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暦の上では春だそうです。
まだまだ寒い日が続きます。
暖房の部屋でぬくぬくしていたいですね。
水分補給は忘れないようにしましょう。冬の脱水は、結構キツいです。冬に脱水になって、救急病院で点滴1000ml打ちました。あの頭痛と吐き気は忘れられません。
4の鐘が鳴る頃、開放骨折した患者さんが運び込まれた。15歳の少年。スキャンをかけると複数骨折が見られた。街壁工事中の事故らしい。
急いで血液内の浄化を行う。闇属性で痛みを抑え、骨の修復をして、開放部位を修復していく。
付き添いの男の人がオロオロしていた。何か理由があるのかと思っていたら、ライルさんがやって来て、話を聞いてくれていた。
後で聞いた話だと、現場で指揮を執る文官さんの息子さんらしく、勝手に付いてきて文官さんの言う事を聞かずに、工事現場に近付きすぎたらしい。怪我をさせたのがバレたら奥さまが怖いと怯えていたって言ってた。
「言う事を聞くって約束だったのに聞かなかった息子が悪いと言ってやりなさいって言っておいたよ」
ライルさんがそう言って笑っていたけど、工事現場で言う事を聞かないって、怪我をしたいとしか思えない。
療養室で休んでもらうことにしたんだけど、そこに奥様が到着。「息子に怪我をさせるとは何事!!」だの「こんなに無能とは思わなかった」だの言いたい放題に罵っていた。おまけに私が治療したって知ったら「息子はおまえにはもったいない。嫁だなんて認めるものか」って怒鳴られた。理不尽だ。しかも訳が分からない。嫁って何?
ライルさんが「彼女は天使様ですよ」って言ったら今度は「息子を手にかけたんだから嫁に来るのは当たり前」って意味不明なことを言われた。手にかけたって「自分で直接行う」って意味もあるけど、「自分の手で人を殺す」って意味の方が印象が強いんだけど。そっちも「天使様は黒き狼様の婚約者」ってライルさんが言って、なんとか落ち着いた。
「お疲れ様」
「ライルさんこそお疲れ様です」
「あの人は息子を溺愛してるって有名でね。近付く女性は皆息子を狙ってると思ってるらしい。今回シロヤマさんの事を『嫁に来るのは当たり前』って言ったのは『息子は天使様が惚れ込んだ』とでも言おうと思ったんだろうね」
「迷惑です」
「この件は父を通じて厳重注意してもらうようにするよ」
「フリカーナ伯爵様のお仕事が増えたりしませんか?」
「サファ侯爵様からのお説教に比べたら、なんて事ないよ。あの奥様はお説教だろうけど」
「サファ侯爵様ってそんなに怖いんですか?」
「王家の教育係を代々つとめてらっしゃるしね。六侯爵家にもそれぞれ役割があるから」
「そういえば大和さんが侯爵家は六家って言ってましたっけ」
「その辺、知りたければ教えるけど?」
「たぶん覚えきれません。大和さんは貴族様のお名前は覚えたって、言ってましたけど」
「覚えたって全員?嘘でしょ?」
「嘘か本当かは分かりません」
「まぁね。もうすぐ5の鐘だから、今日はシロヤマさんは業務は終わりね。疲れてるでしょ?」
「でもお仕事中です」
「許可できないよ」
「……はい」
「勘違いしないでね。シロヤマさんに無理させたくないんだよ」
「ライルさんこそ疲れてませんか?」
「僕はこういうのは慣れてるから。とは言っても、患者さんはいないみたいだけどね」
そのまま5の鐘まで待って終業時間になった。
「サクラちゃん、災難だったわね」
「お疲れ様」
「お仕事、させてもらえませんでした」
「ああいうのは困っちゃうわよね」
「もう、意味が分かりませんでした」
「そうよねぇ」
ルビーさんと別れて、ローズさんとライルさんと共に王宮への分かれ道まで歩く。
「ローズさん、そろそろクレナの花に移ります。アレクサンドラさんに言っておいて貰えますか?」
「分かったわ。言っておく」
「お願いします」
「順調に進んでるわね」
「まだまだ始めですけどね」
「えっと、ルビーのお式がいつだったかしら?」
「僕が聞いてたのは、実りの月だったね。日付までは聞いていないけど」
「寒くなる前にって事かしら」
「そうだろうね」
「じゃあ、実りの月か空の月に、ルビーはしばらく居なくなるわね」
「結婚休暇があるからね」
「こっちにも新婚旅行ってあるんですか?」
「旅行?ないわね。時間がかかるし」
「結婚休暇というのは、引っ越し期間と新婚の仲を深めてもらおうって期間だね」
「サクラちゃん達は一緒に住んでるけど、ほとんどはそうじゃないでしょう?家探しとかをその期間にするのよ」
「あぁ、そうなんですね」
「でもルビーはお家の問題は、ほぼ無いと思って良いわよね」
王宮への分かれ道では大和さんが待っていた。
「お待たせしてすみません」
「待ってないけど、何か疲れてる?」
「あー、ちょっと……」
「何があったの?」
