265
酷熱の月、第4週の光の日。今日から表向きは、施療院にカークさんは付いてきてくれない。私には内緒で来てくれるらしいけど、頼れないって事だ。昨日の夕食時に「大丈夫ですからね。ナザル所長もいらっしゃいますし、マクシミリアン様もいてくださいます。サクラ様なら、大丈夫ですよ」って、カークさんが言ってくれた。それはもう何回も。大和さんには「あまり何度も言うと、悪い方に予感が的中するぞ」、ユーゴ君には「カークさんって、天使様のお母さん?」って笑われていた。何度も言われると、フラグが建っちゃうよね。
今日も良い天気だ。着替えてダイニングに降りる。庭に出るから、もちろんしっかり帽子は被ってます。
庭に出て花壇の水やり。雲状に水蒸気を広げるこの水撒きの仕方も慣れてきた。所長に披露したら、遠い目をして「シロヤマさんじゃしのぉ」と言われた。ライルさんは呆れた顔をしているし、マックス先生は大笑いをしていた。
水やりが終わったら、四阿を変形させる。シャワー室を3つ作って、チェックしていたら、大和さん達が帰ってきた。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、天使様」
「おかえりなさい、大和さん。おはようございます、カークさん、ユーゴ君」
「天使様の今日の格好、いつもと違うね」
「あまりにも暑いから、少し短いのを穿いてみました。変じゃないですか?」
「変じゃないよ」
「似合ってるよ。咲楽ちゃん」
「お御足が……」
「カーク、何を言いかけた?」
「なんでもありません。お御足が素敵だなどと思ってもおりません」
「カーク、俺を見て言ってみようか」
ダラダラと汗を流しながら、明後日の方を見るカークさんと、ニヤニヤしながらその視線を追う大和さん。
「シャワー、浴びないのかな?」
こっそりユーゴ君に聞かれた。
大きな水球を大和さん達の頭上に展開して、一気に落下させる。
「シャワー、浴びてくださいね」
「天使様、それ、気持ち良さそう。僕にもやって?」
「シャワーの最後にね」
ユーゴ君が大喜びで、シャワー室に入っていく。大和さん達も入ったのを確認して、水を流す。ユーゴ君にはリクエスト通り、最後に水球を落とした。きゃあーと大喜びの声が聞こえた。
「咲楽ちゃんのさっきの水球、地属性のトゥールかピットホールで四角くして、デューロゥで固めた中に入れたら、プールにできそうだね」
「水遊びには良さそうですね」
「作ってみる?」
「水着はどうするんですか?」
「着衣水泳かな」
「泳ぎにくくないですか?」
「後は下着のみ?男だけになるけどね」
四阿を元に戻していると、大和さんに聞かれた。
その後、瞑想を終えた大和さんが舞台に上がる。カークさんとユーゴ君も舞台に上がった。学園に行っての剣舞の為の通しての稽古だ。
舞台中央で大和さんが胡座を組む。その手に2振りの剣を捧げ持つ。
『只今より、常磐流第28代が2子、常磐 大和、神々に舞を奉る。どうぞ御照覧あれ』
大和さんが立ち上がるとカークさんとユーゴ君が舞台中央に行って、大和さんの持つ剣の鞘を持つ。カークさんは左側。ユーゴ君は右側。カークさんの持つ鞘から右手でユーゴ君の持つ鞘から左手で、大和さんが腕をクロスさせて剣を抜く。鞘を剣立てに置いて、カークさんとユーゴ君は舞台から降りた。
剣舞が終わると、カークさんとユーゴ君が再び舞台に上がって、大和さんから剣を受け取り鞘に納める。カークさん、ユーゴ君の順に舞台を降りて、最後に大和さんが降りる。それが終わったら、大和さんがカークさんとユーゴ君に何かを言って私の方に来た。
「何を言っていたんですか?」
「細かい修正点。カークもユーゴも初めてなのに、ちゃんと俺のやり易いようにしてくれているから助かる」
私を抱き締めながら、大和さんが言う。ちなみにこの時には、カークさんもユーゴ君も家の中に入っている。
「中に入りませんか?」
「暑いしね」
家に入ると、冷風装置のお陰で涼しい。カークさんかユーゴ君が付けておいてくれたんだと思う。
「さっきのだが……」
大和さんがカークさんとユーゴ君に何かを言っているのを聞き流しながら、朝食の支度をする。今日は昨日作っておいた野菜の冷製スープ。氷を入れて冷たくする。後はオムレツとウィンナーとパン。
朝食プレートとスープとパンをテーブルに運んで、朝食にする。
「トキワさん、ジェイド商会のアクセサリー職人って知ってる?」
「ダフネの事か?他にも何人もいるが、直接知っているのは彼女だな。ダフネがどうかしたか?」
「昨日の冒険者依頼の時に、同じ学門所に通っている女子グループと、一緒になったんだ。その子達が言っていたんだよ。1人アクセサリー職人になりたいって子がいて、以前から教えてもらっているんだって。それで『黒き狼様と天使様と友人だ』って聞いたらしくって、本当なの?って聞かれた。僕がここに来ていることはみんな知っているし」
「本当だ。俺と咲楽ちゃんの共通の友人だな。彼女の地属性はすごいぞ。咲楽ちゃんのネックレス、ブレスレット、ブローチは彼女の作品だ」
「その細い鎖の?凄い……」
「他の職人さん達が感心してましたよね?」
「手袋の装飾だな。どうやってこんなに細く出来るんだ?って言っていたな」
詳しく聞いていたら、ユーゴ君が慌てて冒険者依頼に行っちゃった。お昼を渡して見送る。
「どうしたんでしょう?」
「あまり、突っ込んで聞かない方がいいよ」
「大和さんもカークさんも分かっているんですか?」
「一応は。誰もが通る道だな」
「そうですね。私はもう少し早かったです」
「俺は今かな?」
「トキワ様?」
「人に関心を持てなかったんだよ。だから、今」
「なるほど」
私は全然分かりません。何の事なんだろう?
