9
※生々しいおっぱいの話注意
「アイシャ様」
「い、いやだ」
俺はじっとりとアンナと睨みあう。
逃げ場などないとわかっていて後ずさったふくらはぎが、とんとベッドにぶつかる。ううう。いっそ窓から飛び出してしまいたい。いや、できないが。
「聞き分けてください」
「……いやだ」
俺は首を思い切り左右に振る。
まったく、と呆れたように息を吐くアンナの手にあるのは、世にも恐ろしい拷問機具――…ではなく、俺が前世でも見たことがあるような女性用の補正下着だ。いわゆるブラジャー。胸の形を美しく保ち、胸が揺れる痛みや不快感から女性を救うためのもの。ある意味男のロマンでもある。家族の中には妹や母親がいたので、俺にとってはそんなに珍しいものではない。洗濯物を畳むふりで、触ってみたことはある。ふにゃりと柔らかいような、それでいて芯があるような、不思議なさわり心地だった。一体どんな使い心地がするものなんだろうか、と興味が沸いたことがないと言ったら嘘になる。
だが。
だが。
つけたくない。
ドレスを着る時にコルセットの一部として着るのは平気だ。それは『特別な女装に必要な補正』だと思うことが出来るからだ。特別な夜会や、出番のために着飾ることに対しては、そんなに嫌だとは思わない。
しかし、日常生活でブラを常時使用するというのはどう考えたって男の沽券に関わる。いや、俺の身体はアイシャであり、女であるわけなのだが。
俺は、自分の身体が男とは違うことは認められても、女であることを受け入れるにはまだまだ過去の自分を捨てられていなかった。
「アイシャ様……胸、痛いでしょう」
「……痛くない」
「…………」
本当は痛い。
走ったりなどの振動で胸が揺れるたびに、ちくちくと妙な疼痛を感じる。
「……将来垂れても知りませんからね」
「う、うるさい……っ」
かっと頬が赤くなった。
恥ずかしい。男の俺が、将来的に垂れるかもしれない胸の心配を幼馴染の女性にされているという事実が、恥ずかしくて死にたい。そうだ。俺は恥ずかしいのだ。ブラをすることが恥ずかしくて仕方ない。親しい人々には俺は中身は男なのだということを知られている。ラウルやエリシャ、アンナやカインは『アイシャ』という肉体の中に入っているのが男であることを知っている。
その俺が、男である俺が、普段は男として振る舞う俺が、ブラをつけているなんて…!
「まるきり変態じゃないか……っ、気持ち悪い…!」
泣きだしそうな声で呻いて、俺はアンナを睨みつける。
どうしていいのかわからない。
「……アイシャ様の複雑な事情はわかっています。ですが、アイシャ様のお身体は女の子なんですから」
「やだ、……嫌だ、嫌だ……っ」
駄々をこねる俺の頭を、アンナが優しく撫でる。
そして、溜息をつくと手にしていたブラをクローゼットの中へとしまった。
「アイシャ様、気が変わったらいつでも使ってくださいね。私も使ってますし、決して気持ち悪いものじゃありませんから」
「…………」
そう言うと、アンナはぺこりと頭を下げて部屋から出て行った。
違うんだ。
違うんだアンナ。
気持ち悪いのはブラじゃなくて。
男でありながらブラをつける俺なんだ。
アンナだって、男がブラをつけたらヘンだって思うだろ。
『男の癖にブラをつけるなんて変態ですね』
嘲るように俺を見下ろして、冷たい声で言うアンナを想像すると、目頭がじわりと熱くなった。俺には優しくしてくれるアンナだが、本当は俺のことを気持ちの悪い変態だと思っているのではないだろうか。
男の癖に女の肉を纏った変態。
もしそう思われてしまっていたのなら、俺は立ち直れない。
「ずっと、子供でいられたら良かったのに」
涙声で呟きながら、俺は部屋の鍵を閉めたのち、そっとワンピースの肩紐を落とした。今までならばそれだけですとんと落ちていたワンピースが、わずかながらに膨らみはじめた胸にひっかかり、薄く肉の乗り始めた腰回りにひっかかる。それを手で払いのけて、初めてぺしゃりとへしゃげるようにワンピースは床に落ちた。
鏡を引き寄せる。
鏡に映る俺は、明らかに以前とは変わり始めていた。
全体的の細く、華奢だった俺は、長い髪のおかげで「少女」だと周囲からは認識されていたように思う。もし俺が髪を短くしていたのなら、見る人はきっと俺の性別を当てるのに相当の苦労をしただろう。俺に対してよく使われていた妖精のような、という表現の中にはきっと「中性的」という意味も含まれていた。
病に寝付くことが多かったアイシャの身体は俺がその肉体に宿ってからも、なかなか肉づきが良くならなかった。だから俺は、アイシャの身体を「女」だとあまり意識しないでここまで来ることが出来た。当然男ならついているはずのものがついていないわけなので、「男ではない」ことはわかっていたつもりなのだけど。
それが、俺が14になって、アイシャの身体は少しずつ成長し始めた。
保健体育の授業で習った例のアレだ。第二次性徴期。
男は男らしく、女は女らしく、身体が出来ていく。
出来ていってしまう。
すとんと真っ平だった胸に、やわりとしたふくらみが生まれた。
腰回りにうっすらと肉が乗り始め、胸から腰にかけてなだらかな曲線を描くようになった。
おっぱいを思うが儘に揉んでみたい、というのは男として生まれたからには誰しも持っている願望だと思う。俺は幸か不幸か、それを叶えることが出来る状況になった。
そっと手を持ち上げて、自分の胸に触れてみる。
まだ、掌に包み込めるほどのサイズしかない、ささやかな胸。
感動はなかった。
ただひすらに、「肉だ」と思った。
特に柔らかい、とも思わない。
指がめり込むほどに柔らかく、蕩けてしまいそう、だなんて書いてあったエロ漫画に異議を唱えたい。それとも、こんな風に感じるのは俺だけなんだろうか。他の女性の、例えばアンナの胸を揉んだなら、もっと違う風に感じられるのだろうか。
むにむにと無駄に揉んでみる。
胸というのは脂肪で出来ているものらしい。
脂肪は揉むことで燃焼するという話がある。
つまり、胸も揉めば揉むほど縮むのではないだろうか。
「……なんか、硬い」
おっぱいが至福の柔らかさを持つと語る先人どもを問い詰めたい。
そんなに柔らかくないぞ、これ。
何かうっすら硬く、こりこりとしたしこりのようなものの上に、うっすらと肉を貼りつけたような、そんな手触りだ。そして地味に痛い。
おっぱいを揉むと女の人はあんあんいうほど気持ち良いものではなかったのか。
縮め縮めと念じながら揉んでみるものの、気持ち良さの欠片もない。
いやまあ、自分で自分のおっぱい揉みながら気持ちよくなっていたらそれはそれで非常に困ったものなのだが。
俺は溜息まじりに手を下ろす。
胸を揉みたくったところでエロい気分は全く盛り上がらなかったものの、透けるように白い肌の中、揉んだせいで胸のあたりだけがうっすら桃色に上気している様は我ながらエロいと思った。
俺マジエロくね、と男子中学生のノリで誰かに同意を求めたいような気持になったが、残念ながら見せられるような相手に心当たりはない。カインにしろアンナにしろ、見せた瞬間後頭部を叩き倒されて終わる気しかしない。
「……はあ」
俺は溜息をついた。
――…「女」の身体を持て余す。
ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
PT、感想、お気に入り、励みになっています。