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霜の月に入った。地球で言えば新年を迎えたことになる。こちらの新年は花の月、地球で言えば4月。だから全く慌ただしさはなく、いつも通りの日々を送っている。
変わったことと言えば大和さんが再び神殿騎士になって、早番、遅番勤務が再開されたから、出勤時と帰宅時に1人での行動が再開されたと言うこと。出勤時は相変わらずローズさんが走ってきて、それを追いかけてきたライルさんに注意されている。帰宅時は人通りが少し減ったかな?
先月芽生えさせちゃったプラムは、フリカーナ家の庭師さんが「家の中なら大丈夫。花の月になったら地植えにしたほうがいい」と、アドバイスをくれて、今は休憩室においている。庭師さんは優しそうなお爺ちゃんだった。ライルさんに言わせると「シロヤマさんの前だからだよ」って事らしいんだけど、1度会ったときに、色々助言してくれて、芽生えの月辺りに中庭の花畑計画を目論んでいる。所長には「大いにやりなさい」と、歓迎された。ただし、まだ私と庭師さんの2人だけの秘密。
日本にいた頃の感覚が少し残っているから、お正月とかを意識しちゃって、やりにくい。私と大和さんだけなんだけどね。
街中に建てられている闘技場は、早くも姿を現している。さすが、魔法のある世界って感じだ。見た目はローマのコロッセオ。観客席も有って見物できるようにするらしい。イベントなんかもここでする計画らしくて、結構大きな建造物だ。中はまだ見えないんだけど、騎士団の訓練とかもここでするって話があるから、王都のみんながワクワクしているのが分かる。
今日は火の日で、大和さんは早番勤務。すでに出勤している。起きて着替えてキッチンへ。昨日作っておいたスープが減っているから、大和さんが飲んでいったんだと思う。暖炉に火を入れてその炎を眺めるのは私の習慣になってる。例の容器は暖炉の中に入れっぱなしになっちゃってるから、水の量だけ確認して、水属性で足しておく。樹魔法なんかの複合魔法は、属性魔法を使いながらの方が成長しやすいって聞いたから、毎日施療院の中庭に地属性で作ったガーデンオーナメントを、無駄に増やしている。お陰で土色ながら赤土や黒土や黄土で彩色出来るようになってしまった。
スープを温めてお昼ご飯の準備をしてお昼の分は異空間へ、大和さんは神殿の食堂で食べてくるから要らない。朝食を食べたら片付けをして出勤の準備。その後は少しだけベールの刺繍をする。今刺しているのはフランボヤン。朱色に赤と白が入り交じった色だから、気を付けないと花の色のバランスがおかしくなる。次に刺す予定のスパトデアは紅色と赤。この2つが入るだけで色合いが派手になる。アレクサンドラさんとリサさんからは「この2つは色合いが強烈だから、多くてそれぞれ2輪まで」と言われた。
ある程度まで進めて、暖炉の始末をして玄関を出る。神殿に向かう道を少し過ぎたところで出会うのはチコさん達。
「おはようございます。天使様」
「おはようございます。今からですか?」
「はい。今日もしごかれてきます」
そう言いながらも元気一杯の彼らに、激励をして別れる。この1ヶ月で私が天使様だと言う事はバレていた。当然大和さんが黒き狼だと言うこともバレたらしく、『何故かそれまで以上に張り切り出した』と大和さんが笑っていた。王宮騎士団預かりの5人も週に2回、神殿に来て指導を受けているらしい。
チコさん達と別れて少し行くと、前からローズさんとルビーさんが走ってきた。
「おはよう、サクラちゃん」
「おはようございます、ローズさん、ルビーさん。今日はルビーさんも一緒なんですね」
「だって昨日、ローズがサクラちゃんを迎えに行くって言ってたじゃない。マルクスに頼んで早く出てきたわ」
「マルクスさんは?」
「ライル様と後から来るわ」
