163
闇の日になった。昨日所長の奥さまが施療院に来て、「明日は2の鐘辺りには家に居てね」って言っていった。ローズさんやルビーさんは「正式通達ね」って喜んでたけど、正直な所、気が重い。ちなみにローズさんとルビーさんも同じように言われてた。
今日は大和さんも休みだから一緒にいるって言ってくれた。カークさんは調査の仕事が入ったらしくて、一昨日から門外、というか、他の領に行っている。お仲間5人が一緒で、みんなで出る前に挨拶をしに来てくれた。
ヴァネッサさんには土の日に話を聞いてもらった。『よく頑張ったね。でもいつまでも悲しんでたら、亡くなった人達が戻ってきてしまうよ』って抱き締められて、お母さんってこんな感じなのかなって思った。私は母親ってよく分からないけどこんな母親になれるかな。
朝起きて、着替えてダイニングに降りる。今日は大和さんと朝は市場に行こうって決めてたから、何も用意していない。暖炉に火を入れて、薬草図鑑を眺めていた。
「ただいま、咲楽ちゃん」
「お帰りなさい、大和さん」
「市場に行こうか」
「運動とかシャワーは良いんですか?」
「シャワーだけ行ってくる。運動は帰ってきてからかな」
「帰ってきてから?」
「うん。シャワー、行ってくるね」
大和さんがシャワーに行っちゃって、私は再び薬草図鑑を眺めていた。こうしてみると、知ってるハーブも結構あるけど、これは何?って薬草もたくさんある。どう見てもパセリだけど、大きさが桁違いの木とかもあるみたい。高さが30mってどうやって計ったの?見た目はよくお料理に添えてあるパセリ、そのままなのよ。名前もパセリ。
他にも直径15cmのバラの化石も載ってた。ん?これ、薬草図鑑だよね?化石も薬草?しかも毎年木から落ちてくるって、化石じゃないじゃん。
見返してたら、大和さんがシャワーから出てきた。
「何やってんの?」
「薬草図鑑にバラの化石が載ってたんです」
「バラの化石?デザートローズじゃなくて?」
「はい。しかも毎年木から落ちてくるらしいです」
「それってシダーローズ?」
「シダーローズ?」
「ヒマラヤ杉の松ぼっくりの先を、シダーローズって言うんだよ」
「先だけなんですか?」
「先だけなの」
そう言って、薬草図鑑を覗き込む。
「見た目はシダーローズだね。これも薬草?」
「らしいですね。煮出して周辺を浄める?え?何これ?」
「確かに松にはいろんな薬効はあるけど。シダーローズにもあるのかな?」
「あれ?シダーローズってヒマラヤ杉って言いましたよね?」
「名前で引っ掛かった感じ?ヒマラヤ杉は日本では杉って付いてたけど、実際はパイン、つまりマツ科だからね」
「ややこしいです」
市場に行く為に家を出て、歩き出す。
「2の鐘辺りに家に居たら良いんだっけ?」
「所長の奥様はそう言ってました」
「誰が来るのかな?」
「さぁ?」
「フリカーナ伯爵が来そうな気がする」
「止めてください。大和さんの勘って当たるんですから」
神殿地区の市場に着いて、屋台広場で朝食セットを、ヴァネッサさんのパン屋さんでパンを買う。
「天使様、いらっしゃい」
「ヴァネッサさん、おはようございます」
「今日じゃないんですか?正式通達」
「そうなんです」
「選ばれて落ち込むって、天使様位でしょうね」
「ドレスは着たいって思うんです。でも選ばれたらパレードがありますよね。それが憂鬱です」
「恥ずかしいんじゃなく?」
「恥ずかしいから憂鬱なんです」
「あぁ、なるほど」
店内に居た冒険者さん達にも納得されてしまった。
パンを買って市場を出る前に紅茶葉とコーヒー豆を買いに行く。
「大和さんが居ないと市場内を歩けないって、どうなんでしょう?」
「俺は嬉しいけど?」
「一緒に居られるのは、嬉しいですよ?でも私の場合、道を覚えられないじゃないですか。路地とか入っちゃうと、分かんなくなります」
「これだけ来てても覚えられない?」
「どんなお店が有るのかは、覚えてますよ。そこにたどり着けないんです」
「咲楽ちゃん、方向音痴が酷くなってない?」
「やっぱりそう思いますよね。私も思ってました」
