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少女と魔女さん、鬼ごっこ に


 翌日、アリスは女によって森の入口まで送られた。

 アリスは「お礼がしたい」と言ったが、女はそれをやんわりと断った。「では次に会う時、どうすればいいのか」と聞くと、古びた方位磁針のようなものを渡された。


「針の指す方向へ向かえば、きっとまた会えるわ」


 そう言って彼女は踵を返し、森に帰って行った。

 家に帰ると、当然母親にこっ酷く叱られた。拾ってきた木の実を見せてちゃんと謝ると、少し呆れた様子で、しかし嬉しそうな表情をして母はアリスを許した。


「もう危険な所にはもう行かないでね。私に残されたのは、もうあなただけなのだから」

「危険なところじゃないもの。泊めてくれたお姉さんも、すっごく優しかったし」

「あらまあ。あんなところにも人が住んでたの。何かお礼を考えないとね」


 笑って母は子を撫でる。アリスはまた会える口実ができたことに喜んだ。

 木の実を母に預けると、アリスはいつものように子供たちの溜まり場になっている村の教会に行った。やや重い木の扉を開けると、中には子供たちがいた。

 アリスが集団に駆け寄ると、それを認めた年長の少年が声を上げた。


「アリスだ! アリスが帰って来た!」


 彼の声で子供たちが振り向くと、一斉に歓声を上げた。


「アリスだ!」「魔女の森に行ってたんでしょう?」「大丈夫?」「怪我はない?」


 思い思いにアリスに心配の声をかける子供たち。その勢いに気圧されながらも何とか心配攻めに対応していると、最初に声を上げた年長の少年、アランが話しかけてきた。


「お前、大丈夫だったか? 昨日は父ちゃんたちも心配してお前のこと探しに行ってたんだぞ」


 村の人口は、少ない。それだけに村人との間の結束は強く、一人が行方不明にでもなりさえすれば村人総出で探しに行く。自分が魔女の森に行っている間にそんな大事になっていたのか、とアリスは少し驚いた。


「うん、大丈夫。森で迷った時、お姉さんが小屋に泊めてくれたから」

「お姉さん? お前が迷ってたのは魔女の森だろ?」アランは訝しげに眉をひそめる。「あんなところ人が住んでるもんか。おおかたそいつが魔女だったんじゃねえの?」

「ぜったい違うよ。お姉さんドジだったし。私、オーガスにならなかったし」

「ふーん、そっか。まあ、とにかくお前が無事で良かったよ」


 そう言ってアランはアリスの頭を撫でる。アランの撫で方は母とは違って荒々しく、少し痛いぐらいの時もあるがアリスにとっては心地よかった。

 アランは村の子供たちの中でも一番の年長だ。遊びはいつも彼がリーダーになって進むし、最近では大人たちの手伝いにもよく駆り出される。よく頼られるみんなの兄的な存在であり、憧れの的であった。もちろん、アリスもそのご多分に漏れていない。恋情とまではいかないが、確かに彼女は彼を慕っていた。


「みなさん、こんにちは」


 子供たちの輪に加わり、いつものように談笑に花を咲かせていると教会の奥の方から初老の神父が出てきた。


「神父さま、こんにちは」

「おお、こんにちはアリスちゃん。怪我はないかい?」

「はい、大丈夫です」

「それは良かった」彼は微笑み、鷹揚に頷くと、少々厳し目の表情を作ってアリスに言った。「あまり君のお母さんを心配させない方がいい。あの方も先日、君のお父さんがいなくなったばかりで辛いんだ。その上で君がいなくなってしまったら、君のお母さんももっと悲しんでしまう」


 母が悲しむ。父が行方不明になった日にむせび泣いていた母の姿を思い出し、アリスの胸がきゅっと締め付けられたように感じた。


「それはイヤ!」

「そうだろう、そうだろう。だから、君が君のお父さんの代わりに生きて、お母さんを支えてあげなさい。神様も、きっとお見守り下さるだろう」


 そう言って、神父は最後に「アーメン」と唱えて締めくくった。アリスもそれに倣って、「アーメン」と唱えた。



 翌日。朝に母とクッキーを作ると、アリスは例の方位磁針を持って森小屋へと向かった。

 磁針に従って小一時間歩いて行くと、存外あっさりと目的地に着いた。背伸びをしてノッカーで扉を叩こうとした瞬間、ぐらりと景色が揺らいだ。


「あ……れ?」


 赤。

 ぼんやりと周囲が赤に染まり、しかしそれはすぐに収まる。


「……疲れてるのかな」


 気を取り直し、ノッカーで扉を叩くと女が出てきた。


「あら、こんにちは」

「こんにちは。今日はね、お礼をしに来たの!」


 母から預かったクッキー入りの包みを女に差し出す。「まあ」と女の顔が華やいだ。


「ちょうど良かった、今からお茶にしようと思ってたのよ」彼女は包みを受け取り、もう片方の手をアリスへと差し出す。「ここまで来るのにあなたも疲れたでしょう? ここらで魔女のお茶会と洒落込みましょうよ」

「……いいの?」

「ええ。歓迎するわ」


 自称魔女の手を取り、小屋に導かれる。

 昨夜と同じように女に勧められた席に座って待っていると、彼女は奥の部屋から二つの皿を携えて来た。


「わあ、ミートパイだ」

「正解」


 紅茶にクッキー、ミートパイ。豪華な茶会に、アリスは目を輝かせる。


「お砂糖はいくつ入れる?」


 角砂糖の入ったガラスビンをアリスに見せるように掲げて女は、聞いてくる。アリスはまだ、紅茶を飲んだことがない。渋いと風の噂で聞くが、どの程度砂糖を入れればいいのか皆目見当がつかなかった。


