無いのかな?」
「何、それ?」
「絵本だと、小さいから、見える子と見えない子が居るみたいだから」
「じゃあ、作ろうよ。絵の巧い子がいるんだ。呼んでくる」
大きな厚紙は私が何枚か持っている。ユーゴ君が呼んできてくれた子は、2人。まずは題材となる絵本を選ぶ。
「『天使様のお話』と『黒き狼様のお話』は人気ですよ?」
「それは私の精神的ダメージがスゴいから、却下で」
「じゃあ、これは?」
ユーゴ君が持ってきたのは、『王冠を無くした王さま』。
「ある王国の王様は片付けが大嫌いで、自分の部屋はいつも散らかりっぱなしでした」から始まる、大事な式典で王冠が見つからず大騒ぎになって、みんなの前で恥をかいてしまったというお話。作者はまさかの王弟妃様。
王冠が何故王の私室にある設定なのかとか、そもそも清掃担当者がいるだろうとかは考えてはいけない。何故なら「整理整頓は大事だよ」っていう教訓を含んだお話だから。
「これ、良い。描きやすいし、話しやすい。天使様、これにしましょう?」
女の子の方、フローラちゃんは見た目も性格も綿菓子みたいな女の子だ。ふわふわした性格で男の子にモテる。言葉に嫌味がないから、女の子の友達もいる。でも人任せにする事が多くて努力が嫌いらしい。
もう一人の男の子、メイソン君は将来は絵師になると言っている子で、努力を厭わない。フローラさんの事は性格的に受け付けないと言っている。
「ねぇ、メイソン君、これもお願ぁい」
「自分でやれ。こっちに押し付けるな」
不機嫌オーラ全開のメイソン君に、おねだりして押し付けようとするフローラさんは、きっと心臓が鋼製なんだと思う。
「えぇぇ。良いでしょう?」
「駄目。それはフローラが責任をもって仕上げるんだ」
「天使様ぁ」
「頑張ってみましょう?フローラさん」
「側に居てください……」
「良いですよ。でも私は見ているだけ。良いですか?」
「手伝ってくれないの?」
「私もやる事がありますからねぇ」
文章を考えるのはユーゴ君がやってる。私は今は紙芝居の外枠を作っている。
「天使様、どう?」
少し描く毎にフローラちゃんは私に聞いてくる。
「あ、スゴく上手。さすがだね」
誉めると喜んで続きを描いてくれるから、どうやらフローラちゃんは誉められて伸びるタイプのようだ。
メイソン君は黙々と描き進めている。メイソン君は集中している時に話しかけられたくないらしい。メイソン君も生き生きとした絵を描いてくれている。
紙芝居の外枠は、社会科見学で見た昭和時代の物を思い出して作ってみた。
フローラさんが絵の具をこぼしちゃったり、見に来た子ども達が絵の具でベタベタになったり、フローラさんが脱線し始めたりと紆余曲折ありながらも、なんとか紙芝居は完成した。
「あ、サクラちゃん、何?それ」
「絵本だと絵が小さくて見えにくい子がいたから、大きくしてみました」
「良いじゃない。サクラちゃんが作ったの?」
「私が作ったのは外枠だけです。ユーゴ君とメイソン君とフローラさんが頑張ってくれました」
「うそっ。スゴいじゃない。絵も上手だし、文章も読みやすいわ。あら?これって『王冠を無くした王さま』?」
「完全新作は、時間がありませんから」
「絵と裏の文章が違うわよ?」
「はい。1枚ずつ絵を見せながら話をしていくので、表と裏が同じだとまずいんです」
「繋がらなくなっちゃうって事?」
「そうですね」
早速紙芝居を上演してみると、子ども達の興奮がスゴかった。アンコールが止まらなくて、見に来た神官様が強制的に止めてくれた。
施療院組はお昼には孤児院をお暇するはずだったんだけど、昼食をご馳走になってしまった。
今日は施療院はお休みだから、所長のお宅にお邪魔した。貴族街に近い大きな敷地のお宅だ。
「あら、いらっしゃい」
