275
翌日起きると、明るい日差しが室内に降りそそいでいた。時刻は1の鐘前。いつもくらいの時間だね。着替えをして窓から外を見ると、領兵さん達と騎士様が宿舎前に並んでいた。その前には副団長さんと大和さん。何をしているんだろう?思わず窓を開けてバルコニーに出てみた。一斉にこっちを見る領兵さん達と騎士様。若干恐怖を覚えながらも会釈をすると、みんなが笑顔になったのが分かった。
「シロヤマ様、起きていらっしゃいますか?」
ノックの後、サーシャさんの声がした。
「はい。起きています」
「失礼いたします。バルコニーに出ていらしたのですか?」
「はい。風が気持ちいいです」
「今日はラススヴィエートでしたね。日差しがキツそうですから、お気を付けくださいね」
「ありがとうございます」
川原でタープを張る予定で日除け用の麻帆布は昨日のバザールで買ったし、支柱は石とか砂でなんとかなるよね。
「シロヤマ様、大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫ですよ?」
何の心配をされているのか分からなかった。人の視線が怖いという事は、サーシャさんも知っている。でも彼女はさっきの一斉に見られたところは見ていない。顔に出ていた?
「腕が赤いですよ」
自分の腕を見ると、真っ赤に日焼けしていた。あちゃあ……。ローズさんに貰った軟膏は毎晩塗っているのに。昨日はロシャのカーディガンを羽織らなかったしなぁ。
「日焼けです。黒くならずに赤くなっちゃうんですよね」
自分に治癒術を発動する。自分にはあまり効かないんだけど、しないよりマシだよね。
「帽子を被っていらっしゃいましたから、お顔は焼けていませんけど、ラススヴィエートに行くならちゃんと対策をしませんと」
「日除け用のタープは持っていますよ」
「今日はカーク様も行かれるのですよね。あの方に支柱用の木材を渡しておきます。お役立てください」
「ありがとうございます」
支柱は石とか砂でなんとかしようと思っていたから、正直に言ってありがたい。
「朝食の用意が出来ています。参りましょう」
「はい」
サーシャさんに先導されて食堂に行く。しばらくサーシャさんと話していたからか、途中で大和さんに会った。副団長さんも一緒だ。
「咲楽ちゃん、おはよう」
「おはようございます、大和さん、副団長さん」
「おはようございます、シロヤマ嬢」
「ずいぶん焼けたね」
「さっきサーシャさんにも心配されました。自分には治癒術ってあまり効かないんですよね」
「ジェイド嬢の軟膏は?」
「毎晩塗ってます。そんなに大変そうに見えますか?」
「痛々しい気がする」
「母か義姉に何かないか聞きましょうか?」
「日焼けは軽い火傷ですから、冷やして様子を見ます」
朝食を食べ終わって、物言いたげな奥様と若奥様に見送られながら、部屋に戻って水属性を肩と腕に薄く纏わせた。
そのままソファーで縫い物をする。今作っているのはドリュアスに貰った種を入れる小さな巾着袋。小銭入れにも転用できる大きさにしている。ドリュアスが芽吹かせろと言ったのはアボカドくらいの大きさだったけど、貰ったのはそれより小さいチューリップの球根位の大きさの種だ。巾着袋を20個作ってそれぞれに1つずつ入れていく。3日前に思い付いて、少しずつ作ってきたけど、間に合ってよかった。
2の鐘が鳴って、部屋に大和さんが迎えに来てくれた。
「咲楽ちゃん、行こうか」
「はい」
「ちょっと赤みが引いたね」
「冷水で冷やして、治癒術も掛けました」
「今日は昼から別々だね」
「まさか、1日中、ラススヴィエートで居るつもりですか?」
「副団長次第かな」
「勝負だからって、負けず嫌いを発症させないで下さいね」
「善処します」
本当かなぁ。思わずジト目で見てしまった。厩舎に行くと、騎士様達も待っていた。
「どうしたのですか?」
「僕達も行きます」
「こう言って聞かないんですよ」
セサーリト様が言う。
「結局水練ですか」
「そのようですね」
副団長さんと大和さんが笑い合う。カークさんが料理人さんから、何かを受け取っていた。
「サクラ様、異空間に入れていただけませんか?」
「何を受け取ったんですか?」
「肉と野菜です。騎士様方のもあるみたいですね」
