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翌日。いい天気だった。青空も見えるし冬晴れって感じ。でも寒いんだろうな。そう思いながら着替えてダイニングに向かう。暖炉に火を入れて、キッチンに回り、朝食用とお昼用の食材を出す。今日は大和さんは東市場の巡回だから、お昼は要らない。
1の鐘が鳴る頃、大和さんが帰ってきた。
「おかえりなさい、大和さん。あれ?カークさんは?一緒じゃなかったんですか?」
「ただいま、咲楽ちゃん。カークは副ギルド長から呼び出されて帰った」
「たびたび呼び出されますよね」
「そうだね。地下に行ってくる」
「はい」
今日の夕食用にホワイトソースを作っておく。ジャガイモやニンジン、玉ねぎを大きめに切って、鳥肉も大きめに切って、煮込んでいく。作っているのはクリームシチュー。ある程度まで作って布でぐるぐる巻きにして、ホットキルトを被せて置いておく。
朝食とお昼の用意が出来たら、リビングの伝声管から大和さんを呼ぶ。今日も綺麗な笛の音が聞こえた。
「大和さん、朝食の準備ができました」
少しして、大和さんが上がってきた。
「ただいま。シャワー、行ってくるね」
大和さんがシャワーに行ったら朝食を仕上げて、パンを温める。パンは暖炉の上の棚に置いて、15分位でふかふかの焼きたてのようになる。
シャワーから戻った大和さんがコーヒーを淹れるのを眺める。
「咲楽ちゃんも飲んでみる?」
「今日はやめておきます」
「今日は?」
「以前、コーヒーを飲んで30分位後に気分が悪くなったことがあって、それから避けてるんです。苦味が苦手と言うのもあるんですが」
「なんだろうね。紅茶が飲めるんだから、カフェインアレルギーという訳でもないだろうし」
「内科学の先生にも同じことを言われました」
「カフェオレは大丈夫?」
「はい」
「じゃあ、慣れてなかっただけかもしれないね」
「そうなんでしょうか」
「休みの日にでも飲んでみる?」
「ちょっと考えます」
あの気分不良が来るかもって思うと、二の足を踏んでしまう。
「朝食を食べちゃおうか」
「はい」
スープを注いで、大和さんに渡す。
「大和さん、笛もやってたんですか?」
「他の人が舞ってる時に、演奏する人が要るから。囃子方は居るけど普段の修練の時には自分達でやるんだよ」
「じゃあ、お兄さんなんかも吹けたんですね?」
「俺のは負けず嫌いの賜物」
「と、言うことは、夢中になっちゃったんですね?」
「そういうこと。囃子方に来ますか?って言われた」
「どういう事ですか?」
「教えろって言うのがウザかったか、食い付きに引いたんじゃない?」
「熱心だから誘われたんじゃないですか?伝声管から聞こえるのでも、すごく綺麗です。あれはなんの曲ですか?」
「家では習曲って言ってたけど、練習曲だね。運指とか、呼吸法とかの習熟に使われる曲だよ」
「あれでもスゴいって思うんですけど」
「竹製じゃないから、音に満足がいかなくてね」
「違うものですか?」
「龍笛に比べるとちょっと音が小さいし、低いかな?音域はあまり変わらないんだけどね」
「そうなんですか。龍笛って聞いた覚えがないです」
「雅楽なんかは聞かなかった?」
「はい。すみません」
「馴染みがないと思うよ。正月なんかはよく流れてたりしたけどね。習曲でよければ聞かせるよ」
「お願いします」
「もう数日後だね。ちょっと緊張するかも」
冗談っぽく、大和さんが言う。朝食を食べ終えて、大和さんが洗い物をしてくれている間に出勤準備をする。今日は大掃除の打ち合わせだったよね。何を作るか、っていう。
メモ代わりの和綴じノートと筆記具を纏めたポーチを魔空間に入れる。ついでにエプロンも。要らないかもしれないけど一応持っておこう。
階下に降りると、大和さんが待っていてくれた。
「お待たせしました」
「行こうか」
玄関を出たところでゴットハルトさんに会った。
「久しぶりだな」
「変わったことは?」
なんて言って、たぶん神殿騎士団の近況とかを話してるんだと思う。少し話して、ゴットハルトさんがこっちを見た。
「おはようございます、シロヤマ嬢」
「おはようございます、ゴットハルトさん」
「ヤマトから聞きましたよ。氷魔法を練習してるって」
「え?いつの間に?」
「さっきです」
「大和さん?」
