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風の月、第4週の土の日。今日の大和さんは日勤だ。明日の緑の日は大和さんはお休み。これから毎週緑の日が休みになるらしい。その代わり闇の日に休みが無くなると言っていた。
「しばらくの間だと思うけど、ごめんね」
「寂しいけど、我慢できます」
「夜とかに埋め合わせとして、イチャイチャしようね」
「私がそれに積極的に『はい』って言うと思ってます?」
「恥ずかしがってモジモジしながら、『はい』って言ってくれるって信じてる。咲楽ちゃんの恥ずかしがっているのって、すごく萌えるんだよね」
「萌えないで下さい」
「可愛いのに」
そんな会話をしたのは今週の光の日の夜。ちなみにこの夜は構い倒された。
着替えてキッチンに降りる。食材を出しておいて庭に出た。
バラはまだ咲いている。バラの開花期間ってどの位だったっけ?結構長い間咲いていた記憶はあるけど、当時は「咲いているな」程度の関心しかなかった。
花壇を見ていたら、まっすぐな剣先状の葉が伸びているのに気が付いた。あれ?こんなのあったっけ?
花壇のそこかしこから伸びていたから、纏めて花壇内から退場していただいた。代わりに隣に場所を提供する。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「おはようございます、サクラ様」
「何見てるの?」
挨拶を返す前に後ろから抱き付かれた。
「おかえりなさい、大和さん。顔を見て挨拶をさせてください」
「これで良いでしょ?」
「カークさんに挨拶を返したいんですけど」
「仕方がないね」
クルっと向きを変えられた。大和さんは後ろに張り付いたままだ。
「おはようございます、カークさん」
「仲が良ろしくて、何よりです」
「で?何を見てたの?」
「植えた覚えの無い葉が出ていまして。何の花かな?って考えていました」
「どれ?この纏まっている葉っぱ?」
またクルっと向きを変えられた。
「ちょっと纏めちゃいましたけど」
「剣先状の葉?アイリス?」
「たぶんイリスメサジェですね。この位の時期に葉が一気に伸びます」
「虹の伝令か」
「そういう意味ですか?」
「うん」
後ろから抱き締められて、囁かれる。
「大和さん、ゾクゾクします」
「もうちょっと」
「ストレッチは良いんですか?」
「そうだね」
「カークさん、何かありました?」
「サクラ様の事をやけに話題にする冒険者が参加していまして。先週街壁の事故で治してもらったと言っていましたが。トキワ様にはそんなに話しかけなかったのですが、他のメンバーに自慢し始めました。それからこういう状態というか、ずっと『咲楽ちゃんに会いたい』と呟かれていまして」
「えぇっと……?」
「その冒険者が何をしたかったかは不明です」
「なんでしょうね?」
「満足した。ストレッチ、するね」
「はい」
ストレッチを始めた大和さんを見ながら、カークさんに聞いてみた。
「カークさん、イリスメサジェって濃い紫ですよね?」
「紫以外にも黄色や赤や青や緑、いろんな色がありますよ」
「私、紫しか知りませんでした」
ジャーマンアイリスとか知っているけど、葉っぱは覚えてない。アイリスってアヤメ属とかだったよね。
「そうですね。花が小ぶりの物ですと、紫が多いですね」
「小ぶりの物って、これは?」
「どちらでしょうか?」
「どちらでも綺麗ですよね。楽しみです」
「そうですね」
大和さんが瞑想に入った。
「サクラ様、リンゼです」
「サクラさん、いきなり来ちゃってごめんなさい」
「いいえ。どうなさったんですか?」
「この間の傘の件ね、女性冒険者に聞いたら、要望がたくさん出てきたから、書いてきた。この前のジェイド商会のお嬢様に渡してくれる?」
「はい。お預かりします」
