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男が家に帰ると、押しかけ女房がぱっと顔を輝かせて嬉しげに駆け寄ってきた。
「お帰りなさいませジェイク。これ、わたくしから結婚して初めてのプレゼントですわ」
にこにこと自分を見上げてくる戸籍上の女房を前に、ジェイクは何とも言えない気分を前に口をつぐんだ。
ほんの少し魔が差したとしか思えない、彼女との出会いから早一月。完全に居着いてしまっている彼女は、当たり前のようにそこにいて彼を出迎えている。何が問題かというと、それに慣れてきてしまっている自分が一番の問題だと、ジェイクは深い溜息をついた。
プレゼントだと差し出されているのは、一足のブーツだ。
なぜブーツが。何で突然ブーツをプレゼントに。それよりなぜブーツを買おうと思った。そうじゃなくて、その金はどっから出たんだ。
ブーツと自称女房を交互にとりとめなく眺めていたジェイクだったが、にこにこと気にせずに差し出したまま反応を待つ彼女に、諦めて溜息をつく。
「……そんな物より、さっさと大叔父の元へ行け。プレゼントはそれで十分だ」
現状を受け入れてはいけないという自戒と、彼女への釘を込めて、幾分厳しい言い方をして睨む。彼女を前にすると、どうにも毒気を抜かれてしまうのが一番の問題なのかも知れない。
けれど、眉間に皺を寄せても、溜息混じりに呟いても、アルミナは気にした様子もなくブーツを押しつけてくる。
「そんな事より履いてみて下さい」
「そんな物」と言った事への当てつけだろうか。ジェイクの言葉をどうでも良いとばかりにはぐらかすアルミナに、ジェイクも何とか厳しい態度と口調を保ったまま彼女を睨む。
「そんな事より、これはどこで買ってきたんだ。新品の上に、それなりに値が張りそうじゃねぇか」
「履いてくれたら、教えて差し上げますわ」
浮かれた様子のアルミナに、また一つ溜息をつく。こちらの言う事など全く気にしていないのか、なんだかんだと受け入れているジェイクを見越しての言葉なのか。譲る気のなさそうな彼女の態度に、結局いつものように諦めて受け入れたのはジェイクの方だった。 ブーツに足を入れると、アルミナが履いた状態を確かめながら質問攻めにしてくる。
「どうですか、合いますか? きつかったり、おおきかったりしませんか?履き心地は?」
詰め寄ってくるアルミナに気押されつつも、ジェイクは少し足を踏みしめて、その履き心地の良さに思わず驚いて呟いた。
「……ぴったりだな」
「よかった!」
アルミナは喜んでいるが、ジェイクは履き心地の良い靴を眺めながら眉をひそめた。
「あんた、何で俺の靴のサイズを知っているんだ?」
「夜ジェイクの寝ているところに忍び込んで、足の大きさを測りましたの!」
誇らしげに胸を張るアルミナにジェイクが叫んだ。
「男の寝室に忍び込んだのか?! あんた、何考えてんだ!!」
その剣幕に、アルミナはにっこりと笑顔で答えた。
「あら。わたくしたち夫婦ですもの。何の問題もありませんわ」
ぽんと手を合わせるように叩いて、ね? と首をかしげる。
そういう問題ではない。
「そもそも、夫婦っていうのが問題なんだろうが……」
今再び、その事に関して言及するのもやりきれない物があったが、忘れてしまいたい事実であった。
しかし唸るようにジェイクが呟いた言葉は、軽く流されてしまう。
「私はジェイクと夫婦になれてうれしいですわ」
あまりにも簡単にそんな事を言ってのけるアルミナの様子に、ジェイクは彼女の危機感のなさが、あまりにも腹立たしく感じた。この状態がいかに彼女にとって危険な状態であるか分かっていないのか。ジェイクの気持ち一つで現状が簡単に彼女の絶望や不幸に変わりかねないと分かっていないのか。
安易すぎる彼女の言葉は、ひどく居心地が悪く、不快に思えた。
ジェイクは、アルミナの肩を少し強く掴み、警戒心もなく自分を見つめてくる顔をのぞき込んだ。
「……あんた、夫婦ってぇのは、何するか分かって言っているのか?」
男は脅すような低い声で問いかけ、肩から手を離してから今度は彼女の細い手首を掴むと、ぐいっと引き寄せる。そして彼女の小さな顎を掴み、無理矢理仰がせるように顔を自分に向けた。
