168
「納得された……。あ、百人一首は好きです」
「源平戦?」
「それなら8割は勝ってました」
「覚えてるってことか」
「はい。今でも50首は覚えてると思います」
「俺はせいぜい30首位かな」
「大和さんに勝てたかもしれませんね」
「戦略ゲームなら負けないよ」
「大和さん、負けず嫌いですもんね」
市場でお惣菜とスープと足りない食材を買って、家に帰る。
「そういえばね、リバーシがあったよ」
「あったんですか?」
「うん。ライル殿として、勝った。買ってきたけど、一緒にする?」
「私、弱いんですよね」
「ハンデ、いる?」
「下さい」
「潔いね」
「負けるのが分かってますもん」
「どういうハンデにしようか?」
「どうしましょう?」
「考えといて?」
「はい」
「ゲームか。久し振りにしたけど、楽しかったね」
「久し振りなんですか?」
「奉納舞をボイコットしてからだから、1年半位ぶり?」
「ボイコット?」
「参加を拒否するって事だね」
「意味は分かってます」
「聞かずにおいてくれると助かるかな」
「聞かれたくないんですか?」
「うん」
「……分かりました、聞きません」
「ごめんね」
「話せるようになったら聞かせてください」
「分かった」
低く笑って、大和さんが言う。
「咲楽ちゃんは優しいね」
「大和さんの方が優しいですよ?」
「俺が折れそうになると、さりげなく支えてくれる。そんな咲楽ちゃんだから好きなんだよ」
「支えられていますか?」
「この上もなく」
「良かったです」
家に入って私は着替えに自室に行く。着替えたらダイニングに降りる。
お夕食を終えたら、小部屋に移動する。
「咲楽ちゃん、今日は刺繍はしないんだよね?」
「はい。今日はしませんね」
「じゃあ、思う存分イチャイチャしようか」
「イチャイチャですか?」
「そう。まずは……何しよう?」
「さぁ?」
「まぁ、いつもの感じで良いか」
ソファーで肩を引き寄せられて、大和さんに頭を預ける。
「大和さん、聞きたいんですけど、将棋やチェスが戦略ゲームって言ってましたよね?」
「言ったね」
「囲碁はどうなんですか?」
「あれも戦略ゲームだね。囲碁は深い戦略的思考が要求されるゲームだよ」
「戦略的思考?」
「囲碁って簡単に言うと陣取りゲームだから。囲碁の目的って、自分の色の石によって盤面のより広い領域を確保することだからね」
「そうなんですか?っていう事は大和さんって囲碁もしてました?」
「将棋と囲碁はじい様仕込みだね。チェスは傭兵時代に覚えた」
「そうやって聞くと、大和さんって指揮官も出来そうです」
「指揮官?少人数なら大丈夫だけど」
「だけど?」
「俺は暴れたい方だから」
「よく分かんないんですけど、指揮しながらは出来ないんですか?」
「指揮官っていうのは状況を分析しながら、最適な攻撃を指示したり、守備を固めたりするものだから、先頭切って暴れてちゃいけないんだよ。そこまで器用じゃないしね」
「あぁ、分かりました」
少しの間、会話が途切れた。大和さんはずっと私の頭を撫でている。
「咲楽ちゃんの髪の毛はさらさらだね」
「結い難いって言われたことがあります。さらさら過ぎて滑っちゃうんですって」
「そんな感じだね。撫で心地が良い」
「撫で心地……。よく大和さんが言いますよね」
「癖になるんだよ。触りたくなる。俺がアレンジ出来たらたぶんずっと触ってるよ」
「三つ編みとか?」
「三つ編みなら俺にも出来る……と思う」
「思うですか」
「やったこと無いし」
「やってみます?」
「ん~。やめとく。撫でてる方が良い」
「まぁ、ご存分に」
「分かった。存分にさせてもらう」
大和さんが笑う。
「そういえば今朝のって」
「今朝の?あぁ、咲楽ちゃんは、で止まったヤツね」
「はい。何だったんですか?」
「咲楽ちゃんはさらっと『好き』って言ってくれるねって、言おうと思ったんだよ」
「言いましたっけ?」
「言ったよ。『そういう大和さんも好き』って」
「……言いましたっけ」
思い出した。確かに言った、と思う。
「真っ赤になっちゃって。可愛い」
「あれは、英語で言っちゃうのも好きって事で、えっと……」
