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屋台広場でスープとお総菜的なものを買って、ついでに夕食の買い物をして家に帰る。デリックさんとは市場を出たところで別れた。お礼としてヴァネッサさんのパンを渡したら、物凄く喜ばれた。
「今日1日でサクラちゃんの気持ちが、嫌って言うほど分かったわ」
「お疲れ様です」
家に帰って昼食を食べながら、ローズさんがしみじみと呟いた。
「サクラちゃんは今から何をするの?」
「ルビーさんのベールの続きです。構いませんか?」
「もちろん好きにして。サンドラとリサが呆れてたわよ。あそこまで早く刺繍出来ると思ってなかったって」
「そうですか?」
「今は何の花?」
「マグノリアです」
「あぁ、あのピンクの花ね」
「誰が選んだんですか?」
「私よ」
「ローズさんですか」
「何かあった?」
「色がかなりキツいです」
「えっ!!」
「元の世界にもマグノリアはあるんですけど、白だったり紫だったりで、そこまでキツくないんです」
「そうなの。ごめんね」
「お任せしたのは私ですし、慣れてきました。それに後1輪ですし」
「後1輪?」
「はい。食べ終わったらやっちゃって良いですか?」
「良いわよ」
お昼を食べ終わって私は刺繍、ローズさんは植物図鑑を見ていた。
「これってトキワ様が買ったのよね?」
「はい」
「こういうの、好きなの?」
「大和さんですか?好きだって言ってました。私も好きです」
「サクラちゃんの事を聞いたんだけど、良いわ。後は鉱物図鑑?それから種族別特徴と言語?ずいぶん難しそうな本ね」
「私達には必要です。種族とか、全然知らないから失礼があっても困りますし」
「何を想定しているの?」
「施療院にみえたりしたら、って考えたんです」
「ちゃんと通訳できる方が付いてくるわよ?」
「知らないのと知ってるのじゃ、色々変わりますから」
「本当に真面目ねぇ。見習わないといけないわね」
「今まで施療院にオーガ族の方とか、他の種族の方がみえたことって無いんですか?」
「あるわよ。だから通訳できる方が付いてくるって知ってるの。でも大抵は所長が担当されるわね」
マグノリアをやっと刺し終わった。その後は2人で植物図鑑を見て、4の鐘でローズさんは帰っていった。
私は今から夕食の準備。今日のお夕飯はローストポークとアフルのダッチベイビー。パイ生地は作ってなかったからダッチベイビーをって訳。大和さん、喜んでくれるかな?
まずはローストポークの下準備。ポークの塊肉には塩コショウを擦り込んで、面を焼いて、肉汁を閉じ込める。2~3日前から塩コショウや砂糖を擦り込んでおいて、焼くっていうのも知ってるんだけど、あれってラップとか使うから、今回はこのやり方。ダッチオーブンのような鍋にたっぷりの野菜を敷いて、そこに塊肉を乗せたら、蓋をして120度のオーブンで1時間。その後、ホイルで包んで20分の行程があるんだけど、鍋にタオルを巻いて代用する。
ダッチベイビーの方は大和さんが帰ってきてから作り始める。薄力粉、塩、卵、牛乳、バターの準備はしておいて、アフルをキャラメリゼしておく。
後は待つだけだから、明日の分のスープも作っちゃおう。
スープを作り終わったくらいに、大和さんが帰ってきた。
「お帰りなさい、大和さん」
「ただいま、咲楽ちゃん」
パンを温めて、ローストポークを切り分けて、お皿に盛り付ける。
大和さんが着替えて降りてきた。
「咲楽ちゃん、今日はあの後、何してたの?」
「私は刺繍をして、ローズさんは植物図鑑を見てました」
「お昼はどうしたの?」
「神殿地区の市場に行きました。ヴァネッサさんのパン屋さんには迷わず行けたんですけど、屋台広場に行くのに迷ってしまって、デリックさんに助けてもらいました」
「デリックに?」
「はい」
ローストポークとパンをテーブルに運んで、夕食を始める。
「市場で、ローズさんのバラの精霊様って呼び名が意外に広まっていて、ビックリしました」
「鍛治師連中は普通に使ってるしね。騎士にも少しずつ広まってる」
「そう言えば鍛治師さんがうっかり騎士様に話して、大和さんに窘められたって聞きました」
「それは言っても良いのか?って聞いただけだよ。その後も聞いてくる騎士が増えてるし、広まる気がするね」
「後、ローズさんが墓穴を掘っていました」
「何をしたの?」
「自分から『お姉様』って言い出して、デリックさんに『3姉妹って良いですよね』って言われてました」
「それは……3姉妹っていうのも広がりそうな予感がする」
「大和さんの予感って、当たる感じがします」
「そうかな?」
「そうですよ」
「それで?ジェイド嬢の用件ってあの布だけだったの?」
「たぶん違うと思います。何かを言いかけてって言うのは無かったんですけど、何かを言いたい雰囲気はあったので」
