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「サクラちゃん、良いかしら?」
「はい。何があったんですか?」
ローズさんが顔を出した。
「街壁工事で事故があったみたい。次々に怪我人が運ばれて来ているわ」
診察室を出て、待合室に急ぎながら話をする。
「今、患者さんは何人ですか?」
「今は11人。でもまだ居るって言ってたわ」
「分かりました」
「シロヤマさん、すまんの」
「所長、指示をください」
所長の指示に従って、怪我人の治療に当たる。何人か見知った冒険者さんがいて、その人達から事情が聞けた。
今まで街壁工事の仕事をしていた冒険者さんが魔物討伐に回ったことで、地属性使いの数が減って、数人掛かりで出来ていた工程が、立ち行かなくなった所が出てきた。その為工期の遅れに焦った役人と冒険者で無理に進めようとして、街壁の一部が崩落。巻き込まれた人が出たということらしい。幸いにも街門の近くだった為、兵士さん達がたくさん居て、迅速に救出作業は進んでいると言うことだった。
十数人の治療の後、最後に運ばれてきたのは左の足首から先が潰れてしまった男の人。
「あれ?トニー?」
ライルさんが声をあげた。
「お知り合いですか?」
「父の部下であり僕の親友。トニーが何故?」
足首から先は小さな骨が多い。集中して治していく。この方は足根骨の損傷が特にひどい。趾骨(足の指の骨)と中足骨(趾骨と足根骨の間の骨)に大きな損傷はない。
距骨、踵骨、足の舟状骨、内側楔状骨、中間楔状骨、外側楔状骨、立方骨が足根骨と呼ばれる骨だ。
位置を確認しながら、慎重に。その後は筋肉、靭帯、腱を修復していく。その間にローズさんとルビーさんが周りの冒険者さんに覚えていることを聞いていた。
「終わりました」
終わった時には3の鐘を大幅に過ぎていた。
最初の方に来た軽傷の方が、トニーさんを回復室に運んでいった。
「ライル、付いていなくて良いのかの?」
「休憩時間に行きますよ」
「受傷者名をひかえておるんじゃが、彼の名前は?」
「彼はアントニー・シュティーレ。シュティーレ伯爵家の3男です」
「シュティーレ伯爵家か。王宮にも知らせた方が良いのう」
「シュティーレ伯爵は法務局の方にいらっしゃるはずです」
「分かった。王宮へは連絡しておこう。皆は昼休憩にしなさい」
「はい」
ライルさんは回復室に様子を見に行って、私達は休憩室に集まった。
「崩壊したのは北だそうよ」
「北の街壁も広げるんでしたっけ?王宮や神殿があるから、広げないって聞いたんですけど」
「1~2km北側にずらすって聞いたわよ。北東の草原部分を放牧場にするって噂ね。兄様達情報だけど」
「ジェイド商会の上層部が知っているなら、決定じゃないの?」
「でも、兄様達、たまに嘘を吐くから。私の反応を見て楽しんでいるのよ」
「愛されているわね」
「どこがよ。サクラちゃん、今日は属性魔法の基礎を講義方式でしましょうか」
「お願いします。ローズ先生」
「よろしい」
偉そうにローズさんが言ったから、ルビーさんと2人で笑い合う。
「魔法はイメージ。これは知っているわよね?出来れば細かい方が魔法を構築しやすいの。朝、サクラちゃんが「風っていうと大気の流れ」って言ったけど、どちらから吹くのか、どの位の強さかを具体的にイメージするのよ」
風向と風速ですね。
「例えばそよ風と強風じゃ、全く違うと言うのは分かるわよね?強風の中に見えない物質、そうね。例えば石が混じっていたら?」
「見えない攻撃?」
「そう。石が剣だったら?鋼線だったら?そうやってイメージを膨らませていくの。これは水でも同じ。水は水その物の形を変えるのよ。サクラちゃんは氷魔法で色んな形の氷を出せるでしょ?それを水でするのよ。氷より水の方が形が安定しないから、より具体的なイメージが必要って訳」
「地属性もそうですか?」
「地属性はちょっと性質が違うのよ。私が学園で言われたのは『地属性はそこに有るものを魔力で動かす』だったかしら。石からの金属分離がそうでしょう?石の中に有るものを、魔力で動かして行くのよ」
「そういう事なのね」
「ルビー?」
「学門所では地属性は少ししか教えてくれないのよ。分からない部分も多いからって。ローズの言葉で、感覚的にやっていたのが分かった気がするわ」
「大和さんは冒険者さんに、そこに有る土をスコップで掘っていくイメージだって言っていました。そのスコップの大きさで発現速度が変わるって。索敵は魔力を水面に広がる波紋の様に広げるって。その中心が自分で、しばらくは集中しないと分からないけど、慣れてきたら魔力の反射の仕方でそこに何があるのか、どういう地形かが分かるようになるって言っていました」
「魔力を波紋の様に広げる?」
「足の裏から魔力を放出するそうです」
「待って。足から?」