「えっと、一つ?」

「あら。アリスちゃんったら大人なのね」


 驚いたといった様子で、ぽちゃんと一つ角砂糖を落としただけの紅茶を差し出された。

 「大人」というキーワードに少々の引っ掛かりを感じながらも、恐る恐るアリスはティーカップに口を付け、一口含んでみた。

 広がる微かな甘味とそれを上回る圧倒的な渋み。即座にアリスはカップを皿に置いて、ミートパイにかじりついた。サクサクのパイ生地と豚肉らしき濃厚な味わいが、舌の味覚を塗り替える。


「やっぱりお子様には無理だったか」

「……お子様じゃないもん」


 小声で反駁するも、女はくすくすと笑って「あといくつ?」と聞くだけだった。アリスは「あとみっつ」と言ってクッキーを口に放り込むと、乱暴にそれを噛み砕いた。


「……それで、お姉さんはいくつ砂糖を入れてるの?」


 ぽちゃんぽちゃんと角砂糖を五つ程落とした紅茶を飲みながら、女は横に目を逸らした。



 茶会が終わった後、女に森の入口まで送ってもらった。

 おーい、と遠くから声がする。そちらの方へよくよく目を凝らすと、アランが手を振りながら駆け寄って来るのが見えた。


「アランお兄ちゃん。どうしたの、こんなところで」

「俺は教会から帰って来た所。お前こそどうしたんだよ、こんなところで」

「お姉さんのところでお茶会してたの。その帰り」

「お姉さん?」


 言って、アランは女の方を見る。


「魔女さんだぞー」


 アリスにしたように、ばさぁ、とローブを内側から広げて演出する。アランは一瞬半目になり、こめかみに手をやって指先でよく揉んだ。


「……なるほど、確かに。こりゃ魔女じゃねえな」


 そんな言葉と共に出た溜息は、呆れか落胆か。


「魔女って言ってるのにぃ……」

「うるせ。んな子供騙し以下が通用するかっつーの。魔女ってのはもっと、鼻がこうなってて目がイーッってなって、顔がこーんな感じって昔から相場が決まってんだよ」


 身振り手振りでアランは鉤鼻や釣り目、しわの寄った顔を表現してみせる。


「あ、アランお兄ちゃん、ダメだよ。神父様言ってたでしょう? 年上は敬いなさいって」それに、とアリスは付け加える。「昔っから言うでしょ? 『嘘を口にしてはならない。しかし、真実のなかにも口にしてはならぬものがある』って」

「…………」

「…………」


 沈黙。方や俯いて落ち込み、方や呆れ返って空を見上げている。二人の微妙な反応に、「あれ?」とアリスは戸惑った。


「アリス」アランが空を見上げながら、優しく語りかける。「それ、ユダヤ人の格言だ」

「あ、あれぇー?」


 善意からの悪言ほどに扱いづらい物はなく、また無知とは安息と災難を呼ぶものだった。



 それからというもの、アリスは三日に一度の頻度で、たびたび森小屋に行っては茶会と談笑に興じた。


「あれ? 今日はミートパイじゃないんだ」


 ある日のことだった。珍しくいつも出てくるミートパイが、クルミ入りのスコーンに変わっていた。


「うん、ちょっと今だけお肉切らしちゃってねー。アリスちゃんはスコーン、嫌い?」

「ううん、好き。でもお姉さんのミートパイはもっと好き!」

「そう」女は笑う。「それじゃ、次はいいお肉で作るわね」


 いつものようにその日も茶会を終えると、いつものように女に森の入口まで送ってもらった。

 つつがない、充足した日々。教会では子供たちと遊び、時折森小屋に行っては女と二人だけの茶会を開く。

 しかし、それは翌日の衝撃で、いともたやすく打ち砕かれた。

 行方不明事件が起きた。いなくなったのは、アランだった。

 村は一気に騒がしくなった。 すぐに村の男たちで捜索隊が編成され、村の近辺を探しに行くことになった。

 村でも大人からは一目置かれ、子供たちの人気者だった彼がいなくなったことで心を痛める者は多かった。


「あたしも行く!」


 アリスも、彼の身を案じる者達の一人だった。彼女は村の捜索隊に付いて行くと訴え出たが、彼らは頑としてそれを受け入れなかった。。


「ダメだ、アリス。俺たちも遊びで行くわけじゃねえ。女子供を連れて行く訳にはいかないんだ」

「でも、アランが!」


 それでもアリスは食い下がる。急に後ろから腕をぐいと引っ張られた。


「……やめなさい、アリス」


 母だった。母は厳しい口調で言う。


「私たちは、待つのよ。アランの無事を祈って」

「でも、お母さん……!」

「黙りなさい!」


 怒声に、身体がびくりと勝手に反応する。

 心の天秤がぐらぐらと揺れているのを感じた。目頭が急に熱くなる。震える息が、嗚咽に変わる。

 泣いてはいけない。泣けば、置いて行かれる。頭ではそう理解していたのに、やはり涙は抑えられなかった。

 アリスは泣いた。一粒涙が流れるのを許してしまえば、後は流れるまま、流されるままだった。

 歪んだ視界で、男たちが出発していくのが見えた。「待って、行かないで」叫び、追い駆けようとする。しかし、叫びは嗚咽に邪魔をされ、足は母に掴まれた腕によって進むことはなかった。


「離して、離してよ!」


 涙声になりながらも必死に母の手を振り払おうとするが、彼女はアリスの腕を痛いほど強く握り、離さなかった。


「私も探したかったわよ。でも――」


 寡婦やもめの母は目に涙を湛えながら、言う。


「一人きりにするのも、されるのも、嫌なのよぉ」


 ズキリと、掴まれていないはずのアリスの胸が痛んだ。

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