166
氷の月に入った。
フルールの御使者の正式通達を受けたと言っても、世間に公表されるのは芽生えの月に入ってからだ。それまでは知られる事はない。という建前らしい。もちろん大抵の人は誰が選ばれたのか知っている。何番馬車かまでは知らないけれど。
なのでそこかしこで予想合戦が繰り広げられる。当然のように情報紙上では予想コーナーで『一番馬車の御使者は誰だ!!』っていう文字が踊ってた。施療院の3人が選ばれた事は公然の秘密状態で、待合室に明らかに患者さんでない人の姿が現れだした。
今日は緑の日。大和さんはお休みだ。天気は曇り空だけど、降ってはいない。着替えてダイニングに降りる。ディアオズの水量を確認して暖炉に火を入れる。しばらく炎を眺めていると、大和さんが帰ってきた。
「お帰りなさい、大和さん」
「ただいま、咲楽ちゃん。アッシュ達が一緒だけど良いかな?」
「はい」
ほどなくしてアッシュさん達が入ってきた。
「おはようございます。サクラ様」
「おはようございます。今日はどうされたんですか?」
「今日は久しぶりに休みなので、トキワ様に稽古を付けて貰おうと思って。後、サクラ様、フルールの御使者、おめでとうございます」
「ありがとうございます。ちょっと憂鬱ですけど」
「憂鬱って何故ですか?」
「ドレスは着たいんですよ?でもパレードが憂鬱です」
「あぁ。目立ちたくないと言っておられましたね」
「アッシュ、そろそろ……」
「一旦失礼します。トキワ様、2の鐘位にまた来ますね」
「本当に咲楽ちゃんに祝いの言葉を言うだけだったな。一緒に朝食を食ってっても良いんだぞ」
「それはまたの機会に。では失礼します」
アッシュさん達は帰っていった。
「大和さん、ダニエルさんが居ませんでしたけど」
「風邪をひいたんだそうだ。熱っぽいから薬師の所に行って治してから、また来るってさ」
「あら」
「さて、地下に行ってくる」
「あ、はい」
大和さんが地下に降りていって、私は朝食とお昼の準備。あ、大和さんはお昼はどうするんだろう。
伝声管を開けて、聞いてみた。
「大和さん、お昼はどうします?」
「お昼?お昼ね。どうしようかな?一応作っておいてくれる?いつものより軽めに」
「分かりました」
サンドを私の分と大和さんの分を作って、それぞれ包んでおく。朝食の準備が出来たら、時計を見て大和さんを呼ぶ。
「大和さん、朝食が出来ました」
「分かった。上がるね」
大和さんが上がってきて、そのままシャワーへ。
カークさんが居ないから静かだ。いつ頃帰ってくるのかな?
「咲楽ちゃん、何を考えてるの?」
「カークさんっていつ帰ってくるのかな?って思ってました」
朝食を運びながら答える。
「俺が聞いたのは、目的地に着くまで2日。調査に早ければ2日。って事だったから早かったらそろそろ戻ってくるね」
「何の調査なんでしょうね?」
「そこまでは聞かなかった」
「そういえば、狼の上位種っていうか、フェンリルって居ないんでしょうか?」
「聞かないね。見たいの?」
「見たいですけど、遭遇はしたくないです」
「トレープールは討伐したけど。今まで遭遇した魔物って蛇とウサギと狼と熊と犬と猫だけだね」
「あ、ほんとだ」
「そう言えば定番と思われる昆虫系も聞かないね」
「昆虫系?」
「でっかいアリとか」
「あぁ。定番ですね」
「でっかい蝶とか」
「蝶ですか?」
「でっかいGとか」
「台所の悪魔ですね。定番の昆虫系って大きいのばかりでしたっけ?」
「俺の読んだのは、でっかいのが出てきた」
「アリは大きかった記憶がありますけど」
「咲楽ちゃんの読んでたのってどんなの?」
「そうですね。錬金術で、とか聖女系、でも恋愛なしとか……」
「恋愛なしって。そんなのあった?」
「後はゲーム世界とか」
