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その後、牧場でガッジョー、ヴァーブル、ダッケイ、ビュッファルを見せてもらった後、生まれてはじめて乳搾りをさせてもらった。搾乳器は映像で見たことがある。でもここでは全て手搾りだ。大和さんはやったことがあるらしく、手慣れた様子で搾っていた。私は怖々だ。だってヴァーブルって大きいんだもの。私の背よりも高いところに顔がある。ダイニングの椅子より少し低い椅子に座って搾るんだけど、目線の高さにヴァーブルの乳房があるの。「大人しいから、大丈夫だよ」って牧場の人に言ってもらったけど、ブモォ?ってこっちを見られると「ごめんなさい」って手を離してしまう。最終的には牧場の人に代わってもらった。
ガッジョーは鶏くらいの大きさ。羽の色はカラフルだ。白が多いんだけど、緑や紫、青や黄色、赤や黒い羽の子もいる。黒い羽の子は大きい。羽の色によって卵の殻の色が違うらしい。バザールでは白い卵しか見ないと言ったら、色付の卵はここでお料理に使われた後、殻を加工して売っているんだって。灯りの魔石を入れて、ランプシェードみたいにしているらしい。夜空を写し取った黒いランプシェードを買ってしまった。黒い羽の子の卵は普通の3倍の大きさだって言っていた。黒い羽の子以外は普通の卵の大きさなんだって。
ここではじめてオトリュットラングを見た。荷車を曳いてのんびりと歩いていた。前に大和さんが話してくれたけど、確かに顔が日本に居るときに図鑑で見たカモノハシだ。カラフルな羽毛に包まれたエミューのような身体に、カモノハシの顔。違和感がいっぱい。ジャスミンさんも珍しいって言っていた。
珍しい体験をたくさんさせてもらって、お土産も買って、家に帰る。カイマークとシュマントクレムも頂いた。興味がありそうだからって、ジャスミンさんも私も結構たくさん頂いた。ジャスミンさんは業務用の食料庫(家庭用よりよく冷える。大きさも家庭用の1.5倍くらい)に入れて、使いきってみせるわって意気込んでいた。私は異空間があるから大丈夫。今日のお夕飯は何にしよう?お昼が多かったから、お腹が空かない。大和さんにそう言うと、「そうだろうと思った」って言われた。
副団長さん達とはそこで別れた。
「咲楽ちゃん、女王様の所に寄っていって良い?」
「はい。私も久しぶりにお会いしたいです」
エタンセルに乗って、ミエルピナエの女王様の所に行く。蜜を集めに出ていたらしいミエルピナエが一匹、私の頭に乗っかった。他のミエルピナエは巣の方に飛んでいった。
巣の近くまで行くと、女王様が飛んできた。
「久シブリジャノ。半身ハ何カアッタノカ?」
「お久しぶりです。時間が空いちゃってすみません」
「良イガノ。何ガアッタノジャ?」
「女王様、申し訳ありません。理由は聞かないでいただけますと」
「訳有リカノ?」
「はい、まぁ」
「ハッキリセヌノゥ」
「はっきり言うのはご勘弁願えませんでしょうか」
「マァ、良イガ」
釈然としない様子の女王様に大和さんが詫びて、私と女王様はおしゃべりを楽しんだ。後20日程でアインスタイ領に行く事を伝えると、アインスタイ領の事を話しに来るように約束をさせられた。
大和さんが髪を固める為の物を探していると話すと、女王様はつまらなそうに蜜蝋を渡してきた。
「何モシテイナイ蜜蝋ナド、ツマラヌノジャ」
「ありがたき幸せ」
恭しく大和さんが礼をすると、女王様はプイッとそっぽを向く。
女王様から他に濃厚な花の香りの蜜蝋を頂いた。ハチミツに蜜蝋を加えた保湿剤だと言う。
