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四阿位の広さの部屋だ。正面の壁に7つの丸が描かれてあった。大きな丸を6つの丸が取り囲んでる。自然に膝を付いて祈り始めた。
どうか、亡くなった方々が、迷いなく魂の休息場に行けますように。魂の休息場で休んで、また還ってきてくれますように。出来るなら、次は苦しみや哀しみの少ない生でありますように。
たぶん与えられた時間は15分位。その内の10分位を祈っていた。
部屋を出ると、ライルさん達が居てくれた。
「もう良いの?」
「はい。少なくとも3の鐘までは大丈夫だと思います」
「3の鐘まで……」
「心配させてすみません」
「心配位させてよ。私はお姉ちゃんでしょ?」
「お姉様も居るわよ」
「ありがとうございます」
診察はなんとかなったんだけど、この情緒不安定はなんともならないみたいで、診察に入ってきたオスカーさんに心配された。
「なんでぇ。まだくよくよしてんですか。嬢ちゃんには笑顔が似合いやす。笑ってくだせぇ」
「オスカーさん……」
「スラムの奴らもですがね、門外の奴らも嬢ちゃん達が真っ先に来てくれたって、感謝してやした。南門の近くの小屋にいた怪我してた男、覚えていやすか?」
「はい。あの方はお元気ですか?」
「あいつは元キニゴスらしくってね。薬草は今、コルドで見当たらないけど、採取できるようになったらキニゴスに復帰して、恩返しするって張り切ってやしたよ」
「良かったです」
「まずは入門料ですがね」
「それまでって……」
「あたしも援助しやすし、鍛治師や木工師や細工師も動き出してやすからね。絶対に死なせるような事にはさせやせん」
「私はお手伝いできませんか?」
「してもらってやすよ。あたしの指を治してくれてやす」
「師匠がやる気になってくれたんですよ。天使様のお陰です」
ミゲールさんが泣きそうになってる。
「ミゲールは昔から涙脆くてねぇ」
オスカーさんのミゲールさんを見る目は優しい。
「私は救えなかった命が有るってことが、悲しいんです。もっと早く気付けてたらって思っちゃって……」
「嬢ちゃんが気に病むこたぁ無ぇ。あの雪は、人にゃ予測できなかったんで。星宿と思うしか無ぇんでさ」
「はい」
オスカーさんの言う通りなんだとは思う。
「なんだか安心しました」
「ミゲールさん?」
「天使様も悩まれる事があるんですね」
「私はただの人間ですよ。天使様って言うのは呼び名だけです」
「天使様ってもっと近付き難いって思ってました」
「そうなんですか?あ、そういえばそんな事を最近聞いた気がします」
「施療院でこうして治療を見ていても、鮮やかに治してしまったりって言うのを見ると、同じ人間なのかって思ってしまうんですよ」
「同じ人間ですよ?」
「嬢ちゃんは同じ人間かも知れねぇが天使様だから。無意識でやっちまうのが多く無ぇかい?」
「気を付けているんですけど」
「この前もやってやしたがね」
「何かしちゃいましたっけ?」
「それを気付かないのが、天使様の天使様たる所以だねぇ」
「えぇぇ……」
オスカーさん達は帰っていって、少ししたら3の鐘が鳴った。少し机の整理をしてから休憩室に行くと、みんなが勢揃いしてた。一斉に見られる。
「えっと……?」
「大丈夫そうじゃの」
「少し無理をしてる感じもするけど」
「シロヤマさん、もう一回行っとく?」
「はい。あの部屋って何なんですか?」
「祈念所じゃな」
「祈念所?」
「祈りの場所の事じゃな」
「それは分かるんですけど、何故そんな場所が?」
「さぁのぅ?どうしてかのぅ?」
「分からないんですか?」
昼食後にもう一度あの部屋に案内してもらった。
