209
建国祭の期間が終わった。お祭りの後の弛緩した空気が王都を包んでいる。
花の月に入って変わった事が3つ。1つはリディー様が学園に戻っていった。見送りには私達施療院の皆と、ご家族、ファティマさんと、それから大勢の冒険者さん達。冒険者さん達が大泣きして大変だった。オイオイと大泣きする20人位の男性冒険者さん達と、それを冷ややかにあしらいつつ笑顔で見送る10人位の女性冒険者さん達。
「皆様、大丈夫でしょうか?」
「リディアーヌ様は気にしなくて大丈夫ですよ。全く鬱陶し……女々し……涙脆いんだから。また、2年後に待っていますからね。お元気で」
「はい。皆様方も、お元気で。お怪我など気を付けてくださいね」
「リディー様も元気でね。下町言葉は出さないように気を付けて」
「ファティマさんもお元気で。がんばります」
そんな会話の後、笑顔で手を振って帰っていかれた。
2つ目は大和さんが王宮騎士団に戻った。これは当初の予定通り。そして花の月の半ばから、闘技場で新人さん達の指導をすると言う噂が、王都民の間に流れている。大和さんによると間違ってはいないらしい。「はっきりとは言えないけど、予定は未定だからね」ってにっこり笑われた。
3つ目はマクシミリアン先生が、しばらく施療院の一員として在籍されることになったという事。新しい施療院はまだ2年先なんだけど、マクシミリアン先生によると「顔繋ぎと顔見せと、先輩の施療院経営のノウハウの指導を受けにね」との事だそうだ。
マクシミリアン先生は騎士団対抗武技魔闘技会の前日に、狼人族の仮装をして現れた。頭に狼耳を付けて、尻尾もちゃんと付けていた。あの狼耳、どうやって付けてたんだろう?ローズさんとルビーさんは「どうなってるのかしら?」って観察してるし、ライルさんは苦笑していた。全く驚かなかった私とリディー様に「もうちょっと驚いてよ」って文句を言いながら、ナザル所長に引っ張っていかれた。驚いてよって言われても私はデリックさんを知ってるし、リディー様は幼少期に自領に居たときに護衛として狼人族の方が何人かいたらしく、「狼のおじ様って呼んでましたの」って笑ってた。
マクシミリアン先生=マックス先生は、今は施療院の2階の一室に滞在している。カルテに目を通すと共に、施術師として週に2日診察をすることになったらしい。ナザル所長は威厳のある感じだけど、マクシミリアン先生はちょっとお茶目なおじ様って感じだ。私にも気さくに話をしてくれる。花の月いっぱい、滞在されるらしい。
今日は花の月の第2の光の日。大和さんは今日は東の市場と東門から北門までの門外の巡回。
花の月に入ってから、少し班の組分けが変わったらしい。地方の騎士団から5人王宮騎士団に配属替えになったからだそうだ。ちなみに全員が貴族様のご子息。新人さん達と少し違うだけの訓練が待っていた為、「聞いてない!!」と全員が叫んだとか。これは大和さんから聞いた話。「平民の俺に指導される事に反発心を持ってても、いつまで保つかな?」って非常に楽しそうに笑ってた。他の騎士さん達は呆れたように見ていたらしい。
今日は霧雨っぽいのが降っているようだ。タオルを何枚か魔空間に入れて、着替えをして階下に降りた。リビングには思った通り大和さんとカークさんの他に2人居る。最近、カークさんの仲間の調査員の何人かが一緒に走っている。
「おはようございます」
「おはよう、咲楽ちゃん。カーク、後は任せた」
「大和さん、逃げないで下さいね。皆様もおはようございます」
「て、天使様、怒ってらっしゃいますね?」
「当たり前です。カークさん暖炉に火を入れてください。それからお2人はちゃんと拭いてください」
持ってきたタオルを渡しながら言う。
「ドライで乾かしましたから、濡れていませんよ?」
「床やソファーが濡れるのを気にしてるんじゃないんです。しっかり拭いたら、しっかり暖まってください」
「まぁまぁ、咲楽ちゃん……」
「大和さんはシャワーに行ってください」
「今からストレッチを……」
「何ですか?」
「……行ってきます」
「大和さん、後でちゃんとお話ししますからね」
「天使様、すみません」
「何故私が怒ってるか分かっているんですか?」
「勝手に上がっていたから?」
「大和さんが許可を出した時点で、私は何も言いません」
「後は……何だ?カーク、助けてくれ」
「それは……」
「カークさんは、黙ってましょうね」
にっこり笑うとカークさんが黙った。
「今日は霧雨が降っていますよね?」
