好色女のロマン
女性にとって、娼婦という存在は両義的な意味を持つ。
一つは、好色さを表看板に生きる潔さへの賛嘆。
もう一つは、金で身を売る卑しさへの蔑視。
娼婦=売春婦は、一つの職業である。
結構疲れる肉体労働であり、相対的に高額な対価を要求するサービス業である。
特殊な技能が売りになることもあれば、美貌その他の外部属性が重要な職業でもある。
性病、妊娠、暴力等のリスク管理が重要で、そういった目に見えない部分で費用がかさむ。
社会的尊厳を金銭に変える一方で、快楽と癒しという至高価値に仕える巫女的存在でもある。
娼婦はかつて、ロマンをかき立てる特別な職業であった。
聖と賤の狭間で、限りなき賛美と限りなき軽蔑を行き来するような存在として。
しかし、今の世においては、娼婦のロマンはかなり希薄になってきてしまった。
婚姻外の性行為が結構ありきたりになってしまったことが一つ。
異常性愛が多様化かつ過激化し、娼婦の物語性だけでは薄味に見えてしまうこと。
神秘的な道具立てがなくなり、背後の事情が見透かされるようになってしまったこと等々。
今では、一般の職業の一つとみなされる場合すらある。
その上で、なお、娼婦には特別のロマンが存在しうる。
それはいかなる職業においても同じことなのかもしれないが、特別にその職業を「選んだ」という理由を打ち出せれば、そこにロマンが湧き立ってくるのだ。
金のためにとか、いやいやだけどとか、いうのではない。
自分は誇りを持って、自分の夢を生きるために、この職業を選んだという「特別さ」が意味を持つ。
娼婦という職業にまつわる「負のイメージ」は、この「特別さ」をきわだたせるためのスパイスとして役に立つ。
「淫乱」である。
「好色」である。
自分はそれを表看板として生きる。
そんな自分にしかできないサービスが存在する。
世界はこのとき裏返る。
虚飾と建前が意味をなくし、裂け目からエロスが噴出する。