うん。大量だね。お肉なんか10kgはあると思う。
セサーリト様が後で教えてくれたところによると、今日、私達がラススヴィエートに行くことを知って、バザールで買ってきたらしい。全て自分達のお金で調達したみたい。
久し振りに大和さんとエタンセルに乗った。大和さんに抱えられていると安心する。ジャスミンさんは副団長さんと乗っている。カークさんはユーゴ君とオトリュットラングの引く荷馬車に乗っている。荷台には何本もの長い木と折り畳まれた麻の帆布が数組。ユーゴ君は荷台に乗って楽しそうだ。
「久し振りに咲楽ちゃんを抱き締めた気がする」
「やっぱり、大和さんに抱えられていると安心します」
「エタンセルも嬉しそうだ」
「そうですね。タルジュも副団長さんとジャスミンさんを乗せて嬉しそうです」
「よそ見しないの」
「はい」
クスクス笑いながら返事をすると、大和さんの腕に力が入った。
「俺だけを見て?」
「見てますよ?」
「まぁ、良いか。咲楽ちゃんだし」
「あ、ちょっとムッとしました」
「はいはい。可愛い可愛い」
「心が籠ってないです」
「籠めてるよ」
笑いながら、大和さんが言う。
「相変わらずですね」
「あの2人っていつもあんな感じなの?」
「そうですね。新人騎士達の羨望と嫉妬を集めてますよ」
「そうでしょうね。真似は出来ないわね」
「やってみましょうか?」
「カイル様、出来ます?」
「うんと頑張れば、もしかして出来るかも?」
「無理じゃないですか」
副団長さんとジャスミンさんの会話が耳に入ってきた。忘れていた訳じゃないけど、意識から外れてしまっていた。恥ずかしくなって大和さんに頭を埋めた。
「どうしたの?」
「恥ずかしくなりました」
「恥ずかしい?どうして?」
「副団長さんとジャスミンさんの会話が聞こえてきて……」
「気にしちゃ駄目。言ったでしょ。俺だけを見て?」
「気になりますよ。大和さんをジーッと見ている訳にもいかないじゃないですか」
「物理的に見ているつもりだったの?」
「え?だって見てって言いましたよね?」
「他所に心を移さないでって事だったんだけど」
「そうだったんですか?」
「そうだったんだよ。咲楽ちゃんらしいけどね」
「……呆れましたか?」
「全然」
話をしていたのは1時間位。エタンセルが結構な早さだったから、かなり遠くに来たと思う。大和さんに聞いたら速歩というらしく、馬術で、1分間210メートルの速度を基準とする駆け方らしい。一番遅いのが常歩で、こちらは1分間110メートルくらい。後は駆歩って言うのもあるんだって。駆歩は速度は普通、1分間340メートルくらい。これをギャロップと呼ぶ場合もあるらしい。ギャロップは全速力の襲歩の事を言ったりもする。
「着きましたよ。ここがラススヴィエートです」
目の前に飛び込んできた水面。キラキラと陽光を反射している穏やかな流れ。対岸が遠い。奥様は100m位と言ったけど、100mってこんなに遠かったっけ?大和さんがエタンセルから降ろしてくれた。騎士様達が馬を繋いでおく棒を用意していた。その上にタープを張っている。そっか、影がないと可哀想だよね。
私達の分のタープも騎士様が張ってくれた。河に近くて、足を浸けておけそう。大和さんとカークさんが地属性で椅子を作ってくれた。ついでに足元に水路も作ってくれる。
「ありがとうございます」
「水が循環してるから、冷たいとは思うけど、温くなってきたら、こっそりやっちゃっていいよ」
「あ、ジャスミンさんにはバレてます」
「そうなんだ」
流れに足を浸してみる。
「気持ちいいです」
「本当ね」
ジャスミンさんと2人で座って河を眺めていた。少し離れた所では騎士様達が準備運動をしていた。どうやら着衣水泳のようだ。みんなシャツにハーフパンツっぽい服装だ。
騎士様達がラススヴィエートに入っていく。みんな泳げるのかな?カークさんとユーゴ君も河に入った。膝位の深さで止まって、座って腰まで浸かる。騎士様達は一気に入っていってワイワイ楽しんでいるけど、ユーゴ君は表情がこわばっている。溺れた記憶があると、水が怖いよね。中には溺れても全く怖くないって人も居るらしいけど。
大和さんが何かを持ってユーゴ君に近付いた。手の中の物を見せてそれをポイっと投げた。少し先の水の中に落ちる。ユーゴ君は手を伸ばしたけど、届かなかった。意を決したようにしゃがみこむ。顎の下辺りまで水が来たけど、ユーゴ君は諦めない。ようやく立ち上がってこっちに来た。