「放ってきたんですね……」
「放ってきちゃった」
「あっけらかんと言わないでください」
「ルビー、ダメじゃない。マルクス様を放ってきちゃ」
「ローズさんもライルさんを放ってきたんですよね?」
「ローズも同じじゃない」
「ライル様は私の婚約者じゃないもの」
「でも放ってきちゃダメです」
「サクラちゃんが厳しい」
ライルさんとマルクスさんが追いついた。
「ジェイド嬢、分かってるよね?」
「ルビー、ヒドいじゃないか。放っていくなんて」
「おはようございます、ライルさん、マルクスさん」
「おはよう、シロヤマさん」
「おはようございます、シロヤマさん」
「今日は晴れましたね」
「そうだね。雪が少しでも溶けると良いんだけど」
「シロヤマさん、ルビーのベールは進んでる?」
マルクスさんにこっそり聞かれた。
「はい。大丈夫ですよ」
「マルクス殿、シロヤマさんなら大丈夫だよ。問題はその後だね」
「その後?」
「ジェイド嬢の刺繍」
「そんなにですか?」
「先生がたくさん居るから、大丈夫だと思うけどね」
「なんだかヒドい事を言われてる気がするわ」
ローズさんが後ろから言う。
「そうだ。シロヤマさん、オスカーさんの事、ありがとう。真面目に通ってるんだって?」
「ご本人から聞いたんですか?」
「ミゲールさんから。オスカーさんが見つかるまでは、あの人が折衝役をしてくれてたからね」
「まだ始まったばかりですよ」
「それでも天使様の所へは通ってくれているんだ。感謝してるんだよ。鍛治師の連中も礼を言っておいてくれって」
「そういうのってサクラちゃんに直接言った方が良いんじゃないの?」
「ローズさん、そんな状態になったら、たぶん私は逃げます」
「鍛治師の人達は体格が良いしね。シロヤマさんは怖いと思うよ」
「私達でも囲まれたら怖いわよ」
「囲まれたら、男でも怖いよ。僕は昨日囲まれたけど」
「マルクス殿、お疲れ様」
「昨日帰った時にマルクスの家の前に、体格の良い男性がいてビックリしたわ」
「ルビーは一目散に逃げたね」
「怖かったんだもの」
「あの後大変だったんだよ。うちの職人達が『何事か』って出てくるし」
「ごめんって謝ったじゃない」
「母さんは話を聞いて笑ってるし、ばあ様は飛び出してくるし」
「おばあ様、飛び出してきたんですか?大丈夫でした?」
「鍛治師連中を見て、ビックリして腰を抜かして、鍛治師連中がお詫びにって家に運び込んでくれた。たぶん今日、お邪魔するよ」
「天使様ご指名かな?」
「なんだかご指名が増えてるんですけど」
「そうなかったんだけどね」
「アリスはたまにあったじゃない」
「人気があったものね。多少見下してきてたけど」
「あ、僕はここで帰るよ。仕事、頑張ってね」
「マルクス殿、付き合わせて悪かったね」
「いいえ。それではまた5の鐘に」
マルクスさんは1人道をそれていく。
「ここから西街に行けるんですか?」
「そうね。私たちはいつもここから、大通りに出てるのよ」
「へぇ」
「覚えた?」
「いいえ」
「自信たっぷりに否定したわね」
「覚えられる気がしません」
「サクラちゃんって、症例集はほとんど読んじゃったんでしょ?」
「はい」
「治療法とか、覚えたの?」
「半分くらいですね」
「半分って100以上はあるんじゃない?」
「面白かったですよ。こんな方法もあるんだって知ることができて」
「面白かった?」
「面白かったというより、楽しかったです」
「あれを読んで楽しい?」
「私達、眠くなっちゃうんだけど」
「シロヤマさんってあっちでもそうだったの?」
「何がですか?」
「知ることが楽しいって」
「そうですね。覚えることがたくさんありましたから、あまり余裕はなかったですけど」
「どんな事を覚えたの?」
「人体の構造、病気の知識、その介護の仕方、精神医学の知識、看護や福祉に関する法律や条例、栄養学、小児看護学、成年看護学、老人看護学、それから……」
