表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/5

2

 再び目を覚ましたとき、私はふかふかのベッドの上にいた。どうやら洋館の一室に寝かされていたらしい。部屋にはたくさんの絵画が飾られていて、まるで美術館に迷い込んだかのようだ。

どこか遠くで雨音が静かに響いていた。部屋の中央には描きかけのキャンバスが置かれていた。


「貴様……」


 部屋の中をぼぅっと眺めていると、突然上から低い声が降ってきた。驚いて見上げると、思いの外綺麗な顔立ちの青年が、絵の具で汚れたエプロンを着けて、私の顔を覗き込んでいた。


「は、はいっ」


 私が無理矢理声を絞り出して返事をすると、青年は一度深く頷いた。すると、エプロンから可愛い缶を取り出して、愛想のない声で、


「バタースコッチを食うか」


と、言った。


“ばたーすこっち ”が何をさしているのかがよく分からなかったので、私は首を傾げた。


「貴様、バタースコッチを知らぬのか」


 青年は、呆れたようにそう言うと、描きかけのキャンバスを私の目の前に持ってきた。


「俺は今、この絵を描いている」


 そう言って青年が差し出した絵には、紅の屋根が美しい家々と、突き抜けるように青い空が描かれていた。

「イタリアの町並みだ」

「い、いたりあ」


 名前だけは何処か聞いた事があったけれど、よく知らなかった。


「そうだ。パスタなら食ったことがあるだろう。そのふるさとだ」

「ふ、ふるさと」


 ふっ、と青年が笑った。


「さっきから貴様はオウム返しばかりだ。もっと面白い返事をしろ」

「お、おもしろい……」

「ほら、まただ。……まあ、それはどうでもいい。俺はバタースコッチの話をしているんだ」


 そうだそうだと一人で呟いてから、青年は缶の蓋を私に見せた。


「この旗が何処の国か分かるか」


 赤、青、白のクロスが重なった柄だった。これなら覚えがあった。


「い、イギリス」

「そうだ、イギリスだ。よく知っているな」

「は、はあ……」


 全く話が見えなかった。


「『バタースコッチ』のふるさとは、イギリスだ。ほら、見てみろ」


 青年が缶を開けると、その中から、甘い香りが漂ってきた。


「正確には、『バタースコッチのビスケット』と言うべきだが……。食うか?」


 青年が差し出したビスケットを、恐る恐る受け取って、口へと運ぶ。


「旨いか?」


 その言葉に私は夢中で頷いた。口の中に広がる芳醇なバターの香り。ほろほろとした食感の生地はもちろんのこと、その中から突如現れるキャラメルより香ばしく、かりかりとした粒が、段々と蕩けていくのを、美味と言わずになんと言えただろうか。


「旨いだろう、旨いに決まってる」


 私はもう一度深く頷いた。けれど、青年は私を見て少し渋い顔をした。


「だが、今の俺はこれが食えんのだ」

「どうして?」


 私がそう尋ねると、青年は大まじめに言った。


「貴様、イギリスという国がどんな国か知っているか」 


 私は首をぷるぷると横に振った。


「うむ。なら説明する。イギリスは、一年中曇天の、じめじめしたところだ」

「はあ」

「対するイタリアは、地中海の気候で、安定した気候だ」

「そ、そうですか」

「そうだ。ここでだ、貴様、よく考えてみろ。貴様は、水の中で本当の太陽が描けるか」


 青年の言葉は難解だった。


「……水の中じゃ、息が出来ないから、絵は描けない、です」


 私の答えに、青年はむぅ、と口をゆがめた。


「じゃあ、悪寒がするときに、暖かい場所の絵が描けるか」


 青年の言葉の意味をよく想像してみた。そして、こう答えた。


「……そんなときは、絵を描くより、寝ます」


私の返事を聞くと、青年は困惑したように、


「……貴様、頭が良いな」


と、ぼそりと言った。


「まあ、つまりだな。胃の中に湿った国のものを入れてちゃ、俺はイタリアの絵を描けんということだ。だから、全部食え」


 そう言って青年は私に缶を差し出した。


「い、いいんですか」


 缶の中には、たくさんのクッキーが詰め込まれていた。


「ああ、いい。それに、貴様、傘がないんだろう」


 ぎくりとして、私が背筋をぴんと伸ばすと、青年は、かすかにほほ笑んだ。


「雨が止むまで、ここにいるがよい。暇なら、その辺の絵の具で遊んでおけ。貴様の画用紙、白紙ではないか」


 そう言われてはっと気が付いた。床の上に、私の荷物が散乱していた。


「乾かしておいた。感謝しろ」


 青年は、そう言うと、まっさらな画用紙と絵の具を私に差し出した。


「描くなら描け。描かぬなら……、まあ、食え」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