245 ~大和視点~
昼からの講義では何人か寝てしまっていたが、今日の訓練内容は終了した。その後の教官役の会合で講義の際に思った事を提議してみた。担当だったクロードと副団長も同じ事を考えていたようだ。
結局、礼節と規則などの講義は全て朝からにする事に決まった。週に1度の事だし、問題があればまた変えれば良いのだ。
家に帰ると咲楽ちゃんが笑顔を見せた。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「おかえりなさい、大和さん」
「おかえりなさいませ、トキワ様」
「おかえりなさい、トキワさん」
「居てくれたのか、カーク、ユーゴ」
「はい」
「あの、トキワさん」
「どうした?ユーゴ」
「えっと……」
「ゆっくりで良い。自分の言葉で言えば良い」
「はい」
深呼吸しながら言葉を選ぶユーゴを待つ。その間に騎士服の上を脱いで、魔空間に仕舞う。
「今日、カークさんに見てもらいながら、火属性の練習をしたんですが、上手くいかなくて。何かアドバイスを下さい」
「分かった。少し待ってくれるか?着替えてくる」
「はい。庭に出ています」
自室で着替えて、ダイニングに降りる。
「咲楽ちゃん、どうだった?」
「ナイオンに会ってきました」
「あの2人の反応は?」
「カークさんは相変わらずです。ユーゴ君は怖々ですけど撫でていました。ユーゴ君は馬が好きなようで、見て目を輝かせていました」
「そう。何も無かった?」
「はい。このままなら、水の月から復帰できそうです」
「良かったね。ちょっと行ってくる」
咲楽ちゃんに素早くキスをして、庭に出る。キッチンで咲楽ちゃんがしゃがみこんだのが分かった。
「ご機嫌ですね、トキワ様」
「良い事があったからな」
「そうですか」
「ユーゴ、まず1回見せてくれ」
「はい」
ユーゴが火属性を飛ばすが、木に届かずに消えた。なるほどな。まずは持続からか。
「こんな風に途中で消えちゃうんです」
「持続性からだな。飛ばす際に魔力が途中で途切れるんだ。まずは距離を測ろうか」
「距離ですか?」
「ユーゴのやれる方法で良い。歩数でも良いし目で見た距離感でも良い。どのくらいの距離か、それをイメージできるように実際に測ってみれば良い」
空間認識が出来るようになるには時間がかかるが、さてユーゴはどのタイプだ?
ユーゴは歩数を数え始めた。何度も何度も繰り返す。
「トキワさん、あの……」
「どうした?」
ユーゴは自信が持てないタイプなのか?質問する事を躊躇う事が多い。
「僕は魔法を使えるのでしょうか?」
「一旦止めよう。ユーゴ、こっちに来い」
素直に寄ってくる。
「何故使えないと思った?」
「どれだけやっても成功しないからです」
「火を出してみろ」
「はい」
「これは魔法で出した火じゃないのか?」
「そうです」
「使えているから、火が出ている。そうだろう?」
「はい」
「今まで使ったことがなかったんだろう?焦らなくて良い。ゆっくりで良いんだ。使えれば便利だが、絶対に出来なきゃいけないという訳ではないんだから」
「はい」
咲楽ちゃんが勝手口から姿を見せた。
「食事の用意が出来ました」
「分かった。中に入ろうか」
ユーゴが落ち込んでいる。こればかりは仕方がないな。
「咲楽ちゃん、どう見る?」
「ユーゴ君は火が怖いのかな?って思いました」
「火が怖い?」
「魔法は使いたいんだけど、火は怖いものだと思っていて、それが無意識に怯えとして出ているのかな?って」
「なるほど」
「それで、提案なんですが、ローズさんに見てもらうっていうのはどうでしょう?」
「それは何故?」
夕食のテーブルに着きながら、咲楽ちゃんに聞く。今日の夕食は野菜と薄切り肉の重ね蒸しか。ナツダイの酸味は効いているが、いつもより酸味が少ない気がする。
「ローズさんって属性魔法のコツとか、教えるのが上手なんです。私も分からない事を教えてもらっているんです」
「へぇ」
ユーゴは目を輝かせて、食べている。
「旨いか?」
「はい」
「今日のお料理、ユーゴ君も手伝ってくれたんです」
「そうなんだ」
「包丁さばき、上手でしたよ」
「俺より?」
「はい。張り合わなくて良いですからね」
「釘を刺された」
ショボンとして見せると、笑い声が生まれた。
「トキワさんって怖いって思っていました」
ユーゴがそう言うと、カークが慌てていた。
「大和さんは、強くて優しいんですよ。自分には妥協をしないから、怖く見えるかもしれないけど、本当に怖い人ならいろんな事を教えたりしません」
「あの奉納舞を見て、怖いくらい綺麗で、教えてもらいたいって言った時の言葉で、厳しい人って思い込んで、それがトキワさんだと思ったんです」