「ちょっと待って。そんなに覚えることがあるの?」
「これは一般看護学です。専門看護師になろうと思ったら、さらに覚えることがあります」
「大変なのね」
「でも決めたことですから」
「さっき病気の知識って言ったけど、病気を判断してた訳じゃないんでしょ?」
「はい。診断はできません。でも知っておかないといけないんです。その病気の症状に合わせた看護が必要なので」
「診断が出来ない?」
「診断は、医師でないと出来ません」
「厳しいのね」
「そうですか?」
「当然って顔ね」
「サクラちゃんにとっては当然なんでしょ?」
「シロヤマさんはこっちに来てどう思った?」
「どうとは?」
「遅れてるとか、思わなかった?」
「ある分野において遅れてしまうのは、仕方がないかと思います」
「どうして?」
「魔法があるからです」
あ、施療院に着いちゃった。
「時間切れだね」
「そうね」
「続きはお昼かしら?」
「何もなければよね」
「違いないね」
更衣室に行く前に休憩室に寄って、プラムの様子を見る。
「成長が早い気がするけど、シロヤマさん、何かした?」
「何故何かする前提なんですか」
「シロヤマさんだから」
「何もしませんよ。元気に育ってねってお祈りしてるだけです」
「それね」
「たぶん無意識に樹魔法を発動してるわね」
「えぇ!!」
「やっぱりか」
「納得されてしまいました」
「早く着替えてしまいましょ」
「はい」
急いで着替えて、診察室に行く。診察が始まった。最初の患者さんは鍛治師さんだった。
「天使様に診て貰えるなんて運がいい。よろしく頼みやす!!」
とても大きな声で挨拶された。それこそローズさんとルビーさんが飛んでくるほどに。
「これは3精霊様、お揃いで。どうかされましたかい?」
「もう少し声を押さえていただけると助かります」
「ありゃ。申し訳ない」
大きな身体を小さくして謝る鍛治師さん。
「聞いて良い?3精霊ってどこまで広がってるの?」
鍛治師さんの火傷の治療をしていると、ルビーさんが聞いていた。
「鍛治師は知ってますね。オレ等は冒険者と付き合いがあるんで。でも広めてませんよ。嫌がるに違いないってあいつ等が言ってましたしね」
「これからも広めないようにお願いするわ」
「申し訳ない。騎士様には言ったかもしれません」
「えっ!!」
「仲間の1人が騎士様に言って、一緒にいた黒き狼様に注意されたって言ってました」
「そ、そう」
「聞いてるのはそれだけっすね」
「そう。ありがとう」
ルビーさんとローズさんが若干落ち込んで診察室を出ていくと、鍛治師さんが不思議そうに尋ねてきた。
「言わない方が良かったっすかね?」
「騎士様に言ってしまったってことですか?早かれ遅かれ知られたような気がしますけど」
「黒き狼様は天使様の好い人なんでしょ?」
「好い人……一応は」
「照れちゃって。天使様も可愛らしいですねぇ。家のも結婚前は可愛かったんっすよ」
「そうなんですね。良かったじゃないですか。可愛い奥様をもらって」
「今は文句ばっかですよ」
「感謝の言葉はかけてます?」
「感謝の言葉?」
「美味しいご飯を作ってくれませんか?」
「あいつの料理は旨いっすよ」
「美味しい、ありがとうって言ってます?」
「いや、照れ臭くって」
「言ってあげてください。貴方がお仕事で頑張れるのは、奥様が家庭を守ってくれているお陰ですよ」
「言えたら言います」
「頑張ってくださいね」
「ありがとうございやしたー」
元気すぎる挨拶をして鍛治師さんは帰っていった。
オスカーさんが来院した。ミゲールさんも一緒だ。
「天使様、こんにちは」
「こんにちは、オスカーさん、ミゲールさん」
「嬢ちゃん、ミゲールの奴、あんたが天使様だって昨日知ったんでさ」
「いままで申し訳なかったです」
「ミゲールさん、普通にしてください。むしろいままで通りでお願いします」