「その辺は父に報告しておくから」
「聞かない方がいい感じですか?」
大和さんがライルさんに聞いていた。
「聞かれてもいいと思うけどね。貴族関係と家族関係とが絡まりあってる感じで、言いにくいね」
「そうですか。それに巻き込まれたって事ですね」
「そうなるね。シロヤマさんは巻き込まれたと言うか絡まれたと言うか」
「なるほど。咲楽ちゃん帰ろうか」
「はい。失礼します」
ローズさん、ライルさんと別れて歩き出す。
「咲楽ちゃん、何か買って帰る?」
「それでいいですか?」
「疲れてるみたいだしね」
「すみません」
「本当に何があったの?」
「精神的に疲れました」
「精神的って……まぁいいや。家に着いたら聞かせてくれる?」
「はい」
市場に寄って、夕食を買って家に帰る。
「大和さん、医療の象徴って何がありましたっけ?」
「アスクレピオスの杖とか、薬学だとヒュギエイアの杯とかあるけど」
「やっぱりそっちですよね」
「あぁ、蛇がって事?」
「はい」
「その他は思い付かないけど」
「ですよね」
「今度は何?」
「お昼にルビーさんが言い出したんです。3年後にバラバラになってしまうから、何か繋がってると分かるものが欲しいって。それで、その事について話してたんですけど」
「何かのマークを、って事?」
「そうです」
「赤十字だと看護になるしね」
「そうなんですよね。それで共通点が光属性しかないよね、ってなって、二つ巴なんかも描いてみたんですけど」
「陰陽勾玉巴ねぇ」
「解釈って言うか意味が色々ありましたよね?」
「ルーツが分かってないって言われてるしね」
「何かないですか?」
「天使様の羽とか?」
「羽ですか?」
「天使様って所をまるっと無視したね」
「聞こえません」
「でも良いんじゃない?施術師のマークって無かったんだよね?」
「はい」
家に入りながら答える。
「何かマークがあると、助かるね」
「助かりますか?」
「何かあった時、例えば西の森のような時とか、施術師がどこに居るかとか分かるとこっちも安心する」
医療者がいると安心できるって言うのは分かる。すぐに治癒をかけてもらえるって思えるから。
「それに咲楽ちゃんがそこに居るって分かるのも、安心できる」
「私が?」
「俺は、って話。着替えてこようか」
「はい」
部屋で着替えてダイニングに行くと、大和さんが暖炉を付けてくれていた。
「で?何があったの?」
テーブルに買ったお夕食を並べていると、大和さんに聞かれた。
「えぇっと……」
ちょっと言い淀む。
「街壁の工事中に事故があって、その人を治療したんですけど、お身内の方に勘違いされたって言うか……」
「感謝されて嫁に来いとか言われたの?」
お夕食を食べながら話した。
「反対です。『息子はおまえにはもったいない。嫁だなんて認めるものか』ってすごい剣幕で言われたんです」
「は?何それ。施療院の施術師が治療しただけでしょ?」
「そうなんですよね。なのにそんなことを言われて、私が『天使様』だって分かったら今度は『息子を手にかけたんだから嫁に来るのは当たり前』って言われて」
「ますます意味が分からないね」
「ライルさんが『天使様は黒き狼様の婚約者ですよ』って言ってくれて、なんとか収まりました」
「ライル殿には感謝だね」
「それで精神的に疲れちゃったんです」
「なるほど。咲楽ちゃんがその息子のことが好きで、治療したって事にしようとしたんだ」
「たぶんそうだろうって、ライルさんも言ってました」
思い出してため息が出た。
「解決したんでしょ?」
「だからって無かったことにするほど、簡単なことでもありません」
「そりゃあねぇ。お疲れ様」
「それでその後、疲れてるだろうから私の業務は終わりって言われちゃって」
「ライル殿に?」
「はい」
「でも、ライル殿が出てきたってことは、相手は貴族?」
「ライルさんが出てきたらなぜ貴族って分かるんですか?」
「ライル殿はフリカーナ伯爵家の4男でしょ?貴族関係には強い。施療院は平民の為の施設だって思われてるけど、実際は少数ながらも貴族が来る。ライル殿はその担当かな?って思ったんだよ」
「あぁ、そういう事ですか」
確かに貴族様関係の時には、ライルさんが必ず来てくれてた。
「だから、ライル殿が西に新しくできる施療院に行くって聞いた時、驚いたんだよね」
「貴族様担当が居なくなるから?」
「そう。貴族の対応ができて施術師としてもずっとやってきて、ライル殿はあそこに必要だって思ったから。ライル殿の後に担当となる人物がいい人だと良いけど、身分で人を見る人物だと困るね」
後片付けをして、小部屋で刺繍の道具を取り出す。
「次は何の花?」
「カメリアです。ここの隙間の」
「何色?」
「ピンクです。メインの花の周りは少し淡い色にしようと思って」
「そっちの方が引き立つね」
「でしょう?」
「そうだ。明日俺が休みだから、また王宮から人が来るよ」
「地下の件ですか?」
