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闇の日。今日からエスコート役の騎士様との練習が始まる。つまりは大和さん以外の男性に触れなきゃならないかも、と言うことで、かなり憂鬱だ。ライルさんが大丈夫だったからと言って、他の人も大丈夫とは限らない。
『彼等は杖とでも思えば良いから』
『手すりと思えって言われたことがありますわ』
この2つの言葉をお守りにしよう。でもこれって、男の人には失礼極まりないよね。
昨日ゴットハルトさんがわざわざ家に寄って、触れても大丈夫かの確認をしていってくれた。アザレア先生が団長さんに言って、団長さんがゴットハルトさんに指示してくれたらしい。
ゴットハルトさんの腕に手をかけて、リビングからダイニングまで歩いたら、大和さんに「終了」って声をかけられて、大和さんの腕の中に閉じ込められた。
「シロヤマ嬢をヤマトから奪おうなんて、これっぽっちも思わないから、そんな眼で見るな」
「そんな眼ってどんな眼だ?」
「視線だけで不機嫌と分かる眼だ」
「不機嫌?」
気になって大和さんを見たけれど、いつもの優しい大和さんだった。
「ヤマトがそんな眼を、シロヤマ嬢に見せるものですか」
「そうなんですか?」
「さて、一応大丈夫だったと、団長には報告しよう。じゃあ、明日、王宮への分かれ道で」
「あぁ」
大和さんはゴットハルトさんを送っていって、しばらく帰ってこなかった。外で話をしていたらしい。
ゴットハルトさんは大丈夫だったけど、他の騎士様に当たるかもしれないんだよね。
今日は薄曇り。日差しは雲間からチラチラ覗く程度。
着替えてダイニングに降りて、暖炉に火を入れる。大和さんの勤務は西の市場の巡回だけど、一応、お昼を作っておいてって頼まれた。
「咲楽ちゃん、ただいま」
「サクラ様、おはようございます」
大和さん達が帰ってきた。
「おかえりなさい、大和さん。カークさん、おはようございます」
「今日はちょっと寒いかな?」
「サクラ様、ちょっとじゃ無いです。すごく寒いです」
「カーク、お前……」
「すごく寒いです」
「結局、どっちなんですか?」
「ちょっと寒い」
「すごく寒いです」
「寒いのには変わりないんですね」
笑いながら言うと、何故か大和さんに抱き締められた。
「あー、可愛い。そうだね。寒いのには変わり無い」
「大和さん、地下は良いんですか?」
「行ってくる」
もう一度ぎゅってしてから、大和さん達は地下に降りていった。
スープは作ってあるし、昼食の準備でもしようかな。私だけならラップサンドでもいいんだけど、大和さんもって言ったから、サンド系かな。
今日の夕食の下拵えと、昼食をあとは挟むだけの状態にしておいて、時計を見て伝声管を開ける。
「朝食の準備が出来ました」
「分かった。上がるね」
大和さん達が上がってきて、大和さんはそのままシャワーへ。
「今日は何の話をしましょうか?」
「ん~。どんな魔物がいるかというのも分かっていないんですよね」
アラクネさんの事を、カークさんに聞いたら、丁寧に教えてくれた。上半身人間の下半身蜘蛛という認識は合っていたらしい。違っていたのは女性型だけでなく男性型もいるということ。
「女性型だけで、繁殖はどうするんです?」
カークさんにそう言われたけど、言われてみれば確かにそうだ。
上半身は人形だけれど、発声器官が無いらしく、話せないらしい。主に温厚なタイプと攻撃的なタイプに分けられるらしく、温厚なタイプは共存して糸をくれたりするんだけど、攻撃的なタイプは襲ってくるから、魔物認定されたままなんだって。女性型は織物が得意で、アラクネさんの織った布は超高級品。男性型は弓が得意で、害獣駆除をしてくれている。蜘蛛糸による捕獲ももちろん使う。捕獲してきた獲物を解体するのは人間の役目。温厚型は普通に村の中で生活しているから、火を使わないアラクネさんに食事を提供して共に食事をしている。それで互恵関係を築いているらしい。
「それでは今日は、クルーラパンの事を話しましょうか」
ちなみに昨日はトレープールについてだった。
「お願いします」
「クルーラパンに出会ったことは?」
「アウトゥに木を伐りに森に行って、会いました。寄ってきてくれて、しばらく撫でていました」
「クルーラパンはそうそう寄ってこないんですけどね。大きかったですか?」