「それは大和さんの一面です。その一面だけでその人を決めつけちゃ、その人を知ることは出来ませんよね」
「天使様は優しいのに厳しいです」
「そうですか?」
カークが何かを言いかけたから、黙っているように合図した。
「僕は、母があんな事をするのを止められなかったんです。僕は弱いんです」
「でも、私を気遣ってくれたでしょう?本当に弱い人ってね、動けないの。命令されたらそれだけしか動かない。後で叱られるのが怖いから。でも、ユーゴ君は気遣いの言葉をかけてくれた。ユーゴ君は弱いんじゃない。優しいんだよ」
「でも……」
「母親が間違ってて止められないのは普通だと思うけど。悪い方に行くときは、その考えが正しいと思っているから、他の意見を聞き入れないんだよね」
「天使様もですか?」
「私の母は、私の事は見向きもしなかったから」
「間違えたと気が付いたら、反省して今度は間違えないようにすれば良い。他人の人生から学べることはたくさんあるんだから。ユーゴは母親のしたことが間違っていると知った。なら、それを再び繰り返さないようにすれば良い。ユーゴ自身が間違えないように、他の人も間違えないように。どうすれば実現できるかを考えることも大事だ」
「僕はどうすれば良いんでしょうか?」
「聞きたいんだがな、ユーゴはどうしたい?何になりたい?」
「僕……は……」
「ユーゴは今、14だろう?子どもと大人の境目なんだよ。子どもなら無邪気に『これになりたい』と言えるし、大人になればそれが難しいかも、ということが分かったりする。ユーゴはなりたい自分になる困難さを知ってしまったんだ」
「僕は母のように冒険者ギルドで働きたいって思ったんです。でも、母が迷惑をかけてしまって、無理だって思って」
「諦めたのか」
「諦めきれなくて、それが情けなくて」
食事は、終わっているか。ユーゴをリビングへと誘う。
「諦めが悪いってことはけして悪いことじゃない。諦めるってことには痛みが伴うから、簡単には諦めきれないって事もあるけど、無理だって思って、それでも足掻けば手が届くかもしれないんだ。その為の努力が出来るかどうかだ」
「でも、どうしたら良いかわからなくて」
「ユーゴの母親はどこにいた?母に付いて職場に行ったことは?」
「冒険者ギルドには何度も行きました。知っている職員さんも居ます。でも答えてくれるでしょうか?」
「忘れているようだから教えておくが、カークも一応職員として出入りしていたぞ」
「あ、忘れてた」
「身近にいるんだ。話をすれば聞いてくれる」
「でも、これ以上迷惑はかけたくないんです」
「迷惑だと思っていたら、身元引き受け人なんてやっていないさ。そうだろう?カーク」
「ユーゴ君、私は迷惑なんて思っていないよ。何でも話して欲しいんだ。ユーゴ君さえ良ければね」
ユーゴがカークに抱きついて泣き出した。あの事件以来、はじめて泣いたんだろうと思う。子どもなのに、泣くことを我慢していたんだろう。
思いっきり泣いたユーゴを連れて、カークが帰ったのは、もう6の鐘前だった。
きれいに片付いたキッチンで、咲楽ちゃんが何かをしていた。
「咲楽ちゃん、何してるの?」
「ナツダイピールを作ってます」
「あぁ、ケーキに入れる材料ね」
「ケーキだけじゃないですよ」
「それが終わったら?」
「冷めるまで待って、乾燥させます」
「じゃあ、その間に風呂に行ってこよう」
「はい。いってらっしゃい。私もこれが終わったら上がります」
咲楽ちゃんの言葉を聞いて、風呂に行く。
今日は危なかった。『夏の舞』のあの状態は、その時は快楽に浸れるが、落ち着いた時の気分の落差が凄い。罪悪感なんてもんじゃない。それに羞恥心が加わる。
あの状態の俺は咲楽ちゃんには絶対に見せられない。というか、咲楽ちゃんが側に居れば、確実に襲っている。
俺だって一応健全な男だ。今はなんとか抑えているが、どうなるか分からない。でも、あの状態で咲楽ちゃんを襲ったら、間違いなく後悔する。
咲楽ちゃんを護る。それは咲楽ちゃんの事が好きだと自覚したあの時に、自分自身に誓った。その誓いを自ら破る事はしない。
風呂から出て、寝室に上がる。咲楽ちゃんは……居るな。
「咲楽ちゃん、行っておいで」
「はい」
咲楽ちゃんが行ってから考える。明日はどうするか?日課だったランニングは再開したいが、家を空けている間に咲楽ちゃんが魘されていたら?と考えると、家を開けたくない。考えても結論は出ない。どうしようかと悩んでいたら、咲楽ちゃんが出てきたらしい。階段を上る音がする。
「おかえり」
「戻りました」
そう言った咲楽ちゃんが抱き付いてきた。何かあったのか?
「どうしたの?」
「ちょっと寂しかったです」
恥ずかしそうにそう言った咲楽ちゃんが愛しくて、ギュっと抱き締める。
「俺も寂しかった」
「楽しそうにおいかけっこをしていたって、聞きましたよ?」
「誰から?」
「ダフネさんです。今日来てくれたんです」
「ダフネ?見てたのか」
「みたいです。2回目で引き上げて、お昼を食べてから来たって言っていました」
「でもね、隣に咲楽ちゃんが居て欲しいって思っていたよ」
「大和さん、明日の勤務は?」
「明日も今日と一緒。当分は新人達に専念してくれって言われた」
「明日、カークさんに連れていってもらおうかな」
「おいで。歓迎するよ」
「明日になったら考えます」
「今日はマイクさんの所に行ったんだったね。他には?」
「カークさんがユーゴ君に魔法を教えている間は、庭にいました。ポカポカして気持ち良かったです」
「確かに今日はポカポカだったね。お陰で新人達が可哀想だった」
「可哀想?」
「今日は昼から、週に1度の礼節と規則などの講義だったんだよ。何人か寝ていた」
「お腹一杯になった後ですもんね」
「誰にでも覚えがあるから、叱れなくてね」
「大和さんも?」
「寝てしまった事はないけど、眠気には襲われた。睡魔様の誘惑は魅力的だよね」
「ですよね」
「咲楽ちゃんは?」
「私ですか?もちろん睡魔様はいらっしゃいましたよ。でも頑張りました」
「数学とか、特に眠くなかった?」
「私は物理が駄目でした」
「物理?って物理化学?理論とか楽しくなかった?」
「楽しくないです。全っ然楽しくないです」
「嫌いだったんだ?」
「って言うか、先生の教え方もあると思うんです。抑揚のない話し方で、ずっと教科書を読んでいる感じだったんです。友人はあれを子守唄だって言っていました」
「子守唄ねぇ」
「大和さんは得意だったんですか?物理」
「化学式とか、結構好きだったけど。熱力学とか運動的エネルギーとか、聞いてて楽しかった覚えがある」
「変わっていますね」
「しみじみ言わないでよ」
「苦手だった人間からしたら、変わってるの一言なんです」
「そうですね。お嬢様」
「バカにしましたね?」
「していないよ」
顔を上げさせて、キスをする。
「ずっとこうしていたい。ずっと咲楽ちゃんを抱き締めていたい。ポケットに咲楽ちゃんを入れて、連れていこうかな?」
「私はそこまで小さくないですよ」
「うん。知ってる」
「何かありましたか?」
「何もないよ。おいかけっこで団長を追い詰めたりとか、副団長の裏をかくのが楽しかっただけ」
「あれ?団長さん、居たんですか?ダフネさんが見なかったって言っていましたけど」
「おいかけっこの1回戦には居たよ。それまで書類仕事をしていたけど」
「そうだったんですね」
咲楽ちゃんが小さなあくびをした。
「眠い?もう寝る?」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽ちゃん」
咲楽ちゃんを抱き締めて横になる。しばらくすると、咲楽ちゃんの寝息が聞こえてきた。
少しでも健やかな眠りを。咲楽ちゃんが魘されるのは、あの時を夢に見るからだろう。こういう時に役に立てない自分が悔しい。お前は無力なのだと突きつけられている気分になる。咲楽ちゃんには絶対に言わないが。
腕の中で眠る愛しい女性にもう1度口付けて、俺も眠りに落ちた。