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診察室に向かう。
「サクラちゃん、お昼に刺繍教室でしょ?」
「刺繍教室って。施療院のマークを刺繍するだけですよ?」
「私は刺繍って習っていないし、割合楽しみなんだけど、ローズはやる気がなさそうよ」
「あぁ、本当ですね」
「ライル様が何故か楽しみにしてたわよ」
「そうなんですよね」
昨日、この話をした時に、ライルさんが「僕もやってみようかな」って、言ってたんだよね。妙にウキウキして。
「さすがに所長は、見ているだけですよね?」
「そうよね」
「ルビーさん、マークだけにします?」
「どういう事?」
「お花だとか、何かのモチーフとか、どうですか?」
「それはその時に考えるわ」
「はい。分かりました」
診察が始まった。いつもくらいの時間に、オスカーさんが来院した。
「嬢ちゃんは闇属性も持っていたね?」
「はい。今も使っていますよ」
「ここ数日、西地区を彷徨いている時に、妙な連中を見かけたんでな」
「妙な連中?」
「通りで人を捕まえては、妙な事を言ってやがった」
「妙な連中が妙な事を言ってたんですか?」
「あぁ。『闇属性って、恐ろしいんですよ。人を操るんです』とさ。吹き込まれたやつらは相手にしていなかったがね。あんまり妙なんで後を付けたんでさ。そしたらスラムの一角に行っちまった」
「光神派……」
「なんでぇ?それは」
「闇属性を貶めるデマを流している人達の事です」
「王宮は把握してるのかい?」
「はい。ずいぶん前に」
「把握してて、放置かい」
「何も出来ないそうです。大々的に言いふらす訳じゃなく、個人に呟いてるだけでしょう?」
「そういや、星見の祭の時に、エリアリール様が言ってなすったね。あの頃にはもうあの連中が活動してたって訳かい」
「そうなりますね」
「何がしたいのかね?」
「不明ですね」
この時、騎士団に言うように頼まなかった事を、後で悔やむ事になった。
「嬢ちゃん、こういう髪飾りはどうでぇ?」
「髪飾り?」
見せてもらったのはスリーピン。結構大きい。
「髪飾りっていうか、髪留めですね。これがあったら、いろいろアレンジが楽しめますね」
「細工師達で、髪結いに売り込もうと思ってな」
「オスカーさん、針金をこう、二つ折にして、片方の端を少し上げるって出来ませんか?」
「どういう事でぇ?」
「えっと、こういう形です」
作ってもらおうと思ったのは、ヘアピン。
「へぇ。そういう形ですか。それも髪結いに売れそうですね」
「こっちは鍛治系の奴にやらせるか」
「後、この髪留めに飾りをつけても、良いですね」
「それは木工組合に考えさせるか。嬢ちゃん、どうやって思い付いたんで?」
「私の髪って、結い難いんです。今はシュシュで留めてますけど、すぐ落ちちゃうんですよね。だから何かないかな?って思ってて、さっきの髪留めを見て思い付いたんです。でも自分では何も出来ないから、専門の人に任せちゃおうって思って」
「それがあたしって訳かい」
「オスカーさんとミゲールさんですね」
「私もですか?」
「お2人とも、専門の方でしょう?」
「違ぇねぇ」
3の鐘が鳴って、休憩室に行って、お昼を食べる。
「サクラちゃん、いつ始めるの?」
「お昼は食べさせてくださいよ。急いでも良いことはありません」
「分かってるわよ。私もまだ途中だもの」
「刺繍って叱られた記憶しかないのよね」
「ローズ、何をしたのよ」
「何もしてないわよ。ちょっとカーテンに花を刺しただけよ」
「それで何故、叱られるんですか?」
「ジェイド嬢の花を刺したっていうのは、刺繍したって事じゃないよ。本物をカーテンに縫い付けたんだ」
「ライル様っ!!言わないでっ!!」
「何の花だったかな?赤い花を黒い糸で縫い付けたんだよね」
「ライルさん、どうして知っているんですか?」
