大雪の日① ~大和視点~
あの日、俺は早番で、8の鐘前には家を出ていた。7の鐘過ぎに起き、いつものように、眠る咲楽ちゃんをしばらく眺め、その額にそっと口付ける。眠ってる彼女の額に毎朝キスをするなんて、咲楽ちゃんに知られたら、どう思われるか。重いと思われるかもしれない。
でもこれは、俺にとって一種の呪いの様なものだ。咲楽ちゃんがいる。その事を忘れるなと、自分に呪いをかける。嘗てのように自分の命でさえも『どうでもいい』と思ってしまわないように。
真夜中だから、家の中も王都内も、塗り潰されたように暗い。『ライト』の魔法を使って身支度を整え、ダイニングに降りる。昨夜、咲楽ちゃんが作ってくれていたスープを『温め』で温め、ありがたく頂く。咲楽ちゃんのスープは優しい味がする。彼女の心が優しいからだろう。
今日はゴットハルトも早番だ。久しぶりに一緒に出勤する。
「ヤマトと一緒だと、『ライト』が明るい」
「どうしてもこっちになってしまうんだ。10年は長いな」
「傭兵だった頃の話を、嫌がらずにするようになったな」
「差し障りのない事だけだがな」
「シロヤマ嬢の影響か」
「他に誰がいる?」
「居ないな」
ふと、空を見上げた。いつも見える2つの月が靄がかかったようになってる。
ゴットハルトも空を見上げて言った。
「これは雪が降るな。一旦止んでたのに」
「天候がおかしいって言ってたな」
「通常は3~4日周期だな。晴れた日が3~4日続いて、雪の日が3~4日続く」
「風が無いな。多く降らなきゃ大丈夫じゃないか?」
「そうだな。ヤマトはあちらで雪の経験は?」
「一応雪中行軍の訓練は毎年やってたな。いきなり雪山に連れていかれて、4~5人で放り出されたあげくに地図を渡されて、『集合は3日後の昼。遅れずに来い』って放置される」
「いやいや、命に関わるぞ。大丈夫だったのか?」
「死者、行方不明者は無かったな。位置を知らせる機械、魔道具は身に付けてたし、危険が迫れば助けは呼べたし。軽い凍傷になったが無事生還した」
「壮絶だな」
「日常になってしまえば、どうってことはない」
そんなことを話ながら、神殿に着き、立番の順番を確認する。早番、遅番はそれぞれ10人。神殿の重要箇所4ヶ所の立番と巡回を交代しながら勤める。
1の鐘が鳴る前に雪が降りだした。最初はそうでもなかった。だが、2の鐘が鳴る頃にはかなり積もっていた。
「これじゃ訓練にならないんじゃないか?」
団長は遅番だったから、他の騎士と話し合い、訓練を止める。
「教官、雪の中で出来ることって無いんですか?」
以前雪が降ったときに、咲楽ちゃんが『雪合戦とかで、訓練って言わないでくださいね』と言ってた事を思い出した。
「ちょっと遊ぶか」
そう言い出した俺に視線が集まる。明らかに警戒している。
「そんなに警戒しなくても。雪のボールをぶつけ合うだけだ」
「雪のボールを?」
「何人かづつに別れて、雪のボールをぶつけ合う。当然狙われた人は避けていい。反撃もありだ。やってみるか?」
「教官対自分達で良いですか?」
「俺1人か?誰か1人寄越せ」
「それじゃ不利になるじゃないですか」
そう言い合ってると、ゴットハルトや他の騎士も集まってきた。
結局そこにいた全ての騎士を巻き込んでの大合戦になった。雪合戦はかなり体力を使う。動き詰めだし、今回は人数も多かった。
3の鐘、少し前で雪合戦を止める。そうでもしないと早めに来た団長が、面白がって乱入しかねなかったからだ。
「かなり汗をかいてるはずだから、しっかり流しておけよ。でないと風邪をひくぞ」
「教官、ちょっと相談があるんですが」
シャワー後にアドバンを除いた4人に声をかけられた。
「なんだ?」