「依頼として出してくれたら、絶対に行くからとも言っておいて。依頼料とか無くても良いからって」
「あら、駄目ですよ。そんなことを言っちゃ。これはちゃんと渡しますね」
「お願いね。今から依頼で門外に出るんだ」
「気を付けてくださいね」
「ありがとう。行ってくる」
リンゼさんは少し離れて待っていた仲間の人と、行ってしまった。
「咲楽ちゃん、始めるよ」
いつの間にか、大和さんが後ろに立っていた。カークさんは少し離れたところで立っている。
「はい」
「リンゼから何を渡されたの?」
「軽量の傘についてです。その要望というか、意見を纏めてくれたみたいで」
「軽量の傘って、あぁ、あれか。男性用も欲しいなって言っておいて?」
「ふふふ。分かりました」
大和さんが舞台に上がって呼吸を整えた。
大和さんの『秋の舞』は完成形に近づいているらしい。この前、そう言っていた。それでも、本番まではずっと稽古を続けるんだって。今のままでも十分綺麗だし凄いと思うんだけど。
大和さんの舞いをカークさんと2人で物も言わずに見ていた。舞終わった大和さんが舞台を降りる。カークさんと2人同時に動く。私は大和さんの方に、カークさんは家の方に。
「咲楽ちゃん」
大和さんに抱き締められる。
「大和さん、さっき気が付いたんですけど、学園での口上ってどうするんですか?」
「もちろん言うよ。俺の舞は、神々に捧げる物。見世物じゃない。7神様がここにしかいらっしゃらない訳じゃないんだから、ご挨拶は申し上げないとね」
「また精進潔斎とかするんですか?」
「あそこまで厳格にはしないつもり。その辺は考えているよ。食事の件もあるしね」
「そっか、肉類無しのスープが要るようだったら言ってくださいね。異空間も使えるようになったし、作って持っていけます」
家に入りながら言う。
「お願いするなら言うね」
「はい。お任せください」
大和さんは私の頭をポンポンとして、シャワーに行った。
「アウトゥの頃とは、野菜とか変わってるよね。豆類はいいけど、後、どうしようかな」
「サクラ様、先程のショージン……とか、何でしょうか?」
「奉納舞の前日に行った大和さんの儀式?です。前日の夕食から肉類を絶っていました」
「その様な事をされていたんですか」
「さっき、大和さんも言っていましたけど、大和さんの剣舞は神々に捧げる物で人に見せる為の物じゃないそうです。見ている人達は神々のお裾分けを頂いているそうですよ」
「7神様のお裾分けですか。贅沢ですね」
「7神様がいてくださっているから、私達は日々を送れて、7神様がいらっしゃるから、私達は大和さんの舞いを見ることが出来るんですね」
「トキワ様は七神教の敬虔な信徒というわけですか」
「7神様は信じていますけど、七神教の信徒と言うわけではない?あれ?えっと……」
「咲楽ちゃん、困っているね」
「大和さん」
「あのな、7神様は信じている。でも他にも神が宿っていると思っているんだ。7神様は神々の頂点に在す神々だ。でもその神々に産み出され、慈しんで見守られている存在に、名も無き神が居ないとどうして言える?俺の剣舞はそういった神にも御覧いただくための物なんだよ」
「精霊様の様なものでしょうか?」
「そうだな。例えば滝。例えば山脈。例えば小さな植物でも、生命を感じれば、そこに神が宿っているのではないかと思う。滝なんて即物的な言い方をすれば、集まった水が崖を落ちているだけだ。だが、そこに水神様や地神様の意思を感じる事によって、滝というものが神の存在を感じられるものになる。その存在を、俺は名も無き神と呼ぶし、カークは精霊様と呼んだ。呼称の違いであって、存在は変わらないだろう?」
朝食を食べながら、大和さんが言った。
「分かったような気も致しますが」
「分からなくても良い。神々の存在を信じ、そこに何らかの意思を感じる。その意思を敬うのが俺の剣舞だな」