「手から放出できるんだから、足からも出来るはずって思って、やってみたら出来たって言っていました」
「まぁ、理論的には出来るわよね。試そうとしなかっただけで」
「後は足から魔力を放出出来れば、中距離の魔法行使も出来るって」
「待って、待って。中距離の魔法行使?中距離の魔法行使は風属性だけのはずよ」
「視認できる範囲でって言ってましたけど。私も見ています。離れたところに居た人を、地属性で浅く穴を掘って驚かせていました」
「トキワ様、何をしているのよ」
「でもこれって知れ渡ったら、地属性をハズレ属性なんて言う人は居なくなるわよ」
「上の立場の人は知っているのかしら?」
「副団長さんは知っているはずです。話したって言っていましたし」
「じゃあ、魔術師筆頭様も知ってらっしゃるわね」
「そうね。でも、魔術師筆頭様、悔しいでしょうね。あの方は地属性は持っていないってことだもの」
「生活魔法でも出来ましたよ」
「サクラちゃん?」
「ゴットハルトさんは、地属性は持っていないんです。でもやってみたいって言って、生活魔法で「あそこの土をここに」ってやっていたら出来たそうです。魔力消費は大きいって言っていましたけど。私も火魔法は無いですけど、生活魔法の火種を飛ばすことはできます」
「生活魔法の火種って、指先に灯すくらいよ?」
「毎朝暖炉に火を着けていて、「あの薪に火が着いたら便利なのに」って思っていたら、出来るようになりました」
「ベテランの主婦はやってるって聞いたことがあったけど、サクラちゃんも出来るのね」
「出来ないって思っているだけで、出来ることはたくさんある気がします」
「考えが固定されてたって事?」
「遊び心が大切だって大和さんに言われました。地属性の使い方も、騎士団で地属性持ちの人と一緒にアイデアを出しあって出来たって言っていました」
「遊び心ね。確かにこの属性はこれって、決まっているのが多いわよね」
「ねぇ、サクラちゃん、中距離行使って、地属性だけ?」
「一応繋がっていれば良いのなら、湖や海で、水属性でも出来そうですよね」
「それはそうね」
「なんだか驚いたわ」
「サクラちゃん、明日からしてみる?」
「はい」
「最初は何からしましょうか?」
「水からだね」
「水からじゃな」
「所長、ライル様、いらっしゃったんですか?」
「いつから?」
「シロヤマさんが生活魔法で火種を飛ばしてたって位から。トニーも目覚めたし、来てみたら面白い話をしていたから、所長と聞いていた」
「立ち聞き?」
「盗み聞き?」
「シュティーレ様、目覚めたんですか?」
「サクラちゃん、合わせてよ」
「大切な事ですよ。加療後の様子を知るのは」
「そうね。そうだけどね」
ルビーさんとローズさんががっくりと肩を落としている。合わせた方が良かったんだろうか?
「シロヤマさん、気にしなくて良いからね」
「それで、明日のお昼休憩からでいいかの?」
「はい。お願いします」
「水属性だったら、所長の方が良いかもね。僕はあそこまで繊細に操作できないし」
「ワシのは自己流が多分に入っておるからの。基礎をというなら、ライルやローズじゃの」
「基礎はライルさんやローズさんで、発展系は所長やルビーさんってことですね?よろしくお願いします」
「サクラちゃんって、良い所を見つけるのが得意よね」
「そうですか?」
「シロヤマさんは、探そうとしないからね。見たままを信じるタイプかな?」
「そうです。分かっちゃいますか?」
「その辺りは見ていたら分かると思うよ」
「見ていたら、ですか」
「そうだ。シロヤマさん、トニーがお礼を言っておいてくれって。改めて礼に来るって言ってた」
「お礼なんて」
「僕からもそう言うだろうってことは言っておいたけど、真面目な奴だからね。たぶん後日来ると思うよ」
「えぇぇ……」
「もし来たら、僕も一緒にいるから」
「お願いします」
お礼なんて本当に要らない。施術師として当然の事をしただけだし、困ってしまう。
「シロヤマさん、礼は受けよう?施術師として当然かもしれないけど、あっちはそうじゃないから。一生歩けないかもって思った怪我が治ったんだよ。貴族じゃなくてもせめて礼だけでもって思うのが当たり前だと思うよ」
「どうして……」
「分かったかって?声に出てたよ」
「あれ?」
お昼からの診察はそれなりに忙しかった。それなりにって言うのは、少しの怪我、針仕事で突いてしまったとか、足を机にぶつけたとか言って、付き添いとして3人ぐらい付いてくるとか、そんな患者さんが多かったから。治療するまでもなく治っている怪我の治療の後、街壁の事故の事を必ず聞いて帰っていく。たぶん事故の話を聞きたいが為に来たんだろうな。
「嬢ちゃん、雨が降ってきやしたぜ」
「オスカーさん。その方は?」
「ニーナってんだ。知り合いから預かってんだよ。ノミでやっちまいやがった。今日に限ってミゲールの野郎、居ねぇんだ」
