10
翌日。目が覚めたらまだ暗かった。私は自分の部屋のベッドで寝ていた。ベッドの横に椅子に座ったまま寝ている常磐さんがいた。常磐さんは私の手を握ったままだった。どうしよう。手を外した方が良い?
その時、8の鐘が聞こえた。初めて8の鐘を聞いた。真夜中とも言える時間に鐘を鳴らすお仕事をしている人がいる。
『鐘守は尊敬されているんです』スティーリアさんの言葉がよみがえった。
30分程経った時、常磐さんが目を開けた。
「おはようございます」
挨拶をすると「目が覚めたか。良かった」と笑ってくれた。
「けっこう前から起きてたの?起こしてくれて良かったのに」
「目が覚めたのは8の鐘が鳴る直前くらいです」
「30分位前か」
常磐さんが時計を見ながら言う。
普段はしてない時計。ゴツい黒の、あれってダイバーズウォッチって言うんだっけ。
常磐さんはあれからの事を教えてくれた。
私が倒れた後、常磐さんが部屋まで運んでくれた事。
途中ですれ違った人から連絡がいったのか、スティーリアさんが来てくれた事。
衣装部のコリンさんが来てくれた事。
ローズ先生が様子を見に来た事。
同時に診察してくれて、貧血だと分かった事。
クォール先生とアザレア先生からは『明日は昼食後』と言われたが、絶対に無理をするな、と釘を刺された事。
色々あったらしい。迷惑かけちゃったなぁ。
「それから、スティーリアさんからの伝言。『体調が戻らなければ、王宮に掛け合って謁見の日を延ばして貰いますから、しっかり体調を万全にしてください』だそうだ。それとこれを預かった」
手渡されたのは細長い箱。開けるとそこにあったのは、黒の石に茶と榛色の鎖が絡み付いたブレスレットだった。これって……
「俺も渡された」
常磐さんの首元にあったのは、緑の石に黒と茶の鎖が絡み付いたペンダントトップ。チョーカーのような革紐と一緒に渡されたんだって。お守りだって言って。
「俺等の世界とは宗教も神も違うだろうからって、こっちのタリスマンは遠慮してくれたらしい」
タリスマン?
「アミュレット。お守りだな」
常磐さんが隣の部屋で身支度を整えながら教えてくれた。
「今から走りに行ってくる。今日は剣舞は無しな。もう一眠りしてるといい」
いってらっしゃい、そう呟くと、ベッドの側に来て頭を撫でてから出ていった。
ウトウトしていると窓の外が騒がしくなった。
窓を開けると会話が聞こえてきた。
「今日は舞わないのかな?」
「このところ毎日だったんだろ?」
「あぁ。見たことのない舞だった。神殿の奉納剣の舞手だと思ったんだが」
「座り込んだまま、今日は動かないぜ」
「何かあったのかな」
会話をしていた男の人たちが立ち去っていく。
常磐さんは足を組んで、何かに集中していた。
常磐さんの身体から赤い龍が飛び出してまた戻ったように見えた。何あれ?
「目が覚めたか」
「はい。あの……」
「何を見た?」
「常磐さんの身体から赤い龍が飛び出して、また身体に戻っていった様に見えました」
常磐さんがビックリしている。
「もしかして日本に居る時、霊感があったりした?」
「霊感はなかったと思います。変な雰囲気とか心霊スポットの嫌な感じとかは、分かったりしましたけど」
「マジか……」
どうしたの?
「まぁいいや。汗を流してくる。またドライヤー、頼むね」
あ、はい。
常磐さんが戻ってきて、髪を乾かして、抱き締められるまでがワンセット。
私を抱き締めたまま、常磐さんが言った。
「昨日の言葉、覚えてる?」
途端に昨日言われた言葉がよみがえった。
『俺は咲楽ちゃんを護りたい。咲楽ちゃんに笑っていて欲しい。咲楽ちゃんの側に居たい。そのためならなんでもするよ』
常磐さんの腕の中で頷く。
「あれ、本気だから」
真剣な声で言われて、思わず顔をあげた。間近に常磐さんの顔が見えてドキドキする。
「タンマ。その顔ストップ」
常磐さんが顔を背ける。その顔は真っ赤だった。
ノックの音が響く。常磐さんが立っていってドアを開けてくれた。スティーリアさんだ。
「失礼します。シロヤマ様の具合はいかがですか。あら?トキワ様、お顔が赤いようですけど、どうなさいました?」
スティーリアさんの声が聞こえた。
「スティーリアさん。昨日はご迷惑をお掛けしました。もうすっかり元気です」
「あらあらまあまあ。シロヤマ様のお顔も真っ赤ですわよ。これは良いことがあった、と言うことでよろしいのかしら」
スティーリアさんにからかわれた。
「もうその辺にしてください」
常磐さんが言う。
「はいはい。分かりましたわ。あ、そうそう、これを聞きに来たんでした。朝食はどうなさいます?」
「食堂までいきます」
食堂に着くといろんな人に声をかけられた。私を心配してくれる声を聞くと、心配かけちゃったなぁ、と思う。
「皆様、御心配お掛けしました。もう大丈夫です」
そう挨拶するとみんな口々に「良かったな」といって立ち去っていく。
朝食をもらいにいくといつも手渡してくれるおばさんが、少し小降りのパンと、スープと、トロッとした感じのジュースを渡してくれた。
「アンタは少食なんだから、しっかり食べなさいよ」
そう言って笑ってくれた。
今日のレッスンはお昼から、と言うことだったけれど、朝食後に常磐さんとダンスのステップのおさらいをした。
常磐さんはステップをしっかり覚えていて、リードしてくれた。
お昼前にスティーリアさんが入ってきて、音に合わせた方がいい、と言ってくれる。
確かにこの部屋には楽器があった。ヴァイオリンぽい様々な弦楽器。でも誰が弾くの?と思ったらスティーリアさんが演奏してくれるらしい。
この部屋は元々、神殿で音楽を奉納する楽団の為の部屋だったんだけど、今はその楽団が解散してしまったらしい。楽団はなくなったけど、ここに居る人たちで定期的に音楽を奉納してるんだって。
「拙いですけど、ワルツくらいなら弾けますわよ。任せてくださいませ」
スティーリアさんはさっさと構える。
慌てて私たちも構えた。
柔らかな音が響く。拙いなんてとんでも無い。素晴らしい演奏だった。
昼食後もスティーリアさんは付き合ってくれた。楽器の音を聞き付けたのか衣装部の方達が来て、数枚の衣装を渡された。
動きに慣れておいた方がいいとかなんとか言って。
結局、常磐さんは騎士さんの制服を、私は簡素なドレスを着させられ、練習は再開された。
やがてクォール先生とアザレア先生が来て、そのままダンスのレッスンは続けられる。
「素晴らしいですね。未だ、初々しさは残りますが、まず合格点です。シロヤマ嬢、お加減の方はもう良いのですか?」
クォール先生に訪ねられ、覚えたての淑女の礼を披露する。
「はい。もうすっかり元気です。御心配をお掛け致しました」
「宜しい。明日は謁見本番ですからな。シロヤマ嬢は明日は忙しいですぞ」
「私たちも来るからね。王宮にも一緒に行くわよ。心配しないで」
アザレア先生が言ってくれた。その後5の鐘までレッスンは続き、夕食後、やっと部屋に戻ってきた。
今日は朝からダンス三昧だったな。明日は何事もないといいけど。
ーー異世界転移10目終了ーー