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昨日寝る直前の記憶がない。単に眠くって覚えてないだけなんだけど。
大和さんは居ない。一緒に帰ってきてすぐに私は眠っちゃって、大和さんがいつ寝たのかは分からない。
着替えてダイニングに降りる。暖炉に火を入れて、しばらく眺めていた。
今日は雪は降ってるのかな?降ってたらまた剣舞は無し?降ってなくてもしないのかな?
考えてたら、大和さんとカークさんが入ってきた。
「咲楽ちゃん、起きてたの?おはよう」
「おはようございます、サクラ様」
「おはようございます、大和さん、カークさん。今日は外に出てないんですけど、どうですか?」
「雪は降っていないよ」
「昨日より暖かいと言えば良いのでしょうか?」
「どうしたんですか?」
「雪ではないけど霙が降ってる」
「みぞれって何ですか?トキワ様」
「雨と雪が混ざったものだな」
「あぁ。スリトですね」
「朝食、どうしましょう?」
「市場に行こうと思ってたんだけどね」
「降ってるんですよね。さっと作りましょうか?」
「止みそうではあるんですが」
「止みますか?」
「王宮方面が明るかったので。1/3刻もせずに止むと思います」
「すごい。分かるんですね」
思わず尊敬の眼差しで見てしまう。
「どうする?止むのを待って市場に行く?」
「毎朝作ってるスープも無いですし、待ちたいです」
「カークは?って『お任せします』とか言いそうだな」
「大和さんはどうですか?」
「俺はどっちでも良かったから。咲楽ちゃんが望む方で」
「では市場に行かれるのですね?」
「そうだな。咲楽ちゃん、着替える?」
「はい。少しお待ちください」
自室に戻って着替える。ワンピースにしようかな。タートルネックとロングワンピースにして、スヌードとコートは魔空間に入れて階下に降りる。
「お待たせしました」
「で、どっちに行く?」
「どっちにしましょう?」
「私は……」
「どっちでも、とか言うなよ。奇数なんだから多数決だろう?」
「あれって民主主義なんでしょうか?」
「どういう事?」
「多数決って少数の意見を多数で押し潰すって事じゃないですか」
「それを言ったら何も決められないよ。手っ取り早く決めるには良い方法でしょ?」
「少数意見だからって聞く耳持たれないんですよ?」
「何かあったの?」
「以前から思ってたんです。多数決って多数派が少数派を押し潰す為に使う手段じゃないかって。多数派だった人が少数派になったとき、大体『人の意見を聞け』とかって言うんです。自分が多数派だった時は意見なんか聞かなかったくせに」
つい、力説してしまった。
「不満が溜まってるね」
「すみません。分かってるんです。ちょっとした事を決める時には、有効な手段だって」
「話し合いは大切だね」
ぎゅっと抱き締められる。
「そうですけど。あれ?カークさんは?」
「咲楽ちゃんが力説し出した辺りにリビングに行ってもらった」
そう言ってる途中でカークさんが顔を覗かせた。
「サクラ様は大丈夫ですか?」
「あぁ。大丈夫そうだな」
「それで、どうします?」
「カークはどっちが希望だ?」
「神殿地区のパン屋が旨いので、そちらを希望します」
「咲楽ちゃんは?」
「離してください」
「ん?このままで良いでしょ?で?どっち?」
「神殿地区で。離してください」
大和さんが私を解放して、笑いながら言う。
「じゃあ、神殿地区にしようか」
大和さんが結論を出した。
1の鐘を1/3程過ぎた時には、霙は止んでいた。
「スゴいです、カークさん。本当に止みました」
「このくらいでしたら。お役に立てて良かったです」
3人で神殿地区の市場へ向かう。
朝食を買うために、屋台広場に行く途中で、私から見てもおかしな行動をする人がいた。すれ違うときにどう見ても相手の人の方に寄っていくんだもの。
「大和さん、あの人、変じゃないですか?」
「あぁ、あの人ね。有名な掏摸だよ。ただし有名なのは成功率の高さじゃない。憎めない人柄なんだよ。頂き物で生活には困ってないはずなんだけど、スラム街の人達に分けたいからってこんな事をしてる。何度捕まえても止めないんだよね」
「良い人なのに困った人ですよね」
カークさんもしみじみ言う。
「魔空間があるから、掏摸って無理なんじゃ?」
「サクラ様、魔空間はそこまで大きくありません。知り合いの冒険者でも1泊分の荷物が入るくらいですからね。大抵は着替えを一組入れてますし」
そういえば魔空間の大きさって、魔力量に比例するんだっけ。
掏摸さんは私達の方に近付いてきている。
「被害は出ていなさそうだけど、止めさせるか」
「ですね」
「現行犯でなくて良いんですか?」
「有名人だしね。ほら、気が付いて避ける人と寄ってく人がいるでしょ?」
「捕まえたらどうするんですか?」
「お説教だけ」
掏摸さんが私の前に来て、顔をあげて、大和さんを見て逃げようとした。大和さんが掏摸さんを捕まえる。
「待て待て。何もしてないなら逃げるな」
「すいやせん。騎士のダンナじゃないですか。反射的に逃げてしまいやした」
「今日は?」
「南門の外の知り合いに頼まれやして。ちょっと食料調達を、と」
あれ?って思った。街門の出入りって兵士さんがいるんじゃ?この人、どうやって頼まれたの?