「彼女さんなんですが、ずっと『教官の彼女さん』って呼んでたら、普通に呼んで欲しいと言われまして」
「いつの話だ?」
「今朝です」
「で?」
「天使様って呼ぶのは嫌がりますよね、彼女さん」
「まぁ、そうだな」
「シロヤマさんとサクラさん、どっちが良いですか?」
「どっちでも良いんじゃないか?」
「でも、サクラさんって親しすぎますよね。教官と施療院の女性施術師様しか、呼んでいないですし」
「そりゃあなぁ。ところでアドバンはどうした?」
「今朝から変なんです。彼女さんの事、可愛いとか言い出したし」
「確かに咲楽ちゃんは可愛いが。何があった?」
昼食を取りながら話を聞く。
「今朝、彼女さんに会いまして、少し話をしたんです」
「そこで彼女さんから『教官の彼女さん』じゃなく、名前で呼んで欲しいって言われて」
「天使様じゃダメなのか聞いたら恥ずかしいって言ったんです」
「どうしてか聞いたら、内緒ですって指を口に当てて『シィー』ってしたんです」
「そしたらアドバンが真っ赤になっちゃって」
「『天使様って手が届かないって感じだったけど、可愛い』ってぶつぶつ言ってたし」
咲楽ちゃんに惚れたか。
「咲楽ちゃんは無意識にやっちゃう娘なんだよ」
「本当に可愛かったんですけど、あれ?彼女さんっておいくつですか?」
「何歳に見える?」
「17歳?でもフルールの御使者の成人女性の部に載ってたってことは、18歳?」
ほう。咲楽ちゃん、良かったね。成人女性の部に載ってたってさ。
「聞いて驚け。彼女は22歳だ」
「は?本当に?」
「本人は幼く見えるって気にしてるからな」
「教官は?」
「俺か?32歳だ」
「2人とも若いですって」
「教官と彼女さんって……」
「10歳離れてるな」
「どうやって知り合ったんですか?」
「たまたまとしか言いようがないな」
そんな会話を交わした後、家に帰る。雪の降り方は朝よりは酷いが、風はない。あぁ、これは積もるな。着替えて、暖炉に火を入れる。少しすると結界具に反応があった。なんだ?馬車?
サティアス殿が降りた後、咲楽ちゃんが馬車から降りた。どうしたんだ?
「ずいぶん早いね」
「雪が危険だからって、早めに帰されました」
「この雪だとね。サティウス殿、ありがとうございました。ジェイド嬢も送っていただいて、ありがとうございます」
「いいえ。サクラちゃん、また明日ね」
「また明日。ありがとうございました」
馬車を見送って、家に入る。
「お帰り、咲楽ちゃん」
「ただいま戻りました」
「冷えてない?」
そう言って、咲楽ちゃんの頬を両手で挟み込む。冷たいな。
「冷たいね。どこで暖まる?」
「小部屋に行きます」
小部屋に移動してソファーに咲楽ちゃんが座る。毛布を掛けて咲楽ちゃんが少しでも暖まるようにする。
「俺も暖まろう」
そう言って隣に座って、一緒の毛布に包まる。
「大和さんも帰ってきたばかりですか?」
「3の鐘で仕事が終わって、昼食を食べてきたからね」
「今日って訓練は出来たんですか?」
「今日は雪合戦をしてた。神殿騎士達も一緒にね」
「あの雪の中ですか?」
「楽しかったよ。体も暖まるしね」
「汗をかいて、余計に身体が冷えちゃわないか心配です」
「指示はしてきたけどね。そうだ。咲楽ちゃん、あいつ等に何て呼ばれたいの?」
「あいつ等ってチコさん達ですか?」
「そう。相談された」
「相談するって言ってましたけど、本当にしたんですか?」
「『シロヤマさん』と『サクラさん』で迷ってた」
「どっちでも良いんですけど」
「名前でっていうのは、俺的には避けたい」
「避けたいって?」
「ただの独占欲」
「サクラって呼び方は自分だけって事ですか?」
