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風の月の第1週の光の日。今日から大和さんは神殿騎士だ。昨日言っていた通り、大和さんは早番で起きたら居なかった。今日は良い天気だ。五月晴れって言うのかな?後で大和さんに聞いてみよう。
初夏というには、まだ早いかな?活動しやすい季節だ。人が活動しやすいと言うことは、魔物も活動しやすいということ。カークさんが冒険者が忙しくなるってこの前言っていた。
着替えてダイニングに降りる。スープを温め、朝食と昼食の準備をする。一人の食卓は少し味気ない。
朝食を食べ終え、少し庭に出る。花壇のバラに蕾が付いていた。何色のどんなバラが咲くんだろう。楽しみだ。
花壇を見ていたら、時間を忘れそうになって、慌てて家に戻った。
「サクラ様、おはようございます」
「おはようございます、カークさん」
「参りましょうか」
家を出たら、カークさんが待っていてくれた。
「カークさん、いつもすみません」
「いえいえ。サクラ様のお供ですから、光栄ですよ」
「大和さんの早番の時とか、ランニングはどうしているんですか?」
「走っていますよ。トキワ様と一緒に走る時よりは、時間も距離も短いですが」
「そうなんですか?」
「トキワ様には無理はするな、と言われていますが、習慣になってしまいまして、走らないと落ち着かないのです」
「それって、大和さんが最初に付き合わせたからですよね?」
「そういう訳ではありませんが」
「カークさんは優しいですね」
「サクラ様程ではありませんよ」
カークさんは私を気遣ってくれているんだろう。1m程離れて歩いてくれている。
「カークさん、冒険者さんは忙しくなってきてるんですか?」
「魔物の活動は活発になってきていますね。王都は大丈夫ですが、他の領、特に辺境に近い所は被害が増え始めているようです。王都からも何人も応援に行っていますよ」
「大丈夫なんでしょうか」
「こればかりは、絶対にとは言い切れませんからね」
「そう、ですよね」
なんとなく、沈黙が流れた。
「カークさん、さっき『王都は大丈夫』って言いましたけど、何かあるんですか?」
「特に何があると分かってはいないのですよ。ただ、以前から王都周辺は魔物が少ないと言われているのです。他国の王都や皇都、公都も同じですね」
「他国も同じなんですか?」
「えぇ。7神教の総本山であるセプタヘムス国は、全体的に魔物が少ないと言われていますが、他の国は大体同じなようです」
「どうしてなんでしょうね?」
「7神様のご加護のお陰と言われていますが」
「ありそうですね。7神様のご加護。カークさんはセプタヘムス国に行ったことはあるんですか?」
「無いですね。話は聞いていますが。非常に美しい所だと」
「行ってみたいです。でも、どの位かかるんだろう?」
「高速馬車で1月程です」
「高速馬車で1月……遠いですね」
「多くの参拝者がセプタヘムス国に参拝を目指すのですよ。何故か15年周期で参拝の波が来るのです」
周期でブームが来るとか、あったよね。江戸時代のおかげ参りは60年周期だったっけ。
「いらっしゃいませんね」
「どうしたんですか?」
「いつもならこの辺りで、バラの精霊様とお会いするのに、今日はいらっしゃらないな、と思いまして」
「そうですね。この辺りでローズさんが走ってきますよね。あ、カークさん、何かご用事があって、急いでいるとかですか?」
「用事はありませんよ。2の鐘から街壁工事の護衛兼手伝いは受けていますが」
「私の送迎の為に、2の鐘からしか受けられなかったとかじゃ無いですよね?」
「違いますよ。私は調査員でもありますから、調査の無いときは残っている依頼をみんなで手分けして受けているんです。コルドの間は街壁工事の護衛は人気だったのですが、やはり魔物素材の方が売れますからね。そちらの方が人気なんですよ」
「そうなんですね」
魔物素材の売買って、やっぱりあるんだ。