「天使様、見て、これ」
その手には透明な石。僅かに水色かかってる。大きさは小指の先くらい。
「綺麗な石だね」
「あら。本当ね」
「あげる」
「私に?」
「天使様に」
「ありがとうございます。ジャスミンさんには?」
いたずらっぽく言うと、くるっと背を向けて行ってしまった。
「アインスタイ副団長様に貰えば?」
背を向けたままで大声で言う。
「これじゃない?奥様が言ってらした水の石って」
「ですよね。綺麗な色ですね」
ふと思い付いて、その石を握る。イメージはオーバルカット。しばらくして手を広げると、きれいに研磨されていた。大成功。
「サクラさん、何をしたの?」
「磨いてみたら綺麗なんじゃないかと思って、地属性を使ってみました」
「あぁ、そう。分かっていたけど、スゴいわね」
「このブレスレットとか、ネックレスがあったから、イメージがしやすかったです。」
「そのブレスレット、すごく細かいわね」
「友人が作ってくれました。ジェイド商会に勤めているんです」
「ご友人?」
「はい。国民証以外、全部その友人が作ってくれたものですね」
「愛されているわねぇ」
「大好きってまっすぐ伝えてくれるので、ちょっと恥ずかしいけど、嬉しいです」
「良いわね」
「ジャスミンさん、はい」
ユーゴ君がジャスミンさんに何かを差し出した。
「え?これって……」
「アインスタイ副団長様が渡してきてくれって」
「ありがとう」
「僕ね、顔を浸けられるようになったよ」
「スゴいじゃない。おめでとう」
「トキワさんとアインスタイ副団長様はスゴいね。真ん中辺りでずっと潜ってる」
「ずっと?」
「ずっと。潜って、上がってきて息継ぎをしたらまた潜って、って、ずっと繰り返してる」
「まずは潜水の競争かしらね?」
「そのようですね」
騎士様数人が河から上がって、竈を作り始めた。手伝おうとしたら断られたけど。カークさんがユーゴ君を連れて、何かを言いに行った。
ここの河原は砂地だ。少し大きい石もあるけど、大抵は拳くらいまで。サンダルに履き替えて、竈に近付く。
「食材はまだ出さなくていいですか?」
「そうですね。まだ大丈夫です」
アドバンさんが笑顔で言ってくれた。
ユーゴ君が火属性で、薪に火をつけた。凄い。魔法の精度があがってる。
竈は全部で7基あった。確かに大人数だけど、全部で20人弱居るけど、そんなに要る?って思ったら、2基はスープ用らしい。さすがにそのまま見ていられなくて、手伝いを申し出た。少し迷ったセサーリト様が許可をくれたから、ジャスミンさんと協力してスープを作る。沢山の野菜とウィンナーのスープ。味見をしたセサーリト様が首をかしげた。え?美味しくなかったのかな?
「これって両方、同じ材料ですよね?」
「同じですよ。ねぇ、サクラさん」
「はい。味付けも同じです」
「なんだか味が違う気がするんですが」
「作った人が違いますからね。味も違うと思いますよ」
「初日の昼食より美味しいんですが」
「私は料理人ですし、サクラさんも毎日料理をしているんでしょう?その差ですよ」
うーん、うーんと言いながら、セサーリト様が味見を重ねる。結構飲んじゃってますね。
「お昼が入らなくなりますよ」
「美味しくて、つい。叱られますね」
スープを作り終わって、食材を出す。網焼きや鉄板ではなく、どうやら串焼きにするようだ。
騎士様達が見ている方向を何気なく見ると、対岸に人が2人居た。魔力を目に集めて、望遠鏡のようにして見てみる。副団長さんと大和さんだ。2人で同時に走り出した。最初に飛び込んだのは副団長さん。すぐ後に大和さんも飛び込む。大和さんは綺麗なクロールで泳いでくる。副団長さんもクロールかな?ちょっとフォームが違う気がする。岸に着いたのはほぼ同時。即座に何名かが協議を始めた。
「咲楽ちゃん、ただいま」
「おかえりなさい。乾かします?」
「お願いできる?」
水属性で水分を取って、風属性で乾かす。前髪を上げて乾かしてみた。
「遊ぶんじゃありません」
クスクス笑っていると、コツンと頭を叩かれた。
「教官、同着と言う結果に決まりました」
「同着ね。分かった」
シモンさんが報告しに来てくれた。