「そういう事。アドバンは咲楽ちゃんに恋心を抱いてるね」
「そうなんですか?」
「憧れか淡い恋心か、どっちかは分からないけど。咲楽ちゃんの『シィー』にやられたみたい」
「え?あれでですか?」
「チコ達が言ってたのを総合するとね。『天使様って手が届かないって感じだったけど、可愛い』って言ってたらしいし。咲楽ちゃん、何したの?」
「天使様って呼ばれ出したきっかけを知ってるって言ったら、きっかけって何か聞かれたから、内緒ですってしただけですよ?」
「あざといって言うんじゃないの?そういうの」
「わざとやった訳じゃ有りません」
「分かってるから、落ち着いて、ね」
頭を撫でて、宥める。ついでに頭を引き寄せた。
「そのままいっちゃうと、大和さんの上に寝ちゃいますけど」
体の力を入れて抵抗している。いやいや、勝てるわけないでしょ。でも咲楽ちゃんは一生懸命だ。
「抵抗?頑張れー」
一応そんな事を言ってみる。
「何の、目的、ですか?」
「咲楽ちゃんとのじゃれあい」
「じゃれあいって、これじゃ、一方的です」
「ちょっと力を抜こうか?」
「そうして、ください」
「一生懸命だねぇ」
「誰の、所為ですか」
「誰の所為だろうね」
「大和さんの、所為ですからねっ」
「どうしてだろう?」
咲楽ちゃんの力で離れてしまわないように、それ以上倒れないように、そんな力加減にする。
「咲楽ちゃん、体力がないね」
「大和さんと、比べないで、ください」
「ほら、頑張って」
「じゃれあいって、いうより、トレーニング、ですね」
「おかしいなぁ」
「おかしくないですっ」
「息が切れてるよ」
「ですから、誰の、所為ですか」
「俺の所為でしょ?」
「そうです」
「そろそろやめとこうか」
「そうしてください」
力を抜く。しばらく息を調えている。そんなところも可愛い。
「大和さんから抜け出せなかったです」
「鍛えてるしね」
「昨日寝るときも、苦労したんですからね」
「何を?」
苦労?
「翌日が早番の時に、大和さんが私の腰に手を回して寝ちゃうじゃないですか。大和さんが寝てしまった後、私が寝ようとすると、腕を外さないと横になれないんです」
あぁそうか。それは気が付かなかった。
「そっか。ごめん」
「良いですよ。構わないって言ったのは私ですし。腕を外す時に大和さんを起こしてしまわないか、っていうのが心配だったりします」
「咲楽ちゃんだと、起きないんだよね」
「他の人だと起きるんですか?」
「ここに来て、魔力切れになった事が一回あったでしょ?俺が先に寝ちゃって、それを咲楽ちゃんが覗き込んで、咲楽ちゃんの腕をとっさに掴んでしまったって事」
「ありましたね」
「あぁいう状態になる」
「えぇっと?」
「無意識の状態の時に襲われるのが、一番警戒すべき事だったしね。長年の習慣はそう抜けないんだよ」
「そうなんですか?」
「咲楽ちゃんといると落ち着くんだよ」
「光栄です」
「あれから何度か魔力切れに近い状態になってるけど、怠さが出るのは1割を切ったときだね」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
咲楽ちゃんが肩に頭を預けてきた。その頭を撫でていた。落ち着く。
「あ、そうだ。風邪予防のハーブティーの薬草を買ってきました」
「いつ買ったの?」
「今日、馬車で送ってもらう前に、ジェイド商会に寄ったんですよ。その時に買いました」
「専門の人がいたの?」
「アルジャンさんって方です。薬草に詳しいんですけど、薬師さんの資格は持ってないんですって」
アルジャン?銀か。
「資格がいるんだ。薬剤師みたいだね」
「淹れてみようと思うんですけど」
「分けあってみる?」
