165
「闇の日毎ね。2の鐘に集合だったら、一緒に行く?」
「はい」
「所作の練習って何するの?」
「馬車への乗り方や降り方、エスコートのされ方、ドレスでの動き方、神殿での祈りの仕方だそうです。ライルさんが教えてくれました」
「エスコートのされ方?咲楽ちゃん、大丈夫?エスコート役が俺だといいけど、他の騎士だったら……」
「思い出させないで下さい。不安なんですから」
「ゴットハルトとかで慣れておく?」
「いざとなったら頼みます」
「いざとなったら、ね」
「案外大丈夫かもしれませんし」
「次の闇の日次第かな」
「そうですね」
気が付けば4の鐘が過ぎていた。お夕食の支度をしなきゃ。本当は温まるシチューとかにしたかったけど、時間が無い。ん?時間的には大丈夫かな?煮込みハンバーグにしちゃおう。煮込みハンバーグというか、煮込みミートボール?
野菜もたくさん入れてトマトソースで煮込む。デミグラスソースで煮込みたかったけど、作るには時間がかかるし、ブラウンソースまでは作れてもその先は作ったことがない。
明日からは大和さんは王宮だからお昼が要る。だからついでに薄いハンバーグも作っておく。
私が夕食を作ってる間、大和さんは何かを読んでいた。長い足を組んでソファーで本を読むその姿は、格好いい。
思わず見とれてたら、大和さんに笑って言われた。
「時間が空いたなら、こっちに来て座ったら?」
小部屋に行ってソファーに座ったら、大和さんに覗き込まれた。
「さっきは何を見てたの?」
「何も見てません」
「ずっとこっちを見てたのに?」
「見てません」
「視線を感じたよ?」
「気のせいじゃないですか?」
「気のせいねぇ。それにしては長かったけど?」
「長……って、知りません」
「ふぅん。まぁいいけど」
「植物図鑑ですか?」
「咲楽ちゃんに似合う花は無いかなって見てた」
「似合う花ですか?」
「咲楽ちゃんならどれだろうね。カサブランカよりマドンナリリーだと思うんだけど、こっちの百合は大振りのが多いね」
「百合ですか?」
「そう。ん?何だ?これ」
「何ですか?」
そこに載ってたのはルピナス。ルピナス?
「ルピナスってこんなのでしたっけ?」
「こんなのルピナスじゃない。確かにあっちではオオカミバナとも言われてたけど、荒野でも咲くって意味でこれとは違うでしょ」
「花の形がオオカミのようってまぁ、確かにこれは見た目オオカミですけど」
「それが集まって咲いてるとか……」
「異世界ですね」
「改めて実感した」
「ですね。もしかして、お好きなんですか?ルピナス」
「割りと好きな類いの花だったけど。どうして?」
「ショックを受けてるからです」
「あまりの違いに愕然としたっていうか、似ているところが多いからそのつもりでいると、全く違うのを突きつけられるっていうか……」
「大丈夫ですか?」
「慰めてくれる?」
「えっと、どうやって?」
「咲楽ちゃんの膝枕」
「今からですか?」
「寝室でお願い」
「分かりました」
キッチンに行って煮込み具合を見る。
「大和さん、お夕食、出来ました」
「今日のも旨そう」
お皿に取り分けて、軽く焼いたパンを添える。
「フルールの御使者って衣装は聞いたけど、その他は未知だね」
「そうですね。オープン馬車から花を撒くって言ってませんでしたっけ?」
「その他は?」
「公式行事に神殿で祈るポーズをするって、言ってました」
「ポーズ?実際に祈るんじゃないの?」
「実際の祈りはエリアリール様やスティーリア様達神官様がするから、ポーズだけだそうです」
「それは見物人が増えそうだね」
「あ、全員じゃありませんよ。一番馬車だけです」
「咲楽ちゃんのお祈り姿は絵になるからね」
「それ、ローズさん達にも言われました」
「何故ジェイド嬢達が知ってるの?」
「施療院に祈念所があって、そこをお借りしてるんです」
「あぁ、あったね。ん?借りてるって?」
「あの部屋って落ち着くんです。それでお祈りしてて」
「それで心の平穏を保ってたの?」
「はい」
「気付いてあげられなくて、ごめん」
「大和さんは話を聞いてくれて、甘えさせてくれたじゃないですか。謝らないで下さい」
少しの間、2人とも黙ってた。食べ終わって食器を片付けて小部屋に移動するまで。
「咲楽ちゃんのフルールの御使者の姿、楽しみだね。カメラが無いのが悔しい」
ソファーに座ると大和さんがそんな事を言い出した。