カークさんが食器を洗ってくれている時に聞いてみた。
「カークさん、さっきのって何ですか?」
「あぁ、初恋ですね」
「初恋……」
「サクラ様は?」
「私も今でしょうか」
「え?今ですか?」
「お話ししましたよね?男性が怖いって。あれと関係してくるんです」
「そうですか」
「私の眼ってどう思いますか?」
「綺麗な色です。サクラ様によくお似合いです」
「元の世界では、この眼はあまり見ない色なんです。大体の人が大和さんのような黒い眼です。私はこの眼を持っていた為に虐められていました」
「そうだったのですか。お辛かったのですね」
「この眼のお陰で友人も出来ましたけどね」
「その方は、サクラ様の本質を見たのでしょう。見た目で判断せずにサクラ様自身を見た。だから友人となれたのですね」
「はい」
葵ちゃんの事を誉められると嬉しい。
「咲楽ちゃん、着替えておいで」
「はい」
キュロットスカートはこのままで良いかな。上だけ着替えて髪を纏める。
「お待たせしました」
「行こうか」
家を出ると、カークさんは反対方向に歩いていった。
「不安?」
「少しだけ」
「お守りの魔石は持っているんでしょ?大丈夫だよ」
大和さんはそう言って頭をポンポンしてくれる。それだけで少し不安が薄れた。
「大和さんに頭を撫でてもらうと、不安が薄れます」
「じゃあ、ずっと撫でていようか?」
「そっ、それはそれで恥ずかしいんですが」
そぉっと大和さんを見上げる。
「そんな可愛い顔しないの」
「可愛くないです」
「咲楽ちゃんは可愛いよ。一生懸命だし、穏やかだし、笑顔でいてくれるし」
「今は無理ですけど」
「それでも一生懸命前に進もうとしているでしょ?そんな自分まで否定しちゃ駄目だよ。俺にとって咲楽ちゃんはこの世で1番可愛い女性なんだから」
「ありがとうございます」
大和さんのまっすぐな愛情が嬉しかった。
王宮への分かれ道でローズさんとライルさんが待っていてくれた。副団長さんも居る。
「サクラちゃん、おはよう」
「ローズさん、おはようございます」
「トキワ殿、良いかな?」
大和さんとライルさんが何か話をしている。
「気になる?」
「まぁ。私の事ですよね?」
「間違ってはいないけどね。それだけじゃないのよ。ルビーの結婚の後の事とか、アインスタイ領に行く話とか、色々あるのよ」
「来月ですもんね」
「他人事みたいに言っているわね」
ライルさん達の話は終わったらしく、ライルさんがこっちに来た。
「咲楽ちゃん、いってらっしゃい」
「はい。大和さんもいってらっしゃい。気を付けてくださいね」
大和さん達と別れて、施療院に向かう。
「サクラちゃん、学園に行ったら、リディアーヌ様に会えるわね」
「そうですね。学園にはリディー様がいらっしゃいますね。あちらではリディアーヌ様とお呼びしなければいけませんね」
「そうね。リディアーヌ様は落胆するでしょうけど。そうだわ。リディアーヌ様に手紙を書くわ。渡してくれる?」
「待った。それさ、施療院全員からって事にしない?」
「そうね。ライル様、所長に話しておいてくださいます?」
「患者には言わない方がいいよね。収拾がつかなくなりそうだし」
「結局、リディアーヌ様の二つ名はどうなったのかしらね?」
「知っているのはいるみたいだけど、話さないね。カーク君も言わないでしょ?」
「最近はそれどころじゃなさそうです。私の所為ですけど」
「級も上がったんでしょ?ラルジャ級になると貴族の護衛依頼も受けられる。彼等はちょっと違うようだけどね」
「違うって、どう言うことですか?」
「僕も詳しくは知らないよ。でも、カーク君達は調査員でしょ?彼等の本業は魔物の調査だ。護衛中に緊急の調査依頼が入ったら、そっちを優先させなきゃいけない。冒険者ギルドはテストケースだと言ったらしいじゃない?今回は通常の護衛依頼で昇級試験にしたけど、たぶんこれからどうすれば良いかを話し合って、調査員専用の級と試験を整えるんだと思うよ。カーク君達はその裁定の一員だろうね。冒険者ギルド本部がそれに相応しいと認めたんだよ」
「ライルさんって詳しいですね」
「僕の親しい薬師が、色々相談されたらしくてね」
「相談ですか?」