「ゴットハルトは自前でヒーターが出来るから、コツとか聞いたらって思ってね」
歩きながら話をする。
「ヒーターって火と風ですか?」
「えぇ。どこで躓いてます?」
「属性魔法の同時展開は何とかできていると思うんです。けど、氷というか、シャーベット状だし、雪もフワッと浮き上がるくらいで」
「たぶん属性魔法の出力のバランスですね。シャーベット状には出来てるんでしょう?ならもう少しですよ」
「はい。ありがとうございます。頑張ります」
「どのくらいから練習しているんですか?」
「本格的に始めたのは今月始め?この前積もったでしょう?あの日からです」
「複合魔法は3ヶ月はかかりますからね?早すぎますよ」
「でも一緒に練習しているライルさんも、同じくらいですよ?」
「それはフリカーナ殿は、シロヤマ嬢に引っ張られているのでしょうね」
「悪いことではないんですよね?」
「悪いどころか、その方が習得が早いと言われてます。フリカーナ殿は『こんなに簡単だったっけ?』と、思ってると思いますよ」
「それなら良かったです」
「あぁ、私はこっちですね。では、また」
「はい。ありがとうございました。お気を付けて行ってらっしゃい」
ゴットハルトさんと別れて、少し急ぐ。
「今日もするの?」
「たぶんすると思います。いいお天気ですけど」
「コツは分かった?」
「何となくですけど」
「それなら良かった。お楽しみは氷魔法が出来なくても、って思ったけどね」
「確かに複雑な形を作るんじゃないですし、氷魔法が出来なくても大丈夫ですけど、せっかくだし取得したいじゃないですか」
「分かってるよ。咲楽ちゃんが頑張ってるのも、ホアのカクテルが楽しみなのもね」
「それだけじゃないですよ」
「分かった、分かった」
頭をポンポンされた。
「なんだか納得出来ません」
「はいはい。可愛い可愛い」
その後、ずっと可愛いって言われ続けて、王宮への分かれ道に着く頃には、若干疲れてしまった。
「おはよう、サクラちゃん?なんだか疲れてるわね」
「おはようございます、ローズさん」
「おはようございます、ジェイド嬢」
「トキワ様、何したの?」
「何も?」
「怪しいわね。サクラちゃん、行きましょ?」
ローズさんに連れ去られてしまった。
取り残されたライルさんが後で話してくれたんだけど、大和さんは副団長さんに『可愛いって思うのは自由ですが、やりすぎはいけませんね』と、言われて『心外です』と笑っていたらしい。『あれは反省はしてないね』ってライルさんも言ってた。
「それで?何があったの?」
「何がって何もないんです。精神的疲労があるだけです」
「精神的疲労ねぇ」
「今日は大掃除の打ち合わせなんですけど、スープの希望はありますか?」
「魚醤のスープだと、サクラちゃんが大変かしら」
「知ってる人はあっちが多いです」
「トキワ様も?」
「クリームスープ系って最初言ってたんですけど、魚醤のも良いな、って言ってました」
「親しみやすいのはクリームスープ系かしらね」
「そうですよね」
「今日、話し合いでしょ?」
「はい」
「奥様方はこういうのは始めてだけど、どんなメニューになるのかしらね?」
「パンは各自で持ってきてもらう感じにしないと、たぶん大変ですよね」
「そうね」
「問題は私がちゃんと話せるかです」
「大丈夫よ。サクラちゃんなら」
たぶん大丈夫だとは思うんだけど、自信はない。
施療院に着いて、更衣室で着替えを済ませる。ルビーさんが先に来ていて、とってもにこやかに申し訳なさそうな顔を作って、私に言った。
「サクラちゃん、おはよう。今日よね。大掃除の時の話し合いって。私がお料理できたら代わってあげられたのに、ごめんねぇ」
「代わってくれます?」
冗談で言ったら、ポカンとした顔をしていた。ローズさんは笑いをこらえている。
「サクラちゃん?冗談よね?」
「えぇ。冗談ですよ。本気にしました?」
「びっくりしたじゃない。もぅ!!」
「だってあれだけにこやかに言われたら、ちょっとからかいたくなるじゃないですか」
「ふふっ。ルビー、あなたの負けよ。サクラちゃんは一生懸命、どんなメニューが良いか考えてくれてたのに、からかおうとするから。聞いてて笑いをこらえるのに必死だったわ」
「ローズも早く教えてよ」
「黙ってた方が面白いじゃない」