「西の森の奥のコボルト族の滝にも、そういう存在を感じると言われますか?」
「あそこにたまたま水が集まって流れ落ちた。それがあの滝なんだろうが、迫力や清らかな空気には水神様を称え、地神様を敬う何かが存在していると思う」
「コボルト族さんのあの滝に名前は付いていないんですか?」
「コボルト族はあそこをカタラークドーと言っていましたね。我々には西の森の奥の滝で通じますが、他にもあるようで。道無き道を行かねばならないようです」
「へぇ。カタラークドーですか」
朝食を終えて、大和さんが着替えに行った。
「サクラ様は先程トキワ様の言った存在を、信じていらっしゃいますか?」
「はい」
「即答ですね」
「だって、そうじゃないと説明が出来ないこともあるでしょう?」
「確かにそうですね。レーヴとか」
「ですよね。レーヴとか。あんな風に動きませんよ、他の植物は」
「ローバオムはいますけどね」
「また、違いますって」
「そうですね。なんだか実感しました」
「実感ですか?」
「あぁいった常識では考えられないことなど、私は精霊様が居ると思っていたんです。でも、そこに山があり、そこに滝がある。そういった場所にも精霊様が居ると思えました」
「不思議が一杯ですね」
「そうですね」
大和さんが着替え終わって降りてきた。交代で私が着替えに上がる。
この頃暖かい日が増えてきたから、キュロットスカートの出番が増えてきた。今履いているものは薄いインディゴ色のもの。膝下丈で動きやすい。色はこの他に若草色、薄い赤、黒がある。
着替えが終わったら、階下に降りる。
「お待たせしました」
「準備できた?行こうか」
家を出たところで、カークさんと別れた。
「カークさんは今日は冒険者業ですか?」
「残っている依頼の消化だそうだよ。北の街壁の事故の後片付けとか、南の門外の支援だとかもあるらしい」
「門外の支援?」
「就労支援というか、職業訓練かな。キニゴスに薬草の見分け方を習ったりとか、刺繍や縫い物の仕事を回したりとか、鍛治師や木工業への付き添いとかね。冒険者ギルドや王宮からの依頼だったりするんだけど、あまり依頼料が良くないんだって」
「ギルドや王宮の依頼なのに依頼料が良くないんですか?」
「依頼料が一部門外の者に上乗せされてしまうんだよ。だからあまり高く出来ない。だからあまり人気が無いらしい」
「依頼料が上乗せって、何故ですか?」
「ボランティアじゃ、その職について、すぐに辞めてしまうかもしれないからだって。それに、王都に定住するかも分からない。仕事をしてそれが役に立っていると言う実感がないと、一時しのぎになってしまうこともあるからね。その仕事で今までの借金を返していくって形である程度縛って、仕事に意味を持たせるってことらしい」
「あまり分からないんですけど」
「例えば、ボランティアで就労支援して、王都内に入っても、仕事が無かったらどうなる?」
「門外にUターン?」
「それならまだ、良いんだけどね」
「まだ良い?」
「言ったでしょ?探すより奪う方が簡単だって」
「犯罪に手を染めるって事ですか?」
「もちろん全員じゃないよ。でも可能性はある」
「簡単な事じゃないんですね」
「門外の支援って、衣食住だけじゃないからね。カークが今やっているのは、出来ることや興味の有ることを聞き取って纏めるとか、治療や薬師の必要な者の実情調べかな。王宮魔術師が中心になって治療を行っている。施療院に負担をかけられないからね」
「どうしてですか?要請があれば行きますよ」
「女性施術師を行かせるにはまだまだ危険だからね。今はゲオルグなんかが女性の治療が必要な者を、少しでも南門の近くに移動させるために、説得中らしいよ」
「説得中?」
「今まで放っておかれたり、行政に見向きもされなかった人も多いからね。一度育った不信感はそう簡単に拭えないよ」
「難しいです」
