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翌日。目覚めて見覚えのない部屋に少しの間戸惑う。あぁ、フリカーナ伯爵様のお屋敷に泊めてもらったんだ。
今、何時くらいだろう?ベッドから降りて、カーテンを開けて窓際に置かれたソファーに座って外を見ていた。ここの窓からは王都の街並みとその手前の伯爵家の庭園がよく見える。庭師のお爺さんが動いているのが見えた。こんな朝早くから、お仕事をしているんだ。部屋の中に大和さんは居なかったけど、鍛練かな?隣を見ると、ベッドに寝た形跡があって、ホッとする。ここで寝たって分かっただけで、睡眠時間は少ないんだろうな。
1の鐘が聞こえた。遠慮がちなノックの後、マリアさんの声が聞こえた。
「おはようございます。シロヤマ様、起きていらっしゃいますか?」
「おはようございます。起きています」
マリアさんとリーチェさんがそっと入ってきた。
「おはようございます」
「おはようございます。トキワ様が『いつものをするけど見る?』と聞いてきてくれと仰いまして」
「見ます。と、言うか、大和さんが伝言を頼んだんですか?すみません」
「いいえ。お着替えをお手伝いますね」
上品なワンピースを手にしたリーチェさんが立っていた。
「え、あの、持ってきていますが」
「さようでございますか?ジャンヌ様が是非にと仰いまして」
そう言われたら、断りにくい。
「分かりました。着させていただきます」
ワンピースに着替えて、大和さんの所に案内してもらう。裏手にある訓練場のような所に案内された。目をショボショボさせた伯爵様とライルさんもいる。
「おはよう、シロヤマさん」
「おはようございます。寝不足ですか?」
「あ、うん。そうだね。7の鐘過ぎには終わったんだけどね。ちょっと眠れなくてね」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
大和さんは瞑想していた。あぁ、また朱色の緋龍が見える。『春の舞』なのかな?そう思っていたのに、瞑想を解いた大和さんは2本の剣を手にした。
「シロヤマさん、あれって前に見せてもらったアキとか言う舞いだよね?」
「そうですね」
「以前と感じが違うね」
「そうですか?」
「以前は厳しくて、緊張感があったけど、今は穏やかさも感じるよ」
「ライルさん、アウトゥに赤く色付く葉を持つ樹木って、ありますか?」
「僕が知っているのは、黄色ばかりだね」
「手のひらのような葉の木はありますか?」
「いいや。二又か三又ならあるけどね。どうしたの?」
「私には赤く色付いた紅葉と言う葉が見えるんです。こちらにあるのかな?って思いまして」
「それはシロヤマさんだけ?」
「私に見える景色はたぶん私だけです。もしかしたら他にも、アウトゥの景色を見ている方はいるかもしれません」
大和さんの剣舞が終わると、自然と拍手が起きた。大和さんがこっちに向かって歩いてくる。
「ヤマト君、さっきの剣舞はどこかで披露するの?」
伯爵様が話しかけた。
「学園ですね。嘆願書を見せられまして。陛下の許可は頂きました」
「学園か……」
「父上?何を考えていらっしゃいますか?」
「ライル……いいや。何も。何も考えていないよ」
「本当に?」
「ほ、本当だとも」
「学園に行こうかな?とか、考えていませんよね?」
「当たり前じゃないか。ははははは……」
伯爵様とライルさんの愉快な親子ゲンカは放置して、大和さんに視線を移す。大和さんはお揃いの騎士服のような制服を着た10人程に囲まれていた。
「シロヤマさん、そのワンピース、着てくれたのね」
「ジャンヌ様。おはようございます。ジャンヌ様が用意してくださったと聞きまして」
「嬉しいわ。朝食までもう少しあるわね。クロ兄様とナル兄様は、まだ起きてらっしゃらないわ。昨夜は遅かったのかしら。トキワ様はライルが救出に行ったわね。トキワ様と一緒にいるのが家の領兵達よ。ライルにはフェリクス以外、誰も敵わないのよね。我が家で一番貴族らしいのがライルなのよ」
「分かる気がします。他の方々は親しみやすい感じですけど、ライル様はどんな場所でも貴族であろうとしている気がします」
「分かってくれて嬉しいわ。あの子ね、小さい時に同い年の子に酷いことを言われたのよ。それからね。あんな風になったのは」
お屋敷に向かいながら、ジャンヌ様が話してくださった。何でも6歳の時に「4男なんて何の価値もない」と言われたのだとか。何それ。酷くない?