「何故だろうね?」
「施療院までは迷わず行けるから、良いんです」
「王都内巡回馬車もあるしね」
「有るんですか?」
「知らなかったの?」
「知らなかったです」
「咲楽ちゃん……」
「日中、出ませんもん」
「咲楽ちゃんって、しっかりしてると思ったら、抜けてるよね」
「大和さんが虐めてきます」
「虐めてない、虐めてない」
「傷付いたから、笛を聞かせてください」
「はいはい、お嬢様。仰せのままに」
紅茶葉とコーヒー豆を買って、家に帰る。
「何の曲が聞きたいの?」
「何でもいいです」
「それが1番困る」
「だってどんな曲があるか、知りません」
「それもそうか」
「剣舞の曲って聞いてないですよね」
「そうだね。『春』にしようか」
「はい」
「お客様が帰ってからね」
「楽しみです」
「後は何にしようか?」
「2曲も聞かせてもらえるんですか?」
「3曲かな。1曲は御鎮魂だから」
「ありがとうございます」
御鎮魂は、あれからほぼ毎日大和さんは吹いている。カークさんがこっそり『咲楽ちゃんの為にもフルールの御使者までは、週に1回は吹こうと思ってる』と言ってたと教えてくれた。
「大和さん」
「何?」
「フルールの御使者、頑張ってみようと思います」
「やる気になったの?」
「やる気っていうか、亡くなった方々にも見ていただきたいです。門外の方は見れないんでしょうか」
「見れないだろうね」
「ですよね」
「誰か、見せたい人でも居るの?」
「特に誰って訳じゃないんですけど」
「門外の現実を知ったからかな?」
「はい」
門外の事を思うと、少し心がチクンとする。それが顔に出てたのか、大和さんに肩を引き寄せられた。
「頑張るって決めても、気は重いんですよね」
「咲楽ちゃんは目立つのは嫌いだから」
「せめて一番馬車にならない事を目指します」
「無理じゃない?」
「これも駄目ですか?」
「たぶんね」
気落ちしつつ、家に入って朝食を食べる。
「あ、これ美味しい」
「何が入ってるの?」
私が買ったのは、中華まんみたいな物。少し甘めのパン生地で色んな中身が包まれている。1つ目に食べたのは、クルミとアーモンドの蜜絡め。でもそこまで甘くない。
「味的にはホットク?そんな感じです。でもそこまで甘くないです」
「ホットクって焼いてるけど、それは蒸してるよね」
「そうですね。一口要ります?」
「貰って良い?」
大和さんがあーんをしたから、一口あげた。お返しに大和さんのを一口貰う。大和さんのはピリ辛の肉炒めを挟んだホットドック風の物。
「ピリ辛のを食べてたから、甘く感じる」
「私は辛く感じます」
「でも、ちょうど良いかもね」
食べ終わって、小部屋で刺繍を進める。
「結構進んだね」
「後1/4位ですね。最近出来てない時がありましたし」
「でもアレクサンドラさんもリサさんも、誉めてたって聞いたけど?」
「誰からですか?」
「ネリウム殿」
「どういう風に聞いたんですか?」
「聞きたい?」
「そう言われたら怖いから、聞きたくなくなります」
「丁寧で手が早いって言ってた。『リサがあそこまで誉めるのは珍しい』ってさ」
「良かったです」
2の鐘少し前に結界具に反応があった。大和さんが苦笑して立ち上がる。
「どなたですか?」
「ライル殿」
「ライルさんが?どうしたんでしょう」
「予想はつくけどね」
大和さんが立っていって、玄関を開ける。
「悪いね。トキワ殿」
「いいえ。どうされました?予想は付きますが」
「やはりですか」
ライルさんと大和さんが部屋に入ってきた。
「いらっしゃいませ、ライルさん」
「突然ごめんね」
「いいえ。どうされたんですか?」
「あれ?シロヤマさんは分かってないの?」
「はい。え?」
大和さんは相変わらず苦笑している。
「父が来ると思うんだよ。公式行事担当部の反対を押し切ってね」
「伯爵様がですか?どうして?毎年って訳じゃ無いんですよね」
「そんなの、天使様と黒き狼に会いたいからに決まってるじゃない。2人揃っているのを見るのって、そんなに無いしね」
「見る事が無い?」