「サティアス殿ってナルキサス兄上と同級なんだよ。その関係でね。長期休暇に家に来てたりしたし」
「ライルさん、ローズさんが拗ねちゃいました」
私の横で、「だって本物の方が綺麗じゃない」とか、「仕方がないじゃない。針に付いてたのがその糸だったんだもの」とか、ずっとぶつぶつ言ってる。
「ローズさん、クッキー、あげますから、機嫌を直してください」
「どれ?」
「ベリーのです」
「5枚頂戴?」
「3枚です」
「それじゃ無理」
「刺繍しながらにしようと思ったんですが、ローズさんは要らないんですね?」
「食べるわよ。サクラちゃんの意地悪」
「拗ねないで下さいよ。ローズさんの方が年上なんですから」
「サクラちゃんが、いじめる」
「いじめてません。刺繍、しないんですか?」
「する気が無くなったわぁ」
「天使様の方がお姉様に見えますわね」
「あれを見てるとね」
「しかも話ながら、綺麗に刺繍をしていますわ」
「リディー様、教えてね」
「はい」
ルビーさんとリディー様がこそこそ言いながら、刺繍を始めた。
「ほら、ローズさん、刺繍しないんですか?」
「はぁい」
ようやく刺繍道具を取り出したローズさんに基本から教える。
「ステッチの基本は知ってるんですよね?」
「刺す幅が一定にならなくて、そこで嫌になったの」
「最初は一定にならなくて、当たり前ですよ」
「でも『この位出来なくて、本当に貴族のお嬢様ですか?』って言われたのよ」
「それを言ったのって……」
「リサの前々任の刺繍部門の主任よ」
「おいくつの時ですか?」
「8歳位ね。それからしばらくして、その人は辞めていったの」
「そんなの無理に決まってるじゃないですか。8歳でしょう?」
「自分は『この位は5歳には出来ていた』が口癖だったわ」
「そんな訳、ありません。何なんですか?その人」
呆れた。8歳の子どもに言う言葉じゃない。もしその人が本当に5歳で出来ていたとしても。
少しずつ、アウトラインステッチをローズさんに教える。針目なんか気にしなくて良い。最初は出来たっていう喜びからだから。
いきなりマークをって訳にいかないから、最初はローズさんの属性の火を図案化したものを刺してもらってる。
「サクラちゃん、なんだか歪んでいるんだけど」
「これくらいなら大丈夫ですよ。炎の揺らめきです」
「シロヤマさん、上手いこと言うね」
「最初から上手に出来るなんてありません。誰でも最初はこんなものです」
「サクラちゃんも?」
「もっと酷かったですよ。お婆様に『ずいぶん個性的な花だね』って笑われましたから。やり直すって言ったら、『気持ちが籠っているものを、やり直せだなんてとんでもない。これは宝物だよ』って言ってくれて、ずっと大切にしてくれました」
「サクラちゃんにもそんな時があったのね」
「当たり前です」
今、縫っているのは、腕章だ。白い布を腕に巻いていたけど、解けてくる時があるし、この世界にもエバングルっていう安全ピンの様なものがあるから、提案してみた。
施療院のマークはアウトラインステッチのみだ。チェーンステッチとかもあるけど、こっちを選んだのは、比較的簡単だから。これなら初心者でも出来ると思う。
意外と、といったら失礼かもしれないけど、ライルさんが綺麗に刺している。ライルさんの刺しているのは氷のモチーフ。雪の結晶を刺してもらってる。直線のみだけど、歪みがはっきりわかるから、案外難易度が高い。
「サクラちゃん、どう?」
「良いじゃないですか。綺麗です」
ルビーさんが刺していたのは、葉っぱの形。それをいくつも蔦のように繋げている。
これらは最終的にハンカチにするつもり。みんなにはまだ内緒だけど。
「そろそろ終わりじゃの」
「え?もうそんなに時間が経ったの?」
「やってみると意外と楽しいね」
「こんなに集中したのは久しぶりだわ」
診察室に戻る前に、刺繍道具は預かった。