部屋に戻って少ししたら、大和さんが入ってきた。
「おはようございます。大和さん」
「おはよう、咲楽ちゃん。ちゃんと寝たよ」
私が怒る前にと思ってなのか、早口で言う。
「それって一刻とかじゃないですよね?」
大和さんが、分かりやすく目を逸らした。
「大和さんの身体が心配なんです」
そう言って抱き付いたら、そっと抱き締め返された。大和さんからフワッとシャワーの香りがした。
「心配してくれているのは分かってるよ。ごめんね」
「謝らないでください。勝手に心配しているだけです」
「それでも心配かけているのは事実だよ」
そっと私を離して、私を眺めた後、ニッコリ笑った。
「似合ってるね。夕べのTシャツも似合ってたけど」
「見たんですか?」
「一緒のベッドだし、どうしても見えちゃうでしょ」
「まぁ、そうなんですけど」
「毎晩あれで寝たら?」
「裾がずり上がったりしそうです」
「それはねぇ、仕方がないでしょ」
「そうだ。大和さん、瞑想の時に朱色の緋龍が見えました」
「朱色か。ありがとう。舞っている時は?」
「舞っている時には、紅葉が見えました。大きな紅葉の木と一緒に」
「紅葉か。こっちにあるのかな?」
「ライルさんが知っている限りは無いそうです」
ノックの音がした。
「失礼いたします。朝食の用意が整いました」
「今朝はクロード様ですか」
「何の事でございましょう?私はカイベルでございます」
澄ました顔でクロード様が言う。
朝食の部屋に行くと、ライルさんがため息を吐いた。伯爵様も一緒にため息を吐いた。
「ナルキサスと言い、クロードと言い、何をしている?」
「お客人の案内です」
「それは分かるのだがな」
クロード様も席に着いて、朝食が始まった。パン、スープ、厚切りのハム、スクランブルエッグ、フレッシュジュースの朝食。
「ジェフ、張り切ったな」
「お褒めいただきまして」
ジェフさんは礼をして、戻っていった。
「シロヤマさん、食べ終わったら、案内と図書室ですからね」
「はい。お願いします」
「図書室?」
「食べたら案内していただくんです。楽しみです」
「へぇ」
「トキワ殿は駄目だよ。領兵との約束があるでしょ?」
「ライル殿が強引に約束させたのですけどね」
「ああでも言わないと、彼らも引かなかったからね」
朝食を食べ終わって、お屋敷の探検の後、図書室に案内してもらう。大和さんはライルさんに引っ張っていかれた。
図書室は北の方向に有るらしく、窓から王宮が見えた。
「シロヤマさん、ここからね、訓練場が見えるのよ」
「本当だ。何をしているのでしょう?」
「私には分からないわね。あら?ナル兄様もいらっしゃるわ」
「ライル様も見ていますね」
しばらく訓練場を眺めて、改めて蔵書を見せていただく。歴史書があったのでそれに手を伸ばすと、ジャンヌ様にものすごく変な顔をされた。
「そんな物を読むの?」
「はい。その国の歴史って、興味深いです」
「そう。変わっているわね」
「そうですか?」
歴史書は創世神話から始まった。
主神リーリア様が他の6神様を作り、6神様と協力して山脈や海を産み出した。そして動物の元となる生物や人間達を作ったが、この地には魔力が満ち過ぎており、動物が魔物化してしまうことが増えた。そこで人間達に属性に基づいた魔法を与え魔物に対抗できるようにした。これがこの世界の始まりである。
その後は国の成り立ち。それぞれの属性の加護を受けた仲間達と力を合わせ、魔物を狩り、各々が王となり国を作った。その内の1人、風属性の加護を受けたのが、風の始祖王。風の性質通り自由気まま、縛られる事を嫌ったと言う。
まるでファンタジーを読んでいる気分だ。コラダーム王国は、風の始祖王の治めていた土地だそうだ。斜陽の一途を辿っていた前王国を、当時の王に後を託される形でコラダーム初代王が譲られた。それがコラダーム王国の始まり。今代のコラダーム王は20代目。