「こういう問題はデリケートだからね。地球でもあったよ。就労支援として斡旋した仕事で、搾取されてしまったみたいな本末転倒な話」
黙り込んでしまった私の頭を優しく撫でてくれながら、大和さんが微笑った。
「騎士団も動いているよ。門外の事にしても、何故南門に集中しているのかが分からないからその聞き込みとかね。就労支援の前段階だね。文盲の人は少ないんだけど、教育を受けられていない子ども達もいるから、そういった子達に文字を教えたりもしてる」
「大和さんも?」
「簡単な計算、小1とかのレベルからだから、その辺は日本の経験が活きるね。分かりやすいって評判なんだよ?」
「今までも何回かしていたんですか?」
「実はね、してた。色別の石を使った計算とかね。個別指導だから、付きっきりで教えられる。目標は小学校卒業程度かな」
「私、なにも知らなかったんですね」
「王都民の9割は知らないと思うよ」
王宮への分かれ道でライルさん、ローズさんと副団長さんが待っていた。
「サクラちゃん、おはよう」
「おはよう、シロヤマさん」
「おはようございます、ローズさん、ライルさん」
「トキワ様、今日はサクラちゃんをジェイド商会に連れていきますから」
「了解しました」
「ローズさん、傘についての要望、リンゼさんから預かりました」
「分かったわ。夕方にサンドラに渡してやって」
ローズさんに引っ張られて、施療院に向かう。
「ローズさん?」
「緊張したわ。ライル様、もう良いわよね?」
「そうだね。トキワ殿も見えなくなったしね」
「何ですか?」
「今日は何の日?」
「大和さんの誕生日です……。もしかして?」
「盛大にとはいかないけどね。準備はさせてもらったよ」
「サクラちゃん、騎士団のと同じ色の同じサイズのボタン、預かったわよ。これで良いの?」
「はい」
「どうするの?それ」
「これ、嵌め込み式になっているらしいんです。中にお守りとか入れている人も居るって聞いて、私もやってみようかな?って」
「誰に聞いたの?」
「ゴットハルトさんです」
「彼が言っているなら、大丈夫だろうね」
施療院に着いた。ローズさんと更衣室に行く。
「おはよう、ローズ、サクラちゃん」
「おはよう、ルビー」
「おはようございます、ルビーさん」
「ローズ、どう?」
「たぶん大丈夫よ。バレてないわ」
「なら良いけど」
「トキワ様に不審がられるな、なんて、ライル様も無茶を言うわね」
「緊張したわ」
「ローズだけ先に来る訳にいかなかったものね」
「さすがにライル様だけが残るって言うのは、不自然すぎるわ。ライル様が先に来るって言うのは今まであったけど、私だけ先にって言うのはなかったしね」
「計画してくださったんですね。ありがとうございます」
「あら、計画はライル様よ」
「そうよ。私達は便乗しただけよ」
診察室に向かう途中で、ライルさんと会ったから、お礼を言ったら、笑われた。
「僕も祝いたかったんだよ。良い機会だったしね」
朝からの診察にパメラ様が来院された、珍しい。いつもは木の日なのに。
「ごめんなさいね。シロヤマちゃん。お邪魔じゃなかったかしら?」
「大丈夫ですよ。どうなさいました?」
「いえね、スルステルに誘ってもらったのよ。お嫁さんのご両親にね。それで、行って良いか聞こうと思って」
「もちろん大丈夫ですけど、馬車で1日掛かるんですよね?無理はなさらないでくださいね」
「あら、大丈夫ですよ。ちゃあんと余裕は持っていきますからね」
「スルステルですか。行ってみたいです」
「まだ若いのですもの。いくらでも行けますわよ」
「いくらでもは言い過ぎです」
うふふっと笑ってパメラ様は帰っていかれた。お昼までの診察はパメラ様だけがイレギュラーだっただけで、後は常連さんが多い。ただし常連さんが来る時間は何故か決まっている。だからこの時間のようにぽっかりと空いた時間が出来てしまう。