「大和さん、この人、街門の外の人にどうやって頼まれたんですか?」
「本人に聞いたら?」
本人にって……。
「どうやって頼まれたんですか?」
素直に聞いたら大和さんに笑われた。カークさんも笑ってるよね。肩が震えてるし。
「南の街壁には幾つか穴が開いてやしてね。そこから頼まれるんすよ、お嬢さん」
「街壁の外の人は、そこから入ってこようとしないんですか?」
「入って来やすよ?冒険者になってるヤツもいます」
「中に住んだ方が安心じゃないですか?」
「お嬢さん、中に住むとなると、金がかかるんでさぁ」
「あ、そっか」
「3年だ。後3年すれば一時的には良くなる。大体お前みたいな腕の良い細工師が掏摸なんかするなよ」
「腕が良かったのは昔の話でさ。今は指が言う事を聞いてくれやせん」
あ、第1指と第3指が変形してる。
「天使様はこれを治せるって聞きやしたけど、施療院にかかる金が無えんでさ。それにこんな事で、天使様のお手は煩わせちゃいけないんですよ」
思わず大和さんを見上げた。
「思ってる事は分かるけど、駄目だからね」
「でも……」
「前も言ったでしょ?この人1人を助けてどうするの?同じようにやってくる人を全員無償で助けるの?咲楽ちゃんの手はそこまで大きくないでしょ?」
「騎士のダンナの言う通りでさ、お嬢さん。人に出来る事は限られてくるんでさ。お嬢さんの優しさは嬉しいし頼りたくなっちまいますがね。自分に出来ることしか出来ないんでさ」
「言ってることは正しいが、やり方は間違ってるからな?」
私達が話してる間に離れていたカークさんが、紙袋にたくさん何かを入れて、掏摸さんに渡した。
「周りの人から預かった。待っているんだろ?持っていってやってくれ」
紙袋の中には、パンやちょっとしたお総菜が入っていた。掏摸さんはお礼を言って私達から離れていった。
「大和さん」
「ほら、朝食を買うんでしょ?どれが食べたい?」
「いつもの朝食セット……じゃ、なくてですね」
「その話は家でね」
「……はい」
朝食セットと飲み物と、ヴァネッサさんのお店でパンを買って、家に帰る。
「さっきの事ですけど」
「カークが渡した紙袋の事?」
「はい」
「ああやって注目を集めて話を聞けば、手助けをしたいって人は必ず居るから、ああなるんだよ」
「周りから寄付が集まるってことですか?」
「さっきの掏摸ね、やってることは正しいんだけど、手段が激しく間違ってる。さっきは咲楽ちゃんがいたし、カークも居たからあの手段が取れたけど、この先、どうしようね」
「大々的に寄付を募れば良いんじゃ無いですか?」
「それじゃダメなんだよ。ずっと続けてしまうと『働かなくても暮らせる』事に慣れてしまう。働いて自分も役に立てるってやりがいを持たせないと、現状は変わらないんだよ」
「さっきのオヤジのように、元腕の良い職人は、結構南の街壁の外には居ますよ」
「何とかしたいです」
「気持ちは分かるよ。提案は出来るけど、実際には行政が動かないとどうにも出来ない。行政もなにもしてない訳じゃない。今動いてるでしょ?」
「動いてるって、街壁ですか?」
「そう。街壁もその一つ」
「他にもあるんですか?」
「あるよ。けど、全て知る必要はないよ」
「大和さんは知ってるんですか?」
「全部は知らない。知っているのは騎士団業務に関わる事だけだよ」
教えて欲しいと思うけど、全部知っても私に出来る事は少ない。知ったら何かをしたくなるけど、大和さんの言う通り私の手はそこまで大きくない。
個人的には納得しきれていない。
「不満そうだね」
「納得できてないだけです」
「納得できるまでは、時間がかかるよね」
「こういうものだ、と無理に納得するしかないですよね」
カークさんも言ってくる。
「大和さん、今日は稽古ですか?」
「外が使えないからね。休みかな」
「ちょっと考える時間が欲しいです」
「1人の方が良い?」
「はい。すみません」
「部屋に行ってる?」
「寝室を使って良いですか?」
「いいよ。俺等は適当に何かしてるから」
大和さんとカークさんに断って、2階に上がって寝室で膝を抱える。
私は『天使様』なんて呼ばれてるけど、実際にやってることは他の施術師と変わりはない。あの掏摸の人の様に動くことは出来ないし、こういった問題も気が付いてなかった。
自分にはなにも出来ない。大和さんはこういった現実も、その問題も知っていて提案なんかもしている。
うだうだと悩んで、今の自分にはなにも出来ないってなんとか自分を納得させて、寝室を出た。
リビングに行くと、大和さんとカークさんが何かを話していた。
「もう良いの?」
「はい。ご迷惑をおかけしました」
「どうする?今からソファーとか見に行く?」
「カークさんは良いんですか?」
「私は少し約束がありますので、今から出ます。お2人で楽しんできてください」
そう言ってカークさんは帰っていった。
「2の鐘が鳴ってから、行こうか」
「大和さん」
「ん?」
「ごめんなさい」
「謝られる事はされてないよ?」
「自分が出来ない事で、大和さんに不満をぶつけました」
「仕方ないでしょ。むしろぶつけてくれないと怖い」
促されて、ソファーに座る。
「怖い?」
「溜め込んで爆発される方が怖い」
「経験あるんですか?」
「何度も見たよ。それに付きまとってきた女に何度かキレられた」
「付きまとってきた女?」
「やっぱりそこが引っ掛かったか。海外でね」
「スゴく気になります」
「気にしないで」
「無理です」
ハァ、と大きなため息を吐いて、大和さんは私の頭を撫でた。
「聞きたいの?」
「はい」
「話したくない」
「じゃあ、我慢します、って言いたいんですけど、気になります」
「迫られてあしらって付きまとわれて拒絶したらキレられた」
心底嫌そうに大和さんが吐き捨てるように言った。
「1人だけ?」
「付きまとってきたのは10年で5~6人。俺は拠点移動なんかもあったから、その女からしたら黙っていなくなった、って訳。で、次に偶然会ったりしたら『私を捨てた』とか喚かれる。『付き合っていないのに?』って言ったら、後はお察しの愁嘆場。大抵は俺が迷惑してるって事を知ってるから、可哀想に、って目で見られてた」
一気に言ってため息を吐く。
「どうして朝から、恋人にこんな事を喋らされてんの?俺」
呟いた言葉が聞こえて、なんだか可愛くなって、大和さんの頭を撫でていた。
「お疲れさまでした」
「疲れさせたのは咲楽ちゃんだからね?」
「だって気になっちゃったんです」
「気になるのは分かるけどね」
私が撫でる手を止めさせて、私を抱き寄せながら、大和さんが言う。
「あの頃は咲楽ちゃんが居なかったからね」
しばらくそうして私を抱き締めたまま時間が過ぎた。
2の鐘が鳴ったのが聞こえた。
「大和さん、2の鐘が鳴りました」
「そうだね」
「ソファー、買いにいかないんですか?」
「もうちょっと」
私の頭に顔を擦り付けながら、大和さんが言う。
「もうちょっと?」
「そう。もうちょっと」
そう言って流れるように頬にキスされる。
「咲楽ちゃん、今日は出掛けるの、止めとく?」
「今日、買いに行くって予定してたじゃないですか」
「ほら、朝から精神的なダメージがね」
「今日は何をする予定ですか?」
「咲楽ちゃんを構い倒す」
「何ですか?それ」
「メンタルダメージは早く癒やすに限るから」
「ダメです。今日はソファーを買うんです」
「無理」
「無理って」
「今日の夜、白ネコパジャマ着てくれたら、行く」
「結局それが目的ですか……」
相変わらず、私の頭に顔を擦り付けながら、大和さんが言う。
「駄目?」
「駄目?って言われても……」
「精神的ダメージを受けたんだけど?」
「仕方がないじゃないですか。気になったんです」
「白ネコパジャマは決定ね」
「決定なんですね」
私を腕から解放して、にっこりと笑う。
「出掛けようか」
「さっきまでのってなんだったんですか」
「俺の精神安定」
大和さんはさっさと結界具の設定を変えて、お出掛けの準備をする。私はため息を吐きたくなるのを抑えて、立ち上がった。
「大和さん、どこの市場に行くんですか?」
家を出て歩き出した大和さんに聞く。
「クオリティが高いと思ったのは東だけど、カジュアルなのは西だったね。咲楽ちゃんの希望なら、西かな?」
「色はどうしましょう?」
「咲楽ちゃんは何色が合うと思う?」
「ライトグレーかな?って思ったんですけど、パステルグリーンも良いかなって迷ってます」
「見に行って有った方にしようか」
「はい」