「この世界って、知らないものばかりで楽しいです」
「俺は咲楽ちゃんと居られて楽しい」
「私も大和さんと居られて楽しいです」
「咲楽ちゃん、ずっと一緒にいてくれる?」
「はい。居ますよ?明日からはまた大和さんはお昼が要りますよね。用意してありますからね」
「そういう意味じゃ……。まぁいいか」
「大和さん?」
「何でもない」
「そうですか?」
大和さんが植物図鑑を見出したから、刺繍をする。このまま進めれば、芽生えの月には出来そうだ。
「デイジーはデイジーだね」
「え?あ、本当だ。デイジーも可愛いですよね」
「咲楽ちゃんに似合いそう」
「そうですか?」
「ムティシアって、これ、ガーベラだよね」
「そうですね。ちっちゃい子にお花の絵を描かせると、だいたいガーベラみたいなのを描くって知ってます?」
「言われてみれば?そんな感じかも」
「疑問系ですか?」
「お絵かきなんてしなかったし」
「男の人はしませんよね」
「俺はした覚えはない」
「でも、大和さんって、絵が上手いですよね」
「中学でやってたから」
「部活ですか?」
「そう。在籍しても部活に出なくて良くて、って部を探したら、美術部か華道部だった」
「大和さんなら運動部でも活躍しそうなのに」
「運動部系は鍛練の時間が無くなるから」
「剣道部とか、弓道部とか、無かったんですか?」
「無かったね。咲楽ちゃんは?」
「私は家庭科部でした」
「家庭科部って何するの?」
「いつもは作品を作ってましたよ。月に1回ずつお菓子作りの日と華道の日がありました」
「へぇ。エプロンと三角巾を着けてやってたんだ。セーラー服?ブレザー?」
「セーラー服でした。卒業した2年後からブレザーに変わったんです」
「高校の時は?」
「制服ですか?セーラー服でした。こっちも卒業した次の年からブレザーに変わりましたけど」
「見たかった……」
「しみじみ言わないで下さい」
「だって絶対に可愛いじゃない」
「何を想像したんですか」
「さぁね。風呂、行ってくる」
「あ、逃げた」
大和さんがお風呂に行っちゃったから、刺繍の続きをする。スープは作ってあるし、やり残してることはないよね。
今、刺しているのは、ラピスラズリのような青いエンジュ。エンジュって白い花だったと思うんだけど、こっちでは青い。花の形が蝶々みたいだ。モンシロチョウのような大きさらしい。
色糸を使いながら思う。こういうのってどこで作られてるんだろう。染めてあるんだよね?
「綺麗な青だね」
「大和さん。出たんですか?」
「これは何の花?」
「エンジュだそうです」
「エンジュが青か。こっちって色鮮やかな花が多いね」
「でもよく似た色のも多いです」
「咲楽ちゃんの芽吹かせた花達も育ってるし。育ちが早い気がするのは気のせい?」
「たぶん気のせいじゃないです」
「原因はお祈りか」
「たぶん。確定的な事は言えませんけど」
「この花達は温室育ちだね」
「外に出した方がいいでしょうか?」
「ライル殿の所の庭師さんに聞いてみたら?庭師さんには属性はバレてるんでしょ?」
「水と地と光は言ってあります」
「木魔法と光属性か」
「はい」
「まずはライル殿に相談だね」
「はい」
「風呂、入っておいで」
「はい」
「はい、ばかりだね」
「他に何て言えば良いんですか?はい以外言えません」
大和さんに言い返してから、お風呂に行く。
大和さんの学生時代かぁ。確か高校の特には結構背が高かったって言ってた気がする。あ、思い出した。年上の女の人の事を聞いたんだった。
あの時に感じたのは嫉妬?大和さんの話す過去の女性の事は聞きたいんだけど、聞くとモヤモヤする。聞きたくないって思ってしまう。自分から聞いた事でモヤモヤって自分勝手だよね。
私は男性経験がない。と、いうか、男性は怖いから近付きたくなかった。手が伸ばされるのは怖い。掴まれてしまったら逃げられない。閉じ込められた時がそうだった。手首を掴まれて、無理やり連れていかれたんだった。
思い出してしまうと怖くなる。懐かしいって思いは無いのに恐怖はあるって変だよね。
うーん。何故だろう。髪を乾かして、寝室に入る。
「おかえり。どうしたの?」
「なんだか大和さんの学生時代の事から私の男性恐怖まで何故か思い出して、懐かしいって言うのが無いのに恐怖はあるっておかしいなって」
「そんな事を考えてたの?」
自分の膝をポンポンと叩きながら、大和さんが言う。あれ?私が膝枕するの?
