abduct②
気が付いたら、知らない部屋に寝かされていた。どこだろう?ここ。大和さんの私を呼ぶ声を探して視線をさ迷わせていたら、こちらを心配そうに見る大和さんに気が付いた。
「良かった、咲楽ちゃん」
大和さんを呼ぼうとした。色々気になることがあったから。でも声が出ない。
「水飲む?」
大和さんに聞かれて頷く。『ウォーター』で出してくれたお水を一口飲ませてもらう。
「大和さん」
やっと声が出た。身体がひどく怠い。それでも聞きたいことを聞いておきたかった。
「どうした?」
「ここはどこですか?」
「施療院の療養室」
「終わったの?」
「もう大丈夫。すべて終わってる。遅くなってごめん」
大和さんが謝っている。何故かは分からないけど。
「カークさんは?」
あの部屋には怪我をしたカークさんがいたはず。
「無事だよ。怪我も治してもらった」
良かった。ホッとすると同時に、大和さんの手に血が滲んでいるのが見えた。
「大和さんも怪我してます」
そう言って治癒術を使おうとしたら、大和さんに止められた。
「咲楽ちゃんは今、魔力量が減ってる。今は使わない方がいい」
ナザル所長の声が聞こえた。
「シロヤマさん。ワシが治そう。今は休んだ方がいい」
少しの間、大和さんの姿が見えなくなる。所長の声が聞こえたって事は、所長に治してもらってるんだと思う。
「シロヤマさん。無事に目覚めたし、ローズかルビーが来たら診察してもらおう」
そう言った所長の言葉に、あの時から時が経過していることを知った。
「今日はあれからどの位経ったんですか?」
「あれから4日経ってる」
4日?そんなに経っているの?ゆっくりと目を閉じる。起きていたかったけど、目を開けていられなかった。大和さんの言葉を聞いていたかったけど、意識が飲み込まれていく。そのまま闇に吸い込まれるように、眠りに落ちた。
誰かに手を握られた。優しくて安心できる手の感触に目を開けた。
「大和さん」
「起こしちゃった?」
「目が覚めました」
「何か知りたい?」
そう聞いてくれたから、知りたかったことを聞いてみた。
「カークさんは無事ですか?」
「あぁ。昼まで雑用依頼を受けて来ると言っていた」
「大和さんは?」
「副団長が休暇をくれた。咲楽ちゃんに付いててやれって」
「私が居た所に男の子、居ませんでしたか?」
「居たよ。話がしたいって言ってたらしいから、また来るよ」
「あの子は私を気遣ってくれて、食事も運んでくれたんです」
「聞いてるよ。『天使様が食事を摂られなかった』って心配してた」
「薬とか混ぜられてるかもしれないって思って」
「食べなかった、か」
「すみません」
「元気になったらお説教ね」
「はい」
「と、いうことは、今お腹空いてる?」
「あんまりです」
「そうか」
そう言った時、療養室のドアが開いて、ダフネさんが飛び込んできた。驚いて飛び上がりそうになった。
「ダフネ、静かに入ってこい。咲楽ちゃんが驚くだろう」
大和さんの言葉を無視して、ダフネさんが言う。
「天使様、良かった。お腹空いてない?食事持ってきたよ」
「ジェイド嬢が来るぞ」
「お嬢様が来る訳……」
「ダフネ!!貴女何してるの!?サクラちゃんを驚かさないのよ」
ローズさんが飛び込んできた。
「お嬢様、何故居るの……?」
「何故居るのって診察時間内よ。貴女が駆け抜けてったから飛んできたわ」
「ダフネさん、ローズさん、心配かけてすみません」
「サクラちゃん、起きてたの?お腹空いてない?」
「あんまり空いてないです」
「何か口にした方がいいわ。ダフネが何か作ってきたみたいだし」
「アタシが風邪引いた時とかに、母さんがよく作ってくれたんだ。パンをミルクで煮た物。食べてみて」
「はい」
大和さんが背中を支えてくれた。ダフネさんが食べさせてくれる。ありがたいけど、恥ずかしい。その間にローズさんは行ってしまった。
「美味しい?天使様」
「はい。あの、自分で食べます」
「ダメ。これだけね」
聞いてくれなかった。そのまま数口食べさせられる。
「もう良いです」
「もっと食べなきゃダメだよ」
そう言われても、もう入っていかない。昔から、具合が悪くなると、食べられなかった。
「ダフネ、無理強いするな」
大和さんが苦笑して、不満気なダフネさんを止めてくれた。
「だけど全然食べてないよ」
「以前体調を崩したときもそうだった。休ませてやろう」
そう言った大和さんがクッションを積み上げてもたれさせてくれた。とたんに眠気が襲ってきた。
