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俺が呆然としている間に、気づいたら俺は立派な部屋に連れていかれていた。
小さな女の子が好きそうな、白を基調にした可愛らしい部屋だ。置かれている家具から、小物まで、全てが女の子女の子している。妹が見たら喜びそうだな、と思って、その次にその妹の名前も声も顏も思い出せないことにやはり絶望した。
俺はどうなったんだ。
何が起きたんだ。
これは何かの悪い夢だろうか。
俺は部活帰り、どこかで居眠りでもしてるんだろうか。
家に帰るまでのたった徒歩十分の距離で居眠りが出来るなんて、随分と器用じゃねーか、と自分でツッコミをいれて、乾いた笑いがこみあげた。そして、学校から家まで徒歩十分だということは覚えているのに、その道のりをちっとも思い出せないことに泣きたくなった。
記憶がちぐはぐで、咬みあわない。
俺は誰だ。
俺に何があった?
俺は今どうなってる?
レースで彩られたベッドシーツのかかったベッドに呆然と腰かけているうちに、部屋の外が騒がしくなって、やがて先ほど見かけたような気がする男女が二人、俺の前に現れた。気がする、というのは俺には外人の顔の区別がつかないからだ。顏の作りが濃すぎて、「全員濃い」としか認識できなかった。二人とも泣き腫らしていたのか、目が真っ赤に腫れている。そのうち男性がおそるおそるというように、俺に向かって口を開いた。
「私が誰だか、わかるかい…?」
期待と、不安に震える声だった。
女性の方は、隣の男性の腕にすがりつくようにしながらも、俺の言葉を一言だって聞き逃すまいと必死に俺を見つめている。
その視線に籠る痛いほどの期待を感じながらも、俺は嘘はつけなかった。
首を横に振る。
「誰、ですか……?」
幼い少女の声が、戸惑ったように響いた。
「あ、ああ、あああああ」
「お、おお……」
目の前の男女の顔に、静かに絶望が広がっていく。
女性の方は、立っていることもできなくなったのか、そのままずるずると泣き崩れるようにへたり込んでしまった。男の方が慰めるようにその肩を抱きながらも、一緒にうずくまる。とんでもないことをしてしまった、というような罪悪感と、お前ら泣いてねーで説明しろよ、という苛立ちがごっちゃになって、胸の中で轟々と渦巻いた。何か言いたいのに、喉でつっかえたようになって言葉は上手く出てこない。
結局どれくらいの間だろうか。
俺はぼんやりと目の前で泣き崩れる二人の男女を眺めていた、女性の方は、ごめんなさいごめんなさいとずっと謝罪を繰り返していた。それを宥める男性は、お前のせいじゃない、と言いつつも辛そうで、苦しそうだった。泣きやんでほしい、とふと思った。この二人の悲しむ顔を見ているのは、なんだか辛い。何故かわからないが、そう感じた。
けれど、やっぱり言葉は出て来なくて。
そうしていると、泣き崩れる二人の背後にあった扉が静かに開いて、見知らぬ老人が入ってきた。真っ白な髭がサンタクロースのようなおじいさんだ。だが、着ているのは赤いサンタ服ではなく、ドラクエのようなRPGの教会にいる人が着ているような服を着ていた。条件反射的に、偉い人だ、と感じた。
その御爺さんは、泣き崩れる二人を痛ましげに見て、それから同じ意味合いのこもった視線を俺にも向けた。
「魂の迷い子よ、お前はどこから来た」
問いかけは、優しかった。
「……わから、ない」
覚えていない。
断片的な記憶はあるのに、具体的なものは何一つ思い出せない。
「日本の、どこか。俺は高校生だった。バスケ、部。終って、校門から出たとこから、覚えてない」
俺の言葉に、御爺さんはますます哀しげな目になった。
「そうか、そうか。お前さんは異界より来たか。残酷なことをしてしまったな」
慰めるように、御爺さんは手を伸ばすと俺の頭を撫でた。
その手に、絹糸のような銀色がさらりとかかる。
それが自分の髪なのだと気づくまでに、数分かかった。
髪が銀色?それに長いし。なんだよ。なんだよこれ。
「大丈夫だ、怖がることはない。お前さんは安全だ。それはこの私が約束しよう。もちろん、お前さんの身に何が起こったのかも説明する。だが…」
御爺さんは、一度顔をあげると何かを探すように部屋の中に視線を滑らせた。そして、御爺さんが目を止めたのは大きな姿見だった。華奢なフレームの、ディズニー映画のお姫様が使うような鏡を、御爺さんが俺の前に引寄せる。
「……は?」
ぽかん、とした。
俺の目の前、姿見に映っていたのは小学校低学年ほどの少女だった。
長い銀髪に透けるような肌。目の縁を彩る睫毛までが、雪のように白い。何もかもが白で彩られた少女が、淡い桜色の唇を呆然と開いて俺を見返していた。その瞳だけが、微かにグレーがかった蒼で、銀髪には紅目じゃねーんだな、なんてことをぼんやりと思った。
とても、綺麗な子だ。
白すぎて、生気に欠けるような気もするが、顔立ちも整っている。
でも、なんで俺の鏡にこの子が映るんだ。
鏡に映らなければいけないのは、部活で日に焼けた、浅黒い肌をした男子高校生でなければならないはずだった。顏はぼんやりとして思い出せないが、シルエットだけなら思い出せる。髪はショートで、ツンツンと跳ねていた。夏休みに入って学校が休みになったら、ちょっとだけ髪の色を抜いてみてーな、なんて考える程度には真っ黒な髪。あまり外見にはこだわってなかった。校則がうるさいから。
とりあえず、この子じゃないことだけはわかる。
俺はおそるおそる手を持ち上げ……、その動きにあわせて、目の前の女の子もゆっくりと手を挙げた。そして、怯えたように彼女はきゅっと手を胸の前で握る。俺がそうしたのと、全く同じように。
「なんだよ、これ……」
声が震える。
泣きだしそうな女の子の声が、鼓膜を震わせる。
「なんなんだよ、これ……ッ」
じわりと目の縁が熱くなる。
涙がこみ上げてきてるのだと気づいたときには、ぽろりと涙が頬を滑っていた。
それは思わず見とれてしまうほどに綺麗な光景だった。
真っ白な女の子の、淡い蒼の目元から透明な雫が伝い落ちる。
くしゃくしゃと歪んだその子の泣き顔すら、綺麗だと思った。
そして――…、その鏡面に映った虚像こそが俺なのだと、ようやく理解した。
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