思い出したくないアウトゥの出来事は知らんぷりをして、カークさんと話をしながら歩いていた。
「あぁ、おいでになりましたね」
その声に前方を見ると、ローズさんが歩いてきていた。隣に知らない男の人がいる。
「おはよう、サクラちゃん、カークさん」
「おはようございます、ローズさん」
「紹介するわ。こちらがユリウス・ヴェルーリャ様。私の婚約者よ」
「はじめまして。ユリウス・ヴェルーリャと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」
「はじめまして。ヴェルーリャ様。サクラ・シロヤマと申します」
「こちらは?」
「カークと申します。冒険者ギルド、調査部に所属しております」
「カークさんは、サクラちゃんの婚約者のトキワ様の従者になりたいって、ずっと言ってるのよ。でもトキワ様が『自分は平民だから必要ない』って言っててね。めげずにお世話を焼いてるって訳」
「へぇ。トキワ殿はそれほどまでに魅力があるのか。カークさんって言ったね?」
「どうぞ呼び捨てで。敬称など、不要でございます」
「冒険者?それにしては言葉が綺麗だね」
「カークさんはずっとこんな感じよ。調査部にいるから、貴族関係もあるでしょうし、気にしなくて良いんじゃないの?」
「まぁ、そうなんだけどね。シロヤマ嬢、ローズがいつも世話になっているようで」
「お世話になっているのは私の方です。仲良くしていただいております」
「シロヤマ嬢も言葉が綺麗だね」
「この口調に慣れちゃって、こっちの方が楽だって言ってたわね」
「そうじゃなかったのが、ローズだね」
「ヒドい。ユリウス様」
仲が良いなぁ。ヴェルーリャ様もローズさんを大切に思っているのがよくわかる。
「サクラ様、フリカーナ様です」
「おはよう、シロヤマさん。今日は走っていかなかったでしょ?」
「おはようございます、ライルさん。はい。ヴェルーリャ様と歩いていらっしゃいました」
「カーク君、ちょっと良いかな」
「はい、フリカーナ様」
「トキワ殿にこれを渡して欲しい。ごめんね」
ライルさんがカークさんに何かの手紙を渡した。
「滅相もございません。今から行ってまいります。サクラ様をお願い致します」
カークさんが神殿の方に引き返していった。
「ライル様、彼の身元は明らかなのですか?」
「えぇ。一応調べました」
そう言って、ライルさんがチラッと私を見て、ヴェルーリャ様と一緒にちょっと離れた。なんだろう?
「サクラちゃん、気になるわよね?」
「気にはなりますけど……」
「分かってるわよ。聞かせたくないか、聞かせられないかでしょ?」
「はい、すみません」
4人で、施療院に向かう。途中で気が付いた。
「ローズさん、ヴェルーリャ様の足が……」
「気が付いた?ちょっと引きずっちゃっているのよ。赴任する前は普通だったから、きっとあっちで何かあったのね。でも言ってくれないの。ずっと説得して、やっと連れ出せたのよ。それでね、サクラちゃんにお願いできないかと思って」
「私ですか?」
「骨折なんかだと、時間が経っちゃうとどうにもできないでしょ?私はそこまで詳しくないし、痛みを抑えることも出来ないの。サクラちゃん、お願い」
「ヴェルーリャ様は承知してらっしゃるんですか?」
「天使様の治療を受けられるの?って嬉しそうだったわよ」
「ヴェルーリャ様は私が天使様だって、知っていらっしゃったんですか?」
「私は言っていないわよ。でも、フルールの御使者の時には知っていたわね」
「知っていて、天使様って呼ばないでいてくれたんですね」
「ユリウス様は文官だから、そういうのはお得意よ。知っていてそ知らぬ風に話をするのよ」
「そういった事が出来る方なんですか。文官として優秀な方なんですね」
「トキワ様と気が合いそうね」
「そうですか?」
大和さんとヴェルーリャ様の会話って怖い気がする。お互い腹の探り合いとかしそうだし。
「何を考えてるの?」
「ローズさんとヴェルーリャ様はお式とか、決まってるんですか?」