「30cm位でした」
「それはまだ幼体ですね。成体になると1mを越えます」
「ずいぶん大きいですね」
「主に愛玩用なんですが、クルーラパンは毎年毛変りしますから、飼育してその毛で商売する人もいるんですよ。サクラ様の手袋にも付いてませんでしたっけ?」
「あれって、クルーラパンの毛だったんですね」
「いろんな色がありますからね」
「でも、抜け毛なんですよね?どうやって布にしているんだろう?」
カークさんが少し呆れたように私を見た。
「剥ぎ取りネットを使っているんですよ。毛変りの時期にネットを被せておくと、きれいな一枚皮が採れるんです」
「へぇ。スゴいんですね」
「カークの魔物講座か?」
「今日はクルーラパンについて教えてもらいました」
「あぁ、あの時の」
「思い出しちゃうじゃないですか」
「何があったんですか?」
カークさんに聞かれた大和さんが答える。私は耳をしっかり塞いでいた。
「イビルアングイスが出たんだよ。討伐したけどな。咲楽ちゃんは蛇系が嫌いで、聞きたくもないらしい」
「討伐できればいい稼ぎになるんですけどね。トキワ様が倒したんですか?」
「あぁ」
「どうやって倒したんです?」
ワクワクした感じでカークさんが聞いている。
「森の中だったしな。攻撃をいなして、立ち木を足場に飛び上がって、眉間に剣を突き立てた」
「そういえばアウトゥに、状態のいいイビルアングイスが持ち込まれましたっけ」
朝食を食べながらも、イビルアングイスの話が続く。
「もう止めてください」
若干涙目になりながら言うと、大和さん達がバツの悪そうな顔をした。
「ごめん」
「すみません」
朝食を食べ終わって、大和さんが着替えに行く。
「サクラ様、はグランシュニーは平気ですか?」
「アレ程の嫌悪感はありません」
「それなら良かったです。グランシュニーは伸び縮みする糸が採れますしね。グランシュニーが成長するとグラースパピヨンになるんです。綺麗ですよ。うっすらと虹色に光って」
「それは見てみたいです」
「グラースパピヨンは見つけるのが難しいんです。なにせ、透明ですからね」
「虹色に光ってるって言いませんでしたっけ?」
「透明なんですよ。日の光に反射して見方によっては、虹色に光って見えるんです」
「透明なら、どうやって見つけるんですか?」
「触覚だけが赤いんですよ。王都の空でもたまに見られます」
「えっ。王都でも見られるんですか?」
「えぇ。忍耐力が要りますが。見られますよ」
「見てみたいです。けど、時間がないです」
「捕らえるのも難しいですからね」
「捕らえるって害があるんですか?」
「王都では無いでしょうね」
「どこならあるんですか?」
「果物を特産としている領です。なにせ大きいですから、蜜を吸いに来た際の羽ばたきで、花が落下するのです。主に果樹ですが」
「そうか。受粉していない状態で花が落下したら、実が成りませんね」
「そうなんですよ」
「グラースパピヨンって、どのくらいの大きさなんですか?」
「大きいものなら2mになりますね」
「ん?その幼虫のグランシュニーはどの位ですか?」
「大体同じ位の大きさですね」
2mの芋虫さん?さすが異世界。
大和さんが降りてきて、3人で家を出る。カークさんとはここでお別れ。
「では、トキワ様、サクラ様、行って参ります」
「あぁ、気を付けてな」
「行ってらっしゃい、お気を付けて」
王宮に向かって歩いていく。
「咲楽ちゃん、カークと何を話していたの?」
「グランシュニーとグラースパピヨンの話です。グランシュニーの成体がグラースパピヨンだそうです」
「へぇ」
「グラースパピヨンって、王都の空でもたまに見るそうですよ」
「飛んでるかもしれないって?でも透明なんだよね?」
「触覚だけが赤いそうです。見るには忍耐力がいるそうですけどね」
「そうだろうね」
「王都では無害なんですけど、果樹に害があるそうです」
「ん?何故?」
「羽ばたきで、花が落ちちゃうんですって」
「ずいぶん直接的なバタフライエフェクトだね。あっちでは非常に些細で小さなことが理由で、様々な出来事を引き起こし、徐々に大きな出来事に変化していくことって意味だったんだけど、こっちでは文字通りな上に些細な事じゃないんだね」
「大きさは2m位のもいるみたいです」
「ずいぶんデカいな」