「はい。それほどひどくはありませんが」
「その中を走ってきたんですよね?」
「そうですね」
「濡れませんでしたか?」
「まぁ、多少は」
「濡れると体が冷えますよね?」
「そうですね。このくらいは平気ですよ」
「『平気ですよ』じゃありません。皆さんは冒険者でしょう?その中でも調査という仕事をしています。体が資本じゃないんですか?冷えを軽く見ないで下さい」
「天使様が自分達を心配してくれるとは」
「心配しなきゃいけない状況だということです。それを覚えておいてください」
「サクラ様、いつものを持ってきました。勝手にキッチンに入らせていただきましたが」
「構いません。カークさんも飲んでおいてくださいね」
カークさんが作ってきたのはハチミツ湯。それに少しだけブランデーを垂らしたもの。
「飲んで暖まってください」
「すみません」
「座って下さいね」
「はい」
実はこの会話、カークさんは2回目だ。前回はメンバーが違った。だからキッチンでハチミツ湯を用意できた。問題は大和さん。何回言っても聞いてくれない。
ため息を吐いて、キッチンに入る。朝食の用意にはまだ早いけど、スープを温めた。私がいつまでもあの場にいたら萎縮しちゃいそうだったから、カークさんに任せた。
「咲楽ちゃん、終わった?」
「あちらは終わりました。次は大和さんです」
「分かってるんだけどね」
「分かっているならちゃんと暖まってください」
「心配してくれる咲楽ちゃんが好きだよ」
「はぐらかさないで下さい」
「分かったから、アイツ等にスープを出してあげて」
「今温め中です」
「さすが咲楽ちゃん」
こういう時、大和さんはとにかく私を持ち上げる。
「誤魔化されてあげませんからね?」
「悪かったって。次はちゃんと気を付けるから」
「前回もそう言いましたよね?」
「どう言ったら許してくれる?」
「言葉じゃなくて態度で示してください」
「分かった」
そう言ってにっこり笑うと、大和さんは私を抱き締めた。そのままキスされる。
「朝からは止めてください」
「真っ赤だね。可愛い」
「大和さんっ!!」
「はいはい。良い娘だね」
頭をナデナデされた。
「もぅ。朝食の用意をしちゃいます」
「カークを呼んでこようか?」
「皆さん、あちらで朝食を食べてらっしゃるんでしょうか?」
「さぁ?見てくるよ」
「あ、逃げた」
仕方がないから朝食を作り始める。
「サクラ様、アイツ等にスープを頂いて良いですか?」
「もちろんです。大和さんは?」
「話をしています」
「カークさんもちゃんと食べてくださいね。朝食プレートを仕上げちゃいますから」
「ありがとうございます」
カークさんがスープを持っていって、戻ってくるまでに朝食プレートを仕上げる。パンも温めておいた。
「サクラ様」
「はい。カークさんの分です。パンは足りますか?」
「十分です」
朝食を持ってカークさんはリビングに行った。
少しして、大和さんが戻ってきた。
「咲楽ちゃん、朝食出来た?」
「出来ました。コーヒーはどうしますか?」
「淹れる。ブランデー、入れて良い?」
「ほどほどの量にしてくださいね」
「了解」
ビシッと敬礼して、大和さんがコーヒーを淹れ始める。
「霧雨って感じだね」
「ひどく降っていないですよね?」
「そうだね」
「良かった。傘は重いし笠の方はあんまり被りたくないんですよね」
「俺が持っていこうか?相合い傘する?」
「それは嬉しいんですけど、あの人達、また居るんじゃないでしょうか?」
あの人達というのは、建国祭にやって来て、騎士団対抗武技魔闘技会での大和さんを見てファンになった、自称『親衛隊』の人達6人。
「止めてくれって言っても付いてくるし、迷惑してるんだけど、手の打ちようがない」
「団長さんとか、何か言ってました?」
「団長は『人気者は辛いな』ってニヤニヤしてただけ。むしろ副団長の方が動いてくれている」
「最近トレープールとかウルージュとか、活動が活発になってきたって、冒険者さん達から聞きましたけど、大丈夫でしょうか?」
「どうやら冬ごもりから覚めてきたみたいだね」
「西の森の時みたいな事がないか心配です」
「こればかりはね。そういえばカーク達が草原の調査だって言ってたな」
「草原の調査ですか?」
「ミエルピナエのハチミツの採取者が数頭のウルージュを見たらしい。子連れだって言ってたから要注意だね」
「女王蜂様は大丈夫でしょうか?」
「前に植えたイバラが役に立ってるって報告があった。大丈夫じゃないかな?」