「はい。飲んでいただけますか?」
「ハーブティーって飲んだことないんだよね」
「無いんですか?」
「傭兵時代は基本酒かコーヒーだったし、帰国してからは日本茶かコーヒーだったし」
「コーヒーは飲んでたんですね」
咲楽ちゃんが立っていって薬草茶を入れてくれた。
「大和さん、はい、どうぞ。はちみつを入れてみましたけど」
「ありがとう」
香りはやはり乾燥させた独特の物がある。がそこまで嫌な感じはない。一口飲んでみる。想像していたより飲みやすい。はちみつを入れたって言ってたな。咲楽ちゃんが緊張した面持ちでこっちを見ていた。
「飲みやすいね」
「良かったです」
「アルジャンってね、銀って意味なんだよ」
「銀ですか?」
「銀ってね、人の命を守ってたんだよ」
「どういう事ですか?」
「中世ヨーロッパでは毒殺の歴史があって、特に王位継承者に対する毒殺が頻繁に起こっていたんだよ。料理に青酸カリやヒ素化合物などの毒を混入された場合に、化学反応による変化でいち早く異変を察知できるから、暗殺防止のために銀食器を使用していたんだ」
「聞いたことがあります」
「アルジャンって人が健康を守ってるんだね」
「突然話を始めるから、戸惑いました」
「アルジャンって単語で思い出した」
「こっちでも銀は毒に反応するんでしょうか?」
「成分が同じならするだろうね」
「この国って、平和ですよね」
「今のところ戦争はしていないね。ただね、南の街門の外の不法野営者が増えてる。何か不安材料があるんだよね」
「不安材料ですか?何があるんでしょう?」
「まだ分からないよ。王宮も調べてるらしいけど、ネットワークが発達してないから時間がかかってる。すぐにどうなる訳じゃないから大丈夫だよ。何かあっても咲楽ちゃんは俺が守るからね」
「不安です」
「ごめん。不安にさせたね」
咲楽ちゃんを不安にさせたな。悪いことをした。
「大和さん、イグルーって知ってます?」
小部屋のソファーに座って薬草茶を飲んでいると、突然咲楽ちゃんに聞かれた。イグルー?知ってるけど、どっちだ?
「どっちの?」
「雪で作る方ですけど、他にもあるんですか?」
「石や皮で作る恒久的な建造物もイグルーって呼ぶから。圧雪ブロックを使って作る方ね。もちろん知ってるけど、作るの?」
「作れるかな?って思って」
「ここには魔法があるし、作れると思うよ」
「作り方が分かりません」
「教えて欲しいの?」
「はい」
「そんなに期待に満ちた目をしなくても」
「教えてください」
キラッキラの眼で言われた。好奇心で一杯だな、こりゃ。
「手順としては簡単だよ。円を書いてサイズを決定した後、イグルー内部になる場所の雪を掘り下げる。雪をブロック状に切り出してそれを積み重ねてドーム状にして、出入口の所を掘り下げて出入口を作ったら出来上がり。注意点としては、最初に雪を出来るだけ圧縮しておくことかな」
「作ってみていいですか?」
「今から?庭に作るの?」
今からは無謀だろう。
「雪がひどいから、今日はやめておきます」
「それが賢明だね」
雪の降り方は変わらない。風もない。
「雪が降ってると静かですよね」
「閉じ込められてる気分になるね」
「大和さんってアウトドア派ですよね」
「外は好きだけどね。アウトドア派かどうか?本を読んでるのも好きだよ」
「私は完全インドア派です」
「だろうね」
咲楽ちゃんが刺繍道具を取り出した。
「刺繍?ずいぶん進んだね」
「本来なら今日は、リサさんの所に寄っていく予定だったんですけど」
「今日は無理でしょ」
「ですよね」
「隣で本を読んでて良いかな」
「はい。何の本を読むんですか?」
「鉱物図鑑」
「私も見たいです」
「一緒に見る?」
「はい」