「天使様、それはどうなさるんですの?」
「ちょっと考えがあるんです」
「教えてくださいまし」
「内緒です」
リディー様と内緒話をしていると、待合室の冒険者さんに暖かく見られた。
「ほのぼの姉妹っ」
「怪我をしたのは痛ぇけど、これはなごむっ」
「リディアーヌ様にも何か付けようぜ」
「正統派お嬢様だよなぁ」
「まだ、学園生なんだろ?」
「早く卒業して、施術師として働いてくれねぇかな?」
「まだだよなぁ」
「オレっ、リディアーヌ様と天使様をずっと見守るんだ」
「バカっ!!泣くヤツがあるかっ!!」
「大丈夫でしょうか?」
「お仲間の方に任せましょう」
リディー様に直接心配されたら、余計に泣き出しそうだよね。
お昼からの診察は冒険者さんが多い。今は街壁の工事に携わっている人と、闘技場の関係の方が多い。症例としては、擦過傷がもっとも多くて、次いで捻挫、切傷と続く。
5の鐘が鳴って終業時間になった。
施療院を出て、ルビーさんが離れてから、ローズさんに聞いてみた。
「ローズさん、ずっと忘れてたんですけど、ルビーさんのベールって出来たらどうしたら良いんですか?」
「預かるわよ。友人の刺繍もあるから」
「その時までに、お花の刺繍、練習しておきます?」
「サクラちゃん、簡単なお花って何か無い?」
「面刺繍が出来るなら、チューリップとか簡単なんですけどね」
「子どもっぽいじゃない」
「それはデザイン次第ですよ」
「描いてくれる?」
「承りました」
王宮への分かれ道には、大和さんが待っていてくれた。
「お疲れ様、咲楽ちゃん。皆様もお疲れ様です」
「大和さんもお疲れ様です」
「刺繍教室はどうだった?」
「あぁ……」
思わず、ライルさんと一緒に、ローズさんを見る。
「どうしたの?」
「何でもないです。そうですね。個人的にはライルさんの刺繍が綺麗で驚きました」
「昔から、手先は器用でね」
「そうなんですか?」
「クリストフ兄上によく手伝わされたしね」
「クリストフ様、お元気でしょうか?」
「元気にしてるって、たまに手紙が来るよ。また天使様と黒き狼殿に会いたいって書かれていた」
「フルールの御使者の事は、知らせちゃったんですか?」
「知らせてないよ、知られたら絶対に無理して飛んできそうだし。知らせた方が良かった?」
「止めてください」
「僕は知らせてないよ」
「ありがとうございます」
「咲楽ちゃん、そろそろ帰ろうか」
「はい。皆さん、失礼します」
大和さんと手を繋いで歩く。
「さっきのって何だったの?」
「刺繍教室の事ですよね。ローズさんの刺繍嫌いの理由が分かっちゃって、みんなが複雑な気分になっちゃったんですよね」
「何だったの?」
「一言で言っちゃえば、『天狗になった大人が、子どもに対して大人げなくマウントを取りに行った結果』でしょうか?」
「何?『自分は小さい頃から優秀だった』とか、『こんなのも出来ないの?』みたいな事、やったの?」
「どうして分かるんですか?」
「『天狗になった』って部分で、自分は小さい頃から優秀だったって自慢したんだろうなっていうのと、『大人げなくマウントを取りに行った』って部分で、馬鹿にしたんだろうなって思っただけ」
「大和さん、スゴいです」
「しかし、何をしたかったんだろうね。その頃ってジェイド嬢は小さかったんでしょ?」
「8歳位って言ってました」
「虐待って言う程じゃないけど、苦手意識を植え付けるには十分だろうね」
「でも、ローズさんの刺繍、結構お上手でしたよ」
「見てみたいね」
「もうしばらくお待ちください」
「何か企んでる?」
「企んでなんかいません」
「ふぅん」
「信用してください」
「してるよ」
「本当ですか?」
「咲楽ちゃんこそ、俺を信用して?」
「してますよ」
「本当に?」
「してますって」
「何をしてもらおうかな?」
「何をさせられるんですか?」
「考えておくよ」
「無茶振り無しでお願いします」