「それなら良いんですけど」
朝食を食べ終えた頃、カークさんが挨拶に来た。
「申し訳ありません。トキワ様、サクラ様。調査に向かいます」
「気を付けてな」
「お気を付けて。いってらっしゃい」
玄関まで3人を見送った。
「大和さん、嫌な感じはしませんよね?」
「今のところは無いね」
「なら良かったです」
「心構えだけはしておいた方がいいね」
「分かってます」
食器を大和さんが洗ってくれている間に、出勤準備をする。少し迷ってパンツとショートブーツにした。
「お待たせしました」
「ちょっと待ってね」
大和さんは座って編上げのブーツを履いていた。騎士団の支給品で体術を使える者用に爪先に金属が入っているらしい。
「例の安全靴ですか?」
「そうだね。間違っちゃいない」
「だって、そう説明してくれたじゃないですか」
「分かりやすく言ったら、って言ったでしょ?あっちで履いてたコンバットブーツよりは薄いけど、これも重いね。革だし仕方ないけど」
「確かに重かったですね。私のと大違いです」
「よし。行こうか」
傘を大和さんが持ってくれて、相合い傘で出勤する。
「大和さん、王宮への分かれ道からは1人でさしていきますからね?」
「送っていくよ?」
「魔空間にもう1本入れてありますから大丈夫です。それに親衛隊の人達まで付いてくるじゃないですか」
「鬱陶しいよね」
「他人事みたいに言ってますね」
「そう思わなきゃやってられない」
「分かりますけど」
「冒険者達も、咲楽ちゃんの親衛隊みたいなものだよね?」
「全く違うでしょう?」
「同じだよね?」
「違いますって」
「咲楽ちゃんだけ、ズルい」
「ズルいって何ですか。ズルいって」
「ズルいの意味?自分の利益の為に要領よく振る舞う事を、ズルいって言うんだよ」
「意味は聞いてません」
「じゃあ、何を聞いたの?」
「分かってるくせに」
「分かりませーん」
「大和さんがだだっ子になってます」
「咲楽ちゃんと一緒の時位、良いでしょ?」
「仕方がないですね」
「咲楽ちゃんは最終的には許してくれるね」
「言っても聞かない人には、こっちが引いた方が楽なんです」
「あぁ、そうだ。エリー様が咲楽ちゃんをまた誘って良いか、聞いておいてくれって言ってた」
「もちろんですって伝えてもらえますか?」
「分かった。伝えておくね」
「今朝のウルージュって子連れって話でしたけど、このくらいの時期なんですか?」
「4月位まで冬ごもりをするはずなんだけど。冬ごもりをするなら冬ごもり中に幼獣を産むけど、こっちだとどうだろうね」
「分からないですよね」
「動物じゃなくて、魔物だからね」
「ウルージュって大きいですよね?」
「遭遇するのは大抵体長が3mはあるね」
「私の2倍以上ですか」
「そうだね。立つともっと大きい」
「体長って、両手両足を着いた状態でしたっけ?」
「そう。四つ足の状態で頭から尻尾の付け根まで」
「尻尾は含まないんですか?」
「尻尾は欠損してる場合があったりするからね」
「欠損とか、傷跡を消したいです」
「それが出来たら神の御業だよ」
「分かってますけど、大和さんのとか、アッシュさんのとか、知ってる人のだけでもって思っちゃうんです」
「俺は痛みも全くないし、気にしてないんだけどね」
「はい」
王宮への分かれ道にはライルさんとローズさん、副団長さんと『自称親衛隊』の6人。
「傘、出しますね」
「気を付けてね」
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん、ライルさん」
「何を話してたの?」
「ウルージュを見かけたって報告があったみたいで、カークさん達が調査に行ったって話です」
「一応、準備はしておこうか」
「はい」
「行くとなったら、シロヤマさんも行くことになると思うけど、魔力量には注意してね」
「はい」
「ライル殿、良いですか?」
大和さんがライルさんを呼びに来て、副団長さんと話をしている。自称親衛隊の人達も聞き耳を立ててるみたい。
「あの人達、邪魔ね」
「ローズさん……」
「トキワ様は嫌じゃないのかしら?」
「鬱陶しいとは言っていましたけど。本気で嫌なら、辛辣な言葉で追い払ってます」
「かなり迷惑そうよ」
「大和さんはお零れにあずかろうとしたり、努力をしない人が嫌いですからね」
「お待たせ。行こうか」
「はい。大和さん、副団長さん、いってきます」
「いってらっしゃい」
「お気を付けて」
「失礼します」
6人組にも礼をして、施療院に向かう。




