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何人か診た後、珍しくヴァネッサさんがもう一度診察室に来た。もう1人、女の人を連れて、って言うか、引っ張ってきている。
「天使様、この人の手を診てやってください」
「毎年の事なんだから良いって言うのに」
「アンタの所は青物、果物商でしょ。そんな皹だらけじゃ、お客さんが気を使うよ」
「良いんだって。こんな事で天使様の手を煩わしちゃいけないんだよ」
そのセリフ、ここで言っても説得力無いです。
「マチルダさん、お話伺っても良いですか?」
「天使様に診ていただくなんて」
「マチルダさん、私は施術師です。天使様なんて呼ばれてても、ただの施術師です。私の仕事は身体の不具合を取ることです。お願いします。私の仕事をさせてください」
「天使様にこんな手を見せて、恥ずかしいねぇ」
「恥ずかしい?こんな働き者の手を?今は皹があって痛々しいですけど、長年しっかりと働いてきた手でしょう」
「天使様の綺麗な手に比べたら、シミだらけのオバサンの手ですよ」
話をしながら治療する。
「マチルダさんの青物商って神殿地区ですよね」
「えぇ」
「ごめんなさい。私、ちゃんと覚えられてなくって」
「それは仕方がないですよ。私の所は卸が主ですからね。小売りは市場の隅っこの方でやってるだけですから」
「私とマチルダは出身が同じでしてね。再会したときはビックリしましたよ」
「そりゃあ、こっちのセリフだよ。昔馴染みがパン屋の女将さんになってたんだもの」
2人の仲のいい掛け合いを聞きながら、治療をしていたんだけど、気になってきた。
「ヴァネッサさんもマチルダさんも、手荒れの対策って何かしてますか?」
「対策ったって、私は水を扱うことも多いから、何も出来ないんですよ」
「私はパン屋だからいくぶんマシだけど、家事をしているとどうしてもね」
「保湿の為の軟膏とか塗ったりはしないんですか?」
「保湿の為の軟膏は売ってますけど、臭いがねぇ」
「薬草の臭いに獣臭が混じった感じで、使いたくないですねぇ」
売ってるんだ、ハンドクリーム。でも臭いがネックって事だよね。
「はい。終わりましたよ」
「綺麗になったねぇ」
「でも、対策をしないと、また繰り返しますよ」
「ですよねぇ」
ヴァネッサさんとマチルダさんは帰っていった。
マチルダさんとヴァネッサさんはハンドクリームを知っていた。だけど臭いがネックで使ってないらしい。
一般に知られてないっていうか、敬遠されてるのかな。
やっぱり薬師の方に会いたい。その後も患者さんを診て5の鐘が鳴った。
着替えてライルさん、ローズさんと一緒に王宮方面に歩き出す。
「やっぱりシロヤマさん、基本の属性魔法だけでも覚えた方が良いんじゃない?」
「覚えた方が良いですか?」
「基礎の基礎だけだよ。火属性以外使えるんだよね。光と闇は出来ているから、風と地と水だね」
「あら?それだと私は居なくても良いってことにならない?」
「風があるでしょ。水が僕、風がジェイド嬢、地がルビー嬢でいいじゃない」
「それなら、どこか広い場所が必要ね」
「家の練習場を使えば良いよ」
「フリカーナ家の?」
「一応訓練施設はあるよ。僕も剣術とかやらされたし」
「でも、そうなると、フリカーナ伯爵邸にもう一度伺うと言うことですか?」
「家族は歓迎すると思うよ」
「スッゴく気後れするんですが」
「伯爵邸はさすがに気後れするわよね」
「場所は考えないといけないか。街門の外ってなると僕だけじゃ心許ないしね」
考えてる間に王宮への分かれ道まで来た。大和さんが待っていた。
「お待たせしましたか」
「走ってきましたので、早く着きすぎました。何を話しておられたのですか?」
「シロヤマさんの魔法だね。基本の属性魔法だけでも覚えておいた方が良いのでは、という話」
「あぁ、咲楽ちゃんはいきなり実践でしたからね」
「トキワ殿は騎士団で?」
「えぇ。魔力循環からやりましたよ」
「魔力循環って1ヶ月では無理なはずだけど」
「2週間くらいで何とかしましたが。副団長に驚かれました」
「それは当たり前。魔力循環は基本だけど、自由に動かすとなると3ヶ月はかかるのが普通だから」
「感覚が分かりやすかったので」
「2人とも普通の感覚じゃない」
「そうですか?」
「はぁ……。明日はトキワ殿は?」
「遅番ですね。帰りをどうしましょう。咲楽ちゃん、ゴットハルトが明日は早番だったから来てもらう?」
「1人で大丈夫ですよ。というか、男の方と2人はちょっと……」
「じゃあ、私達がサクラちゃん家まで送ればいいじゃない」
良いことを思い付いたって感じで、ローズさんが言うけど、それはさすがに悪い。
「1人で大丈夫ですって」
「無理にって訳にもいかないしね」
ライルさんが渋々という感じで折れてくれた。そうなったらローズさんも強く言えなくなったみたい。
「何かあったらそのブローチを使う事。約束してくれる?」
「はい」
「とは言っても何か考えるから」
「何かって?」
「明日のお楽しみ」
お楽しみって……。
「では、ライル殿、ジェイド嬢、失礼します」
「失礼します」
大和さんに手を引かれて歩き出す。歩き出しても大和さんは何かを考えている。
「大和さん」
「ん?何?」
「ホントに1人で大丈夫ですよ」
「咲楽ちゃんの大丈夫を簡単に信じることはできないからね」
「確かに大丈夫って言って大丈夫じゃなかった事はたくさんありますけど」
「でしょ?」
肯定されるとなんだか悔しい。
「可愛い顔してもダメ」
「大和さんの可愛いの基準がわからないです」
「咲楽ちゃんに関するものはなんでも可愛い」
「何ですか、それ」
「それしか言いようがないしねぇ」
市場を歩きながら、話をする。
「チリビーンズを作ってあるんですけど、パンが良いですか?パスタが良いですか?」
「パンかな。昨日作ってたのでしょ?パンに合いそうって思ったんだよね」
「ブルスケッタにしようかな」
「いいね」
「でも、ガーリックが苦手なので、ブルスケッタとは名ばかりですけど」
「良いんじゃない?好きなようにアレンジして良いんでしょ?」
「アレンジしすぎたらダメですけどね」
「だから俺は触らないようにする」
「それって料理はしないって意味ですよね」
「正解」
小麦粉類とバターを買う。これはアップルパイ用。でもリンゴ……ここではアフルだっけ。が見当たらない。
「大和さん、果物を売ってる所ってどこですか?」
「こっちかな」
大和さんに連れていってもらう。結構奥の方まで来たけど。
「一番種類が多いのがここだった」
「あれ?天使様?こんな奥までどうされたんです?」
「マチルダさん、ってことはここはマチルダさんのお店ですか?」
「そうですよ。何がご入り用ですか?」
「アフルが欲しくて」
「アフルをお幾つ?」
「ん~。3つ下さい」
「おまけでアルゴーサーを。持っていってください。フリュイにするしかないですけど、美容に良いですよ」
「ありがとうございます。アルゴーサーって結構酸っぱいですよね」
マチルダさんのお店を後にして、市場を出る。
「貰ったのって何?」
「サジーです。こっちだとアルゴーサーですね」
「サジー?ってペガサスの好物だよね」
「そんな逸話があるんですか?」
「ペガサスの好物って書いてあったよ。ギリシャ神話を調べていた時に読んだ」
「スーパーフードとして日本では有名ですけどね」
「スーパーフードね。よく聞くけど何が良いの?」
「大和さん、絶対知ってますよね」
「食べ物関係は避けてたから。調理法とか知ったら、作りたくなるでしょ」
「本当ですか?まぁ良いですけど。サジーはビタミン、ミネラル、アミノ酸、ポリフェノール、鉄分などを中心に約300種類近くもの栄養素を含んでいるんです。アンチエイジングやメタボリックシンドロームに効くとされてるんです」
「へぇ。積極的に摂りたいね」
「何か気になりますか?」
「メタボリックシンドロームはやっぱり避けたいよね」
「大和さんには関係無い気がします。走ってますし」
「走るのは趣味みたいなものだからね」
「趣味ですか?」
「風を切る感覚がね。好きなんだよ」
「疾走感ですか?バイクとか自動車は?」
「自動車は運転できなかったし、バイクは怪我しないようにって禁止された。生身の方が好きだったしね」
「免許がなかったとかですか?」
「海外で取ったけど、家じゃ運転させてもらえなかった。運転手がいたし」
「そういえば歴史のある家のお坊っちゃまでしたね」
「お坊っちゃま……外から見たらそうだね」
少し笑って大和さんが肩を抱いた。コートの内側に入れられる。
「大和さん?」
「こっちの方が暖かい」
「歩きにくくないですか?」
「なんなら抱いていくけど?」
「もう家が見えてますし、遠慮します」
「遠慮しなくて良いのに」
家に入る。着替えてリビングに行くと、大和さんが暖炉を入れていた。
「すぐにご飯にする?」
「温めるだけなんですが」
「じゃあ、もうちょっと後にしよう。ここ座って」
ソファーに座らされる。
「明日の帰りの事だけどね、誰か冒険者に頼もうと思ってる」
「それは止めて欲しいです。1人で大丈夫です」
「でもね……」
「心配をして下さってるのは知ってます。でもこのままじゃ1人で何も出来なくなります」
「暗くなってきてるし、女性の一人歩きは危険だよ」
「分かってます。ブローチもあるし、なんとかなります」
「……咲楽ちゃんを護りたいんだ」
そう言った大和さんの声は、心配が溢れていて、胸が締め付けられそうだった。
「大和さんが護って下さってるのは知ってます。でも、お願いします」
「閉じ込められないのは分かってるけど、閉じ込めたい気分」
そう言ってため息を吐きながら笑う。
「俺の巫女姫は強情だね。分かった。明日は1人で帰っておいで」
「心配かけてごめんなさい」
「ご飯の用意をしてくれる?」
「はい」
チリビーンズを温めて、スライスしたパンを焼く。チリビーンズだけだと足りないかも?って思って、ウィンナーも添えたら朝食みたいなメニューになった。
「大和さん、出来ました……けど」
「けど、どうしたの?旨そうだけど?」
「朝食みたいなメニューになっちゃいました」
「パスタだったら違ったんだろうけど、俺がパンって言っちゃったからだね」
「それだけじゃない気もしますけど」
席に着いて、食べ始める。
「旨いし、良いと思うよ」
「そうですか?」
「このチリビーンズ、旨いね」
「豆類、お好きなんですか?」
「好きな物の1つだね。枝豆とか止まらなかったりする」
「お酒の肴って事ですか?」
「ビールには良いんだろうけどね。俺は単独で食べてた。海外でガルバンゾを夢中で喰ってたら、ものすごく笑われたけど」
「ガルバンゾってひよこ豆ですよね。ひよこ豆って見た目が可愛いです」
「見た目……そうだね」
なぜか笑いながら、大和さんが言う。
「何かおかしな事、言いました?」
「見た目が先にくるんだ、って思っただけ」
「変ですか?」
「別に変じゃないよ。俺なんかは見た目は気にしないから」
「私は見た目が気になっちゃいます」
「咲楽ちゃんの作るのって綺麗だよね。刺繍とか」
「キャラクター物は苦手だったりします」
「そうなの?可愛いのが似合うと思うけど。避けてたって言ってたっけ」
「はい。ピンクとかも避けてましたし、可愛いって言われるのも苦手でした」
「苦手だった?ごめん」
「どう反応していいか分からなかったのと、あっちでは警戒心があったんです。友人達に大分慣らされました」
「可愛いって?」
「何かにつけて言ってくるんですよ。そのお陰で苦手なのは和らぎました」
「それは良かった」
夕食後の後片付けをしてくれながら、大和さんが言う。私はソファーで刺繍を進める。
「つまりは俺がいくら言っても大丈夫って事だね」
「少し控えてください」
「外じゃなければ良いでしょ?」
「家の中でもって言いたいです」
「それは無理」
私の隣に座ってにこやかに笑う大和さん。
「無理って」
「咲楽ちゃんに可愛いって言わないのは無理」
「……控える気はないんですね?」
「当たり前だね」
諦めた方が良い気がするけど、諦めたくない。恥ずかしい物は恥ずかしい。
黙ってたら、笑って頭をポンポンされた。
「外では少しだけ控えるから」
「少しだけですか……」
「そこは譲ってね」
「譲りたくないです」
渋々言うと、大和さんが笑いながら立ち上がった。
「渋々って感じだけど、まぁ譲ってくれたって事で。風呂行ってくるね」
「はい」
大和さんがお風呂に行ったから、刺繍を止めて、明日の朝のスープを作る。
野菜とウィンナーを切って炒めたら、水を入れてひと煮立ちする。ホットキルトを被せたら、結界具を設定して自室でパジャマの用意をする。後は大和さんがお風呂から上がって来るまで寝室で刺繍の続き。
金の刺繍が、残り1/8まで出来たとき、大和さんがお風呂から上がってきた。
「咲楽ちゃん、行っておいで」
「はい。行ってきます」
刺繍を仕舞って、お風呂に行く。
パイ生地、作っておきたいけど、いつ作ろう。シャワーを浴びながら考える。
貰ったアルゴーサーもジャムにしておきたい。冷凍できたら渋味も酸味も和らぐらしいけど、私はまだ氷魔法が使えない。
本格的に氷魔法が使いたい。複合魔法は2つの属性魔法を同時に使用する事で使えるようになる。
私は今まで、まず水属性で薄く患部を覆って風属性で水を冷やす、という方法を取っている。風の温度を低めにして、水の温度を下げている。
後は樹魔法。樹魔法って何だろう。植物を成長させたり、かな?あんまりイメージは湧かないんだけど。
でも実生の果物とかには使えるかもしれない。実生って種から育てることだったよね、確か。今あるのだとアフルとか?よく分からない事を考えて、結局樹魔法は具体的にイメージが付かなかった。
髪を乾かして、寝室に行く。いつもの通り、大和さんが待っていてくれた。
「何か難しい顔をしてる」
ベッドに上がろうとしたら、大和さんに言われた。
「今日、魔法について、ライルさんとローズさんが言ってたじゃないですか。あれって私が難易度の低い魔法が使えなくて、難易度の高い魔法は使えるって事だったんです。それで、複合魔法の氷魔法と、樹魔法について聞かれたんですけど、氷魔法は分かるんですよ。イメージもあるんです。でも樹魔法って何だろう?って思っちゃって」
「それで風呂で考えてたんだ」
「はい。大和さんは樹魔法ってどんなのか、想像つきますか?」
「植物の成長とかしか思い付かない」
「ですよね。私もそれしか思い付かなくて。それで何ができるんだろうって考えても、種からの芽の成長を促したりとかしか分からなくて」
「まぁ、そうだよね。俺もその位しか思い付かない」
私を抱き寄せながら、大和さんが言う。
「でも複合魔法ってもっとありそうだけどね。雷とか定番だったし」
雷と言われて、あれ?って思った。
「そういえばこっちに来てから、雷って聞いたこと無いですよね」
「そうだね。聞いてない。咲楽ちゃんは雷は平気?」
「苦手です。雷と暗闇がセットだともっと苦手です」
「稲妻とか、綺麗だよ」
「見る余裕なんてありません」
「怖い?」
「分かってるくせに聞かないで下さい。大和さんは平気そうですね」
「雷の日に家の道場で瞑想するのが好きだった」
「どうしてそんなへん……変わった事をしてたんですか?」
「変態って言いかけたね?まぁ、そう言われたこともあるし、気持ちも分かる。家の道場は屋根のある屋外道場と室内道場があったんだけど、瞑想するのは屋外道場の方。瞑想って意識を広げていくと、見えてるのに見えない、聞こえてるのに聞こえないって感じになるんだよ。屋外だとそこに風とか雨とか自然を感じられて、自然と一体になれる気がしてた」
「朝の瞑想もそんな感じですか?」
「朝のは精神統一の為の瞑想。そこまで感覚は広げないよ」
「違いが分かりません」
「こればかりは説明できないんだよね」
「感覚的なものって事ですか?」
「うん。深い瞑想って自分で名付けてたけど、深い瞑想は滅多にやらない。深く広げすぎると戻ってこれなくなるから。一度経験したけど、あれはそれまでの心地よさが吹き飛ぶくらいの恐怖だった」
「どうやって戻ってこれたんですか?」
「諒平が、声をかけても反応が薄かったから、2~3発ビンタしたって言ってた。気が付いたとき、顔が痛かった」
あははって笑われても……。
「大和さんって、諒平さんに心配ばっかりかけてたんですか?」
「そうかもね。一応主家筋としての決断とか、訓練とかは指示してたよ」
「諒平さんって大和さんより年上ですか?」
「同い年。何?諒平に興味があるの?」
「興味って言うか、苦労したんじゃないかな?って思っただけです」
「アイツは良い奴だよ。俺が孤立しないように気を配ってくれてた。でも咲楽ちゃんは譲れない」
「どうしてそんな話になるんですか」
「どうしてだろうね」
ぎゅっと抱き締められた。そのまま大和さんの顔が近付いてきて、思わず目を閉じたら、キスをされた。いつもの触れるだけの優しいキスじゃなくて、いつまでたっても離れてくれない。上手く呼吸が出来なくて、苦しくなってくる。
ようやく離れてくれた時、苦しくて一生懸命呼吸してたら、大和さんが謝ってきた。
「ごめん。苦しかった?」
頷くと背中をさすってくれた。
しばらく無言の時間が過ぎる。ため息が聞こえた。
「もう寝た方が良い。ごめんね」
そう言って私を抱き締めたまま横になった。
ーーー異世界転移50日目終了ーーー