なんだかここに入ると落ち着く。中央に進むと、自然に膝を付いた。そのまま両手を組んで祈る。朝と同じように祈ると、気持ちが落ち着いてきた。
「もう良いのかの?」
「所長、見てたんですか?」
「僕も居たよ」
「気が付かなかった……」
部屋を出るとローズさんとルビーさんが走ってきた。
「間に合わなかったぁ」
「サクラちゃん、終わっちゃった?」
「はい。え?何なんですか?」
「神殿騎士様から伺ってたのよ」
「サクラちゃんの祈ってる姿が絵になるって」
「所長達は見たんでしょ?」
「どうでした?」
「その話は後でじゃな」
「本人も聞きたくないでしょ」
「言えるのは、人に見せん方が良いということじゃな」
「あぁ……分かったわ」
「さぁ、遊びましょ」
「大きい子達も来てくれてたわ」
「じゃあ、あの大きいのも使ってる?」
「喜んでたわね」
「一緒に遊びたくなっちゃったもの」
中庭には小さい子が数名と10歳前後の子が4人。大きい子達が小さい子を上手に遊ばせながら、自分達も楽しんでくれてる。
「ルビーちゃん、楽しい場所を作ってくれて、ありがとうね」
「作ったのは私じゃないですよ。元はサクラちゃんの案だし、作ったのはライル様だし、許可をくれたのは所長だし」
「私達は見てただけよね」
「そうそう。って何を言わせるのよ」
見ていたお母さん方から、どっと笑いが起きた。
「最近大勢の方が亡くなったじゃない?」
「でも、子ども達の笑い声って、そんなのは関係ないのよね」
「天使様が昨日、元気が無かったのって、もしかして、その所為?」
「すみません。ご心配をかけてしまいました」
「天使様が気にしてても、亡くなった人は帰ってこないわ。ちゃんと休息して、もう一度生まれたいってその魂が思えたら、こっちに還ってくるのよ」
「はい」
「あらやだ。天使様?大丈夫?」
「ごめんなさい。ここ2~3日、情緒不安定なんです」
「泣けてきたりって事?そういう時は抑えちゃ駄目よ。ちゃんと泣かないと」
「そうよぉ。そうじゃないと、本当に辛い時に泣けなくなっちゃうんですって」
「どなたが仰ってたんですか?」
「マックス先生よ。昨年いらした時にそう言ってたわね」
「あの時は、親御さんを亡くした子がいたのよね」
「泣くのを我慢してたから、マックス先生がそう言ってたわ」
「そしたらわんわん泣き出して。何日かしたら吹っ切った顔をしてたわね」
「あやつはそんな事をしておったのか」
所長が呟く。
「マックス様らしいわね」
「所長に知られないようにって隠してらしたのね」
「人を振り回すのは止めて欲しいんですけどね」
「あやつはそういった事には気が回るからの。悪ふざけもするが」
「魅力的な方ですね」
「人間的にはの。悪ふざけもするがの」
「大事な事だから2回言ったのね」
笑い声が起きた。
まだ私は上手く笑えない。でも頑張って笑顔を作った。
午後からの診察は、遊んでいた子ども達が診察室をそぉっと覗き込んできたり、それを追いかけてきたお母さんに叱られてたり、賑やかなものになった。
5の鐘が鳴って、終業時間になった。診察室を出ると、ローズさんとルビーさんが待っていた。
「サクラちゃん、帰りましょ」
「今日は途中まで一緒に行くからね」
「トキワ様への説明は、ライル様に任せましょ」
「そうね。任せちゃいましょ」
「マルクスさんは良いんですか?」
「ちゃんと話すわよ」
「心配しないの」
「サクラちゃん、今日の夕食はどうするつもりだったの?」
「家に薄切り肉を買ってあるから、それを使って何かを作ろうと思ってたんですが」
「今日は市場で買っていきなさい」
「今日はトキワ様に、ちゃんと甘えて泣かせてもらうのよ」
「それが良いわ」
2人の話は、更衣室を出て、施療院を出てもずっと続いていた。たぶん今日のお母さん方の話から、私がちゃんと泣いてないって判断したんだと思う。