「疲労回復の薬草茶を買いに来て、話していったんだって。その話と知っている情報からの推測だよ」
「トキワ様みたいね」
「トキワ殿なら、たぶん聞いたその時に考えているだろうね。僕はまだまだだよ」
「十分凄いと思いますけど」
施療院に着いた。更衣室で着替える。
「ねぇ、ルビー。実りの月の最初にサクラちゃんが学園に行くでしょ?その時にリディアーヌ様に手紙を渡さない?」
「貴族様の手紙の書き方とか、あるんじゃないの?そんなのは分からないわよ?」
「施療院全員からって事にしようって、ライル様が提案してくれたから、任せておけば良いわよ」
「ライル様なら安心ね」
「どういう風にするかは、話し合って決めましょ」
「そうね。考えておかなきゃね」
「そこで私を見つめるのはやめてください」
「だってねぇ。サクラちゃんなら色々思い付きそうだしねぇ」
「お2人も考えてくださいよ?」
「もちろんよ」
本当かなぁ?
待合室を通る時は緊張する。大丈夫、大丈夫って唱えて、魔石を使わずに診察室に着いた。
「シロヤマさん、おはよう。今日も暑いね」
「マックス先生、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「はいはーい。それじゃあ、最初の患者の診察を始めようか」
順々に患者さんの治療をして行く。数人で入ってくる人も居るけど、状況説明だけしたら患者さん1人を残して、診察室を出ていってくれる。
少し患者さんが途切れた。
「ここまでは大丈夫かな?」
「はい。大丈夫です」
「朝は魔石を使ったの?」
「使っていないですね。今日は朝から使っていません」
「何かあったらすぐに使うんだよ?」
「はい」
マックス先生と話していると、患者さんが入ってきた。身体の大きい男の人、2人。あそこで暴力を振るってきた冒険者に背格好が似ている。そう気付いたとたんに恐怖が全身を貫いた気がした。心臓が早鐘を打ち始める。足がすくんで動けない。身体が言うことを聞いてくれない。足元がなくなったような心地に陥る。呼吸が早くなる。魔石を使おうとしたその時、診察室に飛び込んできた人がいた。
「サクラ様っ。サクラ様、大丈夫です。息を吐いて、吸って、吐いて、吸って……。大丈夫ですよ」
「カークさん……」
「大丈夫です。大丈夫ですよ。コイツらは姿は大きいですが、サクラ様に危害を加えることはしません。大丈夫ですよ」
「カークさん」
「闇属性を使いますか?」
「お願いします」
「アレス・イン・オルドヌング」
優しくて暖かいカークさんの闇属性が入ってくる。
「カーク、すまない」
「いや。大丈夫だ。とりあえず治療をしてもらった方がいい」
カークさんに謝った患者さんは、右腕に布を巻いていた。その布を取ると、傷が現れる。20cm程の引き裂かれたような大きな傷だ。傷の周囲が紫色に腫れ上がっていた。
「シロヤマさん、僕が治癒術をかけようか?」
「大丈夫です。やれます」
「でも、これ、初めて見たでしょ?」
「はい」
「この傷はフウェアンタだね。いつやられたの?」
「昨日です。正確には昨日の4の鐘辺りです。北の湖の湖畔の森の中で遭遇しました。討伐済みです」
「シロヤマさん、フウェアンタは王都の周辺にはほとんど出たという報告がない。地方にはたまに居るんだけどね。詳しい生態はカーク君に聞いてね。フウェアンタの傷の厄介なところは、遅効性の毒液なんだ。だから浄化が必要になる。それから傷の修復だね。やってみる?」
「はい」
浄化をかけながら傷の修復をする。かぎ裂きになっているところがたくさんある。集中して傷の修復をしていく。マックス先生はカークさんと何かを話し合っていた。
傷の修復が終わると、患者さんは帰っていった。
「カーク君、ごめんね。ちょっと注意が遅れた」
「間に合って良かったです」
「ずいぶんタイミングよく現れたね。どうしたの?」
「ギルドで魔物の講習をしていたのです。そこにフウェアンタを討伐したという報告が入りまして。怪我人が施療院に向かったと聞きましたので、嫌な予感がして飛んできたのです」
「シロヤマさん、魔石は使わなかったの?」
「カークさんが来てくれたのが、使おうとしたその時で。助かりました」