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俺がアイシャになって、アイシャはすっかり健康になった。
司祭の御爺さんが言うには、病魔に蝕まれたアイシャの魂が失われ、その亡くなった部分を俺の魂が補ったからではないか、という話だ。
魂というのが、そんな便利に足して補えるものなのだとは知らなかった。
そして、俺はここが異国どころか異世界であるということを知った。
女神デターニルアが創り出したとことにちなみ、「デターニアン」と呼ばれる世界であるらしい。まだあまり外には出たことがないためわからないことも多いが、とりあえず地球ではなかった。文化の程度としては、ファンタジー映画などでよく見る中世に近いのかもしれない。剣と魔法の世界だ。
そんな世界で、俺はアイシャとして生きることを選んだ。
そう選んだからには、人目に触れる場所ではアイシャらしく女の子の格好をして過ごした。
ドレスは、とんでもなく違和感があった。
足元がすうすうして、なんとも心もとない。
裾を踏んで転びそうになることも多かったし、子供ながらに女の子がはいているような可愛らしいデザインの靴は、決して履き心地の良いものではないということを学んだ。子供の靴でそうなのだから、ハイヒールなんて履いたらどうなってしまうのだろうと今から不安になる。
けれど、鏡に映るアイシャはめちゃくちゃ美少女だったので、「こんなに可愛いなら仕方ない」と謎の納得をすることが出来た。俺自身が女装をする、というよりも、鏡に映ったアイシャを可愛く着飾ってやりたい、というような。そんな気持ちだった。
アイシャ。
両親に愛され、禁じられた秘術を使ってでも呼び戻そうとされていたアイシャ。
俺はその身体に呼びこまれてしまった。
見方を変えれば、俺はアイシャの身体に取り憑いた悪霊だ。
俺にアイシャの身体を使って生きる権利があるのだろうか。
この身体を、なんとかアイシャに返してやることはできないのだろうか。
悩む俺に、司祭のお爺さんは首を横に振った。
「人は生きているときには身体に魂が満ちている。だが、肉体が死ねば、魂は身体の外へと散り散りに散っていってしまう。あの秘術はな、欠けた魂を呼び集めて身体に戻すものなのだ。魂が欠けていれば、術は自動的に肉体を動かすのに必要な分を別で補う」
意外とアバウトである。
だからこそ、この秘術を行う前には、必ず誓約が結ばれる。
『蘇る死者は肉体の持ち主と違っていたとしても、蘇らせたからには庇護を与えること』
『蘇った死者が望んだ場合、秘術の依頼者が再び眠らせてやること』
アイシャの両親であるラウルとエリシャも、その制約を受け入れ、その誓約により俺はエギステリア王家の保護下に置かれることになった。
司祭の御爺さんは柔らかに俺の頭を撫で、「難しいかもしれないが、お前さんが
アイシャ様の身体に宿ったことはお前さんに責任のあることじゃない。だから、気にせず好きに生きるが良い」と言ってくれた。
そして、たとえ俺が死を選んだからといって、アイシャはもう蘇ることはないのだとも。
だから、俺は建前上アイシャとして生きることを受け入れた。
アイシャが生きるはずだった人生を、代理の俺が生きようと思ったのだ。
俺の魂の1、2割はアイシャで出来ている。
そんな俺を、ラウルは本当に養子として受け入れようとしてくれた。最初のうちはぎこちなかったものの、ラウルは少しずつ俺を受け入れてくれたようだった。そして、男でありながら自分の娘の肉体に宿ってしまった俺のことを、いろいろと考えてくれるようになった。俺は彼の娘であり、年の離れた彼の同性の友人でもあった。
エリシャさんは、ラウルよりも時間がかかった。母親だけあって、自分が腹を痛めて生んだ子供が、別人になってしまったことを受け入れるのに時間がかかったのだと思う。なかなか俺と会おうとしなかったエリシャさんだが、毎晩俺が寝入った頃に部屋に現れ、ごめんなさいと繰り返し謝るのを何度か聞いた。最初のうちは、アイシャを丈夫に産めなかったこと、長生きさせてやれなかったことを母親として詫びているのだと思っていた。けど、違った。エリシャさんは、俺をなかなか受け入れられないことに対して、謝っていた。
エリシャさんは、俺の魂を娘のために利用したことを謝罪し、そしてそこまでして甦らせておきながら、魂の養い子である俺を母親として受け入れられないことを謝り、顔も知らない俺の母親への詫びを幾度となく繰り返した。
それを聞いて、俺も泣いた。
俺の母親の記憶は随分とぼんやりとしてしまっていて、顏も声も思い出せなかったけれど、その母親のイメージとエリシャさんのイメージがぴたりと重なって、わんわん泣いた。俺が泣きだしたことに驚き、エリシャさんは俺を泣き止ませようとあやし出し、その声があんまりにも優しくて俺はまた泣き、エリシャさんもアイシャの夜泣きを思い出して泣いた。二人で抱き合ってわんわん泣いているところにラウルも駆けつけて、結局家族三人でわんわん泣いた。
そう。
家族三人。
歪で、間違っていたけれど、俺たちは確かに家族だった。
家族であり、共犯者。
その次の日、エリシャさんは初めて昼間俺の部屋を訪れた。そして、やんわりと眉を寄せ、困ったように微笑みながら言った。
「私ね、娘しかいなかったから、あなたに何をどうしてあげたら良いのかがわからないの」
その日から、エリシャさんは俺に女の装い方を教えてくれるようになった。
ドレスの着方を教え、人前でに振る舞い方を教えてくれた。
可愛らしく着飾り、エギステリアの姫君として恥ずかしくないマナーを覚え始めた俺を、エリシャさんは嬉しそうに、切なそうに、いつもどこか悲しさを帯びた眼差しで見つめていた。
その一方で、俺はやっぱり俺だった。
ひとけのない庭の片隅で、俺はよく一人でボールをついた。
髪は邪魔にならないようにひっつめ、少年のようなズボン姿で、ラウルに手配してもらったボールをついて、庭を縦横無尽に駆け回った。
まりつき、なんて可愛らしいものじゃない。ドリブルだ。ラウルに頼んで作ってもらった不恰好なゴールで、何度もシュートの練習をした。
前世の記憶をたどるように、一人で部活の自主練を繰り返した。
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