「大和さん?私が寝転ぶんですか?」
「うん」
「最初は大和さんの学生時代ってどんなだったのかな?って思ってたんです」
大和さんの膝に頭を乗せると、すかさず頭を撫でられた。
「それで、年上の女の人の事を聞いたって思い出して、自分が聞いた事でモヤモヤするって勝手だなって思って」
「そんな事を思ってたの?」
「その後、手首を掴まれたら怖いって思い出しちゃって、他の事は懐かしいって思わないのに、恐怖はあるっておかしいなって思ったんです」
「恐怖って払拭されにくいからね」
「手を伸ばされるのが怖いんです」
「ライル殿の時に言ってたね」
「手首を掴まれたら逃げられませんよね?」
「抜け出し方、教えようか?」
「抜け出せるんですか?」
「護身術にあるよ。教えてほしい?」
「その前の掴まれる段階で、無理そうな気がします」
「俺なら大丈夫?」
「掴まれちゃうってことですか?」
「そう。大丈夫なら教えられるよ。無理なら仕方ないけど」
「分からないです」
「じゃあ止めておいた方がいいね」
「そうなんですか?」
「俺は咲楽ちゃんが恐怖を感じない男でしょ?だから俺で駄目なら止めておいた方がいい」
「はい」
相変わらず私の頭を撫でながら、大和さんが言う。大和さんの手は気持ちいい。
「大和さんの手は気持ちいいです」
大和さんの手にすり寄ると、大和さんが笑って言う。
「猫を相手にしているみたいだね。懐いてきたらすり寄ってくる」
「私は猫さんですか?」
「そう。可愛いkitty catだよ」
「大和さんってそういう事をさらっと言いますよね」
「おかしいな。出来るだけ言わないようにしてたんだけど」
「慣れてるのかな?って思っちゃいます」
「慣れてない。慣れてない」
「慣れてなかったら『出来るだけ言わないようにしてた』なんて言いません」
「失敗した……」
「慣れてるんですね?」
「慣れてる訳じゃないよ。装飾語には慣れたけどね」
「装飾語?」
「こういう言葉は実際にはないかな?可愛い娘とかをma minetteとか言ったり、さっきのように可愛いkitty catって言ってみたり。キザな言い方だよね。周囲で飛び交ってたから刷り込まれたというか、普通になってしまったというか」
「マ ミネットってどういう意味ですか?」
「仔猫ちゃん」
「私は猫なんですね」
「猫だと思うよ。こうしてすり寄ってきたり、慣れない相手だと逃げちゃったりとか、警戒しちゃうのかな」
「警戒というか、恐怖というか」
「だからこうやって警戒を解かないとね」
「私の頭を撫でてるのはだからですか?」
「これはほとんど習性。咲楽ちゃんの髪って触っていたいんだよ」
「私は撫でられてると眠くなるんですが」
「寝ちゃって良いよ」
「動かされても起きないんですよね」
「起こさないようにしてるし」
「大和さんは私に甘すぎです」
「俺にくらいは甘えてよ」
「甘えてますよ?」
「隠すなって言ったのに隠すし」
「あれは大丈夫だって思ったんです」
「咲楽ちゃんは甘えるのが下手だから」
「そうですか?」
「そうなんだよ。ほら、寝ちゃいなさい」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽ちゃん」