そのⅠ 【物理教師の憂鬱】
個性豊かな人物紹介
【立花 睦月】校内で有数の問題児。ガラス割りが得意。
【湯口 夏美】 立花の幼馴染の筋肉女。鉄筋コンクリートをも破壊する剛腕の持ち主。一応女。
【江ノ本 香】現在、謎である。
【緑沢 健二】江ノ本に裏切られていたと思い込まされている。目的は謎。
【校長】 学校の創立者。影が薄いと評判
【吉田】鬼の生徒指導。以外と友達が多い
【黒木 えり】現在、謎である。緑沢と江ノ本を仲違いさせるために画策した人物。バックに何者かがついているようだが?
【赤石 優一】立花の友達で夏美のクラスメイト、香の部活の後輩。立花にくだらない噂話を吹き込んだ張本人である。
彼には故郷に一人、残してきた母親が居た。
「母ちゃーん!」
「あらあら、タケシはいつも元気いっぱいだね!」
「うんっ!」
父は彼が幼い頃に他界。母は小学校の先生をすると同時に女手一つで彼と、2歳年上の兄を育ててきた。
経済的な面では確かに裕福では無かったが、互いが互いを支え合い幸せな家庭を築けていた。
そんなある日の事…………。
「母ちゃん……オレ、父ちゃんや母ちゃんみたいな立派な先生になりたいんだ!」
彼は深妙な面持ちで母にそう打ち明けた。
「やめなさい」
しかし、返ってきたのはそんな冷たい一言だった。
「な……なんでダメなんだよ!」
「父ちゃんが死んだ理由…………忘れた訳じゃないでしょ……」
彼の父もまた、学校の先生だったのだ。
そして、その死因は『過労』によるものだった。
うまくいかない生徒との関係。先生同士の付き合い。保護者達との絶えないトラブル。
その一つ一つの小さなストレスが少しずつ彼の体を蝕み、気が付いた時には既に遅し。負荷がかかり過ぎたそれは、冷却装置が一切作動しなくなったノートパソコンのようにいとも簡単に動かなくなったのだった。
「お前は私達と違って遥かに頭が回る。持ち前の機転を利かせて優秀な企業に務め、普通にお金を稼ぐことが出来るんだよ? 実際に兄ちゃんはそうやってる。わざわざこんな辛い仕事をやらんでいい」
「でも、いつか母ちゃんは兄ちゃんやオレに言ってたよね? 辛い仕事を逃げずにやり遂げる人間は、それまでの自分より一回りも二回りも成長するって。いつの時代もそういう人が人の上に立ち新しい時代へと導いてきたって」
「…………」
「先生ってのは生徒にただ機械的に勉強を教え続ければいいって仕事じゃないことは分かってるよ。確かに普通の仕事よりも辛く苦しいかもしれない……。でも結局は『誰か』がやらなきゃいけないんだよ! その『誰か』に俺もなってみたいんだ」
ーーーー父ちゃんはなんで先生になったの?ーーーー
ーーーーなんでだろうな? お前がもう少し大人になったら教えてやるよ。ーーーー
あの日の情景が脳裏を掠める……
父が亡くなる一日前に交わした最後の『約束』が…………
あの時の答えを自分で見つける為……
「全く……誰に似たのかしらね……」
満面の笑顔の彼女の頬を一筋の涙がこぼれ落ちて行く。
その涙は一体何が原因だったのか、彼には分からなかった。
あれから12年、果たして自分は母の所に胸を張って帰れる人物へとなれたのだろうか?死んだ父に顔向けできるような立派な先生へとなれたのだろうか?
私立車谷高等学校物理担当教師は今までの自分を振り返って自問自答を繰り返す。
「結局、答えは未だに分からないし……オレはもうダメなのかな……」
彼は深いため息をつくと静かに目を閉じる。
「父ちゃん……オレも疲れたよ…………」
そして諦めたかの様にそう呟いた。
「…………お前はよくやっている……俺の自慢の息子さ……」
「……生! 先生! 先生! 何を物思いにフケってるんですか! 何、人生悟ったみたいな顔してるんですか! 先生の歳で悟りを開くなんて3年くらい早いですよ! そんなことより、立花君を早く止めてくださいよ!」
誰かに声をかけられて彼は今、自分がおかれている状況を思い出した。
時計を見ると四時限目が終了し、昼休みに突入したばかりの時刻を指していた。
『立花』『昼休み』というワードを聞き、連想されるモノはそう多くないだろう。つまり、そういうことである。どういうことかは一話を見てもらえれば話が早いだろう。
タケシ……もとい、物理担当教師は立花の行動を止めるべく実に240通りの作戦を考案し実行したのだが、全てを破られ失意の底へと堕落、無意味な回想を繰り広げていたのだった。
ちなみに、彼の回想シーンはこの物語に全く関係しないのだが、それはまた別のお話。
「フハハハ。このバカ教師め! 俺をハメようなんて1億光年早いわぁぁぁぁぁぁ!」
バカ丸出しの発言で先生をバカにした立花は、いつものようになんの迷いも躊躇いも無く、窓ガラスへとダイブする。
「あぁ、神よ……あなたは今日も我らをお救いにならなかったのですね…………アーメン」
キリシタンであるクラスメイトの一人が十字架を片手に諦めたようにそうつぶやく。
「しかし、我々は諦めてはなりません。待っていれば神はいつか……」
ゴツン………………ドサッ
「安定と安らぎを……あれ?」
いつものようにガラスの砕ける音がしない。
代わりに低く鈍い音が聞こえてきた。
彼は予想打にしていなかった事に聖書を詠むのをやめ、顔をあげる。
「?」
一体何が? 先生を含めたクラス全員が立花の方を向くと、そこには
「うぐぅ……」
情けない顔で頭を押さえてうずくまる立花の姿が……、更に、上の窓ガラスには傷一つ付いていないではないか。
「先生? こ……これは?」
「いや……オレにも状況がよく分からん」
確かに窓ガラスにダイブしていた立花。それはみんなが確認していた。しかしいつものように割れないという異常事態にみんなが右往左往していると、
「ハハハハハ」
廊下から高らかな笑い声が聞こえてきた。
「こ……この声は校長⁈ なぜここへ?」
突然のお偉いさんの来訪に間抜けな声を上げる先生。
「毎回アホみたいに立花君がガラスを割るからね、今回から本格的に対策を立てさせてもらった次第だよ……」
先生の質問を何食わぬ顔でスルーした校長は、痛みで丸まっている立花を見下ろしながらみんなが今、一番疑問に思っていることを話し始めた。
「ううっ……一体何をした……」
「ふふっ……そう……ここの、廊下側の窓ガラスを全て『防弾ガラス』にさせてもらったぁぁ!」
「強化ガラスで充分でしょうが! ここで銃撃戦でもおっ始める気なんですか⁈」
一人の生徒がたまらずに突っ込む。
「だってこの子、強化ガラス程度だと普通に割りそうじゃないか……。あと強化ガラスは高いんだよ。そんな不確かな物で対策を立てるくらいなら、少々値が張っても確実に被害を防げる物を買った方が長期的に見て安くなるでしょ? ただでさえガラス代500万円ほど滞納してるんだから……」
ご…………500万…………。誰もがそのワードに生唾を飲み込んだ。
むしろそれほどまでに被害が出てるのに対策を立てるのが遅過ぎるのではないのか?
「まぁ、なんにせよ、これでワシも枕を高くして寝れるというわけだ。やったね!」
「ふふふ……。校長、もしかしてその程度で勝ったとでも?」
「な……何っ……」
「かの有名なフビライ=ハァァンは死に際に『押してダメなら引いてみろ』という言葉を残しました」
「おい、どーした? 頭の打ち所が悪かったのか?」
「押してダメなら引いてみろ……では、廊下がダメなら……」
そう言った途端立花は突然走り出し、
「外だぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
バリーン!
聞きなれた音を出しながら彼は、廊下とは反対に面している外側の窓を勢いよく突き破った!
「「「「えぇぇぇぇぇぇ⁈」」」」
「ここ四階だぞ⁈」
「バカじゃないの?」
「きっと防弾ガラスで頭を強く……」
「あぁ、こっちのガラスは対立花用じゃなかったんだね」
クラスメイトが様々な反応を示す中
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
後先考えずに行動したそのバカはそのまま下へと召されていった。
彼の脳内には『重力』という概念がないらしい。
そんな様子を呆れを通り越して『無』の感情で眺めているクラスメイト達。
彼の狂った行動に理解が追いつかないのである。
教室に散らばったガラスの破片。負傷した者が誰一人いないのが唯一の救いだろう……。
常識的に考えて、四階から飛び降りた人間は助かる筈がない。アニメやマンガの世界ならまだしも、普通に考えて……
ガシャン!…………
「いやぁ……助かったぁ」
小説は現実より奇なり。
ブーーーーーーーーと学校中に鳴り響く車のクラクションと共に無事だったという声明文を発表した立花にとりあえずホッとするクラスメイトと物理の先生。
「あ…………」
ただ一人、下の様子を確認して顔を青ざめさせた人物がいた。
「こ……校長?どうなされました?」
しきりに何かを伝えようとする校長。しかし先ほどから鳴り止む気配のないクラクションにかき消されて何を言ってるのか聞き取れない。
見た方が早いなと思い立った先生は、窓の外ーー立花の着地地点ーーに目をやる。
「…………」
そこには一台のぺしゃんこに潰れた車があった。
「あぁ、ガシャンってのは立花の落下の衝撃を受け止め、車が役目を終えた際に生じた音で、先ほどからなっているクラクションは防犯用の……。そしてその持ち主が校長だったってことですね。御愁傷様です」
「解説乙」
当の本人はその車の横で騒ぎを聞きつけやってきた生徒指導の吉田に羽交い締めにされていた。
「ワ…………ワシの…新車が……」
「あぁぁぁ!
校長が泡を吹いて倒れた‼︎ だ、誰か校医の先生を!」
「は、はい!」
「立花ぁぁぁぁ! 今日という今日は許さんぞ! これは器物破損といって立派な犯罪だぁぁぁぁぁ!」
「ちょ…………吉……田…………首……首しまって……死…………」
「校長ぉぉぉぉぉ! しっかりしてぇぇぇぇ!」
「立花ぁぁぁぁぁ! なんとか言えよぉぉぉ!」
物理教師の断末魔に近い悲鳴と、吉田の鬼のような怒号が真昼間の校舎を駆け巡る。
クラスメイト達はその様子に一斉にため息をつくと考えることを辞め、いつものように『事後処理』に取り掛かる。
昼休みはまだ始まったばかりだ