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闇の日になった。あの日の翌日、起きたらしっかり大和さんのシャツを握りしめていた。本人は居なかったけど。
大和さん曰く、横になって私を抱き締めて、目を覚ましたらシャツを離してくれなかったから、脱いで持たせてくれたんだそうだ。ご迷惑をお掛けしました。
昨日寝る前に聞かれた。『シャツ、いる?』って。笑いながら。
今日は大和さんは昼勤だ。ゴットハルトさんも早番らしい。今日はお祈りの作法だって事だから、一番馬車の3人のみ王宮に行く。礼の仕方や、歩き方など、不安な人は王宮で練習も出来るって事だけど。ルビーさんは不安だから行くって昨日宣言してたし、ローズさんも2人が行くならって言ってた。リディー様は学園のお友達が今日から泊まりに来ると嬉しそうに言っていた。ただしその実状は宿題渡しだそうだ。帰るときにお兄様に知らされて、背景に『ガーン』って文字が出そうな顔をしてた。
今日もいつものロングスカートに着替えて、ダイニングに行く。暖炉に火を入れて眺めていると、大和さん達が帰ってきた。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「おはようございます、サクラ様」
「おかえりなさい、大和さん。おはようございます、カークさん」
「今日は一緒に行けないけど」
「分かっています。大丈夫です」
「フィルマーの聖霊様と合流するまで、私が一緒に行きましょうか?」
「どうする?咲楽ちゃん」
「お願いして良いですか?」
「もちろんです」
大和さん達が地下に降りていったから、私は庭に出てみた。庭の一角がきれいな方形に囲まれて、中の土は耕してある。どうやって耕したんだろう。読んだ本の中に『グラウンドシェイク』ってあった気がする。それを農業に使ってる人も居たような?
ちょっと曖昧だなぁ。朝食の席で聞いてみよう。
その横にはキンカリュが固まって咲いている。可愛い黄色は見ていると気分が明るくなる。そこも丸く囲ってあった。
囲ったレンガっぽいのがハートっぽくなってて可愛い。これは大和さんの案?カークさんの案?
ダイニングに戻って、時計を見て、大和さん達を呼ぶ。
「朝食の用意が出来ました」
「分かった。上がるよ」
上がってきた大和さんは、シャワーに行った。
「カークさん、あの花壇の囲いのアイデアはカークさん?大和さん?」
「トキワ様です」
「見た目が可愛かったです。ハートが連続してて。しかも不規則に色が変わってて、余計に可愛かったです」
「あれは、私のアイデアです」
「カークさん、可愛い物、お好きですもんね」
「えぇ。好きですね」
幸せそうな顔でカークさんが言った。
「そういえばお土産のスカーフも可愛かったですね」
「ブドウが名産の領はいくつもありますが、あぁいった模様の染めたスカーフは初めて見たものですから」
「染物が有名な所もあるんですよね?」
「興味がおありですか?」
「趣味的に、やっぱりありますね」
「サクラ様はたくさん布を持ってらっしゃいますよね?」
「単一色ばかりなんですよね。模様入りとか、欲しいなって思うこともあるんです」
「模様入りですか?」
「その辺りは工夫次第ですけどね」
「サクラ様の作る物は綺麗ですね」
「そうですか?」
「えぇ。頂いたハンカチもそうですが、サクラ様の作るものは綺麗です」
「ありがとうございます」
「サクラ様は可愛い物より綺麗な物が、お好きなのでしょうか?」
「可愛いのも好きですよ」
「それは良かったです。今日はお祈りの作法だと、先程言っておられましたが、サクラ様は出来ているんじゃないですか?」
「きちんと習ったことはないです。見様見真似ですから、習っておきたいですね」
「楽しみです」
「何がですか?」
「サクラ様が白い衣装を着て、祈る姿を見るのが」
「そんな大したことはないでしょうに」
「サクラ様はお可愛らしいですが、祈る姿はお美しいのでしょうね」
「カークさん、美化しすぎです」
「そんなことはありませんっ」
力一杯言われてしまった。
「カークの大声が聞こえたけど、なんの騒ぎ?」
「トキワ様も言ってやってください。サクラ様はご自分の容姿に関心が無さすぎます」
「それは前からだ。諦めろ」
「しかし……」
「咲楽ちゃん、朝食は出来てる?」
「はい」
朝食プレートとスープを運んで、朝食にする。カークさんはまだ少し不満そうだ。
「あの花壇の土って、どうやって耕したんですか?シャベルとか、無かったですよね?カークさんが持っていたとかですか?」
「あれは地属性だよ」
「プティヴィブラですね」
「あんな綺麗に耕せるものですか?」
「小さいのを何度も重ね掛けして、頑張った」
「魔力制御のいい練習になりました」
「お陰様でふかふかでした。ありがとうございます」