「貴族は見ないよ。出歩かないしね」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
2の鐘が鳴ってしばらくして、1台の馬車が家の前に停まった。降りてきたのはゾーイさんとポールさんと変装したらしい伯爵様。
「やはり来ましたね」
「何故ライルがここに居るんだ」
「暴走する上司を止める手伝いに」
「暴走する上司って誰だ?」
「何を惚けてるんですか。父上以外に誰が居るんです?」
「私は暴走などしていないぞ」
「現に、ここに居るではないですか。いつも父上は動かないでしょう」
「何を言う。一番馬車の成人女性の部という、大切な事は私が伝えねばならん!!」
「お2人を見たかっただけでしょう」
玄関前で始まる親子ゲンカ。
「申し訳ありません。あちらは放っておいてください」
「良いのですか?」
「良いのです。改めまして、サクラ・シロヤマ様。一番馬車の成人女性の部に選ばれました。おめでとうございます」
「選ばれちゃいましたか」
「嬉しくないんですか?」
「ずっと選ばれないことを目標にして来たんです。目立ちたくないので」
「天使様、貴女が目立たないのは無理でしょう」
ポールさんに言われてしまった。
「分かりました。お受けします」
「では次の闇の日、2の鐘に王宮にお越しください」
「はい。ありがとうございます」
「それでは私共はこれで。失礼いたします」
ゾーイさんが伯爵様を引っ張って、無理やり馬車に押し込めて、帰っていった。
「良いんでしょうか?」
「良いんだよ。お邪魔したね。僕も帰るよ」
「わざわざありがとうございました」
「じゃあ、また明日」
ライルさんも帰っていった。
「さぁ、地下に行こうか」
「はい」
「次の闇の日に王宮か。俺と一緒に出勤する?」
地下に降りながら大和さんが言う。
「あ、そっか。明日から王宮でしたね」
「やっぱり一番馬車だったね」
「他の方が分からないから、少し不安です」
「施療院組は確定じゃないの?」
「昨日、所長の奥様から『2の鐘に家に居てね』って言われてましたけど」
「じゃあ、確定でしょ」
「一番馬車の未成年の部って、この情報紙の『リディアーヌ・マソン』様って貴族様?」
「マソン男爵の令嬢かな?もしそうなら、今ごろ大喜びだと思うよ。咲楽ちゃんのファンだから」
地下に着いて、床に薄い敷物を敷きながら、大和さんがそんなことを言う。
「お知り合いですか?」
「咲楽ちゃんは覚えてないかな?咲楽ちゃん宛のファンレターを、俺に預けに来たって子」
「確か5人位でしたっけ」
「そう。あれから月に1度位何人かで練兵場に来てる。たぶんファンレターだと思うんだけど、手紙を握りしめて結局何もせずに帰っていくね」
「大和さんを見に来てるんじゃないんですか?」
「そんな類いじゃなかったけどね」
椅子に私を座らせて、大和さんは敷物に正座をする。
「良いかな?」
「はい」
「じゃあ、最初は御鎮魂」
2、3拍置いて紡がれる優しくて物悲しい音色。聞いていると穏やかな気持ちになる。不思議と前向きになれる気がしてきた。
「次は『春の舞』」
久しぶりに見た枝垂桜。さぁっと風が吹いて、花吹雪が舞う。足元には色とりどりの花が咲き乱れている。私が見たことの無い幻想的な春の風景。
「次は咲楽ちゃんの知らない曲を」
そう言って大和さんが吹き始めたのは華やかで、心が浮き立つような曲。お花見でもしている気分だ。たまに静かになる時間もあるけど。
「今のは桜宴、お花見用の曲だね」
「お花見用の曲ってそんなの有るんですか?」
「花見用って言うのは勝手に俺が言ってるだけ。実際にそんな感じでしょ?」
「ウキウキしてる感じでした」
「咲楽ちゃんに聞かせたいって思ったんだ」
真剣な目で見つめられる。
「大和さん……」
「トレーニングするけど、見ていく?」
照れてしまって横を向くと、ちょっと笑った大和さんに聞かれた。
「見ます」
「即答だね」
スクワットや懸垂なんかをした後にバトルロープを使う、大和さんを見ていた。
3の鐘、少し前にリビングに上がって、汗だくの大和さんがシャワーに行こうとした時、結界具に反応があった。