「トキワさんは心配じゃないの?食事量が少なすぎるって」
「無理に食べさせられるのは苦痛だって言ってたからな。様子を見ながらだな」
「でも良かったよ。天使様が無事目覚めて。トキワさんはいつまで休めるの?」
そんな2人の会話が聞こえたけど、再び私は眠りに落ちていった。
次に目が覚めた時、誰かの息遣いが聞こえた。そっちを見ると、大和さんが懸垂をしていた。ドアの上のわずかな段差に指を引っ掛けて、何度も身体を持ち上げてる。凄い。じっと見ていたら、懸垂を終えたらしい大和さんと目が合った。
「起きた?」
「大和さんが運動してるの、初めて見た気がします」
「そうかもね。何かして欲しいこととかある?」
「お水が欲しいです」
大和さんが『ウォーター』で水を出して、背を起こしてくれる。
「飲ましてやろうか?」
怠さはずいぶん楽になって、腕はたぶん上がると思うんだけど。自分で飲みます、そう言おうとしたら大和さんが囁いた。
「口移しで」
口移し、って言葉に一気に顔が熱くなる。
「まぁ、それは冗談だけどね。今は」
「今はって……」
「それより3日寝てたから、心肺機能とか、筋力が落ちてるかもしれないね」
「許可が出たら、歩いた方が良いですよね」
「少しずつだよ。リハビリは咲楽ちゃんの方が知ってるだろうけど」
「大和さん、外が見たいです」
3日寝てた、って聞かされて、外が見たくなった。あの闇の日から何日目?混乱している。
大和さんが私の膝裏に手を入れ、横抱きに抱えてくれた。お姫様抱っこだ。
「今はなにも言いたくないけど、食べなきゃ駄目だよ」
大和さんの言葉が聞こえた。表情は見えない。でも、私を心配してくれているのが分かる。
「はい。ごめんなさい」
窓際に連れていかれて、窓の外を見せてもらった。あぁ、中庭が見える。施療院の景色だ。大和さんの優しくて安心できる、でも悲しげな声が聞こえた。
「無事で良かった。酷い目にあわされてないかと、心配で眠れなかった」
心配をさせたんだ。それは分かってる。眠れなかったって言われて、じわじわともう大丈夫なんだ、という実感が湧いてきた。
「ごめんなさい」
「咲楽ちゃんが謝らなくて良いよ」
3の鐘の前にカークさんが来た。その時にはベッドに起き上がっていたから、カークさんの無事な姿にホッとした。カークさんが私を見たとたんに、膝から崩折れるように座り込んで謝罪し始めた。
「サクラ様、お目覚めになって本当に良かった。私が捕まった所為で恐ろしい思いをさせてしまいました。申し訳ございません」
カークさんの所為じゃない。私はあの部屋でボロボロで横たわっていたカークさんを知っている。
「カークさん。頭を上げてください。カークさんは悪くありません」
顔を上げるように頼んでも、カークさんは立ってくれない。
「しかし、私が捕まったりしなければ……」
「それでもカークさんは被害者です。謝らないで下さい」
「カーク、とりあえず立て。でないと外の人達が入れない」
大和さんがカークさんを立ち上がらせてくれた。
「はい」
カークさんが立ったのを確認してから、大和さんがドアの外に声をかける。
「入って下さい。副団長」
「相変わらずですね」
副団長さんが笑いながら入ってきた。その後に続く男の子。
「貴方は……食事を用意してくれたのに、食べなくてごめんなさい」
「天使様、母がすみませんでした」
深々と頭を下げられた。謝るのはこちらだ。彼の好意を無駄にしたのだから。
「頭を上げてください。貴方は私を気遣ってくれました」
「でも……」
「食事を用意してくれたでしょう?あの時は疑心暗鬼になっていて、薬とかの存在を疑ってしまったんです。ごめんなさい」
「母が天使様にしたことに比べたら、大したことはありません」
「それでも好意を無駄にしたんです」
「少年、名前は?」
大和さんの声が割って入った。お互いに謝り合っているのを止めようとしてくれたんだと思う。
「僕はユーゴです」
「良い名前だな。何か話がしたいと聞いたが?」
「黒き狼様ですよね?お願いします。僕を鍛えてください」
「鍛えるって何がしたいんだ?」
「奉納舞を見て、貴方に憧れました。貴方の剣舞を僕もやりたいと思いました。母が『あの真似は難しい』と言っていました。それでも少しでもやってみたいんです」
ユーゴ君は剣舞を習いたいんだ。でもあれって結構大変だと思うけど。
「犯罪者の息子には教えられませんか?」
「それをどこまで続けるつもりだ?」
一気に大和さんの声と表情が固くなった。どうしたの?
「どこまでって……」
ユーゴ君も戸惑っている。
「剣舞を習いたい。それは本当だろうが、『犯罪者の息子には教えられないのか』というセリフは人の同情に付け込む最低な行為だ」
「僕はそんなつもりでは……」
「あの剣舞は神に捧げるものだ。神から見て恥ずかしくない性根を持たなければならない」
「そこまで厳しいものなのですね」
副団長さんの静かな声が響く。
「当たり前です。あの剣舞は神に捧げると言いましたでしょう。そこに氏素性は関係ないのですよ。例え罪を犯していたとしても、真摯にそれを反省しその罪を背負って生きていく覚悟を決めているのなら、それで構いません。神々に対して自らの罪を罪と認め、相対する覚悟があれば教えますが、同情を引いて願いを叶えてもらおうとしている者には教えられません」
「トキワ殿は?」
「覚悟はできていますよ。人に言えない罪もありますしね。それでも、自分はこういう人間ですと神々に詳らかにし、その時に出来る最高の状態を神々に御覧いただくのです。間違えない人間など居ないのです。それを認め、それを背負う覚悟をも神々に御覧いただくのですよ」
「僕は……僕には、無理です」
ユーゴ君の震えた声が聞こえた。
「諦めるのか?」
「だって、教えない、と言いました」
「今のままでは、だ。覚悟があるのなら諦めるな」
「はい」
「剣舞以外なら返事は違ったんだが、剣舞に関しては妥協するわけにいかない」
あまりにも厳しい言葉に、思わず大和さんに話しかけた。
「大和さん」
「どうしたの?」
「あんまり厳しく言わないで上げてください」
「咲楽ちゃんにそう言われても、剣舞に関しては妥協するわけにいかないんだよ。仮にも神々に捧げるものだから」
そう言われたら黙るしかない。この中で最も厳しい世界を知っているのはたぶん大和さんだ。
「はい」
「シロヤマ嬢、落ち着かれたら事情だけ聞きたいのですが、よろしいですか?」
副団長さんに聞かれた。
「はい。大丈夫です」
「では失礼します。あぁ、トキワ殿、ちょっと……」
「はい」
副団長さんと大和さんが療養室を出ていった。ユーゴ君と2人になる。
「天使様、もう大丈夫なんですか?」
「まだ少し怠いです。ユーゴ君は今、どうしているんですか?」
「今はギルド長のエドモンドさんの元に居ます。あの人、冒険者ギルドに住んでる感じですね」
「家に帰らないって事ですか?」
「そもそも家があるのかどうか……僕は1度も行ってません」
「え?あれからって」
「天使様があそこから救い出されて、4日目です」
「ごめんなさい。日付とか、そう言ったのが曖昧なんです」
「大丈夫ですか?」
「ずっと寝てたから、頭がまだしっかり起きてないんですよ、きっと」
そう言って笑ったら、ユーゴ君も笑ってくれた。
大和さんが部屋に入ってきた。
「大和さん、お話はすみましたか?」
「すんだよ。何を話してたの?」
「ユーゴ君が今どうしているかとか、ギルド長さんの事とかです」
「天使様と話していると、何でも話したくなってしまいます」
大和さんと話すユーゴ君は、少し緊張しているみたいな気がした。