「俺の事、好きなんでしょ?」
「好っ!!きですけど……」
「俺は咲楽ちゃんを愛してるよ」
私の髪を一房取って、私を見ながらそこにチュッと口付ける。
「そういうの、どこで覚えるんですか?」
照れてしまって小さな声で聞いてみる。
「口にする方が良かった?」
「そんな事言ってませんっ」
大和さんから体を離して、立ち上がる。
「はいはい。落ち着いて」
「落ち着いてって、落ち着いてって……」
「はい。ここに座って」
示されたのは大和さんの膝。
「膝?ですか?」
「そ。さ、座って」
「無理ですっ」
「おいで?」
「でも……」
「咲楽ちゃん、おいで」
「重いですよ?」
「咲楽ちゃんは軽いよ。おいで」
ためらいながら、大和さんの膝に座る。
「捕まえた」
腰に手を回される。ちょっとびくってなった。
「怖がらなくて良いから。嫌がる事はしないから」
鼓動がいつもより速いのが分かる。怖い訳じゃない。緊張してるんだと思う。
「咲楽ちゃん、緊張してる?」
「はい」
私の頭に顔を擦り付けながら、大和さんが笑う。
「いつまでもこうしていたいけどね。ちょっと行動に移すのが遅かったかな」
大和さんの手が、私の身体から離される。
「そろそろ風呂に行かないとね」
そっと私を自分の膝から降ろして、大和さんが立ち上がる。
「続きはベッドでね」
囁いて、大和さんはお風呂に行った。
今日は何だったの?急なスキンシップに頭が混乱してる。
大和さんの事は好きだ。でも、あんな風に触れられる事は無かった。
無かった?本当に?気付かなかっただけじゃない?
ノロノロ立っていって、明日のスープを作る。あまり頭が働いてなくて、でも作り慣れてるからかなんとか作り終えた。
スープを作るのにこんなに時間を掛けたのは、初めてだ。小部屋で座り込んでると、大和さんがお風呂からあがってきた。
「まだ、刺激が強かったかな?」
「急にスキンシップが増えましたよね」
「咲楽ちゃんに触れたかったんだよ」
「お風呂、行ってきます」
頭が働いてない状態で、シャワーを浴びる。少し熱目のお湯で頭をすっきりさせた。出来てるかな?膝に乗せられたり、髪にキスされたり。抱き締められる事には慣れた。と、言うか慣らされたというか。ほぼ毎晩抱き締められて眠ってる。
流されてるんじゃないか、って時々思う。大和さんは優しくて、たくさん私の事を好きだって言ってくれてる。
私は大和さんに愛情を返せてる?分からない。大和さんの事は好きだ。優しくて、いつも護ってくれて、強くて、格好良くて、でも時々少年みたいで。
私は大和さんに無理をさせてない?私の気持ちが追い付くまでって待ってくれてる事を、私は知ってる。知ってて待たせてる。
自分がこの上もなく卑怯な真似をしている気になってきた。大和さんの優しさに甘えてる。
髪を乾かして、寝室に行く。
「おかえり、咲楽ちゃん」
ベッドで大和さんがいつものように笑ってくれた。
「戻りました」
ベッドに上がったら、引き寄せられて、大和さんの腕に収まる。
「何を考えてた?」
「私は大和さんの優しさに甘えてますよね」
「ん?」
「大和さんが待ってくれてるのを、私は知ってるんです。知ってて待たせてるんです」
「だから?」
「私は卑怯です」
「どこをどうしたら、そういう思考に陥るの?」
「だって、大和さんは優しくて、いつも護ってくれて、格好良くて、私はそれに甘えてて、大和さんに無理をさせてるんじゃないかって、思って……」
「無理ね。してないよ。って言っても納得しないんだろうね」
黙って頷く。
「さっきの事で、そう思ったの?」
「はい」
「別に無理もしてなけりゃ、我慢もしてないんだけどね」
「本当ですか?」
「信じられない?」
「だって、最初の頃に襲うかもって言ってました」
「襲うかもでしょ?欲情に任せて咲楽ちゃんを襲うほど、若くないよ。俺が咲楽ちゃんと同世代だったら分からなかったけどね」
「大和さんは若いです」
「精神的にって事だよ。自分の感情をそのまま出す事に、躊躇いが出てくるんだ。どんな時でも『それで良いのか、そのまま進んで良いのか』って自分に問いかけるようになってくる。押さえ込む術も心得てくるし」