「でも今まで貴女の事をただの施術師だと思ってたんですよ?」
「ただの施術師ですよ?」
「天使様は天使様です」
「違います。ただの施術師です」
オスカーさんの処置をしながら、言い合ってたら、オスカーさんに笑われた。
「嬢ちゃんもミゲールも認めねえなぁ。ミゲール、おめえは今まで通り接してやんな。嬢ちゃんはミゲールが天使様って呼ぶのを許してやってくんな」
「しかし……」
「天使様って呼ばれるのは、この頃やっと慣れてきましたから構いません。お願いですから今まで通りでお願いします」
「分かりました」
「オスカーさん、さすがですね。オスカーさんが言ってくれなかったら、まだ言い合いをしてましたよ」
「師匠はすごいんですよ」
「スゴいですよねぇ」
「嬢ちゃんまでよしてくだせぇ」
あ、オスカーさんが照れた。
「嬢ちゃん、騎士のダンナはお元気ですかい?」
「えぇ。元気ですよ。どうしたんですか?」
「最近見かけやせんでしたからね。どうされたのかと思いやして」
「大和さんは王宮騎士団と神殿騎士団の掛け持ちなんです。今月は神殿ですね」
「そりゃ、大変だねぇ。またなんだって、そんなややこしいことになっちまたんで?」
「ペリトード団長様とアインスタイ副団長様の、話し合いの結果だそうです」
「天使様の旦那様って、黒き狼様ですか?」
「ごめんなさい。まだ結婚はしていないんです」
「そりゃまた何か理由でも?」
「私のちょっとした問題です」
「その問題ってのは?」
「ごめんなさい。こればかりは自分で折り合いをつけるしかなくて」
「ははぁ。心の問題ってぇ奴だ。そりゃ、あたしらは口出しできねぇ。悪い事聞いちまったねぇ」
「いいえ。心配していただいてありがとうございます」
「天使様、大丈夫ですか?」
「普段は大丈夫なんですよ。意識しちゃうとダメですね」
「心の問題ってぇのは厄介だねぇ」
「ですよねぇ」
「そうですねぇ」
3人で意見が一致しちゃった。
「嬢ちゃんはあたしの前してたことをどう思いやした?」
「えっと……」
「掏摸の事でさぁ」
「自分の私腹を肥やす為なら、してはいけないって一言で終わったんでしょうけど、オスカーさんのは違いますしね」
「人の為になってるから良いって事ですかい?」
「行為そのものは間違ってると思いますよ?手段は間違ってたけど、根底にあるものは間違ってなかったんじゃないですか」
「あの時も嬢ちゃんは納得してなかったねぇ。そういう嬢ちゃんだからこそ、条件にしちまったんで。勝手に悪かったね」
「いいえ。オスカーさんの指を治してあげたい、みんなが認めた細工を見たいって思ったのは私の方ですから。あの後、ちょっと落ち込みましたけど」
「何かあったんで?」
「施術師って、患者さんが治療を望まないと、何も出来ないんです」
「なるほど。押し掛けるわけにいかねぇしねぇ」
「そうなんです」
「何故です?天使様が来てくださったら、誰だって喜びますよ?」
「馬っ鹿。おめぇ、治療すりゃ金がかかるんでぃ」
「そうなんです。施術師をしてるとどうしても料金の問題が発生してしまうんです」
「それで嬢ちゃんは、騎士のダンナに叱られてたねぇ」
「そうなんです。2回目なので」
「最初はなんだったんで?」
「えっと、お金がないからってちょっと強引に連れてかれそうになって、大和さんが怪我をさせてしまったからその人達を治したんです。そうしたら『同じ事をした奴に同じようにし続けるつもりか』って叱られました」
「そりゃあ、正論だな」
「正論ですけど、天使様、そんな事したんですか?」
「したんです。あ、呆れてますね?」
「はい」
「天使様らしいんだろうが……」
「分かってはいるんです」
「叱ってくれる人が騎士のダンナで良かったね」
なんだか大いに同情しながら、オスカーさん達は帰っていった。
その後も診察は続いて3の鐘が鳴った。