「そんなお2人に情報です。当日来てくださる神殿騎士様は正式には10人ですが、3人押し掛け手伝いに来られるそうです」
「押し掛け手伝い?」
「何それ」
「大和さんから聞いた話ですけど、手伝いの人選は副団長さんの指名だったそうなんです。けどその選から漏れた人たちが騒いでて、最終的に副団長さんに何かを話に行って、勝手に手伝いに来るそうです。それが施療院3人娘のファン代表だそうです」
「何それ?」
「そう大和さんに言われました。ローズさんとルビーさんと天使様のそれぞれのファンだって。みんなに婚約者がいることは知ってるから、心配することはないって言ってましたけど」
「何なの?それ」
「手伝いの手が増える、って思っておいたらいいんじゃないですか?」
「所長に言っておいた方がいいわね」
「そうよね。サクラちゃんは平気なの?」
「勝手に天使様って呼ばれるのも、そういう人がいるのも、諦めました」
「サクラちゃん、しっかりして。諦めちゃダメよ!!」
「だって私が天使様なんて呼ばれ出して、どのくらい経ちます?止めてくださいって言っても止めてくれないし、諦めた方が楽です」
「それを言われちゃうとねぇ」
「そうね。としか言えないわ」
診察室に向かう。待合室に昨日見た奥様方が3人、話をしているのが見えた。
「話し合いは今からなんでしょうか?」
「聞いてきてあげるわ」
ルビーさんが奥様方の所に行って、何かを話していた。
「もう奥様方が集まってくれとるようじゃの」
「おはようございます、所長。今から話し合った方が良いでしょうか?」
「あちらの都合じゃの」
ルビーさんが戻ってきた
「サクラちゃん、お待たせ。所長、おはようございます」
「おはよう、ルビー。なんと言っておった?」
「待っててもいいわよ~。って。ただ、厨房設備は見たいそうです」
「先に設備を見てもらうか」
「はい。ご案内しますね」
奥様方の所に行って、挨拶する。
「おはようございます」
「天使様、おはようございます」
「今日はよろしくお願いします。サクラ・シロヤマです」
「あらあら、こちらこそ。私はクロエ、こっちがマノン、もう1人がポーラです」
「天使様、サクラってお名前なの?」
「はい」
「黒き狼様と婚約されてるって本当?」
「はい。あの……」
「ねぇ、ご結婚はいつ?」
「決まってません。あの、先に厨房設備をご案内します」
歩いて案内する最中にも、奥様方のお喋りは止まらない。
「照れちゃって。可愛いわぁ」
「黒き狼様もこんなところが良いんでしょうね」
「そうよねぇ。黒き狼様が婚約者じゃなかったら、引く手数多だったでしょうに。あら?天使様って何歳?」
「22歳です」
「え?」
「幼く見られるのは慣れてますけど、そこまで驚かないでください」
「18歳位だと思っていたわ」
「ねぇ、天使様。黒き狼様はお年は?」
「32歳です」
「嘘でしょ?27~28歳位だと思っていたわ」
「そうよね。最初は年の離れた兄妹だと思っていた人も多かったもの」
「施療院に途中まで一緒に通勤する姿を見て、兄妹じゃないって分かったけどね」
「あれだけ朝から甘い雰囲気になってたらねぇ」
「すぐに兄妹じゃないって分かるわよねぇ」
一生懸命聞かないふりをする。
「厨房設備はここです」
ドアを開けて、設備を見てもらう。
「ここ、使ってなかったの?」
「はい。先代の所長さんが作ったは良いけど、炊き出しくらいにしか使わなかったと言っていたそうです」
「それは惜しいわね。ここにこんな設備があるって知ってたら、有効利用もできたのに」
「そうなんですよね」
「それで今回はお昼をって事だけど」
「皆様、ここは寒いので移動しませんか?」
「あら。ごめんなさいね」
「いいえ。私の診察室にどうぞ」
診察室に案内すると、ライルさんが椅子を用意してくれていた。
「ありがとうございます、ライル様」
「いいよ。ところで、何をしているんです?クロエ・アウエイン様?」
「え?」
「参加したかったんだもの。天使様にも会いたかったし」
「アウエイン子爵はご存じなんですか?」
「知らないわよ。あんな人」
「またケンカですか」
「あの、お座りになってください」
声をかけて座ってもらう。
「シロヤマさん、紹介するね。クロエ・アウエイン子爵夫人。後の2人は……」
「私のお友達よ。昔からのね。もう何年になるかしら」
「それで?今回は何が原因です?」