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雪の街の少女  作者: asami
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8・義母の想い

「あの時代は私なんかよりもっともっと辛い思いをした人が大勢いたのだろうけれど、私はどうしてもあの子の死を受け入れられなかった。事故だったのだから仕方がないとは思えなかった。戦後の混乱期だから仕方がないと片付けられなかった。そして自分を責め続けて、ノイローゼになってしまった。たった六年間のあの子の人生を、私は背負い込むことさえできなかった」

まるで昨日のことのように、義母は事細かに話してくれたのだった。話している間中、義母は涙を堪えていた。時折、声が震えて言葉が詰まった。

「雪が怖かった。雪の中を歩くと、あの子が目の前をよぎる。そして、じっとこちらを見ているの。お母さん、どうして? どうして助けてくれなかったの? ってね。そんな目で私を責めるの」

 義母はバッグからハンカチを取り出し、目頭を押さえた。その手は震えていた。

「雪が怖くて東京へ逃げ出したの。何もかも忘れたくて、あの子の物を全て処分して、あの子から逃げ出した」

 泣き声は嗚咽に変わっていた。ずっと胸の奥にしまいこんでいた想いを全て吐き出して、六十年分の涙を流しているのではないかと、周子は思った。

「泣いているの、だあれ?」

 周子の横に寝ていた美雪が、目をこすりながらむくりと起き上がった。

「美雪、なんでもないの。いいから寝なさい」

「おばあちゃん、お腹痛いの?」

 寝かせようとする周子の手を払いのけて美雪は義母の傍へ行き、首をかしげて心配そうに顔を覗き込んだ。

「大丈夫、大丈夫よ。悪い夢を見ただけだから」

 義母はそう言って穏やかな笑みを見せ、美雪の頭を優しく撫ぜた。

 義母が美雪に向かって微笑んだのは、これが初めてだった。

 美雪は義母の笑顔を確認して安心したのか、またもそもそとベッドに戻ってすうっと眠りについた。

「美雪にも心配かけさせてしまったわ」

「半分寝ぼけていたみたいだから、気にしなくても大丈夫ですよ、お義母さん」

「……今まで美雪に優しくできなかったのに。美雪は本当に優しい子になって……ごめんなさい」

 義母は肩を丸め、周子に向かってうなだれるように頭を下げた。

 いいんです、そんなこと。ぜんぜん気にしていませんから。周子は慌てて訂正した。

義母が多少邪険にしたり、冷たい態度をとったりしても、美雪はお構いなしに楽しそうに義母にまとわりついていたので、周子は今まであまり気に留めていなかった。

美雪は小さい頃からよく一人遊びをして静かにすごす、手のかからない子だった。育てるのに苦労はなかった。

おっとりしていて今時の子という感じがしない。ちょっと我が侭な所もあるが、優しい子だ。

親ばかだが本当にいい子に育ったと思う。

義母と夫の三人暮らしだったら、いくら良いお姑さんだったとしてもうまくいかないことも出てきただろうが、孫という美雪の存在があり、家族間のクッションの役割を果たしてくれていた。周子はそういう美雪の存在に救われていたのだ。

だが義母にとって、美雪の存在自体がストレスだったとは。

「偶然だろうけれど美雪が生まれた日は、娘の命日なの。それに、同じ名前。どうしても娘に……みゆきに重ねて見てしまって……責められているようで恐ろしかったの」

美雪が生まれた日、東京にも珍しく雪が降ったのだった。周子は病室の窓から牡丹雪が降っているのを眺めた記憶があった。

出産後、疲労でうとうとして目を閉じていた周子に、夫が名前は美雪がいいと耳元で囁いたのを覚えている。

夫は幼くして亡くなった姉の存在を知らないのだから、偶然同じ名前にしてしまったことになる。不思議なめぐり合わせだ。

「美雪が生まれたときはそう感じなかったけれど、段々お義母さんが美雪によそよそしくなってきたとは薄々感じていました。私こそ偶然とはいえ同じ名前にしてしまって」

亡くなった娘と同じ名前だということを知らなかったとはいえ、義母に今まで辛い思いをさせていたのだと思うと、周子は胸が締め付けられた。

「周子さんは何も悪くないのよ……黙っていた私が悪いのだから」

 涙も収まりかけ義母は落ち着きを取り戻していたが、まだ鼻声だった。

「あの写真を見たときは、さすがに驚きましたけれど」

「みゆきに似てくるのが末恐ろしくて……髪も、同じ長さになったら瓜二つになるような気がして。ごめんなさい」

 それで美雪が髪を伸ばすことを反対していたのか。

 義母は膝の上で握り締めたハンカチをじっと見つめていた。

 美雪の中に我が子の亡霊を見ていたのだ。義母は美雪を嫌っていたのではなく、怖がっていたのだ。

 ずっと自分を責め続け、義母はどんなに辛かっただろう。

「ねえ、お義母さん。明日はお花を持って事故のあった場所へ行きましょう。お義母さんのみゆきちゃんは、ずっとお義母さんが来るのを待っていたのかもしれない。そのみゆきちゃんは、ただ、お義母さんに会いたくてお義母さんのことを呼ぶのかもしれない」

「そうね……そうかもしれない。みゆきと歩いたあの道へ、行ってみることにします」

 自分を納得させるように義母は言葉をかみ締めるように言った。吹っ切れたような笑顔を浮かべて。

 多分、旭川へ行くと決めたときから、義母はそうしようと思っていたのだろう。自分はそれを後押ししただけなのだと周子は思った。

 窓ががたりと音を立てた。

 酷い風。

周子は急に風の音が強くなった気がした。


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