街区の名称についても書いてあった。最初の内は東地区は東に西地区は西にあったらしい。国土の開拓が進み国が大きくなるにつれ、貴族も増え東地区は西に延び、庶民が増えた事により西地区は東に延びていって、今の形になったという。
「シロヤマさん、熱心だね」
「あ、ライルさん」
「歴史書?面白いでしょ?」
「はい。街区の意味が分かりました」
「書いてあった?僕はそこまで読まなかったんだよね」
「どうしてですか?」
「貴族として必要な知識を、詰め込んでいただけだから」
「そう……なんですか」
「姉上からでも、僕の事を聞いたのかな?」
「はい」
「あの時は憤りもしたし悲しかったけど、そのお陰で今の僕が居る。そう考えると許せる気がするよ」
「ライルさんは強いですね」
「シロヤマさん程じゃないよ。トキワ殿も来たがっていたんだけど、彼も本を読むのが好きだったりするの?」
「はい。知識を得る事が楽しいって言っていました」
「父に頼んで、王立図書館の許可証を出してもらおうか?」
「王立図書館?そんなの、あったんですか?」
「あったんだよ。色々制約はあるけどね。持ち出し禁止の本とかもあるし」
「それは当たり前では?」
「そう?どうする?」
「私は行ってみたいですけど。大和さんと相談してみます」
「そうして。あぁ、もうすぐお昼だって言いに来たんだ。移動しようか」
「はい。あれ?ジャンヌ様は?」
「あそこで寝てた」
「え?」
「起こして先に行ってもらった。僕達も行くよ」
「はい」
昼食はローストチキンと野菜を挟んだサンドイッチ。
大和さんは領兵の皆さんと一緒に摂るらしい。
「シロヤマさん、面白い本はあった?」
ナルキサス様に話しかけられた。
「はい。ずっと歴史書を読んでいました。初代王の活躍が楽しかったです」
「歴史書が楽しい?」
「その国の成り立ちを知るのって、楽しくないですか?」
「ライルと同じって訳だね。僕は途中で眠くなって駄目だった」
お昼から、訓練場に案内してもらった。
「咲楽ちゃん、来たの?」
「はい。楽しいですか?」
「まぁそれなりに。動ける人が多いから、打ち合いにも身が入る」
「今は何をしていたんですか?」
「かくれんぼ」
「はい?」
「気配察知と気配隠蔽の訓練って言い換えた方がいいかな。訓練は楽しくなくちゃね」
「皆さん疲労困憊ですけど?」
「かくれんぼと言いながら、半分は追いかけっこだからね」
大和さんは、楽しそうに領兵さん達の方に戻っていった。
しばらくかくれんぼという名の訓練を眺める。大和さんが高台に上って、地属性を使った。赤みがかった黄色い魔力が、薄く広がる。大和さんが走り出した。隠れている人を見つけては、捕まえていく。楽しそうだ。
隠れている人は見つかったと思ったら必死で逃げていた。それを大和さんが追いかける。
捕まった人はその場に座っていた。肩で息をしているのが気になってそぉっと近付いて、話を聞いてみる。ライルさんが一緒に来てくれた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……えっ?ライル様と天使様?」
「あまり大きな声を出さないようにね。疲れているようだけど、大丈夫かい?」
「はい。久しぶりに全力で走りましたよ。何なんですか?トキワ様は。あの人だけ中にチェーンメイルを着ているんですよ?なのに全力疾走の我々に追い付いて、しかも余裕の顔をしているんですよ?だいたいどうして我々の隠れている所が簡単に分かるんですか?」
「属性魔法は使ってもいいの?」
「はい。でも困惑を使える闇属性持ちは居ませんし、風属性の速度上昇を使っているのも少数です。あ、今捕まったアイツ。アイツは風属性ですね」
そう言って兵士さんはその人を呼んでくれた。
「何かご用ですか?」
「君は風属性の速度上昇を使っていたんだよね?」
「使っていましたね。なのに追いつかれるんですよ」
兵士さんはがっくりと肩を落とした。