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実りの月、第4週の緑の日。今日はエウカリエスだ。ミエティトゥーラプレエールは実は今週の光の日から始まっている。バザールで農作物が少し安くなったりしている。普段はお目にかかれないような珍しい野菜も売られていたりする。例えばライの実とか、ライの実とか。大和さんに笑われてしまった。まぁ、10個は買ったしね。
ミエティトゥーラプレエールの本番は、闇の日のヘルプスト。バザールだけでなく、王都の至る所で屋台が展開される。普段は静かなこの辺りで屋台を出す人も居るようだ。
「天使様、何か出してみない?」
そんなお誘いをユーゴ君から受けたのは先週。お目当ては私のレモネードらしい。シトロンに限らずマンドル、キトルス等、色々とジュースにしたもんね。ユーゴ君はマンドルがお気に入り。
屋台をって私を誘ったのは、屋台の責任者に成人が必要だから。カークさんにって言ったらその期間にちょうど調査員としての仕事が予定されているらしい。その調査とはこの時期に増えるキノコ系の魔物の調査。動きは鈍いんだけど胞子を飛ばして衰弱させるといった嫌な攻撃をするらしい。ただ、キノコ系の魔物は倒すと何故か一晩で木材になるらしく、その木材は超高級品の香木やエッセンシャルオイルが取れるんだって。ホンの少しだけカークさんが持ってきてくれたんだけど、香りは大和さん曰く白檀や伽羅の香り。端的に言うとお線香の香りだね。この香木を使ったエヴァンタは上位貴族の方が挙って求める希少品らしい。
今日は晴れている。だけど雲が出ている。窓から外を眺めて、着替えてから庭に降りた。
いつものように水やりをする。今日はエウカリエスで、私は施療院をお休みになる。2の鐘に神殿に行って準備をする。海の祈念祭に着たような着付けは必要ないんだけど、2の鐘に神殿に来てくださいって言われている。
四阿を変形させようとして、手を止めた。朝晩が過ごしやすくなって来ているけど、まだ屋外での水浴びは要るんだろうか?
一応変形させて、改めて庭の様子を見る。ドリュアスから貰った種は今、20cm位になっている。相変わらず葉は真っ白だ。カークさんが調べてくれた魔術師筆頭様の『木の成長記録』によると、光属性の魔力を注いで育てた木は、葉が白くなって免疫力の薬効が向上していたらしい。そう、この木の葉は、薬湯の材料になる。私の木は光属性で、大和さんの木は地属性の魔力を注いで育てている。地属性の木の葉は黄緑の葉で解毒作用が認められたらしい。私と大和さんの木の葉にはクルスさんが「欲しい」と言ってきて予約されている。
ちなみに火属性は解熱作用、風属性は鎮痛作用、闇属性は鎮静安眠効果だったらしい。うわぁ。育ててみたい。魔力を注がずに育てるとどうなるか。普通に木として成長し、実や樹皮を含め、全てが薬湯の材料となる。ただし、魔力を注いで育てたような特効型にはならない。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、天使様」
「おかえりなさい、大和さん。おはようございます、カークさん、ユーゴ君」
「木に変化はあった?」
「無いですよ。相変わらず小さくて可愛いです」
「薬効が認められる葉が採れるのは、3年後ですからね」
「木の成長が遅いんですか?」
「ドリュアスに確認して貰ったら、5年以上経った木のみが成長したと判断されたらしいです」
「5年ですか」
「3年経つと実が生りますよ。面白い実が」
「面白い?どんな実だ?」
「お楽しみです」
「言うと思った」
ユーゴ君がそう言って家に入った。
「水浴びはどうしますか?」
「シャワーにしようか」
「はい」
大和さんが瞑想を始めた。その間にカークさんにユーゴ君をシャワーに連れていってもらう。ユーゴ君は『冬の舞』を見るのは平気だけど、その後の大和さんに近付きたくないだけだから、今の内にシャワーに行って貰った。
四阿を元に戻してから、大和さんを見る。久しぶりに緋龍が見えた。でもあれ?ちょっと白っぽい?『春の舞』の時は火焔のような色だった。『秋の舞』の時は少し黄色掛かっていた。
ん?季節に関係がある?