「あぁ、そういうのね」
「大和さんは?」
「大抵は剣と魔法の世界のファンタジー。巨大ロボットが出てくるのもあったかな?」
「剣と魔法の世界に巨大ロボット?」
「面白かったよ。巨大ロボットが魔法を使ったりとか」
「戦隊物?」
「咲楽ちゃんって意外な物を知ってるよね」
「見たことはありませんよ?友人が『イケメンが出てるから』って騒いでたんです」
「そういうニーズもあったのか」
「あったみたいですね」
朝食を終えて、大和さんが食器を洗ってくれている間に私は出勤の用意。
「久しぶりに洗った」
着替えて降りていくと、大和さんが満足そうに言った。
「夕食後とか洗ってくれてるし、1週間くらいやってくれてるじゃないですか」
「そう?」
「このやりとり、飽きてきました」
そう。このやりとりは4回目になる。今週頭から毎日だから。
「他のを考えようか」
家を出ながら、大和さんが楽しそうに言う。
「いつまで続けるんですか?」
「カークが戻ってくるまで」
「大和さんもカークさんを待ってるんですね」
「どこをどう気に入られたか分からないけど、従者にって言ってくる位だからね。正直に言うと従者なんて要らないけど」
「でも側近の人が居たんですよね?」
「側仕えね。同じような意味だけど。従者も同じような意味だね」
「あまりよく分かっていません」
「その立場にならないと分からないよね」
「はい」
「貴族なら分かると思うから、ライル殿にでも聞いてみれば?」
「別に知らなくてもいいですけど」
「咲楽ちゃんはそういう人だね」
「そういうって?」
「自分が仕えられる側の人間って思わないって事」
「それはそうでしょう。平凡な人間ですよ?私は」
「天使様なのに?」
「呼び名だけです」
「そんな事無いよ。咲楽ちゃんに救われてる人はたくさん居る。俺もその1人だけどね」
「そんな事ありますって。でも大和さんに救ってもらってるのは、私ですよ」
「救いあってるって事かな」
黙って歩いてると、チコさん達が急いで来るのが見えた。
「あいつ等……」
「遅刻ですか?」
「ギリギリかな」
「あ、教官。おはようございます」
「おはよう。ギリギリじゃないのか?」
「はい。すみません。失礼します。あ、シロヤマさん。フルールの御使者、おめでとうございます」
「ありがとうございます。時間は良いんですか?」
「やべっ!!失礼します」
チコさん達は走っていった。
「大丈夫かな?」
「心配ですか?教官さん」
ちゃかしてそう言うと、大和さんが笑った。
「キツい訓練にも喰らい付いてくるしね。面倒見てるとこうなるよ」
「大和さんっていい先生ですよね」
「どうなんだろうね」
「王宮の方の見習いさん達も見てるんですよね?」
「あっちは貴族子弟が多いね」
「王宮だからですか?」
「たぶんね」
「貴族様って事は言う事を聞かないとか、無いんですか?」
「騎士になりたいって来てるんだよ?この国では貴族子弟だから騎士になれるって程簡単じゃない。ちゃんと実力は見るし、従わなければならない決まりもたくさんある」
「よくありませんでしたっけ?貴族だからって威張ってる系の騎士が居てって話」
「あったね。けど、そういう奴は居なかったな。最初に見習い達の前で模擬戦をしたけど、食い入るように見てたし、選民意識のある貴族は少ないんじゃない?」
「それって珍しいですよね?」
「だろうね。と言っても、俺達のこういった知識は本の中からだけだし、実際は分からないけどね」
「そうですね」
「色々違うね」
「なんでしたっけ。こういう状況を表す言葉ってありましたよね?」
「Seeing is believing.百聞は一見に如かずって意味だね」
「大和さんっていちいち英語で言いますね」
「ごめん」
