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ハチマキ取りは大和さんの1人勝ちだった。ルードヴィッヒさんと話をしていたからか、それともずっと見ていた訳じゃないからか、前のように不安に襲われることはなかった。
「サクラ様、そろそろ冒険者ギルドに行って参ります」
「はい」
「クエイムをかけますね」
眼を閉じると、カークさんの柔らかくて温かい闇属性の魔力が入ってきたのがわかった。
「アレス・イン・オルドヌング」
心が軽くなった。誰かに常に側にいて勇気付けられているような感じがした。
「ありがとうございます。勇気付けられた感じです」
「実践は初めてですが、上手くいって良かったです」
カークさんにジュレッタを渡す。
「お願いしますね」
「では冒険者ギルドでお待ちしております。ご無理はされませんように」
カークさんが行ってしまって、少しの間1人になった。窓辺に寄って外を眺める。フィールドは静まり返っている。観覧席にはまだ少し人が残っているけれど、帰り支度をしているようだ。
「咲楽ちゃん、お待たせ」
ノックの音と大和さんの声が聞こえた。ドアを開けると、大和さんの笑顔があった。
「行こうか」
「はい」
闘技場を出て、冒険者ギルドに向かう。大和さんは私の手をしっかり握ってくれていた。
「大和さん、大丈夫です。大和さんが居てくれるし、カークさんにもクエイムをかけてもらいましたし」
「カークは何て言ってた?」
「クエイムの文言ですか?えっとアレス・イン・オルドヌングだったかな?」
「全て大丈夫、か。カークらしい」
「そういう意味なんですか?」
「ドイツ語だとそういう意味になる。die Ordnung は「秩序」「整頓されている状態」「きちんとしている状態」「規則」「規則正しい生活」の事を言うんだよ。「すべてが秩序正しく整頓されている状態」だから、全て大丈夫という意味になる」
「dieって何ですか?」
「英語で言うとtheにあたる。定冠詞だね」
「勉強になります」
「その調子で気楽にいこうね」
「大和さんの方が緊張していませんか?」
「まぁ、咲楽ちゃんが傷付かない事を祈るだけだね」
「ご心配をお掛けします」
「気楽そうだね。良かった」
「なんていうか、誰かが常に側で励ましてくれているって感じです」
「それは心強いね」
「はい」
冒険者ギルドにはたくさんの人がいた。入ってきた私達を見て二度見したり何かをヒソヒソ言っている人がいる。
少し恐怖はあるけど、昼間の騎士様達の時のような感じはない。受付の人に用件を告げると、「伺っております。よろしくお願いします」と案内された。
「ヤマト・トキワ様とサクラ・シロヤマ様がいらっしゃいました」
「どうぞ」
ギルド長室に入ると、大きな机の上に乱雑に積み上げられた書類の山が目に入った。ギルド長さんはその書類の山の向こうで疲れた顔を見せていた。その横には同じように疲れた顔をした女の人が1人居た。
「散らかっていて申し訳ない。どうにも貯まってしまっていて、片付かんのですよ」
「お疲れ様です。甘いものはどうですか?そちらの女性の方も」
ランヴェルセを出して、2人に奨める。2人とも夢中で食べ始めた。
「ギルド長、前より散らかってませんか?」
大和さんが呆れたように書類の山を見ながら言う。
「こういうのは苦手なのです。彼女が助けてくれて、なんとかなっていますが。あぁ、彼女は冒険者ギルド本部のドロシー女史。本来は副ギルド長……っと」
「大丈夫です。続けてください」
大和さんの手をギュっと握って言う。大丈夫、大丈夫。あの人はここには居ない。私に危害を加える事は出来ない。
「代行と言いますか、補佐をする為に来たのですよ。本格的に助手をつけるべきか検討中です」
ドロシーさんが柔らかく微笑んで言った。
少し話をして、ギルド長室をおいとまする。カークさんとユーゴ君が待っていてくれた。
「待たせたな。帰ろうか」
「はい」
「天使様、今日ね、天使様を知っているってキニゴスが居たよ。助けて貰ったって言っていた。その人ね凄く薬草に詳しいんだ。分かりやすく教えてくれて、自信がついたよ」
「キニゴスさんで、私の知り合い?ゲイブリエルさん?」
「違うよ。ガビーって呼ばれてた」
「ガビーはゲイブリエルの愛称だ。どっちも合っているってことだな」
ユーゴ君の頭をポンポンしながら、大和さんが言う。ユーゴ君が嬉しそうにしていた。