「ノミで?」
見ると右の小指球、小指側の側面を布で押さえている。
「コイツぁ、左利きなんでさ。あたしと勝手が違って、苦労してやがんのさ」
「右と左じゃ、違いますよね。右利きの人が左で何かをしようとするのが難しいように、左利きの人が右で何かをするのは難しいですし」
「そうなんでさ。一生懸命だから何とかしてやりてぇんだが、なんとも出来なくってね。情けねぇったらありゃしねぇ」
「ご、ごめんなさい」
小さな怯えた声で、ニーナさんが謝った。
「すぐに怯えるしよぉ」
「オスカーさんが自分が情けないと思っているだってことを、伝えなかったら分からないと思いますよ。怯えてるのはニーナさんが出来ないと思い込んでいて、それを責められていると思うからでしょうし」
「あぁ?誰も怒ってねぇ」
「怒ってるように聞こえるんですって」
「あたしの所為だってのかい?」
「そうですよ。オスカーさんの言い方に慣れてない人にとっては、そう聞こえるんです」
「嬢ちゃんは最初っから平気だったじゃねぇか」
「オスカーさんみたいな話し方をする人はいましたし、優しい人ばかりって知っていますしね」
「あの、師匠は怒ってないの?」
「怒ってねぇ」
「照れ屋さんですねぇ」
クスクスと笑って言うと、オスカーさんがそっぽを向いた。
「ニーナさん、怒っている人は、ここまで連れてきて、心配そうに治療を見ていたりしません。情けないって言ったのは、オスカーさんがうまく教えられないことを情けないって思っているんであって、ニーナさんを情けないって思っているんじゃないんです」
「嬢ちゃん!!」
「はい?」
「よ、余計なことを言うねぃ」
「あ、照れた」
「うっせぇ!!帰るぞ」
「あ、ありがとうございました」
オスカーさんとニーナさんは帰っていった。
5の鐘がなる頃には雨は本降りになっていた。大和さん、遅番なのに。雨の日は門での立番とか、どうしているんだろう?
「心配そうね」
「ルビーさん」
「トキワ様、遅番よね?今朝、施療院まで送っていらっしゃったもの」
「そうなんです。雨の日は門での立番とかどうしているんだろう?って思って」
「そうね。雨の日に神殿までってなかなか行かないものね」
施療院を出て、軽量の傘をさす。
「軽くて良いわよね。この傘」
「はい。今までの傘も趣があって良かったですけどね」
「黒ばかりだったものね」
「縁取りに色が付いていましたよね」
「ただねぇ。男が持つには小さいんだよね」
「あ、そうですね。男性用じゃないですもんね」
「サイズが違うからね」
この傘は和傘のような形だ。少しカーブはしているけど、直線に近い。地球の傘のようにドーム型とか鳥かご型とかの傘は難しいのかな。骨の数も多い。数えたら20本あった。
王宮への分かれ道近くで、カークさんとリンゼさんに会った。
「サクラ様、今お帰りですか?」
「はい。カークさん達も?」
「私はリンゼを迎えに。予定していました昼からの依頼が、急遽中止になりましたので」
「ねぇねぇ、サクラさん、その傘、私のと形が違うし軽そうね」
「そうですね。軽いんです。ローズさん、宣伝して良いですか?」
「私がするわ。はじめましてローズ・ジェイドよ。この傘はね、水を弾く布で作られているの。骨の部分も鍛治師連の頑張りのお陰で、ずいぶん軽量化できたのよ」
「お高いんですよね?」
「そこが問題なのよね。この布を使ったコートも作ってはいるけれど、売れないの」
「少し前に水を通さないテントにもなる布の使用感を。という依頼がありましたが、もしかしてそれですか?」
「カークさん、大正解。服飾組合から依頼が出てたはずよ」
「覚えていますよ。雨の日に一晩外でっていう、変わった依頼でしたから。庭にいたら良いってことで、確かジェイド商会の中庭にいて、食事も出してもらえて、大当たりだったと、依頼を受けた冒険者が自慢していました。肝心の事は秘密だと言っていましたが、これですか」
「そうね。普段使うには値段が高いのよね。おしゃれで可愛くて、軽いからおすすめなんだけど。冒険者にもっていうとテントかマントかしら?」
「冒険者さんの意見を聞いてみたらいかがでしょう?幸いここには冒険者さんがいらっしゃいますし」
「サンドラに話してみるわ。値段とか使い勝手とかを聞き取るってことよね?」
「はい」
「サクラ様、お家までお送りいたします」
「リンゼさんとデートだったのでは?お邪魔はしませんよ?」
「デートというか、私は迎えに来てくれたから……」
「雨が降っているからと思って……」
「何かしらね。カップルの甘い空間なら、間に合っているわ。さっさとお行きなさいな」
「私は1人で大丈夫ですよ」
カークさん達を見送って、ローズさん達と別れた。家に帰って夕食を作って食べる。1人の食事は慣れてきたけど、寂しいのは寂しい。
その後お風呂に入って、丸くなってすぐに寝てしまった。