「サクラ様、今日、花壇を作られるんですか?」
「そのつもりです」
「では、種を渡しておきますね」
いろんな種を渡された。きちんと包まれた種名付きのもたくさんある。
「ずいぶんあるな」
「ちょっと失敗しまして」
「何があったんですか?」
「ギルド内で顔見知りの冒険者に声をかけられまして。ポロっとサクラ様が花壇を作るつもりだと言ってしまったんですよ。そうしたら集まってしまいました」
「これ、全部は無理ですね。施療院に持っていって植えようかな」
「良いんじゃない?」
「樹魔法で一気に育てないでくださいね」
「はい。気を付けます」
何気にやってしまいそうだからね、私は。自覚もあるし、やってしまったことも何度もある。
「さっきプティヴィブラって言いましたけど、もっと大きくするって出来ないんですか?」
「サクラ様、それをどこでお使いになる気ですか?」
「農業とかに便利そうだなって思って」
「一応はありますよ。プロフォシオンです。使う者は居ないと思いますけどね」
「何故ですか?」
「大規模になりすぎてしまうんですよ。地震に間違えられたと記録にありますね」
「地震って……」
「サクラ様と同じことを考えたのでしょうね。数十年前に農夫が使ったと記録されていました」
「うゎあ……」
「ですから、サクラ様、使わないでくださいね」
「絶対に使いません」
朝食を食べ終わって、大和さんは着替えに行った。カークさんがお皿を洗ってくれながら、言った。
「サクラ様、先程渡した種の中に、レーヴというのがあると思うのですが」
「はい。ありますね」
「その種だけは芽吹かせない方が良いです」
「何故ですか?」
「そちらの方が楽しいからですよ」
「楽しい?」
「これ以上はお楽しみです」
「教えてくださいよ」
「内緒です」
「えぇぇ……」
何があるんだろう?
「楽しみは後に取っておくタイプですか?」
「そうではなくてですね。蒔いてからだいたい1週後に芽が出ますから、トキワ様とお楽しみください」
「お楽しみ?ユーフェさんに聞いてみようかな?」
「教えて貰えないと思いますけどね」
「カークさんが意地悪です」
「たぶん知っている人は誰も教えません」
「すごく気になります」
「でしょうね。私も一番初めはそうでした。もっとも今でも楽しみなんですが」
絶対に教えてくれなさそうなカークさんに、諦めのため息を吐く。
「今日蒔けば次の闇の日には出るでしょうから、それまでの我慢ですよ」
「はぁい」
「サクラ様のそういう顔は初めてです」
「そういう顔?」
「不満を隠さない顔です」
「まぁ、顔に出さないようにしてますし」
「もう少し出して良いと思いますけどね」
「癖になっちゃってますからね」
「癖って……」
「お待たせ。行こうか」
「大和さんとは、神殿の所までですよね」
「仕方ないね」
家を出て歩き出す。カークさんも着いてきてくれた。
「今日はお祈りの練習だけ?」
「礼の仕方とかも練習してくるかもしれません」
「ルビー嬢とジェイド嬢も行くんだっけ」
「他にも何人か来そうですけどね。帰ってきてから、花壇に種を蒔こうと思ってるんです」
「あぁ、言ってたね」
「本当は大和さんとしようかな?って思ってたんですけど」
「休みが合わないからね。ごめんね」
「寂しくなったら会いに行っちゃいます」
「うん。おいで」
「神殿までも、迷い無く行けるようにならないとですね」
「地図でも書こうか?」
「必要ないって言い切れないのが、悔しいです」
「もうそろそろ迷い無く来て欲しいね」
「行きたいのは私も同じなんですよ?」
「分かってるよ」
方向音痴って改善はされないんだろうか。
「看板でも立ってたら、行けると思うんですけどね」
「『神殿はこちらです』って?」
「はい」
「必要かな?」
「私には必要です」
「咲楽ちゃんには、だね」
「他にも方向音痴の人が、居るかもしれないじゃないですか」
「まぁ、そうだね」
神殿への分かれ道まできた。
「ここでハグでもしとく?」
「ここでって、公道ですよ?」
「もちろん知ってるよ」
「誰が見てるか分からないじゃないですか」
「大丈夫。カークもあっちを向いてるから」
「カークさんだけじゃなくてですね」
「見える位置には誰も居ないから大丈夫」
「こういう時って、大和さんは強引ですよね」
諦めて、おとなしく抱き締められた。
「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」
「咲楽ちゃんも頑張ってきて」
「はい」
大和さんが歩いていくのを見送って、明後日の方向を向いていてくれたカークさんに声をかける。
「お待たせしました」
「もうよろしいのですか?」
「はい」
「では参りましょうか」
カークさんは私の少し後を付いてきてくれている。知らない人が見たら、カークさんが私の後を付けているって勘違いされたりしないかな。