今日の夕食はナポリタン風パスタ。トマトソースで炒めたパスタはこっちには無いらしく、ユーゴ君が喜んで食べていた。
「天使様、僕、ピメントが食べられなかったんだけど、これなら食べられるよ」
「ピメントは好き嫌いが分かれるから。大人になったら食べられるようになったって人も、多いらしいですよ」
「苦味が駄目なんだろうな」
「ニンジンがダメって子もいるよね。僕はニンジンって好きなんだけど、どうしてかな?」
「こういうのは個人の好みもあるし、難しいよね」
夕食を終えたら、カークさんとユーゴ君は帰っていく。
「2人きりだね」
小部屋のソファーで座っていたら、大和さんに後ろから囁かれた。
「そうですね」
ゾクゾクしちゃうのを我慢して振り返ったら、なんだかつまらなそうな大和さんが居た。
「もっとこう、慣れていない感じの反応が欲しかった」
「私で遊ばないでください」
「咲楽ちゃんは反応が新鮮なんだよね。だから構いたくなる」
「大和さんに構われるのは好きですけど」
「どんな風にして欲しい?」
「側に居て欲しいです」
「それくらいならいつでも。ついでに肩を抱いたり、抱き締めたり、膝枕とか、どう?」
「このままで良いです」
頭を大和さんの肩に預けて眼を閉じる。
「寝ちゃいそう?」
「幸せだなって思って」
「そうだね。2人っきりでこうしているのって、幸せだね」
「今日のハチマキ取りは、あまり不安感が無かったです」
「あぁ、ずっとルードヴィッヒと話をしていたね。何を話していたの?」
「お悩み相談と言うか、雑談です」
「内容を咲楽ちゃんが言わないのは分かってるよ。で?あの2人はくっつきそう?」
「分かっていないのって、本人達だけですよね?」
「お互いに素直じゃないと言うか、意地を張り合ってるというか。仕事をしていると、息がぴったりなんだよ。ルードヴィッヒが足りないところをヴェルヘルミナ嬢が補っているって感じ」
「あれ?あの2人って文官さんですよね?大和さんはお仕事ぶりを知っているんですか?」
「団長の書類整理を手伝ったりしてたからね。ヴェルヘルミナ嬢の単独の仕事ぶりは分からないけど、たまにルードヴィッヒの手伝いをしていたから」
「ヴェルヘルミナさんはルードヴィッヒさんに、認められたいんですって」
「認められたいって、十分認めていると思うけど」
「言葉にして欲しいんじゃないかって思うんです」
「あぁ、好きな人に誉められたいって事?」
「たぶんそうです」
「難しいかもね。ルードヴィッヒは言葉にするタイプじゃないから」
「大和さんと逆ですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
黙って私の頭を撫でていた大和さんは、少ししてからお風呂に行ってしまった。
怒ってないよね?気に障る事を言っちゃったかな?気になったけど、大和さんは居ないから聞く事は出来ない。
結界具を確認して、寝室に上がった。
寝室で居ると何もすることが無いんだよね。刺繍も終わっているし、何か作りたいんだけど思い付かない。1人で居ると気持ちだけが焦る。このまま休んでいて良いのか。気にしなくて良いって言ってくれているけど、本当は迷惑なはずだ。マックス先生も、施療院のみんなも。早く出てくれば良いって思っていると思う。
「咲楽ちゃん、風呂行っておいで」
「はい」
「何を考えてたの?自分を責めていたんじゃないよね?」
「みんなに迷惑をかけているなって。気にしなくて良いって言ってくれているけど、やっぱり気になっちゃうんです」
「その為のリハビリ期間でしょ?お試し出勤は。焦るなって言うのが無理だということは分かってるよ。咲楽ちゃんは責任感が強すぎるから。でも、焦って自分の心に蓋をして結局迷惑をかけるより、今、しっかり休養して、折り合いをつけてから復帰した方が良いでしょ?」
「分かってるんです。でも、やっぱり焦るんです」
「明日は出勤日だったよね?終業後に迎えにいくよ。所長やマクシミリアン殿と話しておいた方がいいと思うし」
「はい」
「ほら。風呂に行っておいで」
「はい」
お風呂で考えていた。