「でも、見てみたいです。日の光に反射して見方によっては、虹色に光って見えるんですって」
「へぇ。それは見たいね」
「サクラちゃん」
声をかけられて振り向くとルビーさん、ファティマさん、ノラさん、アンリさん、ユーフェさんの姿。
「あ、ルビーさん。おはようございます。今日は声をかけてくれたんですね」
「相変わらず仲が良いね」
「見ていて幸せになれます」
「これで結婚していないんだからね」
「でも婚約者なんだろ?」
「そうよね。でも婚約期間が長いのって普通じゃない?」
「ルビーさんの所もそうだったね。何年だったっけ?」
「3年ですね。私の叔父が患っていたので」
「その叔父さんは?」
「あれは何だったの?って位、元気です。だから結婚に踏み切ったって言うのもあるんですよね」
「良かったねぇ」
ルビーさんの叔父様の話ははじめて聞いた。
「サクラちゃんは気にしなくていいのよ。叔父様の事に関しては黙ってたんだし、薬師さんの領分で、私達は手が出せなかったんだし」
「はい」
「天使様はそういうのも気になっちゃうのかい?」
「自分が何も出来ないって言うのが、悔しくて。何でも出来る訳じゃないって言うのは分かっているんですけど」
「そうだねぇ。何でも出来るなんて無理だしね」
「サクラちゃんは理解はしているけど、心が付いていってないのよね」
「そういう事なんだね」
王宮への分かれ道ではいつもの騎士様達と、ローズさん、リディー様の姿。
「サクラちゃん、ルビー、ファティマさん……皆さんおはようございます」
「ローズ、人の名前を省略しないの」
「だってぇ……」
「おはようございます、ローズさん、リディー様」
「おはようございます、天使様。ルビーさん、ファティマさん、ノラさん、アンリさん、ユーフェさん、おはようございます」
「おはよう、リディー様」
「ルビー様におはようと言っていただきましたわ」
大喜びしているリディー様を、ファティマさん達が不思議そうな表情で見ていた。
「ルビーさん、リディー様はどうしてあんなに大喜びしてるんだい?」
「施療院に来た初日に、リディー様にだけ『おはようございます』って言ったら、『私もおはようって言われたい』って言い出しちゃって。貴族様そのものの口調だったから、『私の事を自然にルビーさんって言えるなら』って条件を出したんです。それで、最近、やっと自然に言えるようになったって感じですね」
「私達も貴族様の口調にしろって言われたら、出来ないもんね。そりゃ、喜ぶね」
「そろそろ参りましょうか」
声をかけたのは、大和さんと王宮騎士のバルトロメウスさん。
「皆さんお綺麗ですね。いやぁ、幸せです。あ、私、バルトロメウスと言います。長いのでバルと呼んでください」
「バルじゃないか。あんたも護衛騎士かい?」
「げっ。ノラ叔母さん」
「なんだい?『げっ』て。姉さんに言い付けるよ!!」
「バルはノラさんの甥っ子だそうだよ」
「そうなんですか?」
こっそり大和さんが教えてくれた。どうやらアンリさんとファティマさんは、知ってたみたいだけど。
今日は団長さんは付いてこなかった。ゴットハルトさんも残りの子を待つみたい。
王宮に着くと、部屋の前にサファ侯爵様がいらした。
「おはようございます、皆様。今日よりエスコートの講師に加わります、クォール・サファと申します。まずは皆様、奥へどうぞ」
部屋の中に入って、前回と同じように座る。
やがて、スサンヌ様達も入ってきて、練習が始まった。最初は礼の仕方から。これが結構きつい。スサンヌ様達は普通にやっているけれど、私達は転びそうになるのを何とか堪えている状態だ。
「一番馬車の御使者様は一番目立ちますから、練習しておいてくださいね」
サファ侯爵様に笑顔で言われた。
部屋に15人の騎士様が入ってきた。これからエスコートの練習だ。最初に説明を受ける。
「まず最初に男性が手を差し出しますので、その手を取ってください。その後はその手に導かれるまま、相手の腕に手を添えてください」
私の前に来てくれたのは、大和さんだった。良かった。
「お手をどうぞ」
「はい」
大和さんの手をとって、その腕に手を添える。
「咲楽ちゃん、ホッとしているところ、悪いけど、次は相手が変わるよ」
「変わっちゃうんですか?」
「あれだね。お見合いパーティーみたいに、男性がぐるっと回るんだよ」
「そうなんですか?」