ユーゴ君とカークさんが家から出てきた。やけに早い。
「シャワーは浴びたんですか?」
「僕はね。カークさんはまだ」
「私は洗浄の魔法が使えますので」
「シャワーを使いましょうよ」
ちょっと呆れてカークさんに言ってしまった。
「時間が無いと思いまして」
大和さんが立ち上がって、舞台に向かう。
『冬の舞』は厳しい。去年の大雪の事を思い出してしまった。救えなかった命。救えたかもしれない命の事を。
大和さんが舞い終わって、舞台から飛び降りた。珍しい。
「咲楽ちゃん、何があったの?」
「え?」
涙を拭われた。泣いていたらしい。
「あれ?おかしいな」
「カーク?ユーゴ?」
2人は黙って首を振った。大和さんが私を四阿に座らせた。その前に跪く。
「どうしたの?」
「『冬の舞』を見ていたら、去年の大雪の事を思い出しちゃって。泣いていたのはその所為かもしれないです」
「『冬の舞』は止めた方がいい?」
「続けてください。大丈夫です」
「そう言ってくれるのは、嬉しいんだけどね」
大和さんが私を抱き締める。カークさんとユーゴ君が家の中に入った。
「大和さん、ごめんなさい」
「何故、謝るの?」
「気になっちゃったんですよね?舞台から飛び降りたりしてたし。本来の舞い方が出来なかったんじゃないですか?」
「まぁ、確かに焦ったけど、そんな事は気にしなくていいよ。剣舞より咲楽ちゃんの方が大切だ」
私を膝に乗っけて、抱き締めながら話す大和さん。あれ?いつの間に膝に乗っけられたの?
「トキワ様、お時間が……」
「あぁ、今行く」
カークさんが遠慮がちに呼びに来た。家に入ると、ユーゴ君がキッチンで何かをしていた。
「天使様、おかえり。ごめんなさい。勝手に使ってます」
「良いけど、もしかして急いでる?」
「ちょっとね」
時間を見るといつもより少し遅い。
「ごめんね。あとは何?」
「いつものならあとは卵かな。卵は上手く焼けないんだよね」
「分かった。任せて」
朝食プレートには温野菜サラダがすでに乗っている。卵とウィンナーをプレートにのせて、パンを添えて先に食べてもらう。その間に昼食作り。今日はユーゴ君とカークさんの分だけでいい。カークさんは今日から調査に出るから、ユーゴ君は再び家にお泊まりだ。
「ごちそうさま。いってきます」
「ユーゴ君、お昼、忘れないで」
「ありがとう。いってきます」
今日のエウカリエスは平日だから、そこまで人は押しかけないと思う。
「サクラ様、何を仰います。学門所が生徒を連れて来ますよ」
「生徒さんを?ユーゴ君達は?」
「お邪魔します。行く意思を確認されましたから」
「そんなに大勢?」
「ユーゴ君は今、最終学年ですから、その為でしょう。私も詳しくないですが」
「来年、卒業だな」
「そうですね。ユーゴ君の話によると、最終学年になると、希望する職場体験も出来るそうです。手伝いと言う名目ですでに体験している子もいますが、王宮の文官や冒険者ギルドや商業ギルドの職員等は体験できませんからね。王宮の中には入れませんし、商業ギルドは性質上、職員として体験することは出来ません。冒険者ギルドは下働きくらいですからね」
「でも、この前、ギルド長さんのお手伝いをしていましたよね?」
「あれは特例ですから」
特例?あ、そっか、副ギルド長が居なくなったから、仕事が回らなくなっちゃったって事だよね。
大和さんが食べ終わって着替えに行く。私はもう少しゆっくり出来る。
「カークさん、今日はどの位に出るんですか?」
「エウカリエスを見てからです」
えぇっと、3の鐘くらい?
「サクラ様はどうやって神殿まで行かれるんですか?」
「ファティマさんが迎えに来てくれます。ご主人様と一緒に」
「ファティマ様のご主人というと、ムラードですか。彼はサクラ様を気に入ったようでしたしね」
「ご存じなんですか?」
「前から知っておりますよ。ナイフなど買いに行きますから。先週の緑の日に、トキワ様のお供で工房にお邪魔しました。サクラ様の事を気に掛けていたようですよ」
「気に掛けていた?」
「咲楽ちゃん、そろそろ行くよ」
「はい」
大和さんを玄関まで見送る。
「それじゃあ、神殿でね」
「はい。いってらっしゃい」
「いってきます」
その言葉と共に、額にキスを落として、大和さんは出勤していった。家の前にゴットハルトさんが居た。見られた、よね?あ、大和さんがからかわれてる。
「サクラ様も用意をされませんと」
「すみません。用意をして来ます」
「私は庭にいますね」
用意と言っても、大した事はしない。身支度を整えて、魔空間に着替えを入れる。髪をシュシュで纏める位だ。着替えは持ってくるように言われていた。
「カークさん、お待たせしました」
「待ってなどいませんよ」
カークさんと話をしていたら、家の前に馬車が停まった。炎とハンマーのマーク。ファティマさんだ。
「おはようございます。ファティマさん、ムラードさん」
「おはよう、天使様。彼は乗っていかないのかい?」
「おはようございます、ファティマ様。サクラ様をお願いします」