マルクスさんにはライルさんが説明してくれたみたいで、黙って付いてきてくれた。
王宮への分かれ道の手前で大和さんが待っていてくれた。ライルさんが事情を説明してくれて、みんなと別れる。
「我慢するなって言ったのに」
ポツリと大和さんに呟かれた。
「大丈夫だと思ったんです」
「それじゃ、仕方がないのかな」
「そう思ってください」
「それで?市場で買っていくって事で良いの?」
「良いですか?」
「気分転換になるかなって思ったんだけど、ならなかった?」
「なりました。そのときは気分転換になるんですけど、また戻ってきちゃうんです」
「それなら仕方がない、のかな」
「すみません」
「ジェイド嬢とルビー嬢のお言葉通り、咲楽ちゃんには甘えてもらおう」
「少し前にオスカーさんに、甘え方が下手だって言われました」
「どんな話からそう言われたの?」
「大和さんと結婚していないって話からです」
「咲楽ちゃんの、個人的に乗り越えなければいけない問題その2か」
「はい」
市場でお総菜を買って、家に帰る。
「大和さん、面倒だって思いませんか?」
「どうして?」
「私は切り替えが下手で、いつまでも悩みを引きずっちゃって、その度にみんなに心配されて、大和さんに頼ってしまうんです」
「俺は咲楽ちゃんに頼られたい。今回の事だってずっと隠してたでしょ?」
「みんなが心配してくれてるのは知ってたから、後は自分の問題だと思ってたんです」
「咲楽ちゃん、俺はそんなに頼りない?」
「そんなこと無いです。でも……」
「でも、じゃなくてね。分かった。今日は離さないからね」
「お風呂の時は離してくださいね」
「嫌だ」
「え?」
「また考え込まないって約束できる?それなら離すけど」
「約束します」
「本当に?」
「はい」
家に着いて、一旦着替える為に自室に行く。着替えてダイニングに降りると、大和さんが暖炉に火を入れてくれていた。
私の異空間から買ったお総菜を出して夕食にする。
「咲楽ちゃん、エスターにプリュネルノワゼットの事を聞いたよ」
「エスターさんに?そういえばオーガ族の方と交流があるんでしたっけ」
「そう。エスターもその関係で何度か見た事があるらしい。プリュネルノワゼットと呼ばれる宝石は、非常に割れやすいんだって」
「割れやすいんですか」
「割れやすいというか、欠けやすいって言ってたな。プリュネルノワゼットの他にプリュネルブレウと言う中心が青い宝石とプリュネルジョーヌと言う中心が黄色の宝石があるらしい」
「青と黄色ですか」
「エスターが言うには、青と言うには白っぽいし、黄色というか茶色っぽいって事だったけど」
「見てみたいです」
「いつか見たいって物が増えたね」
「はい」
静かな夕食を終えた。
「さて、心の準備は出来たかな?」
食べ終わった片付けをしながら大和さんが言う。
「えっと……」
「まだかな?」
「さ、先に明日のスープだけ作っちゃいます!!」
「じゃあ、先に風呂に行ってこよう」
クックッと笑いながら、大和さんがお風呂に行った。
明日のスープはミネストローネ。最近のお気に入りだ。カークさんもショートパスタが入っているからか、それとも慣れちゃったのか、ミネストローネの時は私がパンを食べなくても何も言わない。最初の頃は大和さんに「母親か!!」って突っ込まれるくらいだったけど。スープを作り終えて、いつもなら刺繍をする。でもこの2日は全くしていない。冷静に刺せる自信が無かったのと、お祝いの物を悲しい気持ちで刺したくなかったから。
だから今日も、鉱物図鑑のプリュネルノワゼットをずっと見ていた。そして気が付く。プリュネルブレウとプリュネルジョーヌが載っていない。どうして?