女王様の所を辞して放牧場にエタンセルを戻す。家に帰って、教えてもらったシュマントクレムを使ったお料理を作る。料理名はチャマンカ。豚肉のサワークリーム煮込みだという。
まずはフライパンにバターを熱し、一口大に切った豚肉を中火でこんがり焼く。次は鍋にバターを入れ、薄切りのタマネギを炒める。小麦粉を絡ませ、しんなりしてきたら、豚肉を移す。サワークリームを入れて材料に絡め、塩コショウで味を調える。かき混ぜながら弱火で煮込むと、とろみが出てきた。
「ベラルーシのマチャンカみたいだね」
「そうなんですか?」
「1度食べたことがある」
久しぶりに2人の食卓だ。
「旨いね」
「良かったです」
「他に何か教えてもらったの?」
「ナッツのパスタとかです。後はパンケーキに入れても美味しいって言っていました」
「酸味があるのかな?」
「さぁ?でも、サワークリームですからね」
「また作ってね」
「はい」
「トラットリア・アペティートで何を話していたの?」
「アインスタイ領についてですね。どんな所かとか、どんな物があるのかとか、カークさんに教えてもらっていました」
「ジャスミン嬢と咲楽ちゃんに頼られて、嬉しかったんじゃない?」
「ジャスミンさんって美人さんですもんね」
「俺は咲楽ちゃんの方がいいけどね」
「あ、えっと、ありがとうございます?」
「どうして疑問系なの?」
大和さんに笑って聞かれた。
食後に小部屋で寛ぐ。2人きりだ。先週はユーゴ君が居たし、それはそれで賑やかで楽しかった。
「まだ、寂しいの?」
「さすがに慣れましたよ。でも今日は二組で行ったけど、ほぼ2人で行動していたし、最初の頃に戻ったみたいでしたから」
「そうだね。最初は2人が普通だったし、と、いうか、俺は咲楽ちゃん以外信じていなかったかな」
「信じていなかった?」
「表面上はそうと思わせなかったよ。でも完全に信じる事が出来なかったんだ。咲楽ちゃん以外はね」
そう言って、私の頭を引き寄せる。
「咲楽ちゃんが居てくれれば良い。それだけで良かった。でも、人との関わりが強く深くなってきて、ちょっと戸惑っている自分がいる。今までそういう付き合いはしてこなかったし、したとしても身内だった。何らかのグループの中に自分が入っていくっていう形だったしね。カークやユーゴのような人物に慣れていないんだよね」
「カークさんの従者にっていうのはどうするんですか?」
「従者に、ねぇ。側仕えの扱いには慣れているんだけどね」
「小さい頃から居たんですよね?」
「生まれた時からだろうね。覚えてないけど。いつも一緒だったし、小学校に上がる頃には、常に3~4人が一緒に行動していたし。年齢が上がると増えていったけど」
「増えたんですか?」
「増えたね。高校の時には5~6人になっていた」
「その中心に、大和さんが居たんですよね?」
「当時は5~6人が寄ってくるって感覚だったけどね」
「寄ってくる……」
「今考えたら、失礼だよね。こうしてくれって指示すると動いてくれるし、ちゃんと意見も言ってくれる。でも当時は勝手に寄ってくるって感覚だった」
「カークさんもそういう感じですか?」
「今は違うかな?役に立ちたいと思ってくれている熱意は感じられるし、自分の考えも持っている。信じられる存在だと思っているよ」
「カークさんにそう言ったら良いのに」
「そんな事を言ったら、即座に従者として、とか言って行動しそうだ」
ハハハと笑って、大和さんが立ち上がる。
「風呂に行ってくるね」
「はい」
大和さんがお風呂に行った。私も結界具を確かめて寝室に上がる。
従者とか、側仕えとか、私には分からない。側にいて考えを聞いて、行動しやすくしてくれる人?で、合っているのかな?秘書みたいな役割かな?
