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翌週の光の日。今日は大和さんは早番で、私が起きた時にはすでに出勤していた。
あの後気分が浮上した私は、まずみんなに心配させた事を謝った。カークさんは『あのようなサクラ様は、もう見たくありません』と、言って、笑ってくれた。
施療院のみんなには『浮上したなら良かった。これからは自分だけで抱え込まずに、ちゃんと相談する事』って約束させられた。
オスカーさんには『嬢ちゃんはやっぱり甘えるのが下手なんだねぇ。騎士のダンナにわがまま言ってみるとかして、慣れた方がいいんじゃないですかい』って言って、ミゲールさんに『天使様が困るようなことを言わないでください』って叱られていた。
あれから何度か、というか、ほぼ毎日、施療院の祈念所を使わせてもらってる。あの部屋にいると落ち着くし、あの大雪のみならず、この冬の寒さで逝ってしまった方の冥福を祈りたかった。その際には必ず誰かが2人で付いてきてくれる。
気を使って貰ってると思う。あの大雪の話題は大和さん以外誰も出さない。大和さんは話して吐き出した方がいいって言って、毎晩話をしている。お陰で自分の心も整理できてきたし、作り笑いをしなくても良くなってきた。
闇の日にゴットハルトさんに会って、やたらと心配された。チコさん達から私の状態を聞いていて、気を揉んでくれていたらしい。『俺に聞かずにチコ達に聞いて、勝手に弱い咲楽ちゃん像を作り上げたんだろ?』って大和さんが笑ってた。
着替えてダイニングに降りて、ディアオズの水量を確かめて、暖炉に火を入れる。大和さんは出勤してるから、家の中には私1人だ。スープを温めて、朝食とお昼の準備が終わったら、朝食を食べる。
あの人達は食事は取れてるんだろうか。夏と冬とじゃ冬の方がエネルギー消費は上だ。オスカーさんは絶対に死なせる様な事はしないって言ってくれた。ならそれを信じよう。鍛治師の方や木工業の方や細工師の方達も動いてくれてるって言ってた。その方達を信じよう。本当なら、私も南門まで行きたい。でもそれは出来ない。女性は危険だからって周りの人に止められるのが目に見えてる。
朝食を終え、片付けをしたら、出勤準備をして、鉱物図鑑を眺める。プリュネルノワゼットがお気に入りだ。あんまり見てるから、大和さんが『エスターに言って持ってきてもらうか?』なんて言って笑ってた。
時間になったら家を出る。ふ、と、庭を見たら、未だに健在の雪のお城と警護のスノーマンさん。溶けないんだよね。弱いながらも日が照って、少し溶けて、夜間に凍ると言うことを繰り返しているらしい。確かに表面が氷で覆われてた気もする。でもそんなに綺麗に凍るのかな?
神殿への道を過ぎて、最初に会うのはチコさん達。
「おはようございます、……シロヤマさん」
「おはようございます。やっぱり呼びにくいですか?」
「正直に言うと、呼びにくいです」
「そうですよね」
「天使様は大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。アドバンさんは天使様って呼ぶんですか?」
「名前で呼ぶのは照れてしまいます」
「照れないで下さい」
「無理です」
「アドバンは教官にも許可を貰っていたよなぁ」
「憧れの人だもんなぁ」
「急に『もっと鍛えてください』って教官に言ってたよな」
「謎なのはあの訓練を俺達と一緒にやった後に、団長と楽しそうに打ち合いをしている教官だけど。あの体力はどこから……」
そう言って私を見るのは止めてください。
「そろそろ行きますね」
「いってらっしゃい。気を付けてくださいね」
「天使様もお気を付けて」
小さく手を振ってチコさん達を見送って、施療院に向かう。
いつもくらいの場所で、いつもの足音が聞こえてきた。ローズさんだ。
「サクラちゃん、おはよう」
「おはようございます、ローズさん」
「今日もあの部屋に行くの?」
「祈念所ですか?お借りしたいです」
「所長が『7神様の像でも置いた方が良いかのぅ』って言ってたわよ」
「そんな事はしなくて良いです」
「そういえばサクラちゃん、あの部屋でお祈り以外に何してるの?」
「お祈りだけですよ。お掃除もしますけど」
「お掃除?どうやって?」
「ライルさんに教わって、水属性と風属性で」
「あぁ、お掃除魔法ね」
「お掃除魔法……。そういえばライルさんも言ってましたっけ」
「水属性と風属性がないと上手く出来ないのよ。風属性だけでは上手くいかないし、水属性だけでも上手くいかないの」
「風属性だけでも上手くいきそうですけど」
