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浮浪者と大差ない男、ジェイクの元に押しかけ女房をしたアルミナの存在は、巷で密やかな話題となっていた。
家出をしてまで愛を貫いたお嬢様の話は尾ひれがついて一大ロマンスとして広がっている。
結婚登録所までの道のりでさんざん痴話げんかをしているようにも見えたのだから当然なのかもしれない。
と言うわけで、アルミナが質屋の門を叩いたとき、店の主人が訳知り顔で同情と共感と心配をしてくれたのは、当然とも言えた。
「ああ、さては、あんたが話題のお嬢さんだね」
アルミナの身なりを上から下まで眺めて、ふぅむと肯く。
「……あの?」
訳が分からずに戸惑いつつも、アルミナは首にかけてあったペンダントを外した。
「これを売ったら、どのくらいになりますか?」
「お嬢さん、それを売って、どうするつもりだい?」
「生活の足しに……」
小さな声でもごもごというと、店の主人は責めるように片方の眉を上げた。
「あの男のためにかい?」
「はい。でも、内緒にしておいて下さい。彼に知られたら、追い出されてしまいますから……!」
アルミナは主人の様子に気付かずに、懇願する。一方店の主人はアルミナの言葉に意外そうな顔をした。
「金があるのに、かい?」
「お金があるからですっ わたくしが荷物を盗まれて無一文になったから置いてくれているのです。わたくし、少しでも良いので、彼のそばに、いたいのです」
「けなげだねぇ。あんな仕事もしない男のどこがいいかねぇ」
店の主人は悩ましそうに眉間に皺を刻む。
「わたくしの為に、帰れと言って下さる、優しい方ですわ」
うれしげに笑ったアルミナに、店の主人が困ったように、けれども仕方なさそうに微笑んだ。
「ま、恋なんて物は、そんな物だろうよ」
言われて、アルミナはきょとんとする。そしてしばらく考え込むと、満面の笑顔で「はい」と肯いた。
「……あの、それと……ペンダントとこのドレスを売りたいのですが、その出所も内緒にしてもらえますか? 父に見つかりたくないのです」
主人はしたり顔でもちろんだと肯いた。
アルミナはずいぶんと軽く古くみすぼらしくなった服で軽やかに町中を闊歩し、大事な用事を済ませてからパンと卵とミルクとベーコン、それから家になさそうな調味料をいくつか、野菜も少し買って帰る。
あまり使っている様子もないがかまどは一応ある。マッチもあった。一応フライパンも鍋もある。やはり使っているようには見えないが。
最近では滅多に使うことはなかったが、全くないわけではない。
「久しぶりの家事ですわ」
アルミナは歌うように呟くと、楽しげに家事をはじめた。お嬢様歴などほんの五年程度。子供の頃に身についているはずの一般人生活を試す日がやってきた。
家にたどり着いたジェイクは、一瞬意味が分からずに固まっていた。家の中から食べ物の臭いが漂ってきている。まさか、あのアルミナが食事でも作ったのか?! 庶民の出などと言っていたが、あの言葉遣いも身のこなしも、とてもではないがそうは見えない。そのアルミナに料理など出来るはずがない。
いくらぼろくても大事な寝床である。惨事を予想してジェイクはドアを開いた。
「あ、お帰りなさいませ。ジェイク、聞いて下さい! 久しぶりのお料理でしたけど、思ったより上手に出来ましたの! 体に染みついた感覚って、消えないのですね!」
嬉しげにダンスでもしてるかのような軽やかな足取りで駆け寄ってくると、アルミナがジェイクの手を取り何度も振る。
「あんたが……? メシを……?」
「もちろん、久しぶりでこわいですし、難しい物なんて作れませんから、朝食のような簡単な物ですけど」
恥ずかしそうに微笑むアルミナを見てから、狭い家の中をぐるりと見渡す。
ほこりが山のように溜まっていた家の隅々がさっぱりと小綺麗になっている。立ちこめる臭いはおいしそうに思える。テーブルの上の食事の準備は至ってまともであった。
「……食えるのか?」
呆然と呟いたジェイクに、アルミナはテーブルの上とジェイクの顔を交互に見て、にっこりと笑った。
「たぶん!」
自信満々なのか、自信がないのかこれまた微妙な返事であった。
「とりあえず、食べてみましょう」
にこにこと笑っているが、言葉がどうもおかしい。どう聞いても味見をしていない。
アルミナの勢いに思わずそのまま座って、おそるおそる野菜のたっぷり入ったスープに口を付ける。
「……うまい」
普通に食べられる食事だった。期待していなかっただけに、必要以上に美味く感じた。
「良かった! シンプルな物しかできないので不安だったんですけど」
にこにこと食事を取るアルミナに何故か納得いかず、ずずずっとスープを音を立ててすすりながら、ジェイクははっと我に返る。
「あんた、そういえばこれを買う金はどこにあった?」
言ってから、ジェイクは沸々と怒りが込み上げてくるのを感じていた。よく見ればアルミナの服が朝までと違う。
「服を質屋に売りましたの」
「あんたはバカか! こんな事に金を使わず、どうして大叔父とやらの所へさっさと行かなかった!」
苛立たしげにドンとテーブルを叩くのをアルミナがしゅんとした表情で見た。
「だって、結婚だけさせて、何の恩返しも出来ておりませんわ。それに、あれっぽっちのお金では、大叔父の所までたどり着けませんもの」
ジェイクは軽く舌打ちをした。
「あの、ジェイク?」
不安げな瞳が窺うようにジェイクをのぞき込んでくる。
「スープ、おかわりいりますか?」
ジェイクは苦虫を噛み潰したような顔をして、無言のままスープ皿を彼女へとつきだした。
生活は意外に好調な滑り出しとなった。