「あぁ……」
「大和さん、何か分かったんですか?」
「これかなって言うのはあるけど、言わないよ。ジェイド嬢が自分で言いたいだろうから」
「えぇぇ……何ですか?」
「咲楽ちゃんが触れられたくない事だと思うよ」
「あぁ、分かっちゃいました」
「分かっちゃったか」
「男性が怖いって言うのは、施療院の皆さんは知ってますから」
「知ってるんだ。そう言えば魔術師筆頭殿の一件でみんな知ってる感じだったね」
「はい」
「その時に話したの?」
「そうですね」
「ライル殿も気を使ってくれてるし、本当に咲楽ちゃんの家族になろうとしてくれているのが、分かるね」
「かといってお姉様とか呼ぶのはちょっと……」
「いきなり呼べって言うのは照れるよね」
「実感がこもってますね」
「俺自身はないけどね。何人か知ってる。兄と呼んで良いですか?って言われてる奴をね」
「兄と呼んでって、お相手は男性?女性?」
「女性」
「はい?」
「特別な繋がりが欲しかったみたいだよ」
「特別な繋がりですか?」
「無条件で甘えられる存在かな?」
「よく分かりません」
「俺も含めてみんな分からなかったよ。そういうシチュエーションが好きだったのかな?」
「兄が甘えられる存在って言うこと事態が、分かりません」
「ライル殿に甘えてみたら?あっちの兄は忘れて」
「思い出したくないです」
「じゃあ、ちょうど良いじゃない」
「ちょうど良いですか?」
「上書きしちゃえば?」
「上書き?」
「兄はライル殿だけって思い込んじゃうの」
「思い込む……」
「そうそう。それよりこれ、旨いね」
「ローストポークです」
「パサついてないね」
「低温で長時間っていうのがコツみたいです」
「低温でって何度くらい?」
「120度です」
「120度って十分高温だと思うけど?」
「料理に関してなら、低温ですよ。200度で、とかもありますから。大抵は180度位でしょうか」
「料理は分からないね」
「料理の事は私に任せてください。その他は任せますから」
「分かった。そうする」
大和さんが食べ終わりそうになってるのを見て、席を立つ。
「どうしたの?」
「デザートを作っちゃいます」
「今から?」
「はい」
オーブンは十分温まっている。生地を流し入れたら、時間との勝負だ。庫内とスキレットが冷めない内に手早くしないといけない。
焼き上がったらキャラメリゼしたアフルを乗せて大和さんの所へ。
「お待たせしました」
「面白い形だね」
「ダッチベイビーです」
「ダッチベイビー?へぇ。旨そう」
「アップルパイが焼けなかったので、代わりです」
「これはこれで旨い」
「良かったです」
「ダッチって事はドイツのスィーツ?」
「シアトル発祥って聞いたことがあります」
「アメリカなの?」
「作るときにそこまで気にしないから、分かりませんけど」
「ネットが使えないってことが悔しかったのって、こっちに来てから初めてだ」
「調べるの、お好きですもんね」
「もっと未知の物があるから良いけどね」
「魔法とか?」
「生物とかもそうだし、魔物、鉱物、植物、環境、魔法、色々あるね」
「大和さんって興味が色々あるみたいですけど、専門を決めたら学者さんになれそうです」
「学者?そうなったらたぶん寝食を忘れるから無理」
「寝食を忘れるって……」
「バラの和名の一件で思い知ったからね」
食器を洗っていると、隣で片付けてくれながら、大和さんが言った。
「あぁ、眠れなくなったって言ってましたね」
「眠れなくなったと言うか、気が付いたら朝だったと言うか」
「夢中になっちゃったんですか?」
「そういう事になるのかな。調べてたらあれもこれもって気になって、気が付いたらいつも起きる時間になってた」
「徹夜したんですか?」
「そういう事」
「大和さん……」
「言いたいことは分かってるよ。あっちでも諒平達にさんざん言われたから」
「諒平さんがお気の毒です」
「咲楽ちゃんと気が合ったかもね」
「開き直らないでください」
「これが俺なんだから、諦めて?」
小部屋に移動して、一緒に植物図鑑を見る。
「名前が一緒の物が多いね」
「ですね。色が違うのも多いですけど」
「あ、金糸梅」
「これってヒペリカムじゃないんですか?」
「ヒペリカムということも多いけど、ヒペリカムは、オトギリソウ属のラテン名だね」
「別物ですか?」
「金糸梅もオトギリソウ属だよ。だから別物じゃない。勘違いしてる人は多いけどね」
「オトギリソウって響きが怖いですね」
「和名はね。由来も怖い。秘密の妙薬の事を弟が恋人に漏らしたからって、兄が切り殺したって話が元になってる」
「それだけで弟を殺しちゃったんですか?」
「それが知られたら独占できないって事だったらしいけど、本当にそれだけの事だよね」
「大和さんはお兄様と仲が良かったんですよね?」
「兄貴が気を使ってくれてたしね」
「お会いしたかったです」