「でも……」
「お望み通り、押し倒してみようか?」
肩を押されて、倒された。大和さんが覆い被さってくる。怖い。
「ほら。まだ受け止めきれないでしょ?」
大和さんがその身を起こす。
「大和さんだったら、頑張って受け止めます」
「怖いって思ったでしょ?頑張ってって言葉が出る内は、まだ咲楽ちゃんの中で受け止めきれてないんだよ。恐怖を誤魔化すと、必ず皺寄せが来る。咲楽ちゃんにそんな思いはさせたくない」
「でも……」
「必ず受け止められる時は来るから。焦らないで良い」
再び手を引かれて、大和さんの腕に収まった。
「頭で大丈夫だと思っても、心が拒否してたら、必ず恐怖がある。咲楽ちゃんは無理してないって言うけど、無理は確かにしてないと思うよ。恐怖心に蓋をしているだけだ。今は蓋がまだ簡単に外れるんだ。もうちょっと待とうね」
「どの位ですか?」
「ん~。1年位?」
「そんなに?」
「これまでの経験からしたらそれ位は掛かると思う。結婚するまでは手を出すつもりはないし」
「どうしてですか?」
「妊娠したらどうするの?この世界の避妊がどうなってるのかは分からないけど、確率は高いでしょ?」
「まぁ、その辺は習いましたけど」
「それを分かってて、無責任なことはしたくない」
大和さんは真剣に考えてくれてるんだ。それが嬉しかった。
「ただ、まぁ、抱き締めて寝るのは許してね?」
「はい」
「後、キスも」
「はい……はい?」
極自然にキスされた。
「咲楽ちゃんに触れたいって想いは誤魔化したくないしね」
「えっと……?」
「今日みたいなのも、時々しようね?」
「今日みたいなのって、押し倒されたり?」
「違う違う。咲楽ちゃんを膝に乗っけて、甘えさせて、って事」
「小部屋でしてた事ですか?」
「そういう事」
「お手柔らかにお願いします」
「了解」
「あ、リバーシ、してないですね」
「時間が無かったしね」
「また今度ですね」
「それまでにハンデを考えておいてね」
「リバーシって角を取ったら有利なんですよね?」
「そうだね」
「じゃあ、角にあらかじめ置かせてください」
「そう来たか」
「ダメですか?」
「OK。それでいこうか」
「はい。それで勝てなかったら、どうしましょう」
「最初は角、1つ置きから始めて、増やしていく?」
「そうします」
「そういえば、リバーシの駒が、青と赤だった」
「白黒じゃないんですか?」
「盤の色も緑じゃなくて黒だった。お陰で高級感が出てたよ」
「黒に赤?大和さんの好きな色ですね」
「好きな色……部屋の色を言ってるなら、若気の至りって事で」
「格好いいと思います」
「咲楽ちゃんの部屋は何色だったの?」
「壁は白です。フローリングだったから、床が木目調?」
「カーテンとかは?」
「私の好みは聞いてもらえなかったので、母が選んだイエローでした。そこまでキツくなかったですけど」
「ベッドとかは?」
「白いシーツでしたね。大和さんは?」
「カーテンは濃い赤。ラグが黒。家具は全て黒にしてた。さすがにシーツは……白だったはず?」
「はず?」
「掛け布団が黒だった」
「落ち着かなさそうです」
「案外落ち着けてたよ。威圧感はあったけど」
「威圧感を与えるなって言われたんでしたっけ?」
「そうそう」
「その部屋から大和さんが出てきたら……何でもないです」
「高校の時、魔王様、降臨って言われた」
「魔王様……」
「上下紺と黒の稽古着だったし、竹刀持ってたし、仕方ない?」
「魔王様。そろそろ休みませんか?」
「その呼び方、やめてね?」
「はい。魔王様」
クスクス笑いながら言うと、大和さんがため息を吐いた。
「もう寝る。おやすみ、咲楽ちゃん」
横になると、抱き締められた。
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「もう言わないでね?」
「言いませんよ」
リバーシの「角の先置き」はオセロの正式なハンデだそうです。
知らなかった……。
あまりに私が弱いので「先に置かせてあげるよ」と言う親切な友人に甘えて使ってましたが、確認したところ、友人も知らなかったそうです。