「覚悟もないのに、夫婦だなんだと……」
アルミナが目を見開いているのを満足そうに見てから、ジェイクが嘲るようにそう言いかけたときだった。
「ジェイク! やっと私と本当の夫婦になる覚悟を決めてくれましたのね?!」
目の前の自称妻から歓喜に満ちた声が上がった。
胸の前で手を組んで、期待に満ちた瞳で見上げてくるアルミナに、ジェイクはぎょっとする。とっさに彼女に触れていた両手をばっと放し、そのまま飛び上がるように後ずさった。
「ちょ、まて……!! なんでそうなる……!!」
求めていたのとは真逆の反応を返され、男は先ほどまでの苛立ちも全て吹っ飛び、目元を押さえて天を仰いだ。
ことごとく想像と予定の斜め上の言動で、ジェイクの思惑を軽々と越えていく。
今日も完敗だった。
「あの、今からですか……?」
ちょっと照れますわね、などと頬を染めて見上げられ、ジェイクは力の抜けた声で呟いた。
「そんな覚悟は付いてねぇよ」
それに「あら、残念ですわ」などと軽く返してくるアルミナは、ジェイクより数枚上手のようだった。
「それで、そのブーツなんですが」
結局いつものようにアルミナのペースになってしまい、ジェイクはわずかに項垂れながら彼女の話を聞くはめになっている。
「革細工を私がして作った、特注品ですのよ!」
嬉しげに自慢げにブーツの出所を明かしたアルミナに、男は思わず怒鳴ってしまった。
「あんたは、だから、何を考えているんだ! 金の使い道がおかしいだろう!」
これだからお嬢様は、と言いかけたところで、アルミナがふふふっと胸を張った。
「わたくしからすると特注品ですが、靴屋さんからすると試作品なので、お値段自体は、材料費と、多少の工賃だけで済ませていただきましたわ。これから靴屋さんでもお仕事がもらえるようになりましたの。ですから無駄遣いをしたわけではありませんのよ」
得意げに靴屋とのやりとりを話する姿を見ながら、ねじが一本ゆるんでいるとしか思えない深窓の令嬢の、時折見せるまともさと行動力に舌を巻く。
いや、この娘は自分に対しては、少し足りないのではないかと思うような言動をするが、決して頭が弱いわけではない。
それはジェイクも分かっている。むしろ頭の回転は速いほうだろう。行動がおっとりして見えることと、とんでもない言動で躱していく姿が、足りなく見せるだけで。
「それで……」
話を終えると、そう言ってアルミナがジェイクをちらりと見上げる。
何となくこれから先は聞きたくなかったが、半ば諦めの境地に至っているジェイクは、イヤイヤながらも先を促すために相づちを打った。
「なんだ?」
「ジェイクに履いていただきたくて、その為に図案も考えたんです。……使って、いただけますか……?」
「いらねぇって言ったら、どうする」
多少の意趣返しとして、この程度は良いだろうと思い、ぐっとブーツを彼女に向けて突き返してみた。
アルミナが困ったように首をかしげた。
「でしたら……ジェイクのために作った第一号として、今日からわたくしが大事に抱きしめて眠ることにしますわ。わたくし、きっとブーツを涙で濡らしながら寝るのですわ。私がブーツと一緒に眠ることになるとしたら、ジェイクのせいですわよ!」
「なんでだよ!!」
思わず叫んだジェイクに、アルミナがクスクスと笑う。
「なので、使って下さい」
静かな微笑みを浮かべ、じっと願いを込めるように見つめてくるアルミナに、ジェイクは溜息をついた。
「……サイズも、履き心地も、俺にぴったり合っている。良い靴だ。……ありがとよ」
受け取らない方が良いと、頭の片隅で警告する声が聞こえる。彼女をいつまでもここに留めることを許してはいけない、彼女を受け入れる言動は極力控えなくてはならないと警告してくる。
分かっている。
けれど返した言葉は正反対で、ジェイクは苦々しく思いながら自分に合わせて作られたブーツを見る。
新しい靴が欲しかっただけだ。
心の中で上っ面の言い訳をして、頭の片隅で発せられる警告にも、くすぶる感情にも蓋をして見ないフリを決める。
ジェイクの苦い感情とは対照的に、アルミナの表情は輝いた。
ジェイクが靴を受け取ったことが嬉しいと、その表情が、態度が訴えかけてくる。
分かっている。
これを、嬉しいなどと思ってはいけないのだ。