「帰りたい?」
「帰りたくないって言ったら嘘になると思いますけど、帰りたいっていうのも違うんですよね」
「分かる気がする。自分の居場所があるって思えたって事だよね」
「大和さんはどうですか?」
「俺は咲楽ちゃんが一緒ならどこでも良い」
「ありがとうございます」
見つめられて照れてしまう。
「慣れなくて、照れる所も可愛い」
「大和さん、お風呂、行かなくて良いんですか?」
「あ、話をそらした」
「行ってきてください」
「はいはい。行ってくるね」
今日はスープは作ってあるから、刺繍をする。えっと次はなんだっけ?あぁ、ベルギアだ。見た目は小型の胡蝶蘭。色は藤色。
胡蝶蘭って白だったよね。でも藤色の胡蝶蘭も綺麗だ。ベルギアはあちこちにある。全部で5ヶ所以上。10ヶ所有るかな?落ち着いた色だからってたくさん入れてみた。はい。自業自得ですね。
2ヶ所目のベルギアに移ろうとしたとき、大和さんが小部屋に入ってきた。
「マグノリアは終わったの?」
「はい。昼間にやっちゃいました」
「で?これってコマチフジ?」
「ベルギアです。コマチフジっていうんですか?」
「ハーデンベルギアって言う種はあるけど。それかな?」
「さぁ?」
「咲楽ちゃんも入っておいで」
「はい」
お風呂に向かう。
髪が伸びてきたなぁ。理容院とか美容院とか、無いのかな?前髪は自分で切れるけど、後ろは自信がない。ローズさんとかルビーさんとかに聞いてみようかな。ローズさんもルビーさんもいつも綺麗に整えてるし、理容院とか美容院とかが無いって事はないと思うんだけど。
私の髪の毛はありがたいことに縺れるとか、そういった事には縁がない。大和さんも触り心地が良いって言ってくれる。その辺りは置いておいて、裏を返せば結っても解けやすい。そう言えば謁見の時の髪ってどうやって結い上げてくれてたんだろう?あの時は緊張であまり覚えてないんだよね。王族の方とお茶会の後のパーティーの衣装替えの時は大和さんと離されて心細かったし、そういった事を気にする余裕もなかったし。
ゴムが有ればなんとかなると思うけど、髪ゴムって無いよね。ローズさんも知らないって言ってたしアレクサンドラさんもシュシュを作った時、何も言っていなかった。
髪を乾かして寝室に行く。
「おかえり」
「戻りました」
「何を考えてたの?」
「髪の毛が伸びたなって思って」
ベッドに上がりながら、答える。
「そう言えばそうだね」
「前髪は切ろうと思ったら切れるんですけど、私が持ってるハサミって、布用なんですよね」
「紙用も無かった?」
「ありますけど、和綴じノートを作るのに、糊の付いた紙を切っちゃったので、切りたくないんです」
「魔法で何とかしてるのかな?」
「ん~。ローズさんとかルビーさんに聞いてみます。大和さんも伸びてきましたね」
「そうだね。このままでも良いけどね」
「長かった時もあったって言ってましたね」
「そこまで伸ばそうか?」
「それは大和さんのお好きなようにしてください」
「俺もゴットハルトとかプロクスに聞いたら良いんだけどね。いざとなると忘れるんだよね」
「大和さんが忘れるんですか?」
「見習い達のメニューとか、やることが結構あるんだよ」
「お任せされてるんですか?」
「そういう事」
「そういうのって団長さんがやるんじゃ……?」
「『指導経験があるならやれ』って丸投げされた」
「えっ」
「プロクスやゴットハルトに意見は仰いでるけどね」
「王宮でもそうだったんですか?」
「王宮では副団長が仕切ってた。メニューは決まってたから、それに沿ってやってただけ」
「団長さんってそういうの、苦手なんでしょうか?」
「だろうね。星見の祭の各貴族のお抱え騎士達の調整にイライラしてたし。あの人は叩き上げらしいし」
「叩き上げ?」
「下積みから出世していったってこと」
「豊臣秀吉みたいな?」
「そうだね。羽柴秀吉も叩き上げだね」
「私が言ってるのは豊臣秀吉ですよ?」
「豊臣秀吉の事だよ。日吉丸から木下藤吉郎、木下秀吉、羽柴秀吉、藤原秀吉、豊臣秀吉と名前を変えたんだ」
「秀吉って言うのは変わらないんですね」
「名前に関しては幼名以外は記録に残ってる。女性関係に関しては尊敬できないね」
「側室が居たって言うのは知ってますけど。茶々さんとかそうですよね」
「側室は13人居たとされてるね」
「13人!?」
「一応こっちも記録に残ってる」
「うわぁ……」
「俺は咲楽ちゃん一筋だからね」
「衝撃が大きいです」
「だろうね。そろそろ寝る?」
「そうします。……13人……」
「衝撃から抜け出せないみたいだけど、大丈夫?」
「はい」
「良いから寝ちゃいなさい」
「はい。おやすみなさい、大和さん」
「うん。おやすみ、咲楽ちゃん」
その夜は衝撃が強すぎて、なかなか眠れなかったけど、大和さんが抱き締めて居てくれて、いつの間にか眠ってしまった。