奥様のエリーザ様が出迎えてくださった。
「お邪魔します。あれから足はどうですか?」
「普通に歩けているわ。ありがとう。さぁ中に入って。あなた方、孤児院の様子を聞かせてね」
所長のお家は、スッキリシンプルだ。余計なものはないんだけど、落ち着いていられる。
「東の孤児院は、とにかく人手不足じゃな。今は元神官のセルヴェ殿が頑張っておった」
「お1人だけなの?少なくとも各孤児院に3人は職員が居るようになっているんだけど」
「セルヴェ殿に聞いてみたが、入ってきてもすぐに辞めていくと言っておった」
「おかしいわね。ちょっと調べてみるわ。さぁさぁ、今話題の金のお菓子を作ってみたのよ」
「話題?」
「話題よ。美味しくて、安く作れて、簡単でしょ?誰か知らないけど、レシピ登録をしてくれた人に感謝だわ。誰か知らないけどね」
絶対に知っていますよね。
「ライルさん?」
「僕は知らないよ?」
「本当に?」
「本当に。そんなにじっと見ないでよ」
「奥様、お聞きしたいんですけど、レシピ使用料を別口座にって、出来ないんですか?」
「別口座?誰かの口座って事?」
「そうじゃなくて、レシピ使用料の口座を別で作るって事です」
「シロヤマさん名義の口座を2つ持つって事?」
「はい」
「個人でしている人はあまり聞かないわね。大きな商会、例えばジェイド商会なんかは商会運営口座を作っているけど、個人でねぇ……。聞いてみてあげましょうか?」
「お願いします」
「シロヤマさん、ちょっと事情を伺って良いかしら?」
「エリーザ、シロヤマさんが未知の知識を持っておることは話したじゃろう?この金のお菓子もその知識を元にしておるようでな」
「もしかしてまだあるのかしら?」
「はい」
スポンジケーキにシフォンケーキ、和菓子関係も材料があれば作れると思う。今は水羊羹だけだけど。お饅頭とか、良いよね。
「いくつくらい?」
「ケーキが2種に甘味が3種、お料理が2種です」
「そんなに?何か作れる?」
「甘味の一種類でしたら。パタトドゥスはありますか?」
「あるわよ。他に要るものは?」
「パタトドゥス、小麦粉、砂糖、塩です。あとは蒸し器が要りますけど」
「スチーマーならあるわよ」
「お借りします。一緒にお願いできますか?」
「良いわよ。楽しそうだわ」
作ろうとしているのは『鬼まんじゅう』。東海地方のお菓子だ。
パタトドゥスを8mm角位の角切りにし、砂糖、塩をまぶす。そこに小麦粉を加えて、少しずつ水を加えて油を薄く塗った平皿に丸く乗せ、蒸していく。
「簡単ねぇ」
「そうなんですよ。これもレシピ登録をした方がいいですか?」
「しましょう。口座の件は聞いておくわ。でも口座を分けてどうするの?」
「寄付とかに回したいんです。後は働けなくなった時に備えてですね」
「色々考えるのね。分かったわ。聞いて、主人に伝言するわね」
「ありがとうございます」
レシピの登録は避けられないみたいだから、備えはしておきたい。何で要るのか分からないし。
「甘味って言ったけど、他には?」
「これです」
異空間に仕舞っておいた黒豆餡を出す。
「真っ黒ね」
「黒豆で作りましたので。白豆で作ったら、白くなると思います」
「甘いわね」
「これをパンケーキと一緒に食べても美味しいですよ」
「美味しそうね」
「水で溶いたこの黒豆餡をアガーで固めたのがこれです」
「あら、美味しい」
「水羊羹と言い……」
「奥様、サクラちゃん、ズルイ……」
「ローズさん?あぁ、ビックリした」
「ローズちゃん、ほぉら、おいで、おいで」
奥様が水羊羹を掬って、差し出す。餌付け?
「口止め料よ」
「奥様……。あ、蒸し上がったみたいです」
鬼まんじゅうをスチーマーから出して、お皿に取り出す。
そのお皿を持って所長とライルさんにお出しする。