「どうやって?吹き飛ばしちゃうの?」
「反対です。吸い上げるんです」
「吸い上げる?よく分からないわね」
まぁ、イメージがサイクロン掃除機ですからね。
「つむじ風って知ってます?」
「つむじ風?」
「渦を巻いて吹き上がる強い風なんですけど」
「ワールウインドかしら。放牧場とか練兵場でたまに見るわ」
「それを超小型にしたら出来ないかな?って」
「あぁ、出来そうね。でもかなり繊細な魔力操作が必要ね」
「そうですよね。魔力操作は慣れてきましたけど」
「やってみる?」
「祈念所でですか?」
「あそこではさすがに出来ないわ。壊すものもなさそうだけど」
いつの間にか、王宮への分かれ道を過ぎてた。
「あれ?ローズさん、ライルさんは?」
「ちょっと南門へ行ってるわ」
「何があったんですか?」
「あ、えっと……」
「何かあったんですか?ローズさん!!」
「何もないわ」
目を合わせてくれない。
「ローズさん、教えてください」
「本当に何もないのよ」
「ローズさん……」
「あぁ、もう。こうなるのが分かってたから、嫌だったのよ。ライル様ったら逃げるんだから」
ローズさんがぶつぶつ言いながら、私の手を繋いで急ぎだした。
「ローズさん?」
「ほら、急ぐわよ」
「はい」
ほとんど走ってるような速度で施療院に急がされる。息を切らしながら施療院に到着すると、ライルさんと兵士さんに挟まれた、知らない隻眼の無精髭のおじさんが居た。
「ジェイド嬢、早すぎるよ」
「ライル様、無理です。サクラちゃんったら今、『南門』って言葉に過剰反応しちゃうんですから」
「あぁそうだったね。シロヤマさんに会いたいって人を連れてきたんだよ」
「どっちのお嬢さんが天使様なんだ?黒髪の方か?白い方か?」
「黒髪の子だよ。本当は身だしなみを整えてから、シロヤマさんには紹介する予定だったんだけどね。彼は南の門外の顔役っていうのかな?『天使様に会わせて欲しい』って街門の兵士に何度も頼み込んでてね。気になって所長と相談して会って貰うことにしたんだ。本当はトキワ殿と一緒にって思ったんだけどね」
「一言。一言だけ礼を言いたかった。ありがとう。南の街門の近くのあいつを覚えてるか?あいつが普通に歩いてたんだ。天使様が治したって聞いた。本当にありがとう」
ズイッと詰め寄られて、思わず後ずさる。
「いいえ。あの、ちょっと……」
ローズさんが前に出て庇ってくれた。
「あまり詰め寄らないであげてくれます?」
「悪い。こんな格好じゃ恐ろしいよな。本当はあいつも来たがったんだが……」
「あいつってキニゴスの方ですか?」
「何故知ってる?」
「オスカーさんが教えてくださいました」
「あの爺さんか」
「貴方はどこもおかしくないですか?」
「あぁ、大丈夫だ。騎士の兄ちゃんによろしくな」
そう言って顔役の人は兵士さんと帰っていった。
「嵐のような人だったわね」
「ビックリしました」
「悪かったね、シロヤマさん。本当はもう少し身だしなみを整えてからって予定だったんだけど、あの通りの人で」
「ライル様、そろそろ準備しないと」
「そうだね。2人とも行ってきて」
「はい」
更衣室に急いで行って、着替える。ルビーさんが着替え終わって待っていた。
「おはようございます。ルビーさん」
「おはよう、サクラちゃん。遅かったのね」
「おはよう、ルビー。木の日にライル様が言ったでしょ?ちょっと予定が早くなっちゃったみたいだけど、無事に済んだわ」
「あぁ、会ったのね。どんな人だった?」
「何て言うか、嵐のような人だったわね」
「嵐のような人?」
「押しが強いかと思えば、ちゃんと引いてくれるし、周りの人の事を思ってるのは分かるんだけど、言いたい事は遠慮せずに言うって感じかしら」
「あの人に会うのって、木の日から決まってたんですか?」
診察室に向かいながら話す。
「そうよ」
「正確にはその前日。緑の日からね」
「知らなかったです」
「頑張って内緒にしてたもの」
「サクラちゃんが少しは浮上してくれたから、良かったわ」
「ありがとうございます」
「何を言ってるの。私はお姉様よ。妹の心配をするのは当たり前よ」
「あっ、ローズ、ズルい。サクラちゃん、私もお姉ちゃんよね?」
診察が始まって、いつもくらいの時間にオスカーさんが来院した。
「嬢ちゃん、ゲオルグに会ったって?」
「ゲオルグさん?ってどなたですか?」
診察室に入ってきたオスカーさんにいきなり聞かれて、面食らう。
「なんでぇ。あの野郎、名乗りもしなかったのかい。顔役の男と会ったんだろ?」
「お耳が早いですね。お会いしたのは今朝ですよ」