「神殿に行くなら乗っていけば?」
「先に冒険者ギルドに向かいますので。お気遣い、ありがとうございます」
「それなら良いけどね。天使様は預かるよ」
「では、サクラ様、いってらっしゃいませ」
「はい。カークさんも気を付けてくださいね」
馬車が出発すると、ムラードさんが笑っていた。
「ファティマ様、ファティマ様だって」
「笑いすぎだよ。天使様、なんとかならないかい?」
「様を付けられることですか?カークさんに言っても無駄だと思います」
「天使様は慣れちゃったのかい?」
「慣れちゃいました。様って付けないでって言ったら『分かりました、サクラ様』って返ってくるんですよ?そもそも最初に天使様って呼ばないでって言って、サクラ様になっちゃったんですし、諦めた方が精神的に楽です」
「天使様も大変だね。あれ?私が天使様って呼ぶのは良いのかい?」
「そっちも慣れちゃった感じですね。ずっと呼ばれているし。ニックネームだと思えば楽になりました」
「確かに二つ名って言うのはニックネームだよね」
神殿に着いたら、リディー様が待っていた。
「ファティマ様、お久しぶりでございます。天使様、ごきげんよう」
「言葉遣いが元に戻ったね。リディアーヌ様、おはようございます。お久しぶりだね」
「リディー様、今日が終わったら、いつまでいられるんですか?」
「空の月までですわね。今月一杯で学園に戻ります」
「そうですか。学園の事は、あまり分かってません」
神殿の奥に向かいながら話をする。
「お待ちしておりました。フルールの御使者様が揃いましたわね。これは絵師会が大変ですわよ」
上品な笑みを浮かべて、スティーリア様が言う。やっぱり絵師は入るんですね。
「それで、スティーリア様、この時間に来てくださいって言うのは?前みたいに着付けが必要な訳じゃないんだろう?」
「あぁ、ミエティトゥーラプレエールに相応しく、収穫をしていただくのです。内緒ですわよ」
「収穫?楽しそうですわ」
「貴族様の御令嬢には、あまり評判が良くありませんの。土で手が汚れるからと仰って」
「楽しいのに」
「そうですわ。お庭を作ったりって楽しかったですわ。収穫と言うと、お野菜ですの?」
「そうですわね。ニンジン、ジャガイモ、パタトドゥスですね。どなたがどれを収穫されます?」
「どうする?私はどれでも良いけど」
「私もどれでもいいです」
「私も」
「困ったね。みんなで一緒にという訳には行かないのかい?」
「構いませんよ。最初にニンジンを収穫してしまいましょう」
「ニンジンってどこにありますの?緑の葉しかございませんわ」
神殿の裏手の畑に案内されたリディー様の第一声がこれだった。リディー様はニンジンなんて調理された物しか見ないよね。
「この緑の葉がニンジンです。ニンジンは地中で成長するんですよ」
「そうでしたのね」
「貴族様のご令嬢だし、バザールの野菜売り場なんて行かないだろうから、知らなかったんだね」
農作業をしていたおばさんが近寄ってきた。あれ?この人、神官様?以前に神殿で見たんだけど。
「ようこそ、御使者様方。ここは神殿の畑です。さぁさぁ、手袋をどうぞ。汚れてしまいますからね」
軍手ではないけど、厚手の手袋を渡された。ちょっとワクワクする。
きゃあきゃあ言いながら、リディー様がニンジンを抜いていく。楽しいらしい。ニンジンが終わったらジャガイモ。茎を持って引っこ抜いたら、大きなジャガイモがくっついていた。幾つか土の中に残ったジャガイモも掘り出していく。ジャガイモが終わったら、パタトドゥス。日本のサツマイモは皮が赤いのが主流だけど、こちらのパタトドゥスは皮が白くて中身が赤い。日本と逆の色彩だ。ただしこの赤い実は熱を加えると黄金色になる。パタトドゥスは蔓が刈り取られていた。小さなショベルを使って、少しずつ掘っていく。
「楽しかったですわ」
「普段、こんな事はしないからね。ちょっと疲れたよ」
「スティーリア様、このお野菜も後で頂くんですか?」
「はい。自分で収穫した物を頂く。これが本当の意味でのミエティトゥーラプレエールとなります。本当は調理も、と言いたいのですが、以前に大反対された御使者様がおられた為に調理はしないことになったと聞いております」
更衣の為に移動しながら、スティーリア様が教えてくれた。
「ニンジンのジュレッタとか、ニンジンケーキとか作りたかったです。ジャガイモもじゃがバターとか美味しいし、パタトドゥスは料理もお菓子も作れるのに」
「パタトドゥスをお菓子に?」
「茹でたパタトドゥスを潰して、バターとミルクで柔らかくして、形を整えてオーブンで焼くんです。美味しいですよ」
「聞いていたら、食べたくなっちまうね」
「闇の日に家の前でヘルプストの屋台を出します。その時にいかがですか?」
「天使様、私もよろしいですか?」
「どうぞ。来てください。ジュースもありますよ」
エウカリエスの衣装のイメージは、ジョージア(元グルジア)のチョハという民族衣装です。写真が少なくて、私の拙い表現で書ききれたのか、ドキドキです。