「サクラちゃん、おはよう」
「ルビーさん、リーフェさん、おはようございます」
「では、サクラ様、私はこれで」
「カークさん、ありがとうございました」
「いいえ。失礼します。フィルマーの精霊様、サクラ様をお願い致します」
「私も名前で呼んで欲しいのだけど」
「それをすると、私は他の冒険者達から睨まれてしまいます」
「サクラちゃんは良いの?」
「サクラ様については、認めてもらえましたから」
話ながら移動していたら、カークさんも一緒の方向に歩き出した。
「ねぇ、さっきの『フィルマーの精霊様』ってルビーさんの事?」
「冒険者さんの間で呼ばれてるようですけど、ルビーさんは嫌がってますね」
「まぁ、恥ずかしいですよね」
「私も最初は物凄く抵抗しましたよ。今は諦めましたけど」
「『天使様』って言うのは、吟遊詩人が広めちゃいましたしね」
「そうなんです。1人止めてくれても、3人が呼び始めるんですよ。諦めるしかなかったんです」
「それは黒き狼様も?」
「みたいです。大和さんは『せめて名乗った人には名前で呼んで欲しい』って言って、親しい人には名前呼びしてもらってますけど」
「サクラさん、ヘリオドール様と親しいって聞いたんですけど」
「親しいっていうか、うーん。親しいのは大和さんです。私はおまけですよ。大和さんの側に私が居るから、話してくれてるだけです」
「私はヘリオドール様はエスコートして頂いているだけなんですけど、どんなお方なんですか?」
「ヘリオドール子爵家の五男だって言ってみえました。本人は『周りは自然だけの貧乏領地』って言ってましたけど、花卉類が名産なんだって聞きました」
「はい。ヘリオドール領のお花は品質が良くて、丁寧に育てられているんです」
「行ってみたい場所が増えました」
「どこですか?」
「まずは海です。大和さんは行ったことがあるそうなんですけど、私は無いので」
「海ですか。私も行ったことがありません」
「砂浜とか、歩いてみたいんですよね」
「歩きにくいって聞きましたよ?」
「どうなんでしょうね」
「あのカークさんって冒険者さんなんですよね?」
「カークさんは調査員です」
「調査員って戦えないって聞きますけど」
「戦えないんじゃなくて、戦わないんです。魔物に見つからないように観察して、色んな事を調べて、それを元に冒険者さん達は戦ってるんです。未知の魔物の、生態も分からない状態で観察の為に近付いて、万が一見つかればどんな攻撃をされるか分からないんですよ」
「大変なお仕事なんですね」
「でも評価されないことも多いらしくって。冒険者の下請けだとか、戦えない腰抜けって言われたこともあるって、言ってました」
「私が聞いたのもそういう話でしたよ」
「間違ってるって思うんですけど、冒険者さん達も大変なお仕事ですし」
「でもあんまりな言い方じゃありませんか?」
「冒険者さんの大半は、分かってくれてるって言ってました。それで良いんですって」
「サクラさんは色んな事を知ってますね」
「私のはほとんどが受け売りです。聞いたことをそのまま言ってるだけですよ」
「私は調査員の事とか知らなくて」
「でも、今日知れましたし、ユーフェさんはお花の事とか詳しいでしょう?」
「それは仕事ですから」
「私はお花の育て方とか何も知りません。綺麗だなって思うだけです。それも同じですよ」
「そうでしょうか?」
「その人がやれる事を精一杯すれば良いんですよ。大和さんに言われたことがあるんです」
「黒き狼様ってなんでも知ってるんですね」
「それ、大和さんに言った事があるんですけど、『何でもは知らない。知ってる事しか知らないよ』ですって」
いつの間にか、王宮へ曲がる道に着いていた。
「サクラ様、失礼致します」
「ありがとうございました」
カークさんは何度も礼をして、行ってしまった。
「サクラちゃん、カークさんって、トキワ様の事を本当に尊敬してるのね」
「そうですね。最初の頃は『お仕えしたい』とか言ってました。大和さんが断ってましたけど」
「分かる気がするわ。それにサクラちゃんの事も、ずいぶん気にかけてたわよ」
「私は大和さんの側にいますしね。どうも危なっかしいみたいです」
「それも分かるわね」
納得された。自覚はあるんですよ。
「あぁ、ローズも来たわね。行きましょう」
「リディー様は?」
「あら。そうね。ファティマさんは用事を片付けてから行くって言ってたし」
「おはよう、サクラちゃん、ルビー、ユーフェさん。リディアーヌ様はもう少し待ったら来ると思うわ」
「どうしたの?」
「お友だちとのお別れの最中。もう少し待って来なかったら先に行くって、リディアーヌ様のお兄様に伝えてあるわ」
話をしていると、リディー様が小走りで来るのが見えた。
「リディー様がいらっしゃいましたね」
「そうね。行きましょうか」