人を従える事は、私には出来ないに違いない。何かしてもらっても、すみませんって思っちゃうもの。
「咲楽ちゃん、行っておいで」
考えていたら、大和さんがお風呂から上がってきた。
「はい。行ってきます」
ガッジョーは可愛かったなぁ。お風呂でそんな事を考えていた。
目がくるんとしていて、可愛かったけど、牧場の人に言わせると、結構凶暴なんだそうだ。気に入らないと蹴ってくるし、卵を回収しようとすると、つつかれるし。有精卵は殻に色が付くけど、白色の無精卵と有精卵の違いが難しくて、見分けが付くようになるまでつつかれるのは、通過儀礼らしい。有精卵は回収はしない。種の保存っていうのもあるんだけど、それ以上に、親鳥が必死で守っていて有精卵に手を出してしまうと、下手をすると周りのガッジョーが一斉に攻撃してくるんだとか。無精卵を回収する時につつかれるのは、示威行動だろうと言っていた。
ヒヨコちゃんがピヨピヨ寄ってきてくれて、ちいちゃな羽根をバタバタ動かして、私の頭に飛び乗ったり。私の頭は乗りやすいのだろうか?ミエルピナエにもよく乗っかられるし。でも私だけじゃないよね。牧場のオレンジ頭の人はヒヨコを乗せながら、作業してたし。
お風呂を出て寝室に上がる。
「おかえり」
「戻りました」
おいでおいでする大和さんを横目に、灯りの魔道具の所に行って、買ってきたランプシェードを被せる。部屋の中に星空が広がった。
「綺麗だね」
「はい。ここに来て、大和さんが見せてくれた星空を思い出します」
「知っている星座がなくて、異世界に来たって実感したんだよね」
「星座って有名なのしか分からないです。北斗七星とか、カシオペア座とか、オリオン座とか」
「pole starは?分かる?」
「分からないです。見つけ方は知っているんですけど、見る機会もなかったですし」
「小熊座α星のポラリスがpole starなのも今のうちだしね」
「北極星って動かないんじゃないんですか?」
「地球は地軸がずれているから。地軸がずれているのは地球に限らないけどね。地球の歳差運動の為に、春分点や秋分点が黄道に沿って西向きに移動して約25,800年で一周する。この為に天の北極も移動する。21世紀時点で天の北極に完全に重なる地球の輝星は存在しない」
「25,800年って生きている人いないですよね?」
「そうだね」
抱き寄せられて、ベッドに寝転んで人工の星空を見る。
「分からなくても、綺麗なのには変わりないです」
「pole starが分からなくても、生活できるしね」
「今の季節だと、星の位置は違うんでしょうか?」
「違うだろうね。星や月も動いているし、自転しているんだろうから」
「遅番や早番の時に、空を見ていたりするんですか?」
「興味はあるからね。星座は聞かなかったけど、属性神に対応する星はあるらしいよ」
「色で違ったりするんですか?」
「太陽が光、月が闇、火がアグニ、水がマイム、風がアネモス、地がエレツ。その季節に太陽や月にもっとも近くなる星が、それぞれの属性神の星なんだって」
「誰に聞いたんですか?」
「ゴットハルトと副団長と団長。星の動きで植え付けや刈り入れのおおよその目星を付けるんだって。地球と同じだね」
「同じなんですか?」
「そっか。咲楽ちゃんは都会っ子だったね。昔はよく行われていたらしいよ。旧暦とか、二十四節気とか」
「二十四節気って、立春とか、春分とか夏至とかですよね?春分と秋分は昼と夜の長さが同じですよね?夏至は昼が一番長くて、冬至が昼が一番短いでしたよね?あれ?24もありましたっけ?」
「啓蟄とか芒種とか、大雪とか、大寒とか、聞いたことはない?」
「あるような無いような?」
「知らないか。そうだね。知らないよね。俺は身近に有ったんだよ。小さい頃からね。この頃に春の大祭を、とか、この頃に秋の例祭を、とかね。夏と冬は秘事だったから、公にはしなかったけど、日時は決めていたよ」
「秘事?って大々的にしないって事ですよね?何故ですか?」
「誰だって暑い時や寒い時に来たくないでしょ?夏の奉納場所は山奥の滝の傍だったし、冬は雪の積もっている岩場を越えた先だったし。見物客の安全も考慮してね。夏と冬は秘事になったんだよ」
「春と秋はどこだったんですか?」
「咲楽ちゃんが幻視したよね。春は桜、秋は紅葉。まさにその通りの場所だよ。ヤマザクラの木と紅葉の木がバランスよく植わっていてね。そこで奉納していた」
「ソメイヨシノじゃないんですか?」
「ヤマザクラだった。敷島の歌を覚えたのもそこだった」
「敷島の歌?」
「『敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜花』って、本居 宣長の歌。「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」っていう、あくまでも本居宣長の心を表した歌だったんだけどね。太平洋戦争の戦時中に意味が歪められちゃったんだよ」
「歪められちゃった?」
「軍国主義の方向にね。利用されたんだね」
「そっか。桜ってパッと咲いてパッと散るイメージだから?」
「だろうね。分からないけど。さぁ、寝ようか」
「はい。ライトを消しますね」
「おやすみ、咲楽ちゃん」
「おやすみなさい、大和さん」