考えていたら大和さんがお風呂から戻ってきた。
「考え込んでる訳じゃなさそうだね」
「鉱物図鑑に、プリュネルブレウとプリュネルジョーヌが載っていないんです」
「載っていない?」
大和さんもしばらく見ていたけど、同じページには載っていなかった。
「どうしてだろうね?ともかく風呂に行っておいで」
「はい」
お風呂で1人になると考え込んじゃうから、なるべく他の事を考えるようにした。オスカーさんはあの門外で怪我を治した男の人が、キニゴスだったって言ってた。フラーになってキニゴスに復帰出来ると良いな。
でもそういう風に思い出しちゃうと、連鎖的に凍死者の事が思い浮かぶ。もう少し早く気付いてれば。もう少し雪が少なければ。『たられば』は意味がない事なんだけど。時を戻せる訳がないんだから。
今は何を考えても、南のスラム街の方達や門外の方達に最終的に結びつけてしまう。
髪を乾かして、寝室に上がる。
「おかえり、咲楽ちゃん」
「戻りました」
「また考えてたっぽいね」
「最初は違う事を考えてたんですけど、連鎖的に思い出しちゃって、離れられませんでした」
ベッドに上がって大和さんの側に行くと、ギュっと抱き締められた。
「大丈夫だから、泣いてしまいなさい」
「どうしてもっと早くに気が付けなかったの。どうしてあんなに雪が降ったの?どうして死ななければならなかったの?どうして……っ」
口に出してしまうと、次から次へと涙が溢れてきた。ひとしきり泣いて、ようやく落ち着く。
「最初のは俺も気付けなかったからね。ごめんね」
「大和さんは、悪くないです。大和さんはすぐに行動してくれました」
「それは咲楽ちゃんだって同じだよ」
「私はすぐに動くことも出来なくて、家に居るしか出来なくて」
「そうしろって言ったのは俺だよ」
「それでも何か出来た……」
「咲楽ちゃん、俺は何度も言ってるよね。咲楽ちゃんの手はそんなに大きいの?人はその手の届く範囲でしか救えないんだ。あれもこれもと手を伸ばしすぎれば、結局全てがその手からこぼれていく。届かない手は他の人に頼むしかないんだよ」
「でも……」
「ナザル所長とライル殿が到着するまで、1人で施術し続けて。咲楽ちゃんは精一杯やったでしょ?あのイグルーも咲楽ちゃんが言い出したんでしょ?あそこであれ以上、何が出来た?温かいスープを配って、治療して、それ以上に何が出来た?俺達騎士は人を助け出しても、咲楽ちゃんの所に連れていくしか出来なかった。1人で治癒をしている咲楽ちゃんを見守るしか出来なかった。どれだけ悔しかったか分かる?1人で戦ってる咲楽ちゃんに何も出来ないんだよ。見てる事しか出来ない悔しさが分かる?」
私はずっと自分を責めていた。私がなんとか出来ていれば、私がもう少し早くあそこに行っていればって。でも大和さん達は助け出した後、怪我をしていたら私の所に連れてくるしかなかった。所長とライルさんが到着するまでは、施術師は私しか居なかったんだから。きっと助け出してる途中で亡くなった命もあるんだと思う。それを見ているしか出来ない。その悔しさは日本にいた頃なら理解できたんだと思う。
「ごめんなさい」
「言い過ぎたね。俺もごめん」
「大和さんも、辛かったんですよね」
「まぁね。助け出しても後を託すしかないのは、傭兵時代で嫌と言うほど経験したから。あれは慣れない」
「今朝の笛があんなに物悲しかったのは、大和さんの心がそうだったからなんですね」
「御鎮魂はああいう曲だから」
「でも今朝、心次第だって言ってたじゃないですか」
「受けとる側の、って言ったでしょ?」
「思いを笛に乗せてたんですよね?」
「あぁ、もう。その口を閉じようか」
キスされた。
「明日は早いから、もう寝るね」
抱き締められたまま、横になる。
「動けないんですけど」
「今夜は抱き枕になってなさい。心配させた罰として」
「罰ですか。いつもと状況が変わらない気も……」
「何か言った?」
「いいえ。おやすみなさい、大和さん」
「おやすみ、咲楽ちゃん」