「無茶振りねぇ」
あ、大和さんがニヤッとして、私を見た。嫌な予感……。
「咲楽ちゃんからのキスは待つとして、うーん……」
「怖いんですけど」
「白ネコパジャマ?」
「久しぶりですね」
「それで許してあげるよ」
「着るだけで良いんですね?」
「そんな訳、無いでしょ?もちろん膝枕とキスはセットね」
「もちろんなんですか?」
「当たり前とも言う」
「言っちゃうんですか」
そう言いながら、少し違和感を覚える。
「大和さん?私が最初に信用してくださいって、言ったんじゃなかったでしたっけ?」
「やっと気がついたの?」
「と、言うことは、白ネコパジャマはしなくて良いんですよね?」
「何言ってるの。それは有効でしょ」
「えぇぇ」
「えぇぇ、じゃないの。可愛く言っても駄目」
「大和さんが騙したんじゃないですか」
「人聞きの悪い。気付かない咲楽ちゃんが悪いんでしょ?」
「大和さんのバカぁ」
「約束は守りましょう」
「狼さんパジャマを作ってくれるように、アレクサンドラさんに頼んでやるぅ」
「何て恐ろしい脅し文句を」
大和さんがわざとらしく身体を震わせた。
家に着いたら、私はお夕食の準備。今日のお夕食は、ウィンナーと豆の煮込み。これで豚肉なら、カスレだね。って大和さんに言われた。
「大和さん、白ネコパジャマはやっぱり着なきゃ駄目ですか?」
「往生際が悪いねぇ」
「私は騙された被害者です」
「そんなこと無いでしょ?」
「そんな事、あります」
「咲楽ちゃん、良い娘だから、ね」
食後、小部屋で大和さんの膝に乗っけられて、説得(?)される。って、納得できるわけは無いよね。
「咲楽ちゃん、お願い」
腰をホールドされて、後ろから囁かれる。私は大和さんの膝に座らされていて、大和さんの顔は見えない。
「咲楽ちゃん、愛してる」
ずっと無視していたら、なんだかおかしな展開になってきた。
「咲楽」
「もう止めてください」
「お願い、聞いてくれるね?」
「分かりましたから、止めてください」
「良し。言質は取ったからね」
しまった。分かったって言っちゃった。
「咲楽ちゃんの白ネコパジャマを楽しみに、風呂に行ってこようかな」
「いってらっしゃい」
「疲れてるね」
「誰の所為ですか」
「誰の所為だろうね」
笑いながら、大和さんはお風呂に行った。
スープを作って、ルビーさんのベールの刺繍をする。慎重に文字を刺していく。
一生懸命刺していると、大和さんが覗き込んできた。
「もう少し?」
「そうですね。予定通り、今月中には終われそうです」
「とりあえず、風呂に行っておいで」
「はい」
白ネコパジャマかぁ。久しぶりだなぁ。大和さんってこの白ネコパジャマ、好きだよね。
このパジャマを着ると、大和さんが私をネコのように扱うから、甘えたくなっちゃうんだよね。ずっと撫でてくれる手は気持ちいいし、大和さんの膝の上で寝ちゃいそうになる。
これに抵抗があるのは、要するに恥ずかしさが勝ってしまうから。20歳過ぎて、着ぐるみパジャマはちょっとね。
抵抗はあるし、大和さんに嵌められた感はすごくあるけど、分かったって言っちゃったし。
寝室に行くと、大和さんが満面の笑みで、待っていた。
「咲楽ちゃん、おいで」
「はい」
「素直だね」
「諦めました」
大和さんの膝に頭を乗せると、すかさず撫でられる。
「咲楽ちゃんは反応がいちいち可愛いんだよね」
「それを言うために、これを着せたんですか?」
「俺の趣味」
「趣味……」
「本気にしないでね」
「撫でられてると眠くなります」
「咲楽ちゃんはいつもだね。良いよ、寝ちゃっても」
「ごめんなさい」
「嬉しいんだよ?安心してくれてるってことだから」
「大和さんの手って、大きくて安心します」
「そう?」
「大好きです」
「俺も咲楽ちゃんが大好きだよ」
大和さんの言葉が聞こえた気はしたけど、眠くてそのまま寝ちゃったみたい。