「たぶんね。希望が叶えられるのは嬉しいけど、複雑な気がする」
「勝手に話が進みますもんね」
「自分でやろうと思ってたからね」
「闘技場を作るって話はどうなったんですか?」
「すでに着工してる。元々結構な豪商のお屋敷があった場所みたい。その孫だったかが管理しきれないって言ってたのを買い取ったって聞いた」
「そのお孫さんはどうしてるんですか?」
「本店が隣の領にあるらしくて、そっちにいるんだってさ」
「ジェイド商会みたいな感じでしょうか?」
「メインは装飾品って言ってたかな」
「あ、装飾品で思い出しました。あの闇の日に会った掏摸の方って、細工師だって言ってましたよね?」
「うん」
「職人地区の事で鍛治師さんと木工師さんがもめてるらしくって、その仲裁に細工師さんが入ってるらしいんですけど、元締めさんがいないって探してるって聞きました」
「聞いてるよ。王宮騎士団でもどうしようか検討中。あの人がその元締めで合ってるんだけど、戻りたくないって言うんだよね。戻ると手助けが出来なくなるから。それにあの人の手の問題もある。細工はしたいけど、手を治すと組合の代表にって言われる。それが嫌で逃げたって言ってたしね。だから咲楽ちゃんも内緒にしてやってね」
「はい」
しばらく刺繍に専念する。大和さんは何かを考えていた。
「明日、決めるか」
ポツリと呟いた声が聞こえた。
「どうしたんですか?」
「何でもないよ。風呂、行ってくるね」
何を考えていたんだろう。考えながら、明日のスープを作る。野菜を切って、炒めてって手順はいつもと同じだ。炒めないで作るってことも考えたんだけど、ついつい炒めてしまう。誰かにこっちの料理とか、教わりたいけど、誰に言えば良いのか分からない。
スープを作り終えたら刺繍の続き。掏摸さんの事は気になるけど、本人がその気にならないと私には何も出来ない。大和さんの言う通り無償で助けることは出来ないし、どちらの世界でも医療は基本的に受け身だ。助けて欲しいと言われなければ動けない。勝手に治療をするわけにいかないのだから。
「難しい顔して、どうしたの?」
「難しい顔してました?」
考えてたら、大和さんがお風呂から上がってソファーの隣に座った。
「あちらでもそうでしたけど、医療は基本的に受け身だなって思って」
「確かに要請されないと動けないね」
そう言って頭を撫でられる。
「まずは風呂に行っておいで。話ならベッドで聞くから」
「寝室で、って言ってくださいよ」
「ほら。行っておいで」
「はい」
『ベッドで……』と言うと私が慌てたりするから、たまに大和さんは、そういった言い回しをする。反応を楽しんでるんだよね。
シャワーを浴びながら考えていた。あの掏摸さんの指は長年使い続けた上での変形か、関節リウマチの為か。細工師というのがどう言うことをしているのかは、私は知らない。関節リウマチの為の変形でも、使い続けた上の変形でも、この世界なら魔法で治す事が出来る。しかも外科的な手段を必要としない。
でも、見た感じだと関節リウマチという感じじゃ無かった。ヘバーデン結節の可能性が高いかも?第一関節だったし。
考え事を切り上げて、髪を乾かして寝室に上がる。
「精神的疲労は解消出来た?」
「概ねは」
ポンポンと膝を叩かれて、大和さんの足に頭をのせる。
「慣れてきたね」
「頭を撫でられるのは気持ちいいです」
「これくらいなら、いくらでも」
「さっき、大和さんは何を考えていたんですか?」
「風呂に行く前って事?」
「はい」
「地下の事。ウェイトトレーニングは必要ないから、ってね」
「だから『明日決める』だったんですね」
「そうそう」
「なんだか疲れました」
「光の日から疲れてて大丈夫?」
「寝たら大丈夫です」
「それなら良いけど」
「大和さん、ぎゅってしてください」
そう言うと大和さんが目を丸くした。
「喜んで。でも珍しいね。咲楽ちゃんからこんなことを言うのは」
「大和さんにぎゅってしてもらうと安心するんです」
「いいよ。おいで」
起き上がって抱き付いた。大和さんがぎゅってしてくれる。大和さんの心臓の音が聞こえた。
「大和さんの心臓の音って安心します」
「残念。俺は咲楽ちゃんの心臓の音は聞けないから」
「ごめんなさい」
「何を謝るの?」
「私が怖がってるとかじゃないんですか?」
「それ以前に、男が女性の胸元に顔を近づけるって駄目でしょう」
「セクハラって事ですか?」
「まぁ、そういうことだと思っていていいよ」
あまり分かってない。そういう事って何?でも頷いておいた。
「たぶん分かってない顔、してるね?」
「見てないのに言い当てないで下さい」
「そこは日頃の観察というか、ね」
「そういう事にしておきます」
「そうしておいて」
だんだん眠くなってきた。大和さんがずっと頭を撫でてくれてるから。
「そのまま寝ちゃっていいからね」
優しい大和さんの声を聞きながら、そのまま寝てしまった。