「あいつがゲオルグでさ。南の街門に戻って門外に出たら、すぐにあたしに自慢してきたんでさぁ。『天使様に会ってきた。俺まで気遣ってくれた』って。あたしの指を治してくれてるって言ってやったら、悔しそうにして他の奴に自慢しに行ってしまいやしたがね」
「自慢?」
「嬢ちゃんが治した街門近くにいた男、ゲイブリエルって言うんで。長ぇから、みんなガビーって呼んでやすがね。ガビーの事を気にしてたんでさ。『騎士の兄ちゃんに『翌日には普通に歩いてる』って言われて、半信半疑でいたら本当に歩いてて、腰を抜かしそうになった』って笑ってましたがね」
「大和さん、そんな事言ったんですね」
「雪が無くなりゃ、アイツ等も動けやすからね。嬢ちゃん」
「はい。オスカーさんにもご心配をお掛けしました」
「フルールの御使者は笑ってなきゃいけないんでさ」
「ちょっと待ってください。決まっちゃったとか言いませんよね?」
「情報紙にゃあ、ほぼ決まりだって書いてありやしたよ?」
オスカーさんがきょとんとした顔で言ってくる。
「でもでも、まだ本決まりじゃないですよね?」
「決まるのが氷の月の初日でやすから、もうちょっとですね」
「じゃあ、まだ足掻けますよね?」
「無理じゃねぇですかい?」
「無理でしょう、天使様」
「無理なんですか?」
「ここまで来て足掻くのは無理だねぇ」
「無理ですか」
「諦めた方がいいんじゃねぇですかい」
「……」
「天使様?」
「ミゲール、そっとしておいてやれや」
「選ばれる事を目指すんじゃなくて、選ばれない事を目指すとは、天使様らしいんですが」
「目立ちたくないって最初から言ってたしなぁ」
「こればかりは仕方がないですよね」
処置が終わって、オスカーさん達が帰っていっても、少しの間呆然としていた。
3の鐘が鳴って、休憩室に行くと、ルビーさんがいた。
「サクラちゃん、どうしたの?」
「しばらく忘れてた事を、改めて思い出しました」
「何の事?」
「フルールの御使者です」
「あぁ、そうね。正式発表がもうすぐね」
「オスカーさんがほぼ決まりだって……」
「今週の闇の日に決定者に連絡が来るわよ。それからえっと……」
「何話してるの?」
「ローズ、良い所に。フルールの御使者の日程を教えてあげて」
「フルールの御使者?今週の闇の日に決定者に連絡が来るでしょ。それから次の週の闇の日に王宮で顔合わせ。同時に採寸ね。それから闇の日毎に王宮で所作の練習かしら?」
「所作って?」
「馬車への乗り方降り方、エスコートのされ方、ドレスでの動き方、神殿での祈りの仕方だね」
「ライルさん」
「最もシロヤマさんが選ばれても、ほぼ習ったことばかりでしょ?」
「そうですね」
「サクラちゃん、習ったって……あぁ、謁見してたわね」
「はい。ダンスも、とか言われちゃうと、そっちは自信ないですけど」
「ダンスは無かったね」
「安心しました」
「貴族も選ばれてたりするからね。その方々から習うことになるよ。サファ侯爵様も来るかもね。シロヤマさんの後見だし」
「アザレア先生は?」
「モース様ね。たぶん来るわよ。女性ばかりだし」
「選ばれたらお会いできますか?」
「お会いしたかったら、言ってくれたら連絡を取ったのに」
「モース嬢は伯爵令嬢だけど、今はアルマディン様の領地だよ」
「アルマディン様?」
「先代王の王弟様だね。そろそろ戻られるのじゃないかな」
「陛下のおじ様って事ですか?」
「そうそう。アルマディン公爵様だね」
「どうしてアザレア先生が?」
「公爵様のお孫様の婚約者だもの」
「え?」
「しかも恋愛」
「えぇっ。って、珍しいんですよね?」
「珍しいわね」
「貴族様のこういう所は分からないわね」
「貴族様の婚約って家同士のって事ですよね?」
「そうだね。シロヤマさんの世界でも?」
「これは小説の知識です」
「例の空想物語?」
「貴族制度の残ってる国もありましたし、そういうのを調べてたみたいです」
「どうやって知ったの?」
「ネットワークって言って、世界中の情報を知ることの出来る手段があったんです」
「信じられないけどね」
「サクラちゃん、お祈りはいいの?」
「お借りして良いですか?」
「もちろんじゃ」
ライルさんとローズさんの付き添いで、祈念所に行く。
掃除をして、お祈りをする。ここに来ると落ち着く。気持ちに整理を付けることが出来る。本当はこんな気持ちで祈ってはいけないのかもしれない。でも、それでもこうしていたかった。祈っていたかった。自分自身の為にも、亡くなった方々の為にも。
顔をあげると、ローズさんから声がかかる。
「もういいの?」
「はい。ありがとうございました」
部屋を出る時に一礼するのは、ほとんど無意識だ。