「まだよ。婚約はしているけど、私が嫁ぐって言うのも決まっているけれど、ユリウス様のお兄様の件が決まらないとね」
「お兄様の件?」
「えぇっと、婚約者様と喧嘩しちゃったらしいのよ。なんというか、お相手が思い込んじゃう方でね、お兄様が少し口下手なものだから、こじれちゃって。ユリウス様が困っていたわ」
「ヴェルーリャ様のお兄様って事は、確か……」
「次期ヴェルーリャ子爵様ね」
「貴族様の事は分からないです」
「私もたまに分からなくなるわ」
「ローズさんは分からなかったら駄目なんじゃないですか?」
「やっぱりそうかしら?」
「さっき、ローズさんが嫁ぐのが決まっていると言いましたけど、名前はローズ・ヴェルーリャになるんですか?」
「あ、えっと、違うのよ。ヴェルーリャ家の分家を新しく構えるのよ」
「もしかして分かってなかったりします?」
「ごめんね」
「ローズさんらしいです」
施療院に着いて、急いで着替える。ヴェルーリャ様は待っていてくれるって言ったけど、早めの方がいいと思う。
「おはよう、サクラちゃん。急いでいるわね」
「おはよう、ルビー。私がサクラちゃんに頼んじゃったのよ」
「あら、どうしたの?」
「ユリウス様の診察。ユリウス様は待っているって仰っているし、たぶんお喋りでもして、居なかった間の王都の情報収集をしていると思うのよ。だから、急がなくて良いと思うのよね」
「ヴェルーリャ様でしょ?以前もそんな感じだったわね。サクラちゃん、そんなに急がなくて大丈夫よ。ヴェルーリャ様は分かってらっしゃるわ」
「はい」
「それにサクラちゃんの常連さん、1人終わったんでしょ?その時間に入れてくれるわよ。大丈夫よ」
「はい」
診察室に行く際に待合室を通ったら、ヴェルーリャ様は常連さん達と楽しそうにお喋りをしていた。
「ね?言った通りでしょ?」
「はい」
ルビーさんの言葉通り、オスカーさんが来ていた時間くらいに、ヴェルーリャ様が入ってきた。
「負傷箇所は右の足で良いですか?」
「そうだね。右の膝だね。赴任先に行く時にトレープールに襲われてね。トレープールは護衛が討伐したんだけど、逃げる時に転倒してね。膝を打ったんだよ。それからずっと痛いんだ。向こうでも施術師に見せたんだけどね」
「トレープールですか。ご無事でよかったです」
「西の森でも群れで出たんでしょ?その時にシロヤマ嬢と黒き狼が活躍したって聞いたけど」
「私はあの時、必死でしたから。それに助けられない命もありましたし、完全に元通りに出来たわけでもありません」
「当たり前でしょう?そんな事は」
「当たり前ですか?」
「トレープールの群れに襲われて、死者は騎士団が到着する前の数人だけ。奇跡だと思うよ」
「そうでしょうか?」
「実際に襲われた私が言うんだから、間違いないよ」
ヴェルーリャ様は膝蓋骨が欠けていた。欠けていたと言うか、剥離したのが変にくっついていたと言うか。放っておいてもいずれ普通に歩けるとは思う。
こういう風になっている症例は知らない。骨って破骨細胞と骨芽細胞があるから、異常増殖でもしたのかな?欠けた部分に剥離した骨片を補完していく。
後は膝関節に異常がないことを確認したら、処置は終了。
「終わりました」
「あの話している間に?ローズが言っていたけど、本当に規格外だね」
「規格外?ですか?」
「言われた事はない?話をしながら施術する施術師は、君しか知らないよ」
「言われた事はあります」
「悪い事ではないよ。緊張も解れたからね」
「それなら良かったです」
「この事か。ライル様が言っていたのは」
「どうされました?」
「気になる?」
「聞こえるように仰いましたし」
「私の事はユリウスで良いよ」
「はい。ローズさんに許可をもらってから、お呼びしますね。それまではヴェルーリャ様とお呼びします」
「ちゃんと常識もあるじゃないか。ライル様はなんだってこんな事を……」
「ヴェルーリャ様?」
ヴェルーリャ様が私に手を伸ばした。とたんに恐怖で体が強張る。
「そこまでだよ」
ライルさんが入ってきた。