「いいんですけど。そういう大和さんも好きですし」
「咲楽ちゃんは……。なんでもない」
「何ですか?」
「なんでもないって」
「気になります」
「気にしなくていいよ」
「気になっちゃいます……」
「じゃあ、また夜に教えよう」
黙って歩く。大和さんに握られた手が暖かい。
「アラクネさんは居るみたいですよ?」
「何の事?」
「昆虫系は聞かないって言ったじゃないですか。シュシュのゴムを探していたときに、アラクネ種の糸の方が質が良いって言ってた気がします」
「アラクネって下半身蜘蛛で、上半身女性だったっけ」
「私の知ってるのだとそうですね」
「居るのか」
「見たいですか?」
「どうだろう?積極的に見たいと思わないかも」
「アラクネさんって、大抵美人さんで胸が大きい描写でしたね」
「胸ねぇ」
「私はコンプレックスです」
「咲楽ちゃんのは栄養状態によるものも大きいんじゃない?」
「大きい方がいいですか?」
「大きさよりは形かな?……って、朝から何を言わせてるのかな?この娘は」
「コンプレックスだって言ったじゃないですか」
「これで俺が大きい方が良いって言ったら、どうするつもりだったの?」
「頑張ります?」
「いやいや、何をどうやって。……やめとこうか」
「朝からの会話じゃないですよね」
施療院に着いた。
「行ってきます」
「いってらっしゃい」
着替えに行くと、ローズさんが居た。
「おはよう、サクラちゃん。今日は家に来るのよね?」
「はい。お邪魔します」
「ベールの事になると、ルビーよりマルクス様の方が気にしてるように感じるわ」
「ローズさんも?私もです」
「サクラちゃんは今日はお祈りはどうするの?」
「年迎えの神事までは続けようかと思ってます。この前大和さんと話してて、亡くなった方の魂が私の周りにいてくれてるかもって思ったら、何となくそうしたくなりました」
「そう」
「前向きなお祈りですよ。前みたいに自分の精神安定の為も兼ねてたりするんじゃなくて、純粋にご冥福を祈りたいんです」
「それは分かってるわ。前とは雰囲気が違うし。冥福を祈るって元の世界にもあったの?」
「ありましたよ。宗派によって違いましたけど」
「いくつもあったって言ったっけ。何て言うか、面白いわね」
「特に仏の教えとなると死した魂は49日かけて裁きの場所に着いたりとか、途中にある川の渡し賃を持っていったりとか」
「一月以上かかるの?」
「そうなんです」
「それで皆、魂の休息場に行けるの?」
「えぇっとあまり詳しくないんですよね。みんなではないです。悪いことをした人はそれなりの罰があったはずですし」
「どんな?」
「ごめんなさい。覚えてないです」
「トキワ様なら知ってるかしら?」
「あまりその辺は聞きたくないです」
「そうなの?」
「はい。すみません」
「いいのよ。騎士様だったら事情があって当たり前だもの。この国では無いけど、戦争をしてるって所もあるしね」
「魔人族の方とでしたっけ?」
「友好的な魔人族も居るんだけどね。難しいわね」
「おはよう2人とも……どうしたの?」
「戦争って悲しいし難しいわねって話してたのよ」
「どういう話題からそっちに行ったの?」
「確かお祈りの話題からよね」
「私がお祈りは年迎えの神事までは続けようかと思ってるって、言ったところからですね」
「続けるの?」
「せめて年が変わるまでって思っちゃって」
「そう。サクラちゃん、何か落ち込んでない?」
「落ち……込んでるって言うか、コンプレックスを刺激されたって言うか、勝手に落ち込みの原因を作ったって言うか」
「何それ?」
「えっと、アラクネさんって居ますよね?」
「居るわよ。アラクネ種にさんは付けないけど」
「アラクネさんって下半身蜘蛛で、上半身女性で合ってます?」