今日はヴェルヘルミナさんの相談を聞いて、偉そうな事を言っちゃったけど、自分自身が経験してきたことだよね、あれって。ヴェルヘルミナさんはルードヴィッヒさん限定だけど、私は全ての人だった。いつも素直になれなくて、大丈夫って言い張って、笑顔を張り付けて自分を守っていた。葵ちゃんは「守ってくれる人」って認識だったから、そうでもなかったと思うけど。こっちに来てからもしばらくそうだった。大和さんに「自分の心に嘘をつくな」って言われて、大和さんには感情が出せるようになったと思う。
自分の感情を表に出すのは難しい。私みたいに他人が怖いって思ってしまうと、余計に出しにくい。もし嫌われたら?もし不愉快だと思われたら?「もし」が多すぎて、勝手に不安になって、無駄に自分を守ろうとする。
自分にダメ出しをして、お風呂から上がった。寝室に行くと大和さんが待っていてくれた。
「おかえり」
「戻りました」
素早く抱え込まれて、大和さんの腕に収まる。
「大和さんだと手を伸ばされても、そんなに怖くないんですよね」
「俺は咲楽ちゃんを傷付けないって、認識されているのかな?」
「そうかもしれません。大和さんの腕の中は安心します」
「それは嬉しいね」
少しの時間、黙っていた。頭を撫でてくれる大和さんの手が気持ちいい。
「大和さん、ずっと思っていたんですけど、あのハチマキ取りって何か名前は付けないんですか?」
「あれねぇ。そういえばヴェルヘルミナ嬢がヒポエステスみたいって言っていたな。別名をリボンの木って言うんだって。植物図鑑に載っていたよ」
「どんな木なんですか?」
「ちょっと待ってて。持ってくる」
大和さんが寝室を出て行って、すぐに戻ってきた。
植物図鑑をペラペラ捲って、その木を示す。緑の葉の間から長いリボンのような物が垂れている。色は白だったり赤だったり紫だったりとカラフルだ。樹高は2m程。垂れているのは花弁で、摘み取って乾かしても固くならず、色褪せも無いらしい。
「こんなのがあるんですね」
「庭木には向いてなさそうだけどね。根が広がるって書いてあるし」
「海の側に生えるみたいですね。マングローブ?」
「そんな感じかもね。塩性湿地に生える訳じゃなさそうだけど」
「コーラル領では見られるんでしょうか?」
「そうなんじゃない?いつか行こうね」
「はい。行きたい場所が増えました」
「行きたい場所?」
「スルステルと、セプタヘムス国と、コーラル領です」
「セプタヘムス国って七神教の総本山がある国だっけ?」
「色彩がスゴいらしいです。7神様の色で溢れているんですって」
「それは目に優しくなさそうだな」
「疲れるって言う人もいるらしいですよ」
「誰から聞いたの?」
「海の祈年祭の時の着付の担当の人です。セプタヘムス国から派遣されてきているって言っていました」
「そうなんだ。それは知らなかった」
「でも、セプタヘムス国は遠いですよね」
「どのくらいかかるの?その辺は知らないんだよね」
「高速馬車で1ヶ月位だそうです」
「それは遠いね」
「でも15年周期でお参りの波が来るって、カークさんが言っていました」
「お陰参りみたいだね。あれは自然発生的で周期は決まってなかったらしいけど」
「決まってませんでしたっけ?」
「決まってなかったよ。全部覚えてないけど。江戸時代に数百万人規模のものが、およそ60年周期で起こったらしいから、それが頭に残ってるんじゃない?」
「数百万人って凄いですよね」
「ピーク時には近隣の街で、自分の家から道路を横切って、向かいの家に行くのすら困難だったらしいからね」
「うわ。迷惑……」
「迷惑と取るか、神様のお陰と取るかで、印象は違うだろうね。物価は跳ね上がったらしいし」
「神様のお陰って。まぁ、日々暮らせるのは神様のお陰って言う人も居るでしょうけど」
「信心深い人だとそう思うだろうね」
「大和さんのお家も神様に剣舞を奉納していたんですよね?」
「家は神に感謝をって言うより、全ての事柄に感謝をだったね。この世に起こる全てに感謝を忘れず、今この時を生きている事に感謝をって言われていた。災害時にもそうなのか?って言ったら、困っていたけど」
「それは困るでしょうね。災害は起きない方がいいんだし、人的被害も大きいですし。被害を受けてそれに感謝する訳にいきませんもんね」
「うん。だから俺は生きている生命に感謝をって捉えてた。まぁそれでもちょっと違うなって思ったりしていたけど」
「永遠のテーマって感じですね」
「確かに。もう寝ようか。咲楽ちゃんも明日は仕事だし」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽ちゃん」