二十七話 朝の日課
太陽がまだ顔を出し切っていない早朝、絢斗は一人目を覚ました。隣で気持ちよさそうに絢斗の毛布を抱いて眠る明穂を保護者のような笑みで眺め、静かにゆっくりと立ち上がる。
木組みの床で出来るだけ足音を鳴らさないように絢斗は忍び足で部屋のドアに向かう。がちゃりとドアノブは音をあげて、扉が開かれる。まだ薄暗い廊下をつたって絢斗は明穂の家を歩く。絢斗は普段明穂の家で寝泊まりをしており、荷物はほとんどこちらに置いてあった。
軽く伸びをしたり、身体の動きを確かめながら絢斗は自分の部屋に到着した。部屋に入るとさっそくクローゼットを開き、ふわふわのパジャマからスポーツウェアに着替え始める。さっさと着替え終わると、キッチンに向かい冷蔵庫から牛乳を取り出した。とぷとぷと白い持ち手のコップに注ぎ、電子レンジで加熱する。それが終わると、椅子に座ってのんびりとコップを呷る。
「ふう、今日もやるか」
ホットミルクを飲み終わると、コップを軽くゆすいで置いた。それからストレッチを軽くこなし、程よく体が慣れたところで絢斗は外に出る。朝焼けの織り成すピンクとオレンジの空が絢斗を迎える。四月のつごもりが過ぎた春の世界はしんと静まり返っていて、絢斗はのびのびと走り出す。
軽快な走り出しで、まだ暗い街を駆ける。一定のペースを保ったまま、街の景色を目に入れながら軽やかに進む。
走っている間の絢斗は、あちこちに目を向けるが、その景色を見て何かを考えるような様子は見せず、ただただ無心なように見えた。
「ふう」
三十分ほど経ち、ペースを落とした。額に浮かぶ汗をぬぐって呼吸を整える。火照る身体を冷ますために、ゆっくり呼吸を繰り返して歩く。時間をかけてまた明穂の家まで戻ってくると、玄関先でストレッチをする。前屈や、腰をねじったりして全身をしっかり伸ばしていた。
体の調子を確認して、絢斗は明穂の家に帰る。春の陽が射しこむ玄関を少し眩しそうにしていた。明穂の家に流れるのは風の音くらいで、まるで誰もいなくなった昔の建築物のようだった。ほんのりと漂う木の匂いがする廊下を進み、また絢斗は部屋に帰る。
「今日は筋トレを軽くして、槍を握ってみるか」
机に置いてあったカバンの中から取り出したノートを眺めながら、今日のメニューに微調整を加える。ノートには効率的なトレーニングの方法と、それをするとどの力の筋肉がつくのか、ということを文字で羅列されていた。
水分補給をはさみながら、普段通りにメニューをこなし一息つくと、何かを探しにこの場を離れる。しばらくして帰還すると、手には自分の背丈より大きい棒を持ってきた。
「槍の代わりにはならないけど、リーチはこんなものかな。結構大きいんだなあ」
縦にすると、その高さがより感じられる。どうやら槍の扱い方を学ぼうと、家にあったもので代用して何らかの訓練をするようだった。
「てか槍なんて今どき売ってるのかな……」
不安そうに 棒を見つめる絢斗。
それもそのはず、超能力者の存在する現代だが、行われる戦闘はほぼ能力が主体で武器はあまり使われない。そもそも戦闘自体が背景は違えど能力を使いたい、という思いから発することが多い。となると戦闘を仕掛ける側は能力を主体とした攻撃をする。そこに原始的な武器を持ち込むことはしない。もし使うとすればもっと規模の大きい爆弾や拳銃などだが、表向き使用は禁じられているので日の目を見ることはない。
よって、剣や槍といった武器は生徒たちが興味本位で、もしくは能力者同士の大会に参加するために使われるので、一般に流通することは基本的にないのである。
「学校で借りるか……でも足がつくしなあ」
心配性な絢斗は自分の行動が記録に残ることを嫌う。学校は生徒たちの行動を記録に残す。それは内申点のような日頃の生活態度の評価とされるが、実際は能力を用いた犯罪を防ぐための監視措置でもあった。
「いくら僕に向いているといっても、約一週間で実践化は厳しいか……」
槍に見立てた棒に触れ、計画実行時の自分を想像する。そこに絢斗が華麗に槍を操ってターゲットを貫く、というビジョンは浮かばなかった。
「しばらくは少し触れるくらいにしておこうか」
そう言いつつも槍を構えたりして、不慣れながらも扱ってみて面白いものだ、という感想を抱いていた。
日課のメニューをすべて終え、絢斗はシャワーを浴びる。
「あー、傷が沁みるなあ」
湯気の中に浮かぶほっそりとした身体は控えめに筋肉がついていて、非常に均整の取れた美しい体つきだった。容姿のみだと見目麗しい少女だが、体つきは少年のそれといっていいだろう。そのアンバランスさがそこはかとない妖しさを醸し出している。
しかし、よく観察すると身体中に赤い痕がいくつも残っていた。その傷跡は様々で、引っかかれたのもあれば噛まれたようなのもあり、そのどれもが新しいものだった。
「あいつ、いつか絶対……殺してやるからな……」
シャワーを浴び終えると制服に着替え、キッチンで朝食の支度を始める。先ほど飲んだホットミルクはあくまで寝起きの身体を覚ますためで、朝食はいつも明穂と共に食べるようにしていた。
「アキー、朝だよー」
例によって目覚まし時計の時間を過ぎていたため、寝室の明穂に声をかける。普段はこれで起きてくることが多いのだが、今朝は起きなかったようだった。
反応がないのを確認して、絢斗は寝室の電気を点け、もう一度呼びかける。
「アキ、朝だよ」
それでも起きないので、どうしたのだろうと反対を向いていた顔を覗こうとする。
「アキ……だいじょう、ぶ……だよ……」
明穂の表情はおびえているような、寂しがっているようなものだった。思わず絢斗は布団越しに明穂の肩に触れる。それで目が覚めたのか、明穂は半目のままポカーンと口を開けてむにゃむにゃと言葉にならない何かを発する。
「……おはよう、アキ」
「あー……お、はよ……う」
「もう、二度寝はダメだよ?」
「……うう、眠い……」
いつになく力ない声で、ほわあ、と気の抜けたあくびをする。
「ほら頑張って。トースト、今日は何がいい?」
「……ぴざ」
「ピザトーストね、わかった。起きなかったら朝ごはんなくなっちゃうからね?」
何とか起きそうだったので絢斗は立ち上がり、明穂の傍から離れようとする。すると、服の袖を掴まれる。
「どうしたの?」
優しい声色で、また布団横にしゃがみ込む。怖い夢でも見たのかな、と思い絢斗は穏やかな表情を浮かべる。
「アヤ、私……強いかな?」
不安そうに尋ねる。絢斗はその問いに、明穂の手を包み込んで物柔らかに答える。
「うん、アキは強いよ」
「で、でも私……」
明穂は何か言い返そうとするが、踏みとどまった。その様子に絢斗は築かずに、そっと明穂を抱きしめていた。
そのまま二人は静謐なひと時を過ごした。相も変らぬ平凡な朝だったが